八話 商人ギルド・喜劇
レーソン商会のマファミと知り合ってから少し経った。
あの後もマファミはちょくちょくと俺の前に姿を現しては、自分の商会のことや取引した商会の話をして行った。まぁ、契約してくれとしつこく言ってこないからいいのだが
……別に、アイツの話を聞きたいなんて言った覚えはない。だが、アイツは一方的にやってきては一方的に話ていくのだ。そのおかげで俺は最近の商会事情にそこそこ詳しくなってしまったよ。
レーソン商会はこの街に来てからも精力的に動いているようで、商人ギルドにいる商人たちからもちらほらと其の名前が上がるようになっていた。……普通に優秀な奴だったんだな、マファミ。俺の場合は第一印象が悪かったせいでそんなことは思わなかったが。
さて、今日も今日とて商人ギルドに商品を卸しに来た俺の前に、まるで計ったようなタイミングでマファミが現れた。爽やかな笑みを浮かべて「やぁ」と片手を上げるマファミに、思わずため息が漏れる。
商人ギルドに内接された喫茶スペースの一角に移動した俺たちは、飲み物を注文して席に着いた。ちなみに、俺がココアでマファミが紅茶だ。……なんだよ、俺が甘い好きで悪いか?
注文した飲み物が運ばれてきて、それに口をついてほっと一息。そして、同じように紅茶に口を付けていたマファミにジト目を向ける。
「……お前、暇なのか?」
「酷くないか!? 開口一番から罵倒されると、流石の私も心にくるぞ!?」
「こうして連続で出没してれば誰だってそう思う。……で、実際に暇なの?」
「暇じゃない! 自分で言うのもなんだけど、私の商会はかなり有望視されている新気鋭なのだぞ! 忙しいに決まっているじゃないか!」
とまぁ、こんな風に軽口を叩き合う程度には仲良くなっているわけである。
「本当に自分で言うことじゃないな……。それに、忙しいなら俺の相手なんかしてないで仕事しろよ」
「何を言う。ルインと話すことは私にとって最重要事項と言っても過言ではないさ」
「はっ、褒めても出るのは新作の薬くらいだぞ?」
「新作の薬だって!? そ、それはどんなものなんだい?」
うおっ、び、びっくりした。
俺が新作の薬の話を持ち出すと、マファミは引くくらいの勢いで俺に詰め寄って来た。
「お、おい、落ち着け。そんなに興奮するな。ちゃんと教えてやるから」
「あ、ああ。そうだな……すまない、ルイン印の新作と聞いて自分を押さえられなかったよ。なんせ、私はルイン印の薬のファンだからね」
いい笑みでそんなことをのたまうマファミ。くっ、そんなことを言われたら、作り手としての俺がとっても喜んでしまうじゃないな。今にも顔がにやけそうだが、その顔を晒すのはなんとなく癪だ。ポーカーフェイスを心がけよう……。
「……おや、ルイン? 君、もしかして……喜んでるのか?」
「な、何のことだ?」
何故バレたし。
俺が内心の動揺を悟られないように表情を隠していたというのに……そう思っていると、マファミはやけににこやかな笑みを浮かべて俺を見ていた。……おい、何だその『子供っぽいところもあるんだな』的な笑顔は。【禁術】で心の表層を覗き見たから言葉にしなくても分かるんだからな。
そして、そんな俺の不満さえお見通しなのか、マファミのにやけ面は収まらない。くそっ、こういう時に商人というのは厄介だ。いや、真に厄介なのは中々感情を隠すことのできないこの身体か? 前世だと、喜怒哀楽すべての感情を素直にさらけ出していたせいなのか、内心を悟られないようにするのがあまり得意ではないのだ。
だが、さっきも言ったが喜んでいることがバレるのもなんとなく嫌なのだ。え? 素直じゃない? ほっとけ。
というわけで、対抗手段をとるべし。
「ふふふ、ルインにもそういう面があるんだな。そうかそうか、自分の作ったモノが褒められて嬉しいか」
「…………」
「ははは、何も言えないということは図星だな? やっとルインに一矢報いることが出来たようだ。まぁ、初対面の時にやり込められたからなぁ」
「…………」
「ふっ、だんまりかい? 君は子供とは思えないほど聡明だ。それと同じくらい生意気だがな。しかし、可愛らしいところもあったようだな。あっはっはっは!」
「…………」
「……いや、あの、ルイン? そろそろ何か反応してくれないか? というか、その張り付けたような笑みは一体……?」
「…………」
「よし、分かった。私が悪かった。君に対してからかうような真似をしたことを謝ろう。ごめんなさい」
「…………」
「あ……えっと……その……」
「…………」
「……うわぁああああああああ!? 分かった! 分かったから! 本当に私が悪かったです! マジですみませんでしたぁあああああああ!!」
ふっ、勝った。
これぞ、相手が折れるまで無言&笑顔で無視を続けるという、【禁術】にも匹敵する精神攻撃! ……これ、サナの機嫌を損ねるとやられるんだが、本当にダメージがデカい。いやもうホント、辛すぎて泣きたくなるくらいデカい。
その効果は身をもって知っているので不安は無かったが、マファミにも効いたようで一安心だ。
「ふっ……俺の怒りに触れるとどうなるかこれで分かっただろう? これからは気を付けるんだな、マファミ」
「うう……というか、今回に関しては図星を刺されて拗ねてただけのような……」
「…………」(にっこり)
「あ、はい。なんでもありません。だからやめてね本当に!?」
まぁ、このくらいにしておいてやるか。
マファミを揶揄って遊ぶのもほどほどに、俺は懐から紫色の液体の入ったポーション瓶を取り出した。
「えいっ」
「あだっ、な、なんだ!?」
未だに頭を下げているマファミの頭を、その瓶で軽くたたく。……いや、軽くというか普通に振り下ろしたらポーション瓶ごと『マファミの頭が弾け飛ぶ』なんてことになりかねないので、本当に気を付けて叩いた。
それに驚いて顔を上げるマファミに、俺は無言でポーション瓶を突き出す。マファミが「これは?」と視線で聞いてくるが、とりあえず受け取れとポーション瓶をぐいぐいと押し付けた。
ポーション瓶を受け取ったマファミは、不思議そうにそれを眺めていたが、すぐに何かに気付いてハッとした表情になった。
「もしかして……」
「ご名答、それが新作の薬だよ」
「おお! これが……ちなみに、どんな薬なんだい?」
「それは二日酔いを治す薬だ」
「なっ……二日酔いを治す薬だって!? そ、それは本当か!?」
「居候先の人が酒に弱くてな。二日酔いを何とかしたいと言ってたから作ってみた。酒を浴びる様に飲んだとしても、その前にそれを飲んでおけば悪酔いすることも酔いが翌日に持ち越すこともなし。もうあの頭痛と腹痛からオサラバできる。なお、すでにその居候先の人には試してもらっていて、効果がしっかりと出たかは確認済みだ。なかなかの自信作だと自負している」
ふふん、と得意げな笑みを浮かべ、俺はレーソンに「どうだ?」という視線を向ける。しかし、マファミはそれどころじゃないというような表情で、ポーション瓶を見つめている。
「どうした? いつになく真剣な顔をして」
「いや……」
俺がそう問いかけると、マファミはやっと反応を返してくれた。ゆっくりと顔を上げたマファミは、呆れたような笑みを浮かべていた。
そして、心を落ち着かせるようにカップを持ち上げ紅茶を口に含んだマファミは、大きなため息を一つ吐くと、ポーション瓶を掲げながら口を開いた。
「……ルインはやっぱりすごいな。二日酔いを治す薬だって? 簡単に言ってくれる。商人と酒は切っても切れない関係がある。他の商会と商談をするときの手土産は大体酒だし、接待として高級酒場に訪れることだってしょっちゅうだ。そして、そういった席で酒に酔って失敗した……なんてのはよく聞く話だ。そうでなくても、酒が苦手なのに付き合いで飲まされることだってある。そんな者たちにとって、この薬は救世主と呼べるものだろうな」
「……そんなにか? 俺としては、こういうのもあったら便利だろうな、程度の認識だったんだが」
「便利どころの話じゃない。これは間違いなく売れるぞ。商人は勿論、貴族や冒険者にだって需要はあるだろう。正直言って、これだけで一財産稼げるぞ。……全く、こんな魅力的なモノを見せられたら、ルイン、君を勧誘したい欲がさらに強まってしまうじゃないか」
「専属職人の件なら断ったはずだぞ?」
「分かってる。それでも、ってことだよ」
そう言って、これまでとは質の違う笑みを浮かべるマファミ。それはまるで、獲物を狙う肉食獣のような獰猛な笑顔だった。それは、マファミがどんな手段をとっても俺にほんのわずかな傷さえつけることが出来ないと分かっていても、思わず身構えてしまうほどのものだった。
くくっ……これが商人の欲望というヤツか。恐ろしいな。
「はっ、言ったな? だが、俺がそう簡単に首を縦に振るうと思わないことだな。これでも身持ちの硬さには自信がある」
「ふっ、そんな余裕を持っていられるのも今の内だ。断言してもいい、君はすぐに私の虜になってしまうだろう」
「大言壮語だな。俺をそこらの娼婦と一緒にするんじゃない。お前の殺し文句なんかが俺の心に届く思ったら大間違いだ」
「ははっ、言ってくれるな。だが、私はあきらめの悪さにも自信があるんだ。君を振り向かせるまで、絶対に諦めない」
「ほう……ならば、やってみるといい。無駄だと思うがな」
「君こそ。無駄な抵抗はやめるといい」
互いに好戦的な笑みを浮かべ、軽口を叩き合う。交差した視線が俺とマファミの中心でぶつかり合い、火花を散らした。
さぁて、マファミはどんな誘いをしてくるのだろうか? 楽しみだ。
俺の挑発的な視線を受けて、マファミがゆっくりと口を開く。そこから紡がれるであろう勧誘台詞を笑みを浮かべて待つ。
そして、
「……一体、何をしているんですか?」
その場が、氷獄と化した。
「答えなさい、へんた……マファミ・レーソン。貴方は今、何をしようとしましたか? すみませんが、私には幼気な少年を手籠めにしようとしているようにしか見えませんでした。違うと言うなら弁明をしてくださいね、変態」
いつの間にか現れたフィリスさんが、淡々とした口調でマファミに言葉をぶつける。ものすごいいい笑顔なのだが、目が全く笑っていない。
というか、一回言い直したのに結局変態と言ってしまうのか。いいのかそれで。
フィリスさんの声にピシリと固まったマファミは、ギギギ……とまるで魔力の切れかけたゴーレムのような動きで後ろを振り返った。
なんだろうな、空気が痛い。とりあえず、現実逃避気味にココアに口を付けてみる。ああ、甘くて美味しいなぁ。
「や、やぁ……フィリス嬢……な、なんでここに?」
「そんなの、ルインくんに用があったからに決まってるじゃないですか。ルインくんの新薬の商品登録が終わったので、その旨を伝えに来たんです。……そしたら、今まさに変態が変態的行動をとろうとしていたので。なんでしたっけ? 『すぐに私の虜になってしまうだろう』『君を振り向かせるまで絶対に諦めない』『無駄な抵抗はやめるがいい』……はっ、同性愛者で男児性愛者とか、死んだ方がいいんじゃないですかね。というか、私が制裁を下します」
「ご、誤解だ! 私はそういう意味で言ったわけじゃ……! は、話せばわかる!」
「問答無用ッ!」
マファミが焦る。
フィリスさんが腰だめに拳を構える。
マファミが逃げ出そうと勢いよく立ち上がる。
フィリスさんが「ハッ!」と短い呼気を漏らす。
マファミが椅子の足に躓いて転びそうになる。
フィリスさんの瞳が、ギラリと輝いた。
「めっさつッ!!」
「わぁああああああああ!? ――げふぅ!?」
フィリスさんの拳がマファミの顔面を見事に捉え、その体をふっ飛ばした。どさりと地面に落下するマファミは、ピクリとも動かない。……フィリスさんって、商人ギルドの受付嬢だよな? 今の拳、普通に格闘家としてやっていける一撃だったぞ?
拳を振りぬいた形で残心していたフィリスさんは、「ふぅ」と吐息を漏らすと、拳を解いて髪をサッとかきあげる。
そして、髪をかきあげたその手を広げて顔の前に持ってくるという謎ポーズを決めると、ニヒルに微笑んだ。
「ふっ……悪は滅びた」
「「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」
やけにカッコいい声で言うフィリスさんに、周りの商人やギルド職員から歓声と拍手が送られる。……なんだこれ。
目の前で繰り広げられた喜劇についていけない俺は、とりあえずゆっくりと残りのココアを飲み干してその甘さを堪能してから(現実逃避)、マファミの治療のためにポーションを取り出すのだった。