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2-4、大ピンチ

 モーレスロウ王国の王都は広大な敷地を誇る。

 中心街から離れ、民家が一切なくなっても、隣の領土へ到達するまでの土地はすべて「王都」に属しているのだ。


 そんな、西街でも中心街からほどよく離れた自然豊かな土地に、師匠は暮らしている。


 王都では、中心街に近い場所に住居を構えるのが普通だ。利便性もよいし、国が指定する場所に居住を構えれば、家を購入する際に負担金もでる。


 そんな諸々を無視した師匠の家は、森林の手前に、庭付きの一軒家として建っていた。


「……わー」


 久しぶりに師匠の自宅を訪れたナルは、草が生い茂った庭を見て、顔をしかめた。


 シルヴェナド家に居た頃。

 ナルは定期的に屋敷を抜け出しては師匠の元へ通っていた。


 そのたびに、庭の草をむしり、水をやっていた薬草園が……自然に、帰ってしまった。


 薬草はどこだ、と草を退けて確認すると、根っこから引き抜いたあとがある。


 師匠が、薬草だけ持っていったのだ。


 ナルは盛大なため息をついた。

 師匠は、超のつくずぼらな性分なのだ。


 ナルは、師匠の暮らす、木造りの家屋へ向かった。

 ノックをしても無視されるのはわかっていたので、裏口から調理場に入り、そのまま師匠の部屋へ向かった。


「師匠! 薬草は、使えば使うだけ生えてくるもんじゃないんですよ!」


 開口一番にそう言って、部屋へ入ったナルは。

 師匠がいつも座っている椅子に、もさっとした生き物が座っていることに気づいて、動きを止めた。


(イエティ?)


「ん? ああ、ナルか。久しぶりだな。元気だったか?」

「……師匠? なんか、もっさりしてますけど」

「そうか? そういえば少し、前が見えにくいが。生きているから、大丈夫さ」


 師匠の。

 かつては、艶やかで美しかった黒い長髪がうねっている。

 顔が髭で覆われているうえに、前髪が垂れている。

 最後に師匠を見たときと同じ衣類だろう作業着が、研究に使う材料や、汗、垢などで汚れて黒ずんでいる。


 ナルは、うわっ、と顔をしかめた。


「酷く匂うんですけど……お風呂、入ってます?」

「はは、この前、ナルがいれてくれたじゃないか」

「……師匠、それ、半年以上前のことです」

「そうだったかな」


 首を傾げたらしい師匠は、軽く笑って。

 また机に向かった。


「なに、普通に続けてるんですか。今すぐお風呂わかしますから、とにかく髪とヒゲを整えましょう!」

「明日でもいいかな?」

「今です!」


 懐かしい感覚に、ナルは心地よさと、軽い苛立ちを覚えた。

 毎度のことながら、とことん世話のやける人だ。


 最後にこの家を訪れたのは、シルヴェナド家の悪事を暴くために動く前日だった。

 成功しても、失敗しても、ナルに待つのは死のみ。

 もうここへはこられないとわかっていたため、少しでも師匠が暮らしやすいように準備をして、ここを去ったのに。


 用意しておいた着替えがそのままになっていて。

 下ごしらえをしておいた肉が腐敗しているのを見ると。


 何もかもが、どうでもよく思えてくる。






「……ふぅ。こんなものでどうでしょう?」


 もっさり師匠を、整え終えた頃には、ナルは汗だくになっていた。


 一方で。ヒゲを剃り、髪を元の長さ(元々腰まである)に切り、傷んだ髪に香油を馴染ませた師匠は、元の麗しい美男子に戻っていた。

 風呂でナルに身体をこれでもかというほど擦られたため、垢もきれいさっぱり落ちたようで、清々しい表情をしている。


「なんだか、見えない檻から出た気分だ」


 師匠は新しい白いシャツとグレーのスラックスに身を包んだ姿で、リビングの椅子に座っている。

 長い足を組んで、紅茶のカップを持つ姿は、ため息がこぼれるほどに麗しい。


 師匠は年齢不詳の「絶世の美男子」で、薬の研究・開発をしている。

 武術も嗜んでおり、めっぽう腕がたつ。

 護身程度ではあるが、ナルも武術を教えて貰った。


 もし、師匠が社交パーティに出たら、すべての令嬢や婦人の視線を独占するだろう。だが、どの女性も、師匠の美貌の前には、恐れ多くて近づけはしない。ただ遠くから、眺めるだけに留めざるを得なくなるだろう――それほどまでに、師匠の容姿は、美しいのだ。


 微笑む表情は甘く、線が細いために中性的にも見える。

 それでいて長身のモデル体型なのだから、世の中は、ある意味で残酷だ。


(いやもうほんと、勿体ない)


 師匠はこれほどの美しさを持ちながら、自宅へ引きこもって、新しい薬の開発に勤しんでいるのだ。

 本人いわく、万能薬を作るという。

 冗談ではないようで、師匠の部屋にある本棚には、薬に関する本が溢れかえっていた。


「ご飯は、食べてましたか?」

「ああ、食べていた」

「ちなみに、何を?」

「果物とか、あとは……壺に入っていたアレとかかな」


 ナルは調理場に行った。

 つけておいた梅干しや、漬物の類がすべてなくなっている。

 次に、家屋の裏へ行った。

 春から夏にかけて、沢山の甘い実を成す果実の木々に、実がなっていない。一個もだ。よく見ると、柔らかい新芽さえ摘まれたあとがある。


 ナルは、眩暈を覚えた。

 いや、ここは、半年間もよくもったと褒めるべきか。


 師匠が、三食ではなく、お腹が減ったときに軽く摘まむ食生活をしているせいで、今日まで凌げたのだ。


 ナルは、頭を抱えながらリビングへ戻った。

 手狭なリビングは生活感に溢れているが、師匠個人の部屋ほど雑多ではなく、むしろ、住み心地が良い。


 椅子に座って紅茶をたしなむ師匠を見て、ふと、笑みを浮かべる。



 師匠と出会ったのは、初めて実家のシルヴェナド家を抜け出した日だ。


 そうだ。

 実家が大悪党の家系だと知った日だった。


 見目は幼くても、当時のナルは、中身はすでに二十八年を生きてきた身だ。それでも現実を受け止めきれずに、ただ逃げた。行く当てなどないのに。


 どういう経緯かはっきりと思い出せない。

 ただ、気づいたら、ナルは師匠と出会っていて。

 師匠は、泣きじゃくるナルに、こう言った。


――『強くなりなさい。知識は武器になる』






 最寄りの民家から物々交換で食料を貰いに行ったナルは、少なくとも四日は食べられるだろう食料を、調理場に用意した。


 夏場ゆえ、足の速いものは避けてある。

 完璧だ。


 本当は洗濯もしたいところだが、そろそろ帰らなければ。


 師匠を探すと、リビングの椅子に座って、うとうとしていた。


「師匠、そろそろ帰りますね」

「ん……おや、早いんだな。以前はもっと遅くまでいたと思ったが」

「今は、前とちょっと環境が変わったので。食事、作り置きした分から食べてください。日持ちするものは籠に入れてあるので」

「ありがとう。ナルの作ったものはとても美味しいから、嬉しいよ」

「まだ若いのに、仙人みたいな生活をしてると、身体を壊すだけじゃ済みませんよ」


 ナルが「それじゃあ」と言って家屋を出ると、師匠がついてくる。

 そうだ、いつも師匠は中心街まで送ってくれるのだ。


「今日は、時間が早いので大丈夫ですよ」

「そうか。なら、気をつけて」


 本当は、庭の手入れや裏の果実、その他諸々についても言いたいところだが。

 あいにく、そろそろ帰宅しないと夕食の時間になってしまう。


 急いで師匠の家をあとにしたナルは、不思議と心が軽くなっていることに気づいた。

 ふ、と自嘲する。


(屋敷を抜け出して、男に会いに行ったなんて知れれば、離婚かな。そしたら斬首刑に逆戻りか)


 もっとも、たとえ離婚しなくとも、今のナルは執行猶予中の身だ。

 死刑に相当する罪を犯せば、当然、猶予は取り消され、斬首刑が待っている。


 とはいえ、相当重い罪――例えば、悪意ある殺人――とかでない限り、実刑へ戻ることはないだろう。


 ナルは犯罪を犯さないから、それらは関係ない。

 注意すべきは離婚されることだが、シンジュは決してそのようなことをしないという自負があった。


(……きっと、大丈夫)


 穏やかな気持ちで、ナルは中心街まで戻ってきた。

 帰ったら、ベティエールの言っていたように、シンジュに手紙をかこう。


 忙しい身のシンジュに、いちいち言うようなことではないかもしれないけれど。以前ふたりで話したような、他愛ない話を、手紙にしたためたい。




 それは。

 路地を曲がった瞬間、起きた。


 後ろから伸びてきた手に、腰と口を押さえられた。


(なに⁉)


 驚いて息を吸った瞬間。

 口に当てられた布から、つんとする匂いを感じて――意識が、遠くなっていく。


(しまっ――)






 目覚めたナルは、ズキズキと痛む頭を押さえた。


 カラン。

 すぐ傍で何かが落ちる。


 何気なく音が鳴った床へ目をやると、そこには鋭利なナイフが落ちていた。

 刃の部分には、赤黒く渇いた液体がついている。


 どうやら、今の今まで、そのナイフはナルが持っていたようだった。

 いつ、どこで、どういう経緯で、ナルはこのナイフを持ったのか。


 記憶はない。


「本物の、血……?」


 ナイフに手を伸ばそうとして、止めた。

 ふらつきながら立ち上がったとき、そこが四畳ほどの小部屋であることを知る。

 宿屋の一室のようだ。


 四角い小さな窓からは、空が見えた。ここは、2階か。

 壁際に、簡素なベッドがある。



 その簡素なベッドのうえに、全裸の男がいた。

 歳は、二十代半ばほど。


 血の気がない顔。

 赤い液体の染みたシーツ。


(え)


 息を呑んだ、そのとき。


「ひいっ」


 と、背後で悲鳴があがった。

 給仕の女性が、部屋のドアを開いた姿勢のまま。


 ナルと男を見て、恐怖に身体を震わせている。


「ひ、ひ、ひとごろし――っ」

「ま、まって、ちがっ」

「だだだだ誰かっ、助けてぇっ!」


 女性が叫びながら、駆け出した。


 ナルには、何がどうなっているのかわからない。

 ただ。


 とてつもなくまずい状況であることは、よくわかった。


閲覧、評価、ブクマ、感想、誤字報告、その他諸々ありがとうございますm(__)m


急展開(?)へ。

次の更新は、明日の18時前後です。よろしくお願い致しますm(__)m


(一話完結の次ページに、登場人物一覧をいれました。こんなやついたなぁと、気が向いたら見てやってください笑)

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