14、乗っ取り大作戦≪後編≫
「実に手際がいいね。さすがプロだ」
バロックスは、辺りを見回して感慨深く言った。
そんなバロックスに、シンジュは冷静な口調で声をかける。
「このような場所に何用でしょう」
「いやいや、偶然だよ」
シンジュは、答えになっていない返答に、微かに苛立ちを覚えた。
バロックスはそんなシンジュの心境を見てとったのか、肩をすくめてみせた。
「実はね、私も商会をたちあげたんだ。といっても今日認可が下りたばかりだけどね」
「……それで」
「まぁ当然、私は行商人に関しては、初心者だから。ベテランを何人か、有名な商会から引き抜いたんだ。すでに商会移行手続きは完了している」
シンジュは、眉間に深い皴を刻んだ。
「つまり、ブブルウ商会からも引き抜いた者がいる、と」
「そうなんだ、話が早くて助かるよ。私の組員だ、丁寧に扱ってくれたまえよ」
シンジュは、探るようにバロックスをみる。
バロックスは次期国王に相応しい、切れ者だ。
このタイミングでここへきたのも、今日、新たな商会の認可が下りたというのも、偶然ではないだろう。
シンジュがブブルウ商会を名指しして摘発する前に、「引き抜いた」という者の移行手続きは完了していると考えていい。
「……元ブブルウ商会の者も、取調べの必要がございます」
「勿論さ、レイヴェンナー長官。私の組員も、必要なだけ調べてくれたまえ。私としても、罪人を抱え込みたくないからね。ああ、でも、もしなんらかの罪が発覚した場合は、知らせてほしい」
「それで、殿下。どいつが、殿下が新しく作ったっていう、商会の組員なんです?」
言ったのはザースだ。
苛立たしさが隠しきれていない声音に、バロックスはからからと笑った。
「全員さ」
「は? 殿下、俺は冗談は嫌いですよ」
「失敬だね、ザースくん。事実だよ。私は、ブブルウ商会に在籍していた組員、二十九人を引き抜いたんだ」
ぽかん、とするザースに、バロックスはにっこりと微笑んでみせた。
バロックスの傍に控えていた親衛隊長が、シンジュへ歩み寄って、書類を渡す。
そこには確かに、ブブルウ商会三十一名のうち二十九名の組員の、移行手続きが完了した旨が記してあった。
「ちなみに、新しい会長はそちらのフィーゴくんだ。彼の素晴らしさは、彼を知る者からよく聞いている。私もこの目で確認させてもらったけれど、会長に相応しい人物だ」
ブブルウ商会の組員が、ちらちらと一人の男に目を向ける。
その他大勢と共に一か所に集められた組員のなかに、眼鏡をかけた穏やかそうな男がいた。
おそらくあの男がフィーゴだろう。
その名前に、シンジュはまったく聞き覚えがない。
そもそも、ブブルウ商会の内部は結束が固く、組員から情報を聞き出すことは不可能と言われている。
不可侵の国と貿易を取り付けたこともあり、余程の切れ者が統率しているのだろうと、予想していたが。
(その切れ者が、フィーゴというあの男か。……だが、どこで情報を得た?)
シンジュは、ぎりっと歯を食いしばって、思考をおいやった。
まだまだ疑問に思うことはあるが、今話し合うべきは、フィーゴに関してではない。
シンジュは改めて、バロックスと向き合った。
「新しく作った、という商会は、殿下が後ろ盾になる、と」
「そうだよ。彼らが販売する異国の果実は、とても人気だからね。これまで通り、商人としての仕事はしてもらうつもりだし、それなりに援助もするよ」
「……これまで通り、ですか」
「そう。これまで通りだ」
にっこり、と眩しいほどの笑顔を向けるバロックスに、シンジュは冷やかな視線を向けたあと。
そっと、目を伏せた。
「かしこまりました、殿下」
現場をあとにしたシンジュは、馬車に乗り込んだ瞬間。
深いため息をついた。
宿屋の外で待機していたジーンは、何が起きたのか聞いていたようで、ひたすら戸惑っている。
「なんで殿下がここに⁉」
「蜥蜴の尻尾きりの逆だ」
「頭を切った、ってこと、ですか。……もう、何がなんだか」
「殿下は、ブブルウ商会の名を変えて、商会そのものを存続させるつもりらしい」
つまり。
シンジュが罪を裁くためにブブルウ商会の組員を「捕縛」するように。
バロックスは、ブブルウ商会のトップ二人を除いたすべてを「保護」した。
と、考えるのが妥当だろう。
シンジュが命じた通り一人も逃さず捕らえることで、罪は明らかになるだろう。だが、いずれ罪に問わない者を解放したとき、ばらばらになった組織は消滅をせざるを得ない。
だが保護を優先すると、基本の「組織」が残ることになる。
名を変えた新しい「元ブブルウ商会」は、今後も異国の果実の売買を中心とした商売を行い、これまで交流のあった国々と、今後も貿易を行うだろう。
勿論、商会移行手続きをした全員が潔白とは言えない。
だが確実に潔白であるものは、バロックスの保護下に残ることになる。
貴重な、外交の糸を失わずに済んだだけではない。
バロックスが商会の後ろ盾につくことで、商会独自の貿易ルートや交渉方法を国が知るところとなり、外交の幅が広がる可能性が大きくなる。
おそらくこれが、バロックスのもっとも求めていることだろう。
今から考えると、バロックスがとった手段に勝る方法はないように思える。
シンジュは、胸中で舌打ちをする。
どれだけ調べようにも明らかにならなかった、フィーゴなる人物。
その存在に先にたどりついたバロックスは、ブブルウ商会の頭脳であろうフィーゴを「白」だと判断した。
シンジュはブブルウ商会の組員に「黒幕」がいる可能性を考えていた。
それを鑑みての一斉摘発および捕縛だったのだ。
バロックスは、次期国王として、常に国の未来を見据えている。
今後、フィーゴは外交にも関わってくるだろう。
そんな重要人物に罪人を置くとは考えにくい。
同様に、目先の利益のため、フィーゴの罪を隠蔽しようものなら、シンジュが気づかないはずがない。なにせ、現在進行形で、フィーゴが所属していた商会の過去を調査しているのだから。
シンジュはまた、深いため息をついた。
「でも、これでうんと仕事が減りますね。まぁ、あくまで、ブブルウ商会の件について、ですけど」
「……ああ」
過程はどうあれ、シンジュの負担が軽減されたのは事実だ。
ブブルウ商会の件は、頭の端においやろう。
無性に、ナルのいれた紅茶が飲みたくなった。
それに。
らしくないと思いながらも、先程ナル宛に送った「贈り物」は受け取ってもらえただろうか。
妙に心がそわそわとする。
まさかここまで早く、ブブルウ商会に関して解決するとは思っていなかったため、今週末は仕事で帰れないという旨の手紙も送ってしまった。
休日、帰宅する旨の手紙を、改めて送ろうか。
いや、何も休日まで待つ必要はない。
平日だが、今日くらい帰宅しよう。
(…………紅茶を飲むためだ)
シンジュはそっと、自分に言い訳をした。
***
早めの夕食を終えたナルが、寝室に戻る途中。
「奥様、こちらを」
そう言って、綺麗にラッピングされた桃色の箱を届けたのは、メルルだった。
最初こそ無表情だった彼女も、今では随分と表情が明るくなった。
元々美人だが、最近では艶やかさも加わり、一段と美しさが増したように思う。
男性使用人のなかには、彼女のファンも多いらしい。
ナルは首を傾げながら、メルルから箱を受け取った。
「これは何?」
「旦那様から届きました」
「旦那様から? 私に?」
「はい!」
訝るナルとは反対に、メルルは頬を紅潮させて嬉しそうだ。
届いてすぐ、ナルのもとへ持ってきてくれたのだろう。
可愛い使用人の姿に、くすくすと笑った。
「今度、改めて中身を報告するわね」
「はい! あ、いえ、そこまで立ち入るわけにはっ」
「いいのいいの、ありがとうね」
ナルは、箱を持って寝室に入ると。
箱を机の上に置いて、リボンをほどいた。
なかには、若い娘の間で流行っているカナウサギのぬいぐるみが入っていた。
カーテンの隙間から漏れる月光が、カナウサギを照らしている。
今日、カシアは休みだ。
ほかに専属の使用人がついたが、早めに下がらせたので部屋にはいない。
ナルは箱に入ったままのカナウサギを、睨みつけた。
(こんなものを、送ってくるなんて。馬鹿にするにもほどがある)
すぐにでも焼いてしまいたいが、そういうわけにもいかない。
(明日は旦那様、お帰りにならないって手紙が来たから……来週お帰りのときにでも――)
ふいに。
廊下が騒がしくなって、ナルは眉をひそめて立ち上がった。
ほぼ同時に、ドアがひらいた。
「…………旦那様?」
シンジュが立っていた。
漆黒の仕事着、深紅の月のピンバッジ、眉間に皴がよった不機嫌そうな表情。
まごうことなき、本人だ。
今日は平日である。
帰宅する予定は、なかったはず。
ドアの向こうでは、ナルにシンジュの帰宅を知らせ遅れた使用人が、戸惑って立ち尽くしていた。
シンジュは、そんな使用人の視界を遮断するように、ドアを閉める。
大股で、ナルの元へ歩み寄ると、ナルを抱きしめた。
ナルは驚きから息をつめる。
「今帰った」
「お、おかえりなさいませ。驚きました、今日は、お帰りの予定ではなかったはず」
(ちがうっ、これだと帰ってくるなって聞こえてしまうっ)
暫くナルを抱きしめていたシンジュが、ゆっくりと身体を離した。
「あ、あの、いつでもお帰りを――」
「贈り物は、届いたか」
慌てるナルの言葉を制して、シンジュが聞く。
ナルは、ぱっと表情を輝かせた。
「はい!」
ナルはベッドへ駆けていくと、枕元に置いた分厚い本を抱えた。
先月発売したという、ミステリー小説だ。
シンジュはベッドへあがると、本を抱きしめるナルを見て、苦笑した。
「贈り物など、したことがなくてな。何が良いか迷ったのだが、お前には本がいいような気がした」
「ありがとうございます、むちゃくちゃ嬉しいです! 今夜は徹夜で読もうと思って、早めに夕食を済ませて、傍仕えのメイドもさがらせたんです」
くっくっ、とシンジュが笑う。
どう見ても悪い男の笑い方なのに、彼が喜んでいるとわかるほどに、ナルはシンジュを知るようになっていた。
ナルもベッドへよじ登って、シンジュの隣に座った。
シンジュから贈り物が届いたのは、午後に入ってしばらくしたころだ。
なんの飾り気もない包みだった。
ひらくと、「好みだといいが」という手書きのメッセージと、この本が入っていたのだ。
ナルが狂喜乱舞したのは、いうまでもない。
「あれは、なんだ?」
シンジュの鋭い声に、抱きしめた本に頬擦りしていたナルは、はっと顔をあげた。
シンジュの視線は、机に置きっぱなしになっている桃色の箱に向いている。
「あ、さっき届いたんです」
ナルの声が、怒りで低くなる。
「届いた、というと、お前宛てのものか」
「はい。旦那様の名を騙った何者かからの、贈り物です」
途端に、シンジュの表情が厳しくなる。
それ以上に、ナルの顔は険しかった。
「箱の中身、なんだったと思います⁉」
「ひらいたのか」
「一応開封して、中身を目視していますが、それ以上は触っていません。それで、中身、なんだったと思います⁉」
「さすがに知らんが……なぜ、怒っている。怪我をしたのか?」
「してません。旦那様を騙ったことが、腹立たしいんですっ!」
シンジュは、こぼれんばかりに目を見張った。
(え?)
ここまで露骨に驚くシンジュは、珍しい。
そもそもシンジュが何に驚いているのか、わからない。
(あれ、なんで旦那様びっくりしてるの? 私、へんなこと言った?)
ナルの怒りが、急速に萎んでいく。
「あ、あの。えっと……」
ナルの怒りが収まるころ、シンジュの表情はいつも通りに戻っていた。
鋭い目で、箱を睨みつけている。
「これまでも、こういったことがあったのか」
「いいえ、初めてです」
そう呟いてから、そっと視線をそらした。
ナルは、シンジュを騙る贈り物に腹が立った。
ナルが騙されるだろうと思われたことも、シンジュが侮られたことも、何もかもが、苛立ちに繋がったのだ。
(てっきり、私を騙るとは不届きものめっ、って怒ると思ったのに……)
シンジュにとっては、ナルの身のほうが心配らしい。
嬉しいことだ。
だが、そこまで気にかけて貰ってもよいのだろうか。
「警備を厳重にするよう、命じておく。何者かが侵入を企んでいる可能性も、考慮せねば」
「はい……あ」
報告しなければならないことが、あった。
本番は明日だと思い込んでいたので気を抜いていたが、言うならば、今しかない。
「あの。実は、四日ほど前に、バロックス殿下が侵入してこられたんです」
この件については、叱責どころか、処罰諸々覚悟のうえだ。
顎に手を当てて、警備の具体的な強化案を呟いていたシンジュは。
何気ない様子で、ナルを振り返った。
「ご報告が遅くなってしまって、申し訳ございません。すぐにお伝えしようと思ったんですが、殿下が『叔父上の驚いた顔を見たいから、もう少し黙っててくれたまえよ!』とおっしゃられまして」
「……殿下が?」
「はい。お一人で、真夜中に。壁を乗り越えてこられました」
「夜中に、一人で、壁を乗り越えて」
繰り返したシンジュは、大きく息を吸うと、この世の終わりかというように頭上を仰いで頭を抱えた。
ナルは、シンジュとバロックスが、叔父と甥だということを実感した。
ポーズが似ている。
「や、やはり、王子殿下が夜中にお一人で行動されるのは、心配ですよね」
「……そこではない」
「はい?」
「我が家の警備は紙か。…………いや、それよりも、あらゆることが腑に落ちた」
シンジュは深すぎるため息をつくと、ナルへ視線を寄越す。
いつもの、冷やかさの中にぬくもりのある、あの視線だ。
「殿下に情報を与えたのは、お前だったか」
(情報? あ、乗っ取り大作戦の根拠を話したときの内容かな)
「ブブルウ商会の件、ですか」
「そうだ。フィーゴという男について、殿下にお話したんだろう?」
「はい。父が昔、ほんの一時期だけ、ブブルウ商会と取引をしてたんです」
ナルは、バロックスに話した内容を、シンジュにも話した。
フィーゴが、奴隷に身を落としていたこと。
奴隷だったフィーゴを買ったブブルウ商会の二人に、フィーゴが逆らえなかったこと。
元来、切れ者だったフィーゴは力をつけて逃げようとしたが、次から次に買い入れられる奴隷を見捨てて逃げられず、ひたすら、奴隷あがりの組員たちのために、働き続けていること。
「……奴隷売買か」
シンジュの声は、冷え切っている。
奴隷売買は、商会のもっとも根深い場所にはびこる大罪の悪商だ。
モーレスロウ王国は、人身売買を禁じている。
行うと、大罪と言われる部類の罪に問われるにも関わらず、被害や売買があとを絶たない。
「あの、旦那様」
シンジュが、何度か目を瞬いたあと、ナルを振り返った。
どうやら、何か思考に沈みかけていたらしい。
「どうした」
「申し訳ございません。出過ぎた真似を致しました」
ナルは、バロックスに命じられたとはいえ、彼が侵入してきたことをシンジュに黙っていた。
密通や、情報漏洩、その他諸々を疑われても仕方がない。
「……何をした?」
「え? 殿下に、フィーゴの情報を与えた(及び、乗っ取り大作戦の決行をそそのかした)ことです」
「お前は、私の妻だろう?」
「勿論です!」
「ならば、構わない」
何が、構わないのか。
シンジュからの叱責を覚悟していたナルは、ただただ小さくなる。
言葉の裏に秘められた意味を読み取れないことが、怖かった。
ふと。
シンジュが、苦笑を浮かべた。
「お前が何をしようと、私のためだ。私はそう、驕っている」
「……それは」
(それって、私を、信じてくださってるって、こと)
ナルは、唇を噛んだ。
何をしようと裏があると思われ続けた令嬢時代。
不正の濡れ衣をかけられた前世の自分。
悔しさ、憤り、嘆き、悲しさ、そういった感情が、過去に経験した記憶と共に、脳裏をよぎる。
「だが、危険な真似はするな。お前の正義感には、自己犠牲が含まれるきらいがある。……お前を妻にしたのは仕方なくだったが、手放す気はない。今の私は、お前が妻であり続けることを望む。お前ひとり抱えたくらいで地位が揺らぐようでは、私はそれまでの男だということだ。……私を、見くびるな」
一気に言い切ったシンジュは、ふぅと息をつく。
ナルを窺うように視線を寄越すと、くしゃりと笑った。
「泣くな」
泣いてなど、いない。
けれど、それを言おうとすると、ずるずると鼻水をすする音が部屋に響く。
「そういうわけだ。お前の好きにしろ」
「……はい」
やっと呟いた返事は。
絞り出すような、かすれた声だった。
それでも、シンジュは満足げに笑う。
望んだ結婚ではなかったはずだ。
なのに今、ナルはここにいたい。
ずっと。
ずっと、ここに――。
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次の更新(明日の18時前後)にて、第一章(?)完結となります。
※そもそも、一章なんてどこにも書いてないんですがっ汗
明後日より、第二章の開始です。
二章では、薔薇園、警備長、ヒロインの師匠、などが出てくるお話予定です。
宜しければ、お付き合い頂けると嬉しいですm(__)m