【序章】 処刑執行の日に、挙式?
ナルにとって、初めての結婚式だった。
結婚式なんて、前世――つまるところの、日本でもやったことはない。
幼いころに憧れた、フリルがふんだんにあしらわれた純白のドレスを着たナルは、メイクも髪型も、かつてないほど上品に仕上げてあり、鏡に映る姿は、何度見ても自分ではないようだ。
小柄な体格、気の弱そうな雰囲気。
父親譲りの黒い髪と、黒い瞳。
鼻は高すぎず低すぎず、目も、眉も、すべてが平凡な娘が、頑張って着飾りました! というように、鏡に映っていた。
(まぁ、見れなくもない顔には、なったかなぁ)
唇だけはなぜか、生まれた時から、ぷるんと愛らしい。
誇っていいはずなのに恥ずかしく感じるのは、見た目が平凡だからだ。唇だけ愛らしいなど、神様はナルに何を求めているのか。
とはいえ、鏡に映るナルは、それなりに見える。
美しくない自覚はあるが、プロのメイクアップアーティストの手にかかれば、ナルとて、メイク特集の雑誌に載っているような女になれるらしい。
(ってことは、ああいう雑誌って、ある意味詐欺?)
そんなことを、ぼへっと考えてしまうほど、ナルは自分の状況が飲み込めていなかった。
ナルは、つい先程まで、斬首を待つだけの罪人として、王城にある貴族専用の牢獄に入れられていた。
両手足を鎖につながれて、囚人服を着せられ、死ぬのを待つだけだったはず。
それがなぜ、今、メイクアップをしてウエディングドレスを着ているのだろう。
「お時間でございます」
部屋の隅で待機していた、おそらくプランナーらしき女性が、ナルに声をかけた。
「あの、なんの時間ですか」
「お式でございます」
「……ですから、あの……なんの?」
女性は首を傾げたあと、ああ、と頷いて、申し訳なさそうに眉をさげた。
「新郎様のご希望により、本日は挙式のみとなっております。披露宴を開かれる際は、ぜひまた、当店で」
よくわからない状態で、同情的な視線を向けられてしまう。
なぜ。
ナルが、死刑囚だからだろうか。
女性が案内するままについていくと、ふと、廊下の端に、牢獄からナルをここまで連れてきた青年がいた。スーツのタイに、王城の出仕者を示す黄色のピンバッジが輝いている。
明るい茶髪をした、目じりにホクロのある優しげな風貌の青年だ。
名前は、ディート。
もっとも、ナルの知るその名前は偽名だろう。
ディートはナルを見て、こぼれんばかりに目を見張ったあと、微笑んだ。
ここしばらくの間ですっかりやつれてしまったディートだが、微笑むと、ナルの知る彼が戻ってきたようだった。
「お美しいです、お嬢様」
「ありがとう。……って、違う! なんでこうなってんの? 私、死刑囚だよね⁉」
思ったままを問うと、ディートは眉をひそめて今にも泣きそうな顔をした。そして、くっと呟いて歯をかみしめると、顔をそらす。
「申し訳ございません、お嬢様。お嬢様だけは、このディートがお救いしたかったのですが、自分にはそんな力はなく……」
「もしかして私を助けようと掛け合ってくれたの? いいよ、ディートの立場が悪くなる」
ひらひらと手をふってみせると、その手を、ディートが掴んだ。
「ご安心ください。僕が、長官に直訴してまいりました。これで、お嬢様の命は、斬首に消えることはございません!」
「じきそ? 直訴⁉ まって、ディートって」
うちに潜入してた、諜報員だよね⁉
という言葉は、先を促す女性の声に、飲み込んだ。
「自分は仕事がございますのでこれで失礼致しますが、お嬢様、どうか、お元気で!」
「はい⁉ 何が起きてるのかだけでも、説明を……って、はやっ」
ディートは、颯爽と廊下を走っていく。本当に忙しいのだろう、本来ならばナルに会いにくる時間も惜しいのだ。
それなのに、律儀に会いにきてくれたディートは、本当に優しい男である。
斬首刑になる前に、ディートの元気な姿を見ることができて、よかった。彼にはいろいろと助けてもらったのだ。感謝しかない。
ディートは、ナルは斬首になることはないと言ったが、そんな逆転劇のような刑罰の変更はありえないことくらい知っている。
ナルは、斬首くらいでは償いきれないほど罪深い存在なのだから。
「こちらで、お待ちください」
にっこり笑顔の女性プランナーに案内されたのは、新郎新婦待機室と書かれた看板のある小部屋だった。
ナルは、床を引きずるほど長いドレスを抱えて、言われるままに部屋に入る。
静謐な部屋だ。
前世にいたころに出席した従妹の結婚式で、親族として待機した部屋に似ていた。あのときは、こういった小部屋に親族が大勢待機していたのだが、今日は、誰もいない。
やることもなくて、壁際にずらっと並んだ椅子に、ちょこんと落ち着かない気分で座っていると、すぐにまた、先ほどの女性に呼ばれた。
小部屋を出ると。
そこには――新郎がいた。
ひと目で新郎とわかるのは、ナルのウエディングドレスと対になっているスーツに身を包んでいるためだ。
長い灰色の髪を頭上で束ねたその男は、切れ長の目でナルを見据えた。
僅かもぬくもりのない瞳は、氷のように冷たく鋭い。
「……誰?」
「平凡な女だ」
吐き捨てるように投げつけられた言葉に、ぽかんとしたとき。
新郎が、何かに気づいたように顔をあげた。
「始まる、さっさと茶番を終わらせるぞ」
(なにか始まるの? え、なに?)
「おい、聞いているのか」
(なにが……私⁉ あ、そっか。私、新婦だもんね)
新郎が話しかけている相手が自分であると知ったナルは、あはは、と軽く笑ってごまかした。
その場から動かないナルに、新郎は苛立った様子で露骨な舌打ちをした。不本意だというように顔をしかめて、ナルの腕を引いて、自分の腕に絡ませる。
「な、な、なに」
「お前は、誓います、といえばいい」
「なにを誓うの? 愛なの? こういうときって、愛を誓うの?」
「……何を慌てている。ただの形だけの式だ」
「あ……そっか」
(形だけか、なるほど……死刑囚として死ぬ前に、理由あり結婚の手助けをしろ、ってこと、でいいのかな)
そもそも、ナルは死を待つだけの死刑囚。
やれと言われれば、どんなことだって、断ることはできない。
新郎が、突然歩き出した。
ナルも腕を引っ張られるまま、歩き出す。誰かが見たら、軽く腕を組んでいるように見えるだろうが、実は強く腕を固定されていて、かなり痛い。
廊下の突き当りにあった、唐草模様と市松模様が複雑に絡み合った細工が施された、荘厳な扉が左右に開いた。
パイプオルガンの重厚な音楽が、流れはじめる。
その音楽に合わせて、新郎新婦はベルベットの絨毯を真っ直ぐに進んだ。
ふたりが歩くたびに、ぱらぱらと拍手が起きる。
さっと辺りに視線を彷徨わせると、視界にとらえることができたのは、僅か三名だけだった。
(ひと、少なっ)
百人は余裕で入れるだろう会場には、数えるほどの人しかいない。
ゆえに、拍手もぱらぱらと少なかった。
(こんなに人が少ないんなら、もっと狭い場所で式をすればいいのに。お金が勿体ない)
強引に中央まで引っ張っていかれたナルは、式役――つまるところの神父――を前にして、新郎と向かい合って立つ。
「二人は――」
「簡略で頼む」
式役の言葉を遮った新郎に、式役はにっこりと微笑んだ。
「……誓いますか?」
「誓う」
何を、と問いたくなるほどの簡略化だった。
新郎は、はっきりと、誓うと言った。この場でその言葉の意味するところがわからないほど、ナルは幼くも天然でもない。
ふいに、人違いではないか、という考えが浮かんだ。
「ナルファレア・シルヴェナド嬢も、誓いますか?」
(私だったっ!)
フルネームで呼ばれたのだから、確実にナルのことだ。
呆然としたナルだったが、ぞくりと生命の危機を感じて、本能的に顔をあげる。
新郎が、あの冷酷かつ鋭い目を細め、ナルを威圧と視線で殺しにかかっている。
(お、っかない……このひと)
ナルに、「誓います」と言わせたいらしい。
理由はわからないけれど、ナルに拒否権がないことくらいはわかる。
それに、ナルの処刑は今日の午後、執行されることになっていた。あと少しの命だ、最後にこの人の役にたってから死んでもいいだろう。
ナルは、自分へ殺気を放つ相手の顔を、見つめ返した。
よく見ると、結構年上だ。
今年十八歳になるナルよりも、おそらく、二回り近く年上だろう。もしかしたら、もっと年上かもしれない。
さらに。
突然のことで気が回らなかったが、この新郎、なかなかの男前である。
視線は冷やかで、目は鋭く、纏っている雰囲気は「仕事が出来る男、だが誰にもなびかぬ男」といったところだろうか。
こういった男性を好む女性は、この世にも多いはずだ。
なにが起きているのかわからないけれど、ここで取り乱したり、理由を問いただすのは、新郎の恥になってしまう。
この人が誰かもわからないが、死刑囚のナルを連れてくるくらいだ。
きっと、理由があるのだろう。
ここは、話を合わせておくのが、無難だと判断する。
「誓います」
はっきりと。
ナルは、告げた。
「では、指輪の交換を」
「面倒だ。一人でやっていろ」
新郎は懐から指輪が入っている小箱を取り出すと、ナルに投げて寄越した。落とさないように受け取ったころには、すでに新郎は出口へ向かって歩いている。
そして、振り返ることなく出て行ってしまった。
独り残されたナルは、今度こそ、その場で放心してしまった。
何気なく手の中にある小箱をひらくと、一対のシルバーの指輪が入っていた。小さいほうを手にとって、指に嵌める。
微妙にきつい。
というか、入らない。
「以上をもって、二人を夫婦とします」
「一人だけどね⁉」
思わず式役の言葉につっこんでしまう。
そんなナルの意見などなかったかのように、ファンファーレの音楽が流れて、女性プランナーに案内されるまま、ソロで退場した。
退場すると、すぐに着替えさせられて、外に停めてあった馬車に押し込まれた。着替えは囚人服ではなく、貴族が着る仕立ての良いドレスだ。
馬車が出発する前に、今度こそ理由を聞かないと。
そう思って立ち上がったとき、一人の青年が馬車に乗り込んできた。二十代後半ほどの、糸目の青年だ。
タイに、城に仕える貴族を示す、黄色のピンバッジをつけていた。
耳の辺りでくるりとカールした癖っ毛は、触れると柔らかそうだ。にっこりと、社交辞令だろう笑みを常に浮かべていて、思考はあまり読めない。
「いい式でしたね。ぷくく、長官の顔見ました? あははっ、あの人が新郎とか、もうおかしくて」
「……あなたは、どなたですか?」
「ああ、申し遅れました。私、長官の補佐をしておりますジーンと申します。以後お見知りおきを。さて、何から説明いたしましょうか。ぶっちゃけると、死刑囚だったあなたの命を救う方法が限られていまして、此度は強行に出た次第です」
ナルは、ぽかんとした。
口をあんぐりとあけて、相手を見る。
「命を、救う?」
「ええ。もう、あなたは死刑囚ではありません。なんと、我らが長官であるシンジュ・レイヴェンナー様の奥方になられたのですから~」
「……待って、話が見えない。本当に、私の死刑執行が取り消されたの⁉」
「ええ、ご安心ください。とはいえ、すぐには信じて頂けそうではありませんし、最初からお話しましょう。あなたは、ナルファレア・シルヴェナド。シルヴェナド伯爵の一人娘であり、先の伯爵逮捕の際、娘であるあなたも死刑が確定されました」
「ええ……そう、です」
それは間違いない。
ナルの父親であるシルヴェナド伯爵は、大罪人だ。多くの悪を裏で束ねる組織のボス、といえばわかりやすいだろうか。
頭のよいシルヴェナド伯爵は、どんな悪事を犯しても、証拠ひとつ残さない見事な手腕の持ち主だった。
そのシルヴェナド伯爵が逮捕されたのは、つい先月。
あらゆる犯罪者と関わりのあると言われた裏社会のボス、シルヴェナド伯爵は、ちょっとした証拠から拘束され、芋づる式に悪事が明らかになった。
漫画やゲームでいうところの、私腹を肥やした貴族というやつだ。
人を人とも思わず搾取し、使い捨てのように利用する。そういったことはすぐに露見するものだが、シルヴェナド伯爵は隠蔽工作まで端然とやってのけていた。
「伯爵を拘束するに至った証拠ですが、あなたの家に潜入させていた捜査官によると、あなたが『引き出させた』とか」
「ディートが、そう言ったんですか」
「おや、彼の名前は言ってませんけど。……まぁ、そのディートくんが、きみを助けてほしいと長官に直訴しまして。考えたすえに、長官の嫁になっちゃえば死刑を免れるじゃん。となって、今に至ります」
「え、端折ってません? なんでそうなったんですか? というか、ディートの立場が悪くなったりしません⁉」
「大丈夫でしょ、彼は腕がいいですから。長官は実力主義者です、力あるものには優しいんですよ。まぁ、そういうわけで、あなたは長官の奥さんになりました。おめでとうございます、一生遊んで暮らせますね」
カタン、と少しだけ馬車が大きく揺れたあと、停止した。
ジーンが颯爽とドアを開いて馬車から降りると、ナルに手を差し出した。ナルは、ジーンの手を見たあと、馬車の外を見て、また、口をあんぐりと開いた。
馬車は、大きな屋敷の前で停車していた。おそらく、長官ことシンジュ・レイヴェンナーの屋敷だろう。
屋敷そのものは、ナルが暮らしていた屋敷のほうが大きいし、手入れに関しても、実家のほうが勝っているといえる。
ナルが驚いたのは、屋敷の前に並ぶ使用人たちだった。
三十人以上はいるだろうか。
全員が無表情で、じっとナルを見ている。
「ようこそおいでくださりました、奥方様」
背の高い、黒髪を頭に撫でつけた男性が、スマートな仕草で頭をさげて、そう言った。
まるで合唱のように、ほかの使用人たちも「ようこそおいでくださりました、奥方様」と続く。
ジーンに馬車から降ろされ、使用人たちに連れられて屋敷のなかへ入る。それからのことを、ナルはほとんど覚えていない。
気がつけば、身ぎれいな姿で、大きなベッドのある広い部屋にいた。
「……私、生きてる」
窓の外を見れば、もう夕暮れが辺りを染めていた。
両手が震えた。
死ぬ覚悟をしていたのに、結局、ナルは生きている。
ふいに、ディートのやつれた顔を思い出して、ぎりっと歯を食いしばった。
(……ばかっ! 私は、処刑されて当然の娘なのに!)
あんな姿になってまで、ナルの処刑を阻止しようと動いてくれたことは嬉しい。この世界に生まれて今までのなかで、一番といってもいいくらいに。
ナルは、一度頭のなかをリセットしようと、軽く頭をふってベッドに寝転んだ。
大罪人の娘だけが、のうのうと生きていくなど許されない。
従妹や父の友人らも処刑されているというのに、娘であるナルだけ無罪放免というのは、現実的ではない。一度法を曲げれば、不満を抱くものが増えて、反乱分子を抱え込む要因にもなる。
(とにかく、あの長官とかいう人が帰ってきたら、話をしよう)
使用人にいくら話したところで、決定権は主にあるのだ。
いつ頃戻るのか、使用人に確認しておかないと……そう思うのに、ぐったりと身体から力が抜けた。
極度の緊張からの解放。
ナルは、押し寄せる睡魔と懸命に戦ったが、勝ち目のない負け戦だった。
ふかふかのベッドの真ん中で、ナルは眠りに落ちる。
こんなにぐっすり眠るのは、何年ぶりだろう。
目を覚ましたとき、すべてが夢だといいのにと思う。
ナルはただの日本人OLで、上司の不正などもなく、平凡な日常を過ごすだけだったあの頃に戻れたら。