2-1、計画的犯行
挙式から、三か月が経とうとしていた。
季節は、心地よい春から、じりじりと肌を焼く日差しの強い夏へと変わった。
ナルも、レイヴェンナー家で過ごすことに慣れてきて、毎日のルーティーンもこなし、日々の効率化や新たな分野への勉学などに、やる気を燃やしている。
ナルは、厨房に椅子を持ち込んで、クッキーと紅茶のティータイムを過ごしていた。
これまでは部屋に運んでもらっていたが、自分で厨房へ来たほうが早いと判断し、自分から「おやつを食べたいです!」と料理長に頼めるほどには、交友関係も深めていた。
最近はカシアもずっと傍にいるわけではないので、ナルは比較的自由に過ごしている。
ちなみにカシアは先月、メイド長補佐として出世した。
「あっつい。もうヤダ」
愚痴をいうと、料理長のベティエールは苦笑してカップを持ち上げた。
ナルの向かい側で、同じくティータイムを楽しむのは、料理長のベティエールだ。
彼の作ったクッキーやカップケーキは絶品で、じりじりと暑いこんな日も、欠かさず食べに来てしまう。
「あ、でも、汗かくと痩せるかな。最近、太り気味だし」
(そもそも、お菓子の食べ過ぎのような気もするんだけど)
ベティエールが隻眼を細めて、ナルを見る。
歴代の勇猛戦士といった風体の彼は、巨体に似合わない上品さで、ふふ、と笑った。
「旦那様に、何か、言われたか」
「別に、なにも」
「ならば、いいだろう。女性は、多少ふくよかなほうが、可愛らしい」
ナルは、あんぐりと口をひらいて。
瞳を、きらきらとさせた。
(こんな上司いた! 天然のタラシみたいな人!)
ベティエールは以前、某伯爵家の次男坊だったらしい。近衛騎士団長に抜擢されるほどの剣術の腕と統率力、判断力があり、部下からも慕われていたというから、出来る人は、本当になんでもできるのだ。
だが。
ベティエールは、噂の〖ルルフェウスの戦い〗で大怪我を負ったという。
判断ミスで多くの部下を失った責任を取り、近衛団長を辞任。ちょうどその頃、実家の伯爵家を継ぐはずだった兄が不慮の事故でこの世を去った。
当時の伯爵だったベティエールの父親が亡くなると同時に、爵位及び領地を、国に返還したという。
ベティエールは、怪我がもとで発語と右腕に後遺症が残り、左目に至っては完全に視力を失った。
そんな彼を、シンジュが使用人として雇い入れ、衣食住を提供したという。
(人の数だけドラマがある、って誰かが言ってたけど。なかなか波乱な人生を歩んできたんだろうなぁ)
などと、人のことを言えない立場でありながら、ナルはベティエールに同情した。
見つめ過ぎたのか、ベティエールがナルを見て苦笑した。
「どうした。悩み事、か?」
「……ベティエールは、奥さん、いるの?」
「生涯、独り身でいるつもりだ」
(そういえば、近衛騎士団長だったころ、婚約者がいたって旦那様が言ってたっけ)
先程の情報もすべて、シンジュから聞いたことだ。
多忙が続くらしく、ここひと月ほど、シンジュは屋敷へ帰宅していない。
ブブルウ商会の一件のあと、シンジュとの距離が、少し近づいたような気がした。
シンジュは休日には必ず帰宅したし、平日でも帰宅できる日は帰宅し、ナルとともに穏やかな時間を過ごすようになったのだ。
今日何をした、とか、面白かった本の話とか、他愛ない話ばかりだったが、とても楽しかった。
今ではその頃が懐かしく思えてしまうほど、シンジュの帰宅は少なくなっている。
「独りで生きていく、って、寂しくない?」
思わずつぶやいてしまってから、慌てて両手をふる。
失礼なことを聞いてしまった。
つい、ベティエールが相手だと、気を許してしまう癖があるようだ。
「言っておくが、元婚約者に、心を捧げているわけではない。婚約者といっても、面識もない、相手だ」
「そうなの?」
「ああ。私は、今はただ、穏やかに暮らしたい。十分すぎるほど、よい、暮らしを、させてもらっている」
(なんて欲のない人なのっ、というか、なんでこんなに庇護欲そそるの⁉)
初見は怖い人かと思ったベティエールだが、今では、こんなに素敵な男性はそうそういないと思うほど、ナルにとっては理想の男性になっている。
(そう、まさに……理想の上司!)
かつて、ベティエールの部下だったという近衛騎士が羨ましい。
そんなことを考えていると。
ぽん、と頭に大きな手が置かれた。
ベティエールが、いいこ、と頭を撫でてくれる。
「私のこと、よりも。お前は、どうだ。旦那様と、うまくやれているか」
(あああああ甘やかし上手!)
くっ、と拳を握り締めたナルは、静かに息を吐きだした。
理想に萌えている場合ではない。
「うまくも何も、会えてないから。旦那様はお忙しいし」
「……そうだな」
「妻として、何か差し入れしたほうがいいかな?」
ベティエールが、目を細めて笑った。
「いいと、思うぞ」
褒められたみたいで、嬉しくなる。
ナルは、何か具体例をあげてみようと、頭をフル回転させた。
「美女なんか、どうかな? たまってるだろうし。男性的に、そういう――」
「まて」
「あ、もしかして、職場の近くとかに、そういうところがあるの?」
「一度、落ち着け」
「……ん?」
「お前は、旦那様を、愛している、のだな?」
「もちろん」
「ほかの女と、旦那様がいるのは、嫌だろう?」
「そういうものだし、嫌とかいう問題じゃないと思うよ」
どうしてそんなことを聞くの? と首を傾げたナルに、ベティエールは渋い顔をした。
「旦那様は、それほど、器用なかたではないと、思うが」
「器用?」
「奥方以外の、女性を、愛せるような、かたではない、ということだ。癒したいと思っているのなら、ナルが旦那様を、癒せばいい」
「私が? うーん。でも、まだ一度も肌を合わせたことないし」
「そうか、それは…………は?」
どうしたの、と言おうとして、ふと気づく。
「あ。……これ言っちゃ駄目なやつだ」
「ナル」
「ん?」
「……何か、あったのか」
「別に、なにも?」
ベティエールの眉間に、深い皴が寄る。
何かあったかと聞かれても、何もない。それだけは確かだ。
「最近、少し、おかしいぞ」
「え。私? どこが?」
「ぼうっと、している。……これまでは、つねに、何かを考えて、いるよう、だった。私が見ている、世界とは、別の、ところで」
「んー。そうかな」
「その返事が、すでに、思慮にかける」
「……そっか。平和ボケかな」
首を傾げたナルに、ベティエールが続ける。
「旦那様に、手紙を、書いてみたか?」
「書いてない」
「なぜ」
「とくに、何もないし」
何かあれば、ジザリのほうから報告してもらうが、別段、ナルのほうから連絡することはない。
最後の一枚になったクッキーを、口の中に入れた。
サクサクと心地よい噛み応えを堪能して、紅茶で流し込む。
「おいしかったー。ごちそうさま」
「ああ。……コータロジ、のところへ、いくが、くるか」
コータロジ、というのは、三か月前にベティエールが隠し飼っていた犬だ。
呼び名がないと困るため、コータロジと名付けた(コータロの二代目という意味で、コータロ次郎の略だ)。
コータロジが回復して、ひと月ほど経つ。
シンジュには、犬を確認したその日に事情を手紙で知らせてあるが、犬を屋敷に置くことに関しては渋い顔をされた。
なんとか頼み込んで、回復までという条件で、屋敷に置いてもらうことになっている。
シンジュが仕事で多忙なのをいいことに、回復後も屋敷に置き続けているが、いい加減、コータロジを逃がすか、飼ってくれる誰かに引き渡さねばならない。
(新しい飼い主なんて、なかなか見つからないんだけどね)
ナルは胸中でため息をつく。
「行きたいのは、やまやまだけど。このあと、予定があるから」
ナルは皿とカップを片して、厨房を出た。
部屋に戻ると、用意しておいた簡素なドレスに着替えて、使用人用の出入り口から庭へ出る。
使用人専用の館のそばで身を潜めて、目的の人物が出てくるのを待った。ややのち、仕事着ではない私服姿の、メルルとファーミアが出てきた。
彼女たちは、今日の仕事を昼過ぎで切り上げて、ふたりで買い物へいくという。
その予定を聞いたのは、偶然だった。
ナルは、こそっとふたりのあとをつけていく。
正面の門が見えてくると、ナルはふたりの背後にゆっくりと忍び寄り、ふたりが門をくぐる瞬間に合わせて、さも同じ集団のように通り過ぎた。
見張りは、見知った使用人の顔をちらっと見ただけだ。
ナルは、メルルたちと一緒に、見張りの警備員に軽い会釈をして――屋敷を、でた。
メルルたちと、徐々に距離をあけていき。
警備員の目が届かない場所までくると、道を曲がる。
この辺りは、貴族の屋敷が並ぶ住宅街だ。
何を隠そう、父であったシルヴェナド家の別邸もこの住宅街にあったため、土地には詳しい。
これから向かうのは、王都の中心街だ。
王都は中心街を中心に、円状に広がっている都市で、東に王城が、南に貴族の邸宅が並ぶ住宅街が、北に商店と花街があり、西には一般民衆が暮らす家々が並んでいる。
モーレスロウ王国王都は、人口も多いが土地も広い。
特に西には、広大な土地を割り当ててあり、一般民衆であっても、一戸建ての家屋に住んでいる者がほとんどだ。
王都の民家というと密集しているイメージがあったが、のどかな田舎のように、家と家の距離が離れている場所もある。
森林や川まであるのだから、王都の東西南北地区ではなく、爵位あるものが治める領土のようだ。
「あー、緊張した!」
うーん、と大きく伸びをする。
この二か月の間に、二度ほど屋敷を出たことがあった。王都に買い物へいくためだ。
だが、どれも馬車で移動し、店にはドアtoドアで入室。
買い物を済ませたら、また馬車で次の店へ行き、終えたら帰宅するという、非常に効率的な外出にナルはいたく感心したと同時に、楽しみがないことに絶望した。
買い物は、だらだら歩きながら冷やかしたり、食べ歩きしたり、そういうのが楽しいのだ。
それらを省略するなんて、正気ではない。
(……と、少しごねてみたのが、三週間前だっけ)
ふ、とナルは笑う。
三週間かけて、練りに練った計画を今、実行しているのだ。
とはいえ。
こうも予定通り、ことが運ぶと少しだけ怖い。
何か、見落としていたりしないだろうか。
「こんにちは、お姉さん」
ぽん、と誰かが、ナルの肩に手を置いた。
歩きながら振り返ると、糸目の柔和な顔をした男が、ナルの肩に手を置いている。
柔和というよりも、嘘くさい笑顔といったほうが、合っているかもしれない。
「どこへ行くの? 暇なら、僕とデートしない?」
糸目の男は、にんまりと笑った。
歳は三十代半ばほどで、肩に擦れるほどの、赤茶けた髪をしている。よく見るとがっしりとした体格だが、体重を感じさせない軽やかな歩き方だ。
衣類はほどほどによいものを纏っており、貴族ではないが、結構な収入のある男だと推測できた。
「お姉さんって呼ばれる筋合い、ないんだけど。どう見ても、あなたのほうが年上でしょ?」
そう答えて、腕を振り払う。
男は、ちぇっ、と言って肩をすくめると、ナルの隣に並んだ。
「じゃあ、どこ行こっか?」
「あいにく、このあとの予定は、決まってるの」
「ええ~、じゃあ僕も一緒にいくよ。お姉さんと、お近づきになりたいし」
「あっそう、どうぞご勝手に」
冷やかに答えてから、ナルは静かに息を吐きだした。
(三週間練った計画は、絶対に成功させてみせるんだから)
よし、と気合を入れる。
とはいえ、中心街に近づくにつれて、行き来する人が多くなってくると、わくわくと胸を高鳴らせた。
王都の中心街は、揃わぬものはないと言われるほどに、ありとあらゆる店が並んでいる。どれも露店販売で、それが中心街での出店条件となっていた。
つまり、中心街に戸建ての店舗を構えることは禁止されているのだ。
カフェなどの戸建て店舗は北街に集中しており、そういった店は、出張店舗として中心街に露店を開く場合が多い。
「まずは、どの店からいく?」
言ったのは、糸目の男だ。
ナルは、ちら、と男を見てから、視線をそらした。
「……どこまでついてくるの?」
「お姉さんが、デートしてくれるまで」
糸目の男は、にんまりと微笑んでみせる。
ナルは、肩を竦めて返事を濁した。
そんなナルを見て、糸目の男は、うーん、と唸る。
「もしかしてきみさ、このあと誰かに会いにいくの?」
「どうして?」
「足取りに、迷いがないから、かな。その相手って、男?」
「まぁね」
「どんな男なの、そいつ。僕より、男前?」
「……近くに公園があるの。小川が流れててね、夏場でも木陰は涼しいんだ。そこ、行かない?」
糸目の男が、きょとんとした。
周りを振り返ってから、自分を指さしてみせる。
「僕?」
「ほかに誰がいるの」
「……きみ、会いたい男がいるんでしょ?」
「うん」
ナルは頷いて、糸目の男の腕に自分の手を絡ませた。
「会えたの。私の、会いたかった人に」
離さない、というように腕を掴んだまま、糸目の男を引っ張るようにして、歩き出す。
「会ってくれなきゃ、何も始まらないと思うわけよ」
「んんー? あれ、もしかして僕、はめられた?」
糸目の男は、首を傾げてみせる。
嘘っぽい笑顔を顔に張りつけた男に、ナルは、これ見よがしに笑ってみせた。
「こうでもしないと、会ってくれないじゃない。せっかくだし、少し話しましょうよ。警備長の、アレクサンダー」
ふ、と口の端を歪めて笑ったナルに。
糸目の男アレクサンダーは、ぽかんとした顔をした。
だが、すぐに。
アレクサンダーから、笑顔が消えた。
すっと、糸目がひらく。
ナルを睨む黒色の瞳はギラギラと狂気的で、憎しみを宿した色をしていた。
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