表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/106

1、正しいことをすると、馬鹿をみる

 ナルが人生のどん底へ突き落されたのは、二十八歳のときだ。

 勤めていた会社で経理補佐をしていたナルは、偶然にも、上司の資金横領を知ってしまった。


 それが、転落人生のはじまりだった。

 閲覧履歴からナルが横領に気付いたと知った上司は、すぐさま手をうち、横領を行ったのはナルだという証拠をでっちあげた。

 そして、上司自ら補佐であった私を「横領の罪」で会社に告発。


 あらゆる証拠を揃えられ、逃げ場を失った私は会社をクビになった。

 裁判だとか、拘置所生活だとか、今後の予定について色々な説明を受けたが、そんなことがどうでもよくなるくらい、周りの視線に絶望した。


 ナルを可愛がっていたほかの上司も、先輩も、部下も、誰もが「あの子がねぇ」と疑いもせずに、ナルが横領をしたのだと思い込んだのだ。

 彼女がそんなことをするはずない、と言ってくれる人は、誰一人としていなかった。


 そして、初公判を目前とした、その日。

 ナルは、拘置所でこの世を去った。

 心身の疲労によるもののようだが、詳しい理由は、死んでしまったナルにはわからない。


 死んだあと、ナルは真っ白い世界にいた。

 周りには、何もない。


 そこで、ナルは誰かに会った気がするけれど、誰に会って、何を話したのか、記憶になかった。


 目覚めたとき、ナルは赤子になっていて。

 モーレスロウ王国シルヴェナド伯爵家の長女として、この世に生を受けていた。


 ***


 ナル、十六歳の夏。


 輪廻転生。

 ナルは、その言葉を知っていたけれど、信じてはいなかった。

 だが、現実問題として起こってしまったのだから、信じるほかない。ナルは、前世の記憶をもって、この世に生まれてきたのだ。


 見た目は十六歳でも、中身は二十八歳のころのまま。

 むしろ、さらに十六年生きたのだから、人生経験はそれなりに積んだことになる。


 その日。

 屋敷の三階、父が住居にしている階から怒鳴り声が聞こえた。


 今日は、使用人に休暇を取る者が多く、()()()()、屋敷の警護が手薄になる日だった。


母は、取り巻きたちと演劇を見に外出しており、父もまた、本来ならば「仕事」でどこかへ出かける予定だったのだが、急遽取り止めになったとかで、一度は屋敷を出たが、途中で戻ってきた。

 そんな父へ、顔色伺いという挨拶にいこうとしたナルは、父の怒鳴り声に驚いて、階段を二段飛ばしで三階へ向かった。


 三階は、父と父の腹心しか立ち入れない領域だ。


 使用人の誰もがそのことを知っており、間違っても三階には行かないようにしていた。

 以前、三階へ侵入した盗賊を、父が「揉み合った末に、殺めてしまったこと」があった。


 貴族とはいえ、殺人は重罪。


 だが、相手にすべての非があり、また殺意があったとすれば、父であるシルヴェナド伯爵が罪を背負う責任はない。

 もっともナルは、それが父の書いたシナリオであることを知っていた。


 以前から、父の悪事を暴くために、王城の刑部省管轄の者たちが、父を探っていた。


 父が正当防衛の末に殺めたという相手は、その刑部省管轄から潜入捜査に送り込まれた諜報員であり、諜報員(ねずみ)を発見した父が一方的に(駆除)したに過ぎない。


 父は諜報員を、自らのシナリオのなかで殺害してみせることで、「お前たちなどどうとでもなる」というメッセージを相手にぶつけたのだ。


 そんなことがあってから、以前にも増して、屋敷の三階へは誰も立ち入らなくなった。

 なのに、今頃になって、誰が三階へ立ち入ってしまったのだろうか。


 ナルは廊下の(かど)から、屈強な護衛を引き連れて怒鳴っている父と、父の前で土下座をしている使用人の姿を見た。

 確かあの使用人は、最近雇い入れられた新人で、名前をディートと言ったか。


「もう一度聞こう。何を企んでいる。私が不在の(あいだ)に、なぜここにいる」

「申し訳ございません!」

「今、私がお前に求めているものは、謝罪か?」


 低くドスの効いた声音に、ディートが震えた。

 ナルもまた、ぞくりと背筋に冷たいものを感じたが、すぐに気を取り直して、大きく深呼吸をした。


「お父様」


 ナルは、絵に書いたような貴族令嬢の微笑みを浮かべて、おっとりした動作で、父へ歩み寄ろうと歩き出す。

 途中で、今気づいたというように、ディートの姿を見て驚いた素振りをした。


「ディート! まぁ、こんなところまで探しにきたの? いけないわ、三階はお父様のお部屋があるのよ」

「ナル、お前の知り合いか」

「もうお父様ったら。使用人のディートですわ」


 ナルは父へ向かって微笑んでから、ディートをみた。


「ありがとう、ディート。けれど、もう諦めることにするわ。これだけ探しても、見つからないのですもの」

「ナル。私は、気が長いほうではない、わかるように説明をくれ」

「はい、お父様。先ほどまで、ディートに、無くしたブローチを一緒に探してもらっておりましたの。ですが、何処にもなくて……三階はまだ探しておりませんでしたから、きっと、ディートは探しにきてくれたのです」


 父は、疑うように眉を顰めた。

 ナルは、ごめんなさい、と泣きそうな表情をつくり、父を見上げる。ややのち、父は深いため息をついた。


「……今後、この階に立ち入ることは許さん。ナル、ブローチならどれでも好きなものを買ってやる。無くしたというブローチは諦めろ」


 父はナルを手招いて、自室へ入っていった。

 ナルは、逃げなさいとディートへ視線を送ってから、父の部屋へ入る。しっかり目があったので、こちらの意志は伝わっているだろう。


 父がナルを部屋に通したのは、縁談のためだった。

 どうやら元々、ナルを呼ぶつもりだったらしい。何件かの縁談について聞いたあと、「適齢期など気にするな、お前は私の一人娘なのだから」と言い、悪役らしいニヒルな笑いをみせた。


 つまり、父の権力があれば、ナルがどれだけ婚期を逸してようと問題ないということだ。


(貴族の結婚なんてそんなものだけど……はっきり言われると、傷つくわねぇ)


 価値があるのは、『裏社会に精通しているシルヴェナド伯爵の一人娘』であって、ナル自身ではない、ということだ。


 父への挨拶を終えて部屋に戻ったナルを、ディートが訪ねてきたのは、部屋に戻って一時間ほど経った頃だった。


「お嬢様、先程は助けて頂きありがとうございます」

「いいの、やることもない退屈な日々だから」


 ナルの返事に驚いたディートを見て、苦笑した。


「とはいえ、次はさすがに疑われる。もっと慎重に動いて欲しい、そうでないと、あなたも前の諜報員と同じ道を辿るよ」

「……どういう、意味でしょう」

()()()()()()?」


 ナルは笑みを深めて、表情を強張らせるディートを見据えた。

 ディートは、刑部省が派遣した諜報員だ。ナルがそのことに気づいたのは、彼がこの家で働きだしてすぐのこと。身元も、就職動機も、何もかもが完璧なことに違和感を覚えたことがきっかけだった。


 ディートは栄養バランスが行き届いたよい体格をしている――『以前、剣を学んでおりましたので』。


 ではなぜ、そちらの就職を探さないのか。精気漲る若者なのに――『剣の師をしていたころ、大きな失態を致しまして。そのことで、同じ職につけないよう手配されてしまった次第です』


 ほかにも仕事があるだろう、なぜシルヴェナド伯爵家の使用人を希望するのか――『自分も、剣を通して貴族の方々と関わる機会がありました。その折、こちらの伯爵家は安泰だと聞いたので』


 シルヴェナド伯爵家は、圧倒的な権力を誇る大貴族だ。

 世代がかわるごとに、国のあちこちへ根を広げ続けたシルヴェナド伯爵家は、数百年にもおよぶ名家であると同時に、国の裏側を支配している影の権力者でもあった。


 それは、貴族ならば誰しもが知ることだ。

 確信はあるが、証拠がない。

 ただ、それだけのこと。


 そんなシルヴェナド伯爵家の使用人を希望する者は、珍しい。シルヴェナド伯爵家で働くということは、生涯この屋敷で働き続けるということでもある。

 辞めることは許されず、退職を希望した者はすべて消えてしまった。いつどこで、誰が秘密を知るかわからない。一度内側に取り込んだものを、あっさりと手放すほど、シルヴェナド伯爵は人を信用していないのだ。

 

 そんな暗い噂が絶えないシルヴェナド伯爵家にも、時折、使用人を希望する者がくる。

 だから、ディートのような者も、いるにはいる。実際、採用を決めた執事補佐は、ディートに関して怪しいところはないと報告をあげていた。


 ナルが違和感を覚えたのも、ほんの小さなものだった。

 だが、それだけで十分だった。

 彼の身のこなしや、使用人との会話のほとんどを聞き手に回る姿を見ていると、違和感は不審へと変わる。


 そして。

 彼の経歴に偽りがないという事実から考えると、彼は大規模な後ろ盾のもと動いていることになる。

 事実、ディートは貴族の屋敷で剣を教えていた時期があり、剣を扱うものの間で「ディート」というものに剣を持たせるなという仄暗い噂も出回っていた。

 調べても、虚偽がないように偽装された過去は、そう簡単には作れない。


 そういった観点から、シルヴェナド伯爵家に潜入する動機や根拠、権力、補助が可能な相手は、前々からシルヴェナド伯爵家に目をつけていた刑部省だと推測できた。


 僅かな沈黙ののち、ナルが口をひらいた。


「どの道、シルヴェナド伯爵は数年のうちに失脚する。だから、貴方達に大きく動かれると、面倒なのよ。シルヴェナド伯爵も警戒するしね」

「……伯爵が、失脚……そんなことありえません。それに、何故、お嬢様がそんなことを仰るのですか」


 どこまでも知らんぷりする諜報員に、軽く笑う。

 さすがというべきか、簡単に身元を明かすようなことはしないようだ。


 ナルは、座っていたソファから立ち上がるとディートの傍へ行って、そっと身を屈める。

 小声で、言った。


「私が、証拠をつくる」

「………は?」


 ぽかんとするディートに、ナルは笑った。


「証拠を、でっちあげるわけじゃない。周りを動かして、消すことのできない証拠を作るの。あなたはその証拠をもって、巣へ帰りなさい。そこからは、刑部省のひとたちに任せることになるけれど……芋づる式に証拠がでるように、こっちでも対応しておく」

「お嬢様? ……お嬢様、おっしゃっている意味が、わかっておられるのですか」

「意味? 意味ってなに?」


 はっ、とナルは鼻で笑った。


「いつの時代も、正しいことをするやつが馬鹿をみる。私は、正しいと思うことをするから、馬鹿をみるのは当然なの」


***


 ナル、十七歳の春。


 シルヴェナド伯爵が収賄疑惑で拘束されたのをきっかけに、シルヴェナド伯爵家が行ってきた悪事が露見することになる。その露見した悪事は一部分だが、シルヴェナド伯爵家を地へ堕とすには充分だった。


 貴族位の返還、領地の没収、それだけには留まらず、血族すべてが斬首刑という、過去にない大規模かつ重い判決が、下される。


 シルヴェナド伯爵の一人娘であるナルもまた、当然、斬首刑を言い渡された。

 そしてナルは、それを受け入れた。


 前世は、濡れ衣を着せられて拘置所に入れられたけれど。

 この世界では、身内一族が悪党だったため、生まれたときから甘い蜜を吸い続けてきたのだ。多くの人々の血を流して(こしら)えた資金で育ったナルは、生きているだけで罪になる。


 前世では何もできずに捕まってしまったが、それは上司が上手(うわて)だったからに過ぎない。もっと早くナルが立ち回っていれば、証拠を掴んだまま告発できたかもしれないのだ。


(まぁ、私がそういう性格だって知ってたから、交渉うんぬんすっとばして、濡れ衣を着せたんだろうけどね)


 王城にある牢獄で、死刑を待つ間。

 ナルは、前世の自分と今生の自分を比べていた。

 どちらも大差ない、結局は「罪」というものの手のひらで転がされて、死を迎えるのだ。


(でも、今回はよかった。ディートが協力してくれたおかげで、シルヴェナド伯爵を捕らえることができたし。……無駄じゃない、何も)


 物音がした。

 重厚な石扉がひらいて、軽快な足音が近づいてくる。

 遥か頭上にある明り取りの穴から差し込む光で、その人物がディートだと知った。胸のタイに黄色いピンバッジをつけた彼は、最後に見たときより遥かにやつれていた。

 頬は扱けて、目の下には隈がある。


「……ディート? 何か、あったの」


 彼の姿から、想定外のことが起きたのだと察した。

 ナルの言葉に、ディートは唇を噛む。


「どうぞ、こちらに」


 ディートは胸から鍵束を取り出して牢屋の錠前をひらくと、ナルへ出るように促した。言われるままにすると、ついてくるようにだけ言って、ディートは歩き続ける。


 処刑の時間が早まったのかもしれない。

(ディートは、優しいから……私に、処刑です、って言えなかったんだ)


 そう思っていた。

 馬車に押し込まれて、メイクアップとウエディングドレスを着せられるまで。




 こうして。

 ナルの第三の人生が、はじまった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 「いつの時代も、正しいことをするやつが馬鹿をみる。私は、正しいと思うことをするから、馬鹿をみるのは当然なの」 この台詞がすごく好きです。貫いた主人公がかっこいい。
2023/09/10 23:16 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ