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9〖a〗、可愛い妻の傍ならば(前編)



 週末、仕事を終えて帰宅するため、馬車の待つ待機場へ向かったシンジュの前に。

 ほっそりとした体躯の、無駄に煌めいた青年が姿をみせた。


 中性的な美しさを持つ青年だが、背が高いため、女性と間違えられることはない。

 濃い金色の髪は、ふわふわとゆるくカールしており、空色の瞳は、湖のごとく澄んだ美しさだ。


 そんな彼の身を包む純白の燕尾服に、出仕する者を表すピンバッチはない。


 青年の胸部には、「羽根と太陽」を組み合わせた紋章が、あしらってある。

 王家をあらわす紋章だ。


「お待ちしておりました、叔父上」


 青年は、シンジュに向けてにっこりと微笑んだ。

 貴族令嬢や貴族婦人が卒倒するという彼の笑顔も、シンジュにとっては胡散臭いだけの代物だ。


「殿下、何か」


 モーレスロウ王国第二王子、リーロン。

 やたらとシンジュの周りをうろちょろとする、面倒な相手だ。


 冷やかな対応のシンジュに、リーロンは笑みを深めて一歩近づいてきた。近くなった分だけ離れると、途端に、子どものように寂しい顔をされてしまう。


「久しぶりに話をしたくてね」

「雑談でしたら、いずれ」


 会釈をして隣を通り過ぎたシンジュに向かって、リーロンが、拗ねたような声音で言った。


「愛しい妻のもとへ帰るのかい」


 シンジュは眉をひそめた。


「叔父上が、いきなり妻を娶るなんて。しかも相手は、シルヴェナド家の令嬢なんて、何を考えているんだ?」


 リーロンは、悔しそうに声を張り上げる。


「皆言ってる。シルヴェナド家の令嬢へ入れ込んでるとか、シルヴェナド家と癒着があって荒稼ぎしていたとか、そんな噂まで出回ってるんだよ。それに叔父上は、ずっと結婚はしないって言い切ってたのに――」

「殿下」


 シンジュは足を止めて、リーロンを振り返る。

 シンジュの、怜悧を通り越した絶対零度の視線に、リーロンが大きく震えた。


「雑談でしたら、今度にしていただきたい。急いでおりますので」

「急いで……どこにいくのさ。家に帰るんだろう?」

「ええ。仕事は終えましたので」

「シルヴェナド家の令嬢に、会うために?」

「お言葉を返すようですが、彼女はもう、シルヴェナド家の人間ではなく。私、シンジュ・レイヴェンナーの妻です」

「……っ、叔父上に憧れてたのに。たかだか十七の小娘、しかも悪名高いシルヴェナド家の一人娘に入れ込むなんてっ」

「殿下は、王族規範をご存じですか」

「王族規範に則ったから、法を犯してはないって言いたいんだろう?」

「いいえ、言葉のままです。王族規範の内容をご存じですか」

「当然だ」

「では、第三条第五項の二は」

「……は? そんなもの、わかるわけないだろう」


 シンジュは、視線をさげた。


「失礼いたしました」


 そう言うと、踵を返してリーロンの前から立ち去った。

 リーロンはまだ何かを言っているようだが、この一週間、遊んでいたわけではないのだ。寝る間も惜しんで仕事をしてきたシンジュは、傍からはそうは見えずとも、疲労困憊だった。


 早く帰宅して、眠りたい。


 馬車に乗り込むと、御者がドアを閉めた。

 先に馬車に乗り込んでいた秘書のブッシュが「お疲れ様です」と頭をさげた。

 ブッシュから受ける報告は、領地や屋敷、その他諸々だが、基本的に余程のことがない限り、任せてある。


「お疲れのようですね。花街に行きますか」

「帰る」

「ああ、奥様がお待ちでしたねぇ。先週は、二人きりの時間を密に過ごされたとか」

「おかげで、趣味の読書に勤しむことができた」

「奥様を放っておいて、ですか?」


 ブッシュは首を傾げてみせた。

 先週の休暇を、何気なく思い出す。二人で過ごした穏やかな時間は、煩わしい人の目を避けて一人でいるときよりも、気楽で心地よかった。


 今週もあのような時間がもてるとは思わないが、ほかで過ごすよりも屋敷へ戻りたい。


 男は花街へ行けば、癒されると思っている者が多いが――事実そうだろうが――シンジュの立場で子を儲けるわけにはいかないし、ことを済ませたあと帰宅するのも面倒だ。

 だからと言って、信用もできない者のもとで眠るなど、考えただけでもぞっとする。


「妻は妻で、読書をしていた」

「ほほう、奥様はどんな本を読んでおられたんです?」

「私が見たときは、王族規範全集だったな」

「それ、読み物なんですか。ちなみに、旦那様は何を読まれたのか、お聞きしても?」

「異国の話だ。風土や地形による気温や湿度の変化、また、季節によってそれぞれの――」

「ああ、はい、わかりました。うん、まったく興味ない分野です」


 シンジュは懐から、折りたたんだ報告書を取り出して、ブッシュに渡した。

 ブッシュは内容を見て、おお、と唸った。


「おや、ジザリが書いたとは思えませんね」

「ほう?」


 シンジュの視線に、ブッシュは焦った様子で右手をふる。

 ブッシュの今の発言は、「執事が己の職務を放棄して他者に押し付けた」として「あるじを侮辱する行為」をとったと言っているのと等しいのだ。

 勿論、ブッシュの冗談だろう。


 だが今のシンジュは、虫の居所が悪い。

 先程のリーロンも不快だったが、疲労が一番の原因だろうか。


「あはは、まさか。やっと、使えるようになってきたってところでしょうか。彼、執事の素質はありますからね」


 基本、屋敷からの連絡は、急用でない限り不要にしてある。

 ただし週に一度だけ、何事もなかろうと、報告書を作成して届けるように言いつけてあった。


「何か心境の変化でもあったんでしょうかねぇ」

「さあな」


 素っ気ないシンジュに、ブッシュは肩をすくめた。




 屋敷につくと、馬車を降りる。

 玄関にナルの姿を見つけて、不思議とほっとした。


「おかえりなさいませ、旦那様」

「ああ」


 微笑むナルの笑顔は、やはり仮面のようだ。

 だが、ほんの少しだけ、柔らかくなっただろうか。

 ナルの隣で迎えに出ていたジザリもまた、無表情のなかに微かな余裕が見て取れた。使用人の何人かも、何かしらの変化があったらしい。

 これまでは、それぞれ無表情で床を見つめていた使用人たちが、顔をあげていた。


 いつものように夕食をとるため、食堂へ向かう。

 ナルと向かい合うかたちで椅子に座ったが、今すぐにでも眠ってしまいたい。食欲もないが、食べなければ仕事に支障がでるため、無理やり流し込むようにしていた。


 ジザリが、シンジュの前に、湯気のたつ皿を置いた。

 それは、卵と野菜が入った粥だった。


(……粥?)


 今になって、シンジュは気づく。

 いつもはすでに、食事が並んだ状態になっているが、今日はスプーンなどの銀食器と、今ジザリが運んできた器しか見当たらない。


「今日は趣向が違うな」

「こちらは、奥様自ら、お作りになられた粥です」


 ちら、とナルを見ると、社交辞令さながらの笑みでにっこりと微笑まれた。


「卵粥は、とても消化がいいんですよ。食べやすいですし、野菜の栄養もたっぷりです」

「初めて振る舞う手料理が粥か」


 モーレスロウ王国での主食はパンだ。パスタを食べるときもあるが、それでもやはり、パンを少量つけておくのが通常だった。

 米を食べる機会があまりない。それはシンジュも同様である。


 米を主食としているのは隣国の柳花国だ。国交が盛んな国の一つであるため、モーレスロウ王国にも米が輸入されてくる。

 それを、ナルが買って粥にしたのだろう。


(手料理を振る舞うのなら、せめて自国の料理にしろ)


 試しに一口食べると、優しい味がした。

 噛むことさえ億劫なため、ほとんど噛まずに飲み込めるのも有難い。


 ぼうっとスプーンを運ぶうちに、カラになった。

 次に運ばれてきたのは、鶏肉の入った茶わん蒸しだった。

 左程大きな器ではないのに、具沢山で、これもまた食べやすい。


 茶わん蒸しもまた、普段ほとんど食べる機会のない食品だが、味付けをモーレスロウ王国の食事に近づけてあるためか、食が進んだ。


 そうしてデザートを食べ終える頃には、あれほど眠かった意識が、少しだけ覚めていた。


 ふとナルを見ると、ナルもちょうど食事を終えた頃だった。

 彼女も同じものを食べていたらしい。


 ほどよく腹も満たされて、シンジュはナルとともに寝室へ向かった。

 いつもなら執務室で、身内からの手紙や自領土に関する書類の確認をするのだが、今日はやめておく。


 寝室に入ると、ナルがちょこまかと寝室の壁に設えてあるランプの火を消して回り、ベッドの上に正座した。

 ベッド脇の小卓にあるランプだけが、ベッドに怪しい影を落としている。


「……誘っているのか」

「はい?」


 ナルは、眠りやすいように枕を整えると、どうぞというようにシンジュへベッドを示した。横になると、いつにも増してふかふかで、忘れていた懐かしい香りがする。


「どうですか。洗濯除菌のあと、太陽をいっぱい浴びせたんです」

「太陽の香りか」


 ころん、とナルも隣に転がる。

 視線を向けると予想より近くにナルがいて、ふふっと笑顔を向けてきた。


「……使用人をうまく丸め込んだようだな」

「ひ、ひと聞きが悪いことを言わないでくださいよ」

「この屋敷にいる使用人の大半が、庶民だ。お前は庶民出の使用人には受けがいいだろう」

「どういう意味です?」

「そのままだ。……料理長や警備長には会ったか」


 ナルは、目に見えて狼狽えた。


「それが、いつも不在で、まだ」

「夕食を作ったということは、料理長から厨房の使用許可は出たんだろう?」

「はい。ですが、姿は見ておりません。……不在でしたので」

「……ジザリの件、約束は忘れていまい。この休みで、確かめさせてもらうぞ」

「どうぞ! やはり、旦那様の目に狂いなどありませんでしたから」


 微笑むナルが、とても可愛くみえた。

 こうして、素の口調で話すナルには、女らしさの欠片もないのに。


(疲れているんだろうな、私は)


 出迎えや見送りのときの女性らしいナルよりも、今のナルのほうがずっと魅力的に感じるなど。


(やはり、帰ってきてよかった)


 無性に人肌が恋しくなって、横を向くとナルの身体を引き寄せる。

 ぴったり胸に押しつければ、粥や布団とはまた違った、ふんわりと甘く優しい香りがした。


 ナルの小さな身体が、強張っていた。

 女としての本能だろうか、やや警戒しているようだ。


 どうやら、まったく異性として意識されていないわけではないらしい。


「旦那様、お疲れですか」

「ああ。だが、夕食や布団のおかげで、少し癒された」


 胸の辺りで、ナルが微笑んだ気配がした。


(……可愛いな)


 ナルは、親子ほど歳の離れた少女だ。にもかかわらず、やたら大人びたところがあると思えば、今回のようにシンジュを癒そうと準備をする。

 褒めると、正直に喜んでみせるところも――無性に、愛しい。


 愛のない結婚だ。

 仕方なしに、立場を与えたに過ぎない。


「王族規範、第三条第五項の二は?」

「王族が特別待遇を受けるに値する理由及びその証明。法的根拠について、です」

「……正解だ」


 第三条五項の二は、ナルが言った事柄について細分化して記載してある項目だ。

 さらに、五項の二の一、二の二、と細かく決められており、王族規範を法として用いる際は、まず念頭に置かなければならない箇所でもある。


 ほっとした様子のナルに、苦笑する。


「精進しているようだな」

「はい」

「……このまま、妻としての責務も果たすか?」


 手首を掴んで、ベッドに押し倒した。

 被さるように見下ろせば、驚いた顔のナルがシンジュを凝視している。


「だ、旦那様が、お望みでしたら……いくらでも」

「声が震えているが。これから何をするのか、理解しているようだな」


 ナルは頬を赤くして、小さく頷く。

 わざと煽っているのかと思わせる所作に、無意識に喉がなる。


(……私の妻、か)


 顔を近づけて、額にキスをする。甘く優しい香りが濃くなった。

 顔をずらして、ナルの唇を指で撫でた。

 ナルの唇は、とてもふっくらとしていて、触り心地がいい。見た目は十人並みなのに、唇だけは男を惑わすような魅力がある。


「だ、旦那様……あの」


 言葉を口でふさいだ。

 柔らかい唇の感触を唇でたどり、そっと舌で舐める。


(そういえば、キスをするのは初めてだな)


 性別上、性的欲求からは逃れられないことは理解している。

 発散のために女を抱くこともあるが、それを遊興にする趣味はない。キスなど、欲望の発散に必要のない行為だ。


 そう思っていた。

 なのになぜ、シンジュは今、キスをしているのだろう。


 身体が熱い。

 心地よい熱さだ。

 一層強くナルを抱きしめると、小さな手が戸惑いがちに、シンジュの背中にまわった。


 名残惜しい思いで唇を放すと、先ほどより頬を赤くしたナルが、はにかんでいるのが見えた。

 これから営もうというのに、ナルの笑みを見た瞬間、ふと、心が柔らかくなったような錯覚を覚える。


 シンジュの背中を撫でるナルの手が、温かい。


「お休みくださいませ、旦那様」

「……ああ」


(……ここならば、安心して……)


 唐突に押し寄せてくる睡魔に、シンジュは身体から力を抜く。

 とっくに身体面の疲労は限界だったのだ。


 ナルの隣に転がってすぐに、心地よい眠りにいざなわれた。



閲覧、ブクマ、評価、ありがとうございます!

本当に貴重なお時間を戴き、感謝しております。

これからも、よろしくお願い致しますm(__)m

(明日も18時前後の更新です~。9〖b〗というサブタイトルとなります)

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