【短編】ジェンマの憂鬱【本編完結後の話】
コミカライズ10話配信記念短編となります。
11月22日。BookLive様にて、コミカライズ10話配信開始。
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それは、シロウが即位したのち。
ナルが出産のために屋敷で静かに過ごしていた時期のことである。
*
「武術大会ぃ?」
心底鬱陶しいというように、その男が言う。
風花国の某部署に特別顧問として配属されたジェンマ・ローズは、報告をしてきた若い文官を睨みつけた。
ヒィッ、と文官の顔が引きつるが、逃げ出すことはない。彼はジェンマの意を汲んで動くことのできる優秀な文官補佐だ。
褒めると調子に乗るので言わないけれど。
「おい、このクソ忙しいときに何寝ぼけてんだ」
「それが、主上がお決めになったことでして」
机を拳で叩く。
積み上げてあった書類がバサバサと床に落ちて、補佐が慌てて拾い上げ始めた。
ジェンマはモーレスロウ王国での仕事を辞め、風花国に越してきた。
余生を、愛しい孫とひ孫を愛でながら過ごす予定だったのだ。
異国での生活に不安がないわけではない。
しかしそれ以上に、生活していく力が自分にはあると考えていた。
唯一の誤算は、その自負が自他ともに周知されていたことだ。
――出来る男、ジェンマ。
その存在を、周囲が放っておくはずがない。
何より彼は口こそ悪いものの、清廉潔白のよい男だ。
性格と態度が悪そうに見えて実際もなかなか黒いシンジュとは、その辺りが違う。
なぜ彼はゆっくり余生を謳歌するはずが、書類に埋もれて仕事三昧の日々を過ごしているのか。
すべては、シンジュとシロウから、臨時の特別顧問として助けてほしいと懇願されたことから始まった。
配属されたのは、財務省。
モーレスロウ王国でいうところの戸部に準ずる部署だ。
これが、とにかく腐っていた。腐りきっていた。
真っ当な官吏もいるにはいたが――いなければ、立ちゆかないので当然だ――全体の一割にも満たない。
仕事はしない、不正はする。
そんな官吏がやたら数だけいる。それが、ジェンマが配属された時点の財務省だった。
当初の約束では、王命により派遣された『特別顧問』のジェンマに対して、舐め腐った態度を取る者を、シロウに報告する。
それだけが、役割のはずだった。
というか、その点だけ助けてほしいと懇願されたから引き受けたのであって、それ以上介入するつもりはなかった。
――シロウに報告した官吏たちは一週間もしないうちに罷免された。
これにはさすがのジェンマも驚いた。
なにせ、部署の八割の人間の名を列挙しておいたのだ。
『王命に反しただけでも重罪なのに、全員、不正の証拠がこれでもかって出てきたので罷免しました。何か問題でも?』
罷免された者たちのことを聞きにシロウの元へ行くと、彼女は奇妙な昆虫のオモチャを手の中で玩びながらアッサリそんなことを宣った。
確かに仕事をしないやつに給金を支払うくらいならば、辞めさせたほうがいい。
不正まで犯すのだから尚のことだ。実際、残りの二割の官吏がいれば変わらず部署は動き続けるだろう。
ジェンマは納得し、むしろ『すげぇ判断力だなぁ。若いのに重責背負って、大変だ』と同情すらした。
しかし。
翌日出勤すると、残された官吏たちが泣きついてきた。
罷免された者たちが意趣返しをし、仕事が侭ならないというのだ。
仕事を失っても、彼らは貴族。
面倒なことにそれなりの権力と財力がある。
これには、さすがのシロウも慌てた。彼女にとっても予想外のことだったらしい。
財務省の機能が停止すると、官吏への給金の支払いは勿論あらゆる面で支障が出る。
そこでジェンマが、一時的に『特別顧問』兼『財務省副長官代理』となり、全体の調整に入った。
初めて携わる仕事だが、天才的な彼は覚えや理解が早く、あっという間に古参の官吏よりも優秀であると、その実力を皆に知らしめた。
そんな日々ののち、財務省に残っていた官吏たちは、口は悪いが優秀なジェンマを上司として認めた。
彼らにもプライドがあるが、ジェンマの仕事と向き合う真摯な態度に敬服し、彼を慕うようになったのだ。
――という、シナリオを知らないうちに演じさせられていた。
約束通り、財務省副官代理の期日を終える日になっても新しい上官が補充されないことを不審に思ったジェンマは、またシロウのところへ尋ねに行った。
すると彼女はなぜか、正式な『財務省副官任命書』を渡してきたのだ。
(思い出したら、腸が煮えくり返るわ!)
シロウは最初から、ジェンマを財務省に置いて手放さないつもりだったのだ。
特別顧問にしたのも、名を列挙した者を罷免したのも、やつらが意趣返しを画策するのも、何もかも予定通り。
すべては、ジェンマを正式に雇用するための手段に他ならない。
思い返すと、怪しい点がいくつもある。
シロウが官吏を罷免した翌日。
実は、たまたま官吏登用試験があった。
一時的とはいえ財務省副官代理になるのだから正当なる権利を持っておくべきだ、という考えからジェンマはシロウに促されるまま受験し、トップで合格している。
思えば、とっくに申し込み期限は過ぎていた。
それでも試験を受けることができたのは、誰かが勝手にジェンマの名で申し込みをしていたからだ。
正確な申し込みからの、不正など一切ない、これまでの知識と天つ才能で勝ち取った合格。
短期間とはいえ実力と実績を築き、人望を得たジェンマは、人材不足の財務省において十分『財務省副官』になる資格がある。
ある、というか、持たされていた。
そんなものいらねぇ、と言ったところで、押しつけられた名誉や資格は、撤回できない。
『もし、辞退するのなら構いません。財務省の機能はまたしばらく停止し、混乱するかもしれませんが。……でも、ジェンマどのは中途半端な仕事をそのまま放棄なさる方ではないと、よく知っておりますよ』
「くっ、うおおおおおおお!」
「うわっ、びっくりした。急に叫ばないでくださいよっ」
「なんかもう、俺のなかだけじゃ抑え切れねぇんだって! あああ、腹立つ――っ!」
「何かわかりませんけど、そろそろ昼ですから休憩しましょう。お孫さんからの手作り弁当、今日もあるんでしょ?」
「そうだな」
冷静になって机を片付け始めるジェンマに、補佐が深いため息をつく。
「孫がさぁ、もうすぐ臨月なんだよ。んで、孫の旦那が心配して家から出るなって閉じ込めてんの。でも孫からすれば、不本意らしくてさ。時間もあるし何かしたいから、って、こうして弁当作ってくれてんだよ。すげぇ嬉しいよなぁ」
「五日連続で聞いてます、その話」
「身重で大変なのに、弁当作ってくれるなんて感動だわ。もう、俺が一生養ってやりたい」
「ああ、さっきの話なんですけど」
補佐が、武術大会のチラシらしきものをスッと差し出した。
それは、まごうことなき武術大会の案内である。
五つの種目事に競い、それぞれ三位までに賞品を出すというものだ。
身分問わず参加可能。
希望者多数の場合は事前に予選を行うという。
「いや、その費用どっから出すんだ」
人件費、開催費、賞品の費用。
当然、警備にも力を入れなければならない。
「それを捻出してほしい、っておっしゃってました」
「は? 会ったのか、シロウに」
「主上を呼び捨てはさすがにいけません」
「会ったのかって聞いてんだ」
「お会いしましたよ、ついさっき入口で。そこでこのチラシと費用捻出をあなたに伝えるよう頼まれたんです。いやぁ、主上自らおいでくださるなんて、感激しました。シロウ様が王位に就かれてから、私たち末端貴族も暮らしやすくなりましたし、あの方は本当に素敵な方です」
「……俺の周囲をガチガチに固めるつもりだな、やつは」
補佐まで誑かしやがって、と思いながらも、シロウの評判がよいのはいいことだ。
強引な改革による弊害とでもいうべきか、シロウは貴族らからの人気が低い。
本人もわかっていて手を打っているだろうから、ジェンマはそこまで口出ししないけれど、やはり心配だ。
弁当を食べ終えると、ジェンマ手書きの『お礼状』と共に丁寧に風呂敷で包み直した。
「さて、仕事を続けるか」
忙しいとはいえ、刑部省にいた頃と異なって急ぎの仕事はそれほどない。
今日も自宅に帰る途中でナルの家に寄り、「おかえりなさい」「お疲れ様です」と言ってもらおう。
強引に忘れようとした武術大会の件を、補佐がチラシを差し出すことで思い出させてくる。
「まずは、この予算について考えましょう」
「無理。んな余裕ねぇからな」
「そんなはずありませんて。凍結中のこれとこれ、あっちの予算を見直せば絶対捻出できますよ」
「んなもん見直す時間がねぇんだよ! 今月は絶対に定時で帰るぞ俺は!」
「いつかは片付ける案件ですし、これを機会にしてしまいましょう。主上の命令ですし。あ、いつでも使えるように仮眠室を片付けておきますね」
奥にある仮眠室へ消えていく補佐を眺めながら、ジェンマは深くため息をつく。
そのため息はとても深く、諦めの色をのせていた。
完
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