一話 今世の幸せ
じゅうじゅうと肉の焼ける音が耳に届く。
パチパチと油を跳ねさせながらフライパンの上で踊るのは、午前中に森に出て狩ったフォレストボアという猪の魔物の肉である。
味付けはシンプルに塩と胡椒。変に味付けを凝るよりも、肉本来の味を楽しむ方が俺は好みだし、このボアステーキを食べる者たちもそちらの方が好みなのだ。
肉の焼き加減に気を付けながら、隣の竈で野菜たっぷりのスープを作る。フォレストボアの骨や脂も一緒に煮込むことで、旨味の強い美味しいスープが出来上がる。
しかし、本当に美味しいスープを作ろうと思ったら煮込む時間は長くなる。とてもステーキが焼き上がる前に出来上がるモノではない……普通は、な。
「前に今に先に我は在り、彼方も此方も我が手中。【時空支配】」
詠唱にて権能を目覚めさせ、力を振るう。
時間と空間を自在に操る【時空支配】は、転生後何故かステータスにひょっこりと現れていた力だ。
この力はあの理不尽化物……『大いなる災い』が振るっていた力によく似ている。なので、『大いなる災い』を倒したことが関係している気がするのだが……真相は謎のままである。
この力を使って何をするのか……決まっている。時間を加速させて、スープの煮込む時間を大幅に短縮するのだ。こうすることによって、短時間でそれはもう美味しいスープが出来上がるのである。
ありがとう【時空支配】。お前がいてくれて本当に良かったよ。まさか理不尽化物も、自分の力(おそらく)が料理に使われているなんて思いもしなかっただろうがな。
けど、これでいい。力を戦いにだけ使うのは前世での話。今世では、こうやって自分の……そして、俺の周りの人の生活が豊かで便利になるように力を使っていきたい。
幸い前世とそこに上方修正の加えられた俺のステータスは、無駄にやれることが沢山あるのだ。有効活用しなければ、単なる持ち腐れになってしまうではないか。
時間短縮したスープは【獄焔魔法・極】で保温し、焼き上がったステーキは【禍瑞魔法・極】で肉汁が漏れないようにする。
【狂嵐魔法・極】で浮かせた皿にステーキとスープをこれまた【狂嵐魔法・極】で盛り付ける。ついでに、パンも切って【獄焔魔法・極】であっためて……あっ、デザートの果実は【氷極魔法・極】で冷やしておこう。
盛り付けが終わったら【陰陽術】で作り出した式神に命じて机まで運ばせてっと。最後に【時空支配】で時を止め、食べる瞬間その時までわずかな劣化も許さない。
というわけで、夕飯が三人分のったテーブルが出来上がった。うむうむ、今日も完璧な出来であると自信を持って言えるな。
テーブルの上の燭台に【獄焔魔法・極】で火をつければ、ディナーの準備は終了。後は食べる人間を呼ぶだけである。
まだ部屋にこもっているだろう一人と、外で遊んでいるだろう一人に、【禁術】の精神系統魔法を使ってメッセージを伝える。
これは相手の精神に直接ダメージを与える外法を改良したものである。ちなみに改良前の魔法を何の対策もしていない者に使うと、一瞬で廃人化したりする。
伝えたメッセージは、『夕飯の時間だ。即刻食卓に集合せよ』だ。昨日はメッセージを出してから十五秒で来たが、さて、今日は何秒かかるかな……?
いーち、にーい、と内心でカウントをとっていると、廊下の方と外の方からバタバタという足音が聞こえてきた。
そして、廊下に続く扉と玄関の扉がほぼ同時にバタンと音を立てて開かれ……。
「「ご飯ッ!!」」
と、元気のよい声が二つ、食卓に響き渡った。
廊下の方からやって来たのは、白衣を着た若い男。外から来たのは俺と同い年くらいの少女。二人とも春に芽吹く深緑のような髪色をしており、目鼻立ちには似通ったところが見受けられる。
要するに、この二人は親子なのである。若い男の名はハリス。少女の方はサナという。
「今日は十三秒。昨日よりも二秒も早かったな。そんなに食事が待ち遠しかったのか?」
「もちろん! ルイン兄のごはん、すっごく美味しいもん!」
「割とルインの食事のために生きている自分がいる気がするくらいには好きだね」
「……サナもハリスも、早く手を洗ってこい」
にぱっ、と親子そろって気の抜ける笑みを浮かべる二人に、つい素っ気ない言い方をしてしまう。決して照れてるわけではない。
「あれれ? ルイン兄、照れてる?」
「ちょっと顔が赤い気がするよ、ルイン?」
「誰が照れてるなんていった! いいから手を洗ってとっとと座れ!」
「「はーい」」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる二人に強い口調でそう言えば、返って来たのは存外に素直な肯定。くっ……この似た者親子め。
さっさと手を洗いに行ってしまった二人の背中を悔し気に睨みつけ、ふんっと鼻を鳴らした。
俺はそう言う運命に囚われているのか、今世でも生みの親に捨てられている。そんな俺を拾ってくれたのがハリスであり、それから今まで親代わりとして俺の面倒を見てくれている。サナも俺が実の兄ではないと知っていながら、本当によくなついてくれている。
前世の記憶があり、異常な力を持っていて、それを特に隠そうともしていない俺は、それはそれは不気味な存在だろう。けれど、そんなことは関係ないとばかりに自分の子供と同じくらいの愛情を注いでくれるハリスと、実の妹のように接してくれるサナ。あともう一人、ハリスの妻でありサナの母親である人物も、俺のことをよく気にかけてくれる。
全く、感謝してもしきれないな。
そんなことを思っているうちに、二人が手を洗ってきて席に着いた。
席に着いた途端、ハリスは並べられたフォークを手に取り、瞳を爛々と輝かせ……。
「さて、それじゃあ食べようか!」
「お父さん、お祈り忘れてる」
「……はい」
娘に叱られてシュンとしていた。いい歳をした大人が何をしているんだか……。内心の呆れをため息として表すと、ハリスはさらにシュンとなった。
「うぅ……どうせ僕はダメな大人ですよう……」
「サナ、ハリスはどうやらまだ食事という気分ではないようだ。先に食べてしまおうか」
「うん!」
「ちょっと待ってよぉ!?」
なら、そのいかにも落ち込んでいますよ、という演技をやめてさっさと食前の祈りをしろ。という意味を込めてジト目を送る。って、おい。目をそらして口笛を吹こうとするな。これっぽっちも吹けてなくて、ただフーフーと息を吐いてるだけになってるからな?
「はぁ……、仕方がない。――天にまします神々よ、日々の恵みに心よりの感謝を」
「天にまします神様、そしてルイン兄。いつも美味しいご飯をありがとうございます」
「あっ、ちょっと。本当に始めないでよぉ! て、天にまします神々、そして我が最愛の息子よ。日々の恵みに感謝いたします」
俺とサナが一緒に、ちょっと遅れてハリスが祈りを捧げる。この祈りは最初の「天にまします神」という部分さえ言っておけば、後は適当に食に感謝をささげる文言を唱えておけばいいというおおらかなモノである。
サナとハリスは食事を作った人……つまりは俺への感謝も追加するのだが、神と同格見たいな扱いをされるのは何ともいえない気持ちになる。前世の俺が『界守の神竜』だなんて呼ばれていることを知ってしまった今は特にだ。
さて、祈りが終われば後は食べるだけ。【時空支配】を解除した。
今日の料理の出来はいかがかな……? いや、味見はちゃんとしたので、まずいということは決してないのだが。
フォークとナイフを手にとり、ホカホカと湯気を上げるステーキに狙いを定める。油で輝く肉の表面にナイフの刃を当て、フォークで固定しながらぐっと力を込めた。
すると、驚くほど抵抗なくナイフの刃は肉にめり込み、代わりにジュワァ……と肉汁が溢れてきた。実に食欲をそそる光景である。ナイフを動かす手がどうしても急いてしまう。早く早くと内心で思いながら肉を切り分けたら、ついにその瞬間が訪れる。
フォークで切り分けた肉を一切れ取り上げると、そのまま口の中に運ぶ。口の中にそれを放り込み、一噛み、二噛み……嗚呼、美味い。
口の中に広がる肉の旨味。シンプルながら暴力的なまでなそれが味覚を刺激してやまない。フォレストボアの肉は臭みがなく、脂と赤身とのバランスが丁度いい。魔物としての格はそこそこと言ったところだが、肉の美味さは一つ二つ上であろう。硬すぎず柔らかすぎず。今自分は肉を食べているのだということを強く感じさせる。
幸せとは肉を食べることだと何かの本に書いてあった気がするが、それが正しいのだと直感的に理解することが出来た。
ステーキを味わったら、今度はスープである。さてさてこちらは……ふぅ。うむ、美味いではないか。ボアの骨と脂、そして野菜たちの旨味が見事に調和しており、優しい味になっている。口の中に残るステーキの味を流し、初期化された舌でまたステーキの味を楽しむことが出来る。パンをつけて食べてもなおよしだ。
「ん~~~~! はうぅ、美味しい……。ルイン兄の料理、やっぱり最高だよぉ……」
「ガツガツ、ガツガツ。うまっ! うまあぁあああああああい! ガツガツ、ガツガツッ!」
どうやら、二人にも好評なようである。笑顔で俺の料理を食べる二人を見ていると、自然と頬が緩んでくる。作った甲斐があったというモノだ。
けど、ハリス。そんなに慌てて食べると喉に詰まらせたり……って、遅かった。
「ぐぉ……み、水……」
「お、お父さーん!」
「サナ、大丈夫だから落ち着け。それとハリス、お前はもっと落ち着いて食え」
【禍瑞魔法・極】で出した水をコップに注ぎ、それをハリスに手渡す。ひったくるようにそれを掴み、一気に呷るハリス。どうやら間に合ったようである。
「ふ、ふぅ……死ぬかと思った……」
「もう、お父さんのおっちょこちょい!」
「ハリスは落ち着きが足りないな。精神修行のために教会にでも行ったらどうだ?」
「うぅ……娘と息子が厳しいよぅ……」
情けない声を出すハリスに、俺とサナはくすりと笑みを溢し、ハリスは「笑われた……」とさらに肩を落とす。
それを見て俺とサナの忍び笑いは徐々に大きくなり、すぐに「あはは」と笑い声をあげた。
前世では考えられなかった、穏やかで優しい光景。
どこまでも平和で、戦いの『た』の字もないそれを見て常々思うのだ。嗚呼、俺は……この時間、この空間が本当に好きだと。何物にも代えがたい、我が宝であると。
「ほら、ハリス。いつまでも落ち込んでいるんじゃない。食事を続けるぞ。今度は喉に詰まらせないようにしろよ」
「……はーい」
「ふふっ、お父さん怒られてるー。ルイン兄の方がおとなみたいだね」
「グハッ!?」
「……サナ、たとえ真実だとしても、言っていいことと悪いことがあるんだぞ?」
「フォローになってないッ!?」
うがーっ! と叫ぶハリスを見て、また俺とサナが笑う。ここに流れる雰囲気は、暗さや冷たさとは無縁な温かさに満ちていた。
――本当に幸せだ。
心から、そう思う。