12、真夜中の侵入者
その日の夜中、ナルはふっと目が覚めた。
隣を見るが、当然ながらシンジュはいない。
ベッドから身体を起こして、息をつく。
ベティエールの言葉が、思いの外、胸に刺さっている。
ナルの存在がシンジュにマイナス要素をもたらすことも、ナル自身が極悪人の娘であることも知っていたはずだ。
それを承知でここにいる。
そんな自分の神経が図太過ぎて、このままでいいのかと、自問自答を繰り返す。
(夜は駄目だ)
今後も、シンジュと共に生きていくと、決めたばかりなのに。
もう、闇に囚われている。
夜は嫌いだ。
頻繁に目も覚める。
それなりに眠ってはいるけれど、熟睡ができない。
(旦那様がいるときは、眠れるのに)
シンジュの傍は、ほっとする。
この気持ちは――依存や寄生、ではないのか。
軽く首をふって、ベッドから出た。
小卓の水差しに手を伸ばそうとして止めると、夜着のまま部屋を出た。
夜の屋敷は閑散としている。
昼間の屋敷も然程賑やかではないが、夜の屋敷は、別世界のように現実感がない。
ナルは厨房へ行くと、果実酒をコップに注いだ。
一気に飲み干して、強引に袖で口元を拭う。
そのときだ。
ぼた。
と。
裏口のほうから音がした。
厨房から直接、庭へ繋がるドアの向こうから。
トン。
また音がした。
どちらも、何かが地面を跳ねる音のようだ。
ナルは訝りながら、裏口のドアへくっつくと。
少しだけ、ドアをひらいた。
(誰か……いる)
月光で輝く濃い金髪が、最初に目に入った。
髪は背中まで長く、後ろで一つにまとめている。
長身の青年のようだ。
衣類は、緑がかった黒の詰襟服で、動きやすさを重視した、柄のないもの。とても整った顔立ちをしており、体型も含めて、モデルのように美しい。
何より、その場にいるだけで目を引きつける、カリスマ性がその人物にはあった。
青年の瞳が空色だ、と気づいたのは、青年がナルを振り向いたときだった。
目が合って初めて、向こうもナルに気づいていることを知る。
ナルは、生唾を飲み込んで。
近くに、他に誰かいないかを確認しながら、ドアをひらいた。
「大丈夫、心配しなくていい」
青年が言った。
聞き惚れてしまうような、美声。
見た目だけではなく、声まで美しいなんて。
青年は、長い金髪を揺らしながらナルとの距離をつめると、素早く自身の前髪を掻き上げた。
一挙手一投足が絵になる。
「私は、月の神ではない。そなたをさらったりはしないさ」
(あ、頭が残念なひとだ)
イケメンはなんでも許されると思っているのだろうか。
ナルは、彼の一言で、夢から覚めたような錯覚を覚えた。
改めて見ると、やたらと決めたポーズで立っている辺り、わりとダサい。
「あの、どこから入ってきたんですか。一応、部外者は立ち入り禁止なんですが」
「ここさ!」
青年が指さしたのは、彼の背後にある壁。
「ここの警備は、見張りが四人だ。二人は場所固定だからな、見回る者の気をそらし、タイミングをずらすことで空白の時間ができる」
「はぁ……つまり、侵入者」
警備の人を呼ぼう。
裏口のドアを閉めようとしたとき、青年の手が割り込んできて、強引にドアをひらいた。
「警戒しなくてもいい! 私は、この国の王子だ。きみに危害を加えようとは、思っていないよ」
「本格的に頭大丈夫ですか」
「心配は不要さ、美しいレディ」
(大丈夫じゃなさそう)
関わらないでおこうと、再びドアを閉めようとしたが、また、開かれてしまう。
「ふふ、照れなくてもいい。王子を見るのは、はじめてかな?」
「……証拠は」
「え? 王子としての証拠ならば、私の美しさだけで充分だろう? ……あ、待って、閉めないで。証拠ならあるから」
青年は、詰襟服の首筋に手を突っ込んで、チェーンを引っ張りだした。
首にかかっているチェーン――ペンダントだろう――には、分厚い指輪が通してあって、青年はその指輪をつまんでナルに見せた。
「これをご覧。太陽の石で作ってある、指輪だ」
言われるままに、ナルは指輪を見た。
それは、蜂蜜色の石が指輪の形に加工されたものだった。
「これは、次期王位継承者のみが持つことを許される品だよ」
「なるほど。……でも私、実物見たことないし」
「え」
「そもそも、それ偽造できるの知ってる?」
「ええっ」
自称王子は、指輪を服のなかに戻すと。
胸に手を当てて、「ふふっ」と笑った。
「ならばすべてを正直に話そうっ。我が名はモーレスロウ王国第一王子バロックス。ここへは噂に名高い悪女、元シルヴェナド家の令嬢を見に来たのさ」
「……夜這い?」
「失敬だね、きみは」
「夜中に忍び込むって、そういうことだから」
「仕方ないじゃないか、叔父上が会わせてくれないんだ。今は忙しい、その一点張りでね」
青年――バロックスは、憂いに満ちた瞳で、首を横にふった。
「叔父上が忙しい身なのは承知だけれど、あそこまで頑なに拒否されると、何かあると疑いたくなるじゃないか!」
「二人でどんな話をしたのか知らないけど。……この時間に来ても、皆寝てるからね?」
「勿論、知っているさ。私が寝室に忍び込んだあと、奥方に起きてもらうつもりだ。そしたら、話ができるだろう?」
「……寝起きに、知らない男が目の前にいたら、話どころじゃないと思うけど」
ナルは、軽く額を押さえた。
モーレスロウ王国第一王子バロックス・モーレスロウ。
その名はさすがに知っている。
(王子本人でないと、思いたい……けれど)
王位後継者が受け継ぐという、例の指輪。
あの指輪のレプリカを、いくつか見たことがある。父が商人に作らせたものだ。
そのレプリカとよく似ているけれど、バロックスが所持している指輪のほうが、石の品質も加工技術も、圧倒的に勝っている。
ナルは、深いため息をつきながら言う。
「一つ目」
「ん?」
バロックスは驚いたように、目をぱちくりさせた。
「証拠を見せてって言って、素直にみせるのは軽率すぎる。それに、用意された証拠みたいで嘘くさい」
バロックスは、ふむ、と唸った。
「二つ目」
「むむ?」
「あなたが本当の王子だとしても。容姿も、継承者の指輪も、王城を出れば証拠にならない。身分なんか、何の役にも立たない。他者の屋敷に忍び込むと決めたのなら、身分に頼るのをやめなさい」
バロックスが、軽く目を見張る。
「三つ目」
「まだあるのか!」
「さっきから私と会話してるけど、相手が誰かもわからないうちに身分を明かすことは、とても愚かな行為。立場ある者ならば、尚更慎重になるほうがいい」
「……それは、私の心配かい?」
「馬鹿正直な人間は、馬鹿をみるの。それを忠告してるだけ」
バロックスは、顎に手をおくと、考える素振りをみせた。
「そうか、確かに私が軽率だった。叔父上の屋敷だから安全だと、思い込んでいたようだ」
「そう、ならよかった。次は、昼間にくるといい。賓客として、もてなしてあげる」
「……もてなしてあげる?」
バロックスは、何度か目を瞬くと。
ナルの全身を見つめたあと、ふと、表情を緩めた。
「いや、その必要はなくなったようだ」
「そう。なら、帰宅は正面からどうぞ」
正面玄関へ向かって歩き出したナルに、「待ってくれ」とバロックスが言う。
ナルは静かに息を吐く。
正式な手順の来訪者ではないため、あえて冷やかな対応をとった。
言うときは言うが、引き際を見極めるのは、もっと大事なこと。
それは、悔しくも亡き父――シルヴェナド伯爵から、学んだことだ。
足を止めて振り返ったナルは、真面目な顔でナルを見つめるバロックスを見つめ返した。
「何かご用ですか、殿下」
「今の私は、不法侵入者だ。敬称はいらない。……改めて、私はバロックスという。ナルファレア殿、だね?」
「ええ。そうですが」
バロックスの瞳が、愉快そうに歪む。
まるで、おもちゃを見つけた子どものように、純粋な笑顔だ。
「……なるほど、心配は杞憂だったみたいだ」
「何か心配事があったんですか?」
「生涯独身を公言していた叔父が結婚してね。そのことで、弟が少し、荒れてるんだ」
(弟って……『忌み子リーロン王子』のこと?)
ナルとて、元伯爵令嬢だ。
王城の社交パーティに顔を出したことも、ある。
その際、何度かバロックス王子を見かけたことがあったが、あまり覚えていない。
伯爵令嬢という立場上、ダンスも踊ったこともあるはずだ。
それよりも。
周りの令嬢が噂していた「忌み子」の話のほうが印象に残っている。
遥か昔から伝わる迷信だ。
この国には、「王家に生まれた双子の弟」を忌み子として嫌う風習があった。
人権を守ろう。
公平に罪を裁こう。
そういった方面の法律が改正している現代において、酷く時代遅れな風習といえる。
だが、王家に男児の双子が生まれるのは、稀有なこと。
貴族らが、過去の悪習を思い出しても不思議はない。
「弟殿下が、何か」
バロックスはナルの言葉に答えず、じい、とナルを見つめる。
「……なんです?」
「私は自分のことを麗しい悲劇の王子だと思ったことはないけれど、弟のことは哀れだと思っているんだ」
バロックスは、両手を広げて、舞台俳優のように空を仰いだ。
「けれど、きみほど哀れな人間は、滅多にいない。貧富の差がそのまま幸福へ繋がるわけではないという、よい例だ」
ナルは、バロックスを睨みつける。
視線を受けたバロックスは、愉快そうに口の端を歪めた。
「私はこれでも王子だから、国の各管轄内で起きた諸々は、部下に報告するよう命じてある。刑部省も例外ではない」
「……刑部省にあなたの飼い犬がいると。そんなこと、私に言ってもいいんですか」
「構わないさ。きみがどうでるか、それを眺めるのもまた一興」
「悪趣味ですね」
「きみは、実の父親を売った。そして自らも斬首刑を受け入れた」
バロックスは右手で額を押さえると、悲痛な面持ちで首を横にふった。
「哀れなだけじゃない。冷酷な人間だよ、きみは」
「ありがとうございます」
「褒めてはないけどね!」
あははっ、と何がおかしいのか、バロックスが笑う。
いい加減にお引き取り願えないだろうか、と思っていると。
バロックスが大股で距離を詰めて、ぬっとナルを覗き込んだ。
「だからこそ、叔父上が心配だった」
「――っ」
「でも、むしろお似合いに思えてきたよ。あの叔父上には、微笑むだけの令嬢では、不釣り合いだ」
ナルが口をひらこうとしたとき。
バロックスが、人差し指を、ナルの唇に押し付けた。
「これは、純粋な興味なんだけど。きみは、ブブルウ商会と繋がりがあるのかな?」
突然の話題変換に、一瞬だけ、きょとんとしてしまう。
そんなナルを見たバロックスは、猫のように目を細めた。
「ブブルウ商会……って、果物の輸入品を扱っている、あのブブルウ商会ですか。今、王都に?」
「そうだよ。シルヴェナド伯爵が処刑されて、一族や関係者の対応に追われているこの時期に、あえて、王都へ来ているのさ」
父親の処刑を強調されたが、それよりも気になるのが、ブブルウ商会だ。
シルヴェナド伯爵が、過去に取引してきた行商人にブブルウ商会の会長を名乗る人物がいたことを覚えている。
(たしか、表向きは異国の珍しい果物を扱う商売をしているけれど。密売ルートで、希少動物や保護動物、輸入規制されている動物を持ち込んで売買してるっていう)
ナルは、はっと顔をあげた。
(待って。……待って。マンドリルとか、猿っぽい動物も扱ってたはず)
シルヴェナド伯爵は、ブブルウ商会とあまり、懇意にしていたわけではない。
それでも、ブブルウ商会をナルが覚えていたことには、理由がある。
ブブルウ商会の会長が、珍しい生き物だと言って連れてきたマンドリルの脱糞が、あまりにも臭かったからだ。
しかも、人間の糞と見た目まで酷似していた。
今、そのブブルウ商会が王都へ来ているのならば。
商品の一部が逃げ出した可能性も、大いにある。
(……だってほら、庭に落ちてたし)
昼間のことを思い出して、ふっと自嘲した。
強引に頭から追い出して、ナルはバロックスへ聞く。
「そのブブルウ商会を、捕らえるんですか」
「わからない。ブブルウ商会は、違法商会の一つだから、証拠さえ掴めば逮捕できる。でも、ブブルウ商会の『違法ではない部分』が重要だから、こちらとしては強く出れないんだよ」
「違法ではない部分?」
正直なところ、言葉の意味がよくわからない。
首を傾げたナルに、バロックスは説明をくれた。
「彼らは、南東部にある部族バッザオや、南にある小国ズズ、現在鎖国している風花国とも、交流がある。ほかにもあるけれど、この三つは現在、ブブルウ商会以外の、どの商会や国とも取引をしていないんだ」
「それは……かなり凄い、ですね」
(あれ? まって、でも、それって……)
ナルは少しだけ、思考に沈む。
ナルの記憶が正しければ、そんなに深く考える案件ではないかもしれない。
「まぁ、この時期に堂々と密売をしてるあたり、『捕まえられるもんなら捕まえてみろ』って言ってるようなものだしね。放置したら、国や王家の沽券にかかわる。何かしらの対応はしないと」
「……その、ブブルウ商会の件。本格的に、刑部省が動くと思います」
「ほう。なぜ、そう思うんだい?」
「旦那様が罪をさばくのは、国のためですから」
バロックスは驚いた顔をしたが、すぐに、思い直したように微笑んだ。
「ふぅん。思っていたより、きみ、いいね。まぁ、ブブルウ商会に関して、叔父上が動くとなると、不都合な部分も出てくるのが問題ではあるんだけど」
「だったら、まるっと乗っ取りませんか?」
「は?」
「乗っ取るんです、ブブルウ商会を」
バロックスが、目を瞬いた。
驚きというよりも、意味を理解しかねるといったふうだ。
「刑部省は罪を暴くところですよね。国のために膿をだすのが仕事ですから」
「まぁ、そうだね」
「では殿下は、国のために、何をされますか?」
ナルは、バロックスの空色の瞳を見つめて。
にっこりと、艶やかに微笑んだ。
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