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五話 今世の日常・町

 リーナさんが帰って来た日は、そのままハリスの家で宴会になった。


 宴会の料理は俺が作った。ハリスは料理が出来ないし、サナは幼くて火の前に立たせるには不安すぎる。リーナさんは手伝うと言ってくれたが、そもそもこれはリーナさんお疲れ様パーティーなのだ。主役に仕事はさせられないと断固として手伝いを断った。


 食材もいつも使っている物よりも一段高級なモノを用意し、俺の持てる技術全てを使って渾身の料理を作り上げた。皆、美味しい美味しいと言って食べてくれたので、頑張った甲斐があったというモノだ。


 その日は、普段あまり酒を飲まないハリスも、いつになく杯を煽っていた。酒豪であるリーナさんに飲み比べを挑むなんて馬鹿な真似もしていた。


 結果? 言うまでもなくハリスの負け。顔真っ青にして桶の前にうずくまっていたよ。

 

 リーナさんおかえりなさい&お疲れ様パーティーから数日後。俺はまたメンリルに向かっていた。森を出て草原を駆け、街道に出たらそこを真っ直ぐ。もう何度も通っている道なので、今さら迷ったりはしない。


 ふと空を見上げてみれば、そこには晴れ晴れとした青空が広がっている。この天気といい、僅かに吹いているそよ風といい、今日は絶好の昼寝日和過ぎた。


 木陰で横になり、空を泳ぐ雲や飛ぶ鳥を眺めていたくなってきた……。くっ、しかし仕事をサボるわけにはいかないし……いや、でも……!

 

 こんな昼寝日和を逃したくないという想いと、仕事をしっかり遂行しなければならないという想いが葛藤となり、俺の中で鬩ぎ合っている。


 「ほらほら、お仕事なんてサボっちゃってもいいんだよ?」という悪魔(ハリス)と、「ちゃんとおしごとしなきゃ、めっ! だよ?」という天使(サナ)が脳内に現れる始末だ。


 徐々に歩く速度も遅くなっている気が……落ち着け、俺。落ち着いて自分のやるべきことを思い出せ。きちんとやるべきことをやる。それは俺が日頃ハリスに口を酸っぱくして言っていることだろう? 


 人に言っておいて自分が出来ないなんて恥ずかしいだろ。さぁ、ルイン。誘惑に打ち勝つんだ。昼寝はまたにして今日は仕事に集中しろ。

 

 自己暗示のように自分にそう言い聞かせ、「お昼寝したい」という欲求を何とか抑え込んだ。ふっ、勝った。脳内で天使(サナ)に「めっ!」された悪魔(ハリス)が両足を抱えて座り込み、落ち込んでいた。

 

 自分の中の堕落した思考に打ち勝った俺は、今度こそ迷うことなく足を動かし、メンリルまでの道を駆けていった。その時、張り切り過ぎて十歳の人族じゃあどう足掻いても出すことのできない速度で走ってしまったが……まぁ、誰にも見られて無かったからよしということで。次からは気を付けよう、と反省した。

 



◇◆◇◆◇◆◇◆




 速度を出し過ぎたせいでメンリルには予定よりも早く着いた。まぁ、時間を正確に測る手段はかぎられているため、待ち合わせの時間というものは基本的に大雑把なものだ。


 時間を測る魔道具である『時計』は高価なモノだし、俺のように【時空支配】で正確な時間を把握できる者は俺以外に存在しないはずだ。


 というわけで、多少早くても問題無し。さっさと仕事を済ませてしまおう。

 

 今日やらなければならないのは、商人ギルドへの税の納入。そして、冒険者ギルドへポーションの納品をし、そのままそこで出張治療院をすることだ。まず向かうのは、商人ギルド。

 

 この商人ギルドとは文字通り、商人が所属するギルドである。このギルドに登録することで人は初めて商人として認められる。商人ギルドのメンバーになると、様々な恩恵を受けることが出来る。

 

 また、鉄級から始まり、銅級、銀級、金級、至鋼級と上がっていくギルドランクが高くなるほど、受けられる恩恵も大きくなる。


 そして、職人に対し『印』を刻む許可を出すのも商人ギルドである。


 俺も、商人ギルドに調薬の腕を認められ、『印』を刻むことを許された身である。当然のように商人ギルドに登録しており、ランクは銀級である。


 商人ギルドのランクを上げるためには、より多くの税をギルドに納める必要がある。税は取引した金額に対して一定の割合で設けられる。


 俺は薬類だけで鉄級から銀級まで上げた……というわけではなく、『印』持ちの職人は自動的に銀級になるという制度があるだけである。商人としてはまだまだどころか、駆け出しともいえないようなレベルである。


 まぁ、薬類を卸すためだけに登録したようなものなので、さもありなんなのだが。


 商人ギルドはメンリルの中央部にほど近いところにある。周りの建物と比べて随分と大きく、赤く塗られた屋根が目印だ。


 ギルドの前にはいくつもの馬車が止まっており、解放された門は、ひっきりなしに人が出たり入ったりしている。初めてここを訪れた時は、あまりの人の多さにくらくらして倒れそうになったな、と数年前のことを思い返す。今ではすっかり慣れてしまい、このくらいの人込みではなんともならない。


 人の合間のすり抜け、ギルドの中に足を踏み入れる。中の喧噪は表の比ではない。


 そこらかしこで商人たちが商談や情報収集、噂話などをしている姿が見受けられる。商人は言葉での駆け引きこそが武器であり、それを扱う者がたくさんいれば、喧噪の一つや二つ、できない方がおかしい。


 それに、この騒がしさはつまり、それだけ商人が活発に活動しているという証拠でもあるのだ。そして、商人たちが活発になっているということは、俺の薬が売れる可能性も高くなるということ。どんどん盛り上がって、どんどん俺の薬を買ってくれよ、商人諸君。

 

 人込みを掻き分け、ギルドのカウンターにたどり着く。カウンターの向こうには一人の女性が立っており、手元に視線を落として何やら作業に没頭していた。


 亜麻色の髪を一つにまとめ、体の前面に流している。切れ長な淡褐色の瞳はどこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。それは彼女の整った顔立ちや見事なプロポーションと合わさり、まさしく『高嶺の花』というモノを体現している。


 そんな女性だが、こちらに気付いている気配はなし。気付いてもらうために、声を掛けようか。




「すみません」


「きゃっ! ……って、なんだ、ルインくんか。もう、驚かせないでくれるかしら?」


「驚かせるつもりはなかったんだが……けどまぁ、ごめんなさい」


「うん、よろしい」



 そう言って俺の頭を撫でる女性の名は、フィリスさん。彼女は二年前、俺が商人ギルドに登録をしに来た時に対応してくれた受付嬢で、当時八歳だった俺を子供だからと適当にあしらうことなく、真剣に話を聞いてくれた人だ。


 流石に最初は懐疑的な目をしていたが、それも俺が取り出した薬類の効果とそれの製作者が俺自身であることを【鑑定】した瞬間には消え去った。


 その後は八歳の俺を子供ではなく一人の職人として扱い、毅然とした態度で登録や商人ギルドのルールの説明等をしてくれた。彼女以外の受付嬢だったら、俺は門前払いをくらい商人ギルドへの登録が出来なかったかもしれない。


 そう考えると彼女には感謝してもしきれない。ちなみにだが、どうして子供の俺の話を頭ごなしに否定せずに聞いてくれたのか? と前に聞いたことがあるのだが……フィリスさんから返って来たのは、「女の勘」という素っ気ない言葉と、茶目っ気たっぷりの笑顔だけだった。


 女の勘……リーナさんもたまにそんなことを言っているが、これがまた恐ろしいほどよく当たる。


 リーナさんが依頼から帰ってきて早々、怖い顔をしてハリスに詰め寄って、「ハリスが他の女にデレデレしてる気がした。一昨日の夜くらいに」と言ったことがある。


 確かに、その日は久しぶりの外食で、少しサービス過多な美人の店員にハリスがだらしない顔をしていた。


 しかし、その時リーナさんは依頼で遥か遠くの場所にいたはずなのだ。にもかかわらず、ハリスが美人の店員に目移りしていたことを寸分の狂いもなく当ててきた。


 その後、ハリスへの制裁を終えたリーナさんに、何故分かったのかと恐る恐る尋ねてみたところ、当然とばかりに「女の勘」という回答が返って来た。


 そんなことが、一度や二度じゃない回数起こるのだ。もしや、人族の女性には特殊条件下で発動する特殊能力のようなモノが備わっているのかと、一時期本気で疑ったこともある。まぁ、どれだけ調べようがそんなものは無かったわけだが。


 唯一分かったことは、きっとそれは、俺が男である限り決して理解できないモノであるということ。要するに、考えることをやめたのである。


 ……ところで、フィリスさん? いつまで俺の頭を撫でているつもりだ? 見た目は幼子だが、中身は大人というか成体のドラゴンなんだぞ? 流石に気恥ずかしいというか……なんてことは言えるはずもないので、コホンと咳払いを一つして、話を進めるように促した。



「あら、ごめんなさい。ルインくんの髪、色も黒水晶みたいで綺麗だけど、それ以上にすっごくサラサラだから、いつまでも撫でてたくなるのよね」


「いや、別に頭を撫でた感想を言って欲しいわけじゃないんだが……まぁいい。とりあえず、これ」



 そう言って腰に括り付けていた小袋をカウンターに乗せる。じゃらり、と音が鳴るそれの中には今月分の税が入っている。ギルドに納める税は、ランクによって変動する。銀級なら先月の利益の一割を治めなくてはならない。


 フィリスさんは小袋を受け取ると、じっとそれを見つめた。小袋に視線を注ぐ瞳が、一瞬だけきらりと光った。【鑑定】の能力を使い、袋の中に入ったお金の内訳を確認しているのだろう。



「……はい、確認しました。これで今月の納税分はすべてとなります。お疲れ様でした」


「どうも、ありがとうございます」



 事務的な口調だが、目が笑っているフィリスさんに合わせるように、俺も意識した丁寧な口調でそう返した。大げさに胸に手を当て、お辞儀をするという動作も加えて。


 沈黙が訪れ、それは俺とフィリスさんの視線がぶつかった瞬間にあっけなく崩れた。



「ぷっ、ふふふ! ルインくんの敬語、本当に似合わないわね!」


「フィリスさんこそ、普通の事務口調のはずなのに、違和感しかなかったぞ?」



 どちらからともなく笑みを溢し、似合わない真似をした相手を揶揄う。彼女との付き合いもそこそこ長くなってきている。それこそ、こんな風に気安いやり取りが出来るくらいには。


 フィリスさんがどう思っているのかは分からないが、俺は彼女のことを『友人』のように思っている。


 『家族』同様に、前世の俺には無縁の存在だった『友人』だが、『家族』と違ってなんの蟠りもないおかげか、こちらはごく自然と思いを抱くことが出来た。フィリスさんのことを大切な友人だと、我が宝の一つだと、俺は思うことが出来ているのだ。


 ……この調子で『家族』の方も上手くいってくれるといいのだがな。



「ルインくん? どうかしたの?」


「いや、何でもない。ちょっと考え事をしていただけだ」


「もうっ、私みたいな美人を前にして考え事だなんて、失礼なことね。一体何を考えていたのかしら?」


「うん? それは勿論、フィリスさんのことだけど?」


「ッ!?」



 ……うん? どうしていきなり顔を背けるんだ? ……って、十歳児が言って似合うようなセリフじゃなかったな。フィリスさんは、噴き出すのをこらえてくれたのだろう。そのやさしさに感謝して、さっきのセリフは無かったことにしよう。



「ところで、ここ最近何か変わったことは無かったか?」


「……こほん、えっと、何々? 最近あった変わったことねぇ……あっ、そういえば。ルインくんのことを聞いてきた商人がいたわね。なんでも、最近この町に進出してきた商会で、今話題の『ルイン印のポーション』を作った職人とのつなぎを作りたいって話だったけど……とりあえず、情報秘匿を言い訳に断っといたわ。ルインくんはどこかの商会に優先的に卸すとかはしないんでしょう?」


「それは助かる。ここと冒険者ギルドだけで十分すぎるくらいの利益が出てるんだ。わざわざ余計なしがらみを増やす必要はないだろう?」


「欲が無いわねぇ。やろうと思えば、今の何倍も稼げるでしょうに」


「ははっ、金があっても使い道がないんじゃ、宝の持ち腐れだろう? それに何だったかな、確か……過ぎたるは及ばざるがごとし、だったかな?」


「なにそれ?」


「東方の言葉だよ。やりすぎは良くない、何事もほどほどが良いって意味だ。金なんてその最もたるものだと俺は思うがな。過ぎた金を持っていたり、求めたりして破滅する話なんて、そこら中に転がっているだろう? 身の程ってのを弁えているんだよ」


「ふーん。まっ、そう言うことにしてあげるわ。それより、そろそろ冒険者ギルドの方に向かったほうがいいんじゃない? それなりに話し込んでたから、もしかしたら遅れるかもしれないわよ」



 フィリスさんの言葉に、俺はこの後まだやるべきことがあるのを忘れていたのに気付く。フィリスさんと話すのは楽しいが、やるべきことを優先しなければ。



「悪い、フィリスさんとの話が楽しかったから、すっかり後のことを忘れてたよ。教えてくれて……あと、俺のことを聞いてきたっていう商人のことも、ありがとう。助かったよ」



 お礼の気持ちを込めた笑みをフィリスさんに向け、俺は「それじゃあ」と口にしてカウンターを離れた。フィリアさんからの返事は無いことが少し気になったが、【時空支配】で現在の時刻を確認すると、確かに少し遅れ気味だったので、俺は急いで商人ギルドを後にし、冒険者ギルドへの道を駆けるのだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆




 ルインがいなくなった後の商人ギルドでの出来事。



「……おーい、フィリスー? ルインくん帰っちゃったよー?」


「……はっ!」



 同僚に声を掛けられ、我に返るフィリスは、いつの間にか目の前から話をしていたはずの少年が居なくなっていることにようやく気が付き、バッ! とあたりを見渡した。



「ル、ルインくん!? ルインくんはいずこに!?」


「いやだから、もう帰っちゃったって。というか、フィリスが冒険者ギルドへ行くように言ったんじゃない。それなのに見送りもしないなんて、受付嬢失格だぞー?」


「そ、そんなぁ……。もっとお話ししたかったのにぃ……」



 がっくりと肩を落とし、そのままカウンターに突っ伏すフィリス。そんな彼女へ同僚の受付嬢が向ける視線は、氷のように冷たい。



「いやだから、冒険者ギルドへ行くように仕向けたの、あんたじゃん」


「そ、それは……だ、だって、もし私と話してたせいで時間に遅れて、それでルインくんが怒られたりしたら、可哀想じゃない。だから、もっと話したいって思いを我慢して、ルインくんを送り出したのよ」


「我慢できたのはほんの一瞬だったけどねー。……ん? じゃあなんでフィリスは固まってたの?」


「……そんなの」



 ガバリ、とフィリスが突っ伏していた顔を上げる。あらわになったのは、どこまでも真剣でまっすぐな表情。今からとても真面目なことを言います、と言わんばかりの真剣さを見せるフィリスだが、同僚の視線の冷たさは変わっていない。



「ルインくんの笑顔が愛くるしかったからに決まってるじゃない! あんな可憐な笑顔を見せられて、平常心でいられる方がおかしいのよ!」


「おかしいのはフィリスの頭だと思うなー」



 同僚の容赦ないツッコミを華麗にスルーしたフィリスは、うっとりとした表情で虚空を見つめ始めた。時折口からルインの名前が漏れ出ていることから、何を考えているのかが手に取るように分かっ

てしまう。そこに、ルインを前にしていた時の凛々しさは、一切存在していなかった。


 メンリルの商人ギルドの受付嬢であるフィリス。仕事ぶり、態度、共に優秀。見目も麗しく、受付嬢として完璧と言ってもいい彼女だが、ごく一部の同僚や上司だけが知っている彼女の本性は、完璧とはほど遠いモノであり……。



「はぁ……ルインくん……」



 頬を染め、恋する乙女のようにルインの名前を呟くフィリス。呟いたのが十歳の少年の名前でなければ、とても絵になる光景だっただろう。



 メンリルの商人ギルドの受付嬢であるフィリス。その正体は、ただの男児性愛者(ショタコン)である。

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