三話 今世の日常・昼
朝食が終われば、ハリスは研究室に戻り、サナは家の周りで遊び始める。
研究所の周りは幾らか開けた広場になっており、その外周にはハリスの張った結界が魔物の侵入を拒んでいる。そのおかげで、サナのような幼子でも安全に遊ぶことが出来るのだ。
最近のサナは、俺が魔獣の皮を利用して製作した球で遊ぶのがお気に入りのようだ。作った身としては喜んでくれるのは素直に喜ばしい。が、球に名前まで付けるのはちょっとどうかと思うんだ。
球の名前を叫びながら、全身を使った投球で壁当てをしているサナを横目に、俺は森に出るための準備をする。
森に行く目的は、主に食料の調達と、調薬の材料となる薬草の採集だ。
調薬は家事と同じくルインになってから覚えた技能である。ハリスたちは俺のことを実の子供のように扱ってくれているが、それでも俺の立場はただの居候だ。
居候なら居候らしく、自分の食い扶持くらいは稼がねばならないと始めたのが調薬である。
家事は己の趣味も兼ねてなので、それ以外で何かないかと調べた結果、きちんと手順を踏めば容易に、とまでは言わずとも酷く困難というわけではない、というくらいの難易度の調薬を選んだのである。
ハリスはそんなことしなくていいと言ってくれるが、ケジメは大切だ。
傷薬や風邪薬、胃痛薬なんかを中心に、振りかけるだけで効果を発揮する魔法薬のポーションなんかも作っている。
作った薬は町の商会に、ポーションは冒険者ギルドに卸し、そこそこの金額で売れている。
子供の作ったモノと相手にされないかとも思ったのだが、町で俺は『深緑の賢者』の弟子ということになっているらしく、「あの『深緑の賢者』の弟子ならば」と頭から子ども扱いをせずに、きちんと評価してくれるのである。まったく、ハリスには頭が上がらない。
無論、弟子だからと特別扱いを受けているわけではない。薬の出来が悪ければ値段は低くなるし、粗悪品は買い取ってもらえない。
一つ一つ丁寧に、しっかりと質のいいモノを作らねば、お金にはならない。そこに弟子だの子供だのは関係ないのだ。
……まぁ、ステータスの関係上、俺が作った薬はやけに高性能になってしまい、粗悪品を作る方が難しいという、そこらの調薬師が聞いたら憤慨しそうなことになっているのだが、こればっかりは俺がそうなりたくてなったわけではなく、前世の俺が自分を鍛えぬき戦いに役立てることしか考えてない戦闘狂だったせいだ。ずるをしている気もするが、仕方ないと割り切っている。
森に入る装備……といっても、特別なモノは何も無い。生身がどんな鎧よりも強固な俺だ。正直な話、全裸で行こうと問題は何も無い。いや、流石に全裸は嫌だな。機能うんぬんじゃなくて、羞恥心的な意味で嫌だ。俺は別に変態ではない。
とりあえず、長袖長ズボンにブーツと手袋。フード付きの上着を羽織り、肌の露出は最低限にしておく。
荷物は全部【時空支配】で作り出した亜空間に放り込んであるので、用意はすぐに終わった。採集籠も草木を切り開くマチェットもいらないから、すごく楽だ。高ステータスの無駄遣いな気がしてならないが、これは俺の力だ。どう使おうと俺の勝手である。
庭で遊ぶサナに一声かけてから、まずは薬草の採集ポイントを目指して森の中を進んでいく。普通に歩いていってもいいが、それだといろいろとめんどくさい。なので、木の枝の上を飛ぶようにして進んでいく。
子供の身体の利点、軽くて小回りが利くということ。木々の狭い隙間だろうと、スルリと通れてしまう。前世の俺だったら、木々をなぎ倒して進むことしか出来なかっただろう。
町に時たま訪れる雑技団の軽業師も真っ青な挙動で森を駆け抜けること数分、ギザギザした葉を放射状に広げた草が群生している地点にたどり着いた。
木々によって太陽の光が遮られているせいで薄暗いが、この身体にそんなモノは関係ない。薄暗かろうが夜だろうが光が一切ない場所だろうが鮮明に視認することが出来る。夜の探し物の時とかに便利。
このギザギザした葉っぱの草が、ポーションの材料となる薬草である。カフク草という名前で、森のジメジメしたところに生えている。
ポーションの材料になるのは葉っぱの部分で、ここを切り取ってもまたしばらくすると生えてくるので、根っこごと引っこ抜くのは禁止はされていないがあまり褒められた行為ではない。
というか、調薬師なら誰でも知っている常識なので、知らずにやっていると周りから馬鹿を見る目で見られることになる。知識不足で腕が未熟だと自分から言っているようなモノだしな。
当然、知識不足でもなければ常識知らずでもない俺は、薬草の取り方など熟知している。というか、調薬を始める前から本で読んで知っていたまである。だてに読書を趣味していないのだよ。
さてさて、今日は三百枚くらいとっていけばいいかな? というわけで、【狂嵐魔法・極】で風の刃を作り出し、必要な枚数分を切り取っていく。
切り取ったら、その切り口に対して弱めの【治癒魔法・極】を使う。こうすることで次の葉っぱが生えやすくなるのだ。中には、切り口が原因で枯れてしまうカフク草もあるので、それを防ぐためのひと手間である。
【狂嵐魔法・極】によって切り取られたカフク草の葉っぱを全て亜空間に収納し終えたら、ここでやることは終了である。さぁ、採集しなければならないモノはまだ何種類もある。次々行こう。
そうやって、森の中を飛び回り、いくつもの採集ポイントを巡った。時間にして、大体一時間くらいか? だんだん短くなって言っているな。このまま続けていけば、その内森の中に入らずに薬草が採取できるようになるかもしれないな。
……いや、今でも【時空支配】を使えば行ける……か? 採集ポイントをおぼいておいて、そこに繋がるように門を開いて……やめておこう。確かに俺の持っている力を使えば、いくらでも楽が出来るが、楽をし過ぎるのも良くない。俺は平和でのんびりとしたいだけで、別に怠惰に堕ちたいわけではないのだ。
よし、そうと決まれば、これからも採集は自分の足で行うとしよう。
さて、これで採集は終わった。となると次は……おっ、丁度いい獲物が近くにいるじゃないか。これは……フォレストディアだな。こいつもまた肉が美味い魔物だ。
ヤツの座標は右斜め前、約百メル先。こちらに気付いている様子は皆無。
採集の次は、今夜のおかずまたは保存用の食料の調達。要するに狩りである。
研究所のある森は少し奥に入ればそこはもう魔物の楽園であり、様々な種類の魔物が暮らしている。
奥地に行けば行くほど強力な魔物が出て、最深部には森の主たる神獣がいるという噂がある。古くから町に伝わる話で、町の危機に現れて救いをもたらすとかなんとか。
自前の気配察知能力で、確かにそれっぽい存在がいることは確認しているので、それが神獣なるものかどうかは置いといても、森の主がいることは確かである。
ちなみに、魔物というのは、体内に魔核と呼ばれる器官を持つ生物のことである。身体が魔力で構成されており、通常の生物よりも強靭で、知能も高い。中には魔法を使ったり、人の言語を理解出来る魔物も存在する。
ドラゴン族も、一応魔物という扱いになるのだが、その力も知能もそこらの魔物の比じゃないため、魔物とは別に括られている。
肉体的も魔力的にも知能的にも強いとなれば、最強種族の一角に数えられるのも頷けるというモノだ。
……まぁ、前世で異端として迫害にあった身としては、殺意を抱く対象でしかないのだが。今世では特に何もされていないが、何かされたら容赦なく終焉の息だな。肉片一つ、骨の欠片一つ、魂の残滓一つ残さず滅ぼしてくれよう。くっくっく……。
と、そんなことを考えていたら、僅かに殺気が漏れてしまった。
ざわり、と大気が揺らぎ、草木が騒めく。
「ぴぎゃぁああああああああああああっ!!?」
「ぴゅいぃいいいいいいいいいいいいいッ!!?」
「ぐぎゃぁああああああああああああああっ!!?」
と、俺の周囲にいた鳥や獣が、叫び声を上げながら死に物狂いで俺から離れていく。それは、俺の狙っていたフォレストディアも例外ではない。
けれど、俺の心はこれっぽっちも慌てていなかった。すでに五百メルほど離れてしまっているフォレストディアの方を見据え、タンッと地面を蹴る。次の瞬間には、俺の身体はフォレストディアのすぐそばにあった。
「やぁ」
「ヒィン!?」
片手をひらひらさせながらにこやかに声を掛けると、フォレストディアの顔が「な、なんで!?」というような面白い表情になる。くくく、驚いてもらえたようで何よりだ。
俺が何をしたのかと言えば、至極簡単なこと。ただ、地面を蹴って一瞬にも満たぬ間にフォレストディアとの間にあった五百メルを詰めた。言ってしまえばそれだけだ。
別名、ステータスの暴力。
驚いてその場に棒立ちになってしまったフォレストディア。こいつをしとめるこれ以上ない機会。これを逃す手はないと、俺は直ちに行動を開始する。
さて、フォレストディアをしとめる手段なのだが。普段の家事の時のように魔法? それとも距離が近いから武器を使う?
そのどちらもが違う。武器を使ってしまえば、この恐怖と驚愕に震える哀れな鹿は文字通り『粉微塵』になってしまう。武器を持つ戦闘での手加減は、まだ慣れていないのだ。魔法も、日常に使うような魔法はしっかりと制御できるのだが、攻撃魔法となると勝手が行かず、こちらはこちらで『塵も残らない』結果に。
前世ではこと戦闘において、『手加減』という行為を一切したことが無かったせいで、威力を抑えるということがとんと苦手になってしまっている。徐々に改善はして言っているのだが、それでもまだまだだと言わざるを得ない。
なので、フォレストディアをしとめる手段は一つ。武器も魔法も使わず、唯一完璧な制御が聞く己の肉体を使った一撃。
スッと片腕を伸ばし、その手をフォレストディアの眼前へ。中指を親指で押さえ、ちょっとだけ力込めた。
そんな俺の仕草に、フォレストディアがきょとんとする(ような気がした)。それもそうだろう、俺が今からやろうとしていることは、攻撃手段とはとても言えないような行為であり、生き物の命を奪うことなど到底不可能なモノである。……普通なら。
うん、しつこいようで悪いが、俺は普通ではない。なんとなく「え? コイツ何してんの? 馬鹿じゃね?」と言う表情をしているフォレストディアに、俺はとても優し気な笑みを浮かべ……。
――さぁ、とくとご覧あれ、これが俺の『手加減』だ。
力を少しだけ込めた中指を、押さえていた親指から解放。その瞬間、ヒュンッという風切り音がして……。
「ヒィッ……!?」
バチコンッ!!
そんな音があたりに響き渡り、フォレストディアの額に指先ほどの大きさの穴が開いた。フォレス
トディアは何が起こったのか、まったく理解せずに意識を永遠の闇に沈めた。
ドサリと地面に倒れ、額の穴からどくどくと血を流すフォレストディアを見て、俺は満足げに頷く。
「うむ、上手くいったな。手加減」
これぞ、我が手加減術三大奥義が一つ、『でこぴん・片手式』。指を押さえつけ力をため、それを解放することで衝撃弾を放ち、相手の肉体損傷を極力抑えて一撃で倒す。
相手を消し炭や木っ端微塵にしないような技を考えるとは、前世と比べて本当に丸くなったものだ……と、感慨にふけるのも早々にして、早く血抜きをしないと肉の味が落ちてしまう。このフォレストディアはよく太っていて美味そうだ。
この肉を使ってどんな料理を作ろうか。そんなことを考えながら、俺はルンルン気分でフォレストディアの首を手刀で斬り落とすのだった。