九話 森の異変
「【収穫】」
【狂嵐魔法・極】で極々小さく脆い不可視の刃を作り出すこの魔法は、其の名の通り薬草の収穫の時に役に立つ魔法だ。俺の足元に生える薬草が風の刃によってプチプチと切り取られ、宙を舞う。
「【回収】」
今度の魔法も【狂嵐魔法・極】に属する魔法だ。微風を操り対象物を一点に集める魔法である。これによって収穫した薬草が一か所に集まる。そして、集まったところに亜空間収納の入口を開き、【回収】の魔法を解除。ドサドサと亜空間収納に薬草が入っていく。
所要時間は一分足らず。使用魔力はほとんどゼロ。薬草の採集が完了した。
「ふう、これで必要分は集まったか?」
今日の採集で集めた薬草の数々を頭に思い浮かべながら、俺は頷いた。
この採集は、もともと予定していたわけではなく、突発的にやらざるを得ない状況に追い込まれたせいで仕方なくやっていることである。
何故俺が予定にない採集をしているのか。その原因は先日俺が作り上げた新薬である二日酔いの薬にある。
『ルイン印の二日酔い止め』という名で商人ギルドに登録されているこの薬は、マファミがアレだけ推していただけあり、飛ぶように売れた。というか、売れすぎた。まさかギルドに卸して一日で売り切れるとは思わなんだ。
そこまで迅速に売り切れてしまったせいで、買えなかった商人が続出。それでもどうにかして手に入れたいと数多の注文が入って来たらしい。しかし、俺は注文販売なんてものは行っていない。そのことを知っているフィリスさんや交流のある商人ギルドの職員の皆が商人たちの申し出をきっぱりと断ったのだが……。
今度は、俺に直接詰め寄ってくる商人まで出てくる始末。いやはや、森の研究所まで押し入ろうとしたやつもいて驚いた。げに恐ろしきは商人の欲望……だな。
まぁ、そんなわけで、騒ぎをこれ以上大きくしないためにも、『ルイン印の二日酔い止め』を追加で作ることになったというわけだ。この採集は、明らかに足りなかった薬草を集めるためのものである。
必要な部位を切り取った後の薬草に回復魔法を掛け終えた俺は、次の薬草がある場所に向かおうとして……ふと、あたりの様子がおかしいことに気付いた。
ぐるりと見渡しただけでは、何の変哲もないいつもの森のように見える。だが、少し気配に意識を向けてみれば、その差は一目瞭然。
「森が騒がしいな……何かあったのか?」
森に棲む生き物たちの気配が、いつもより慌ただしい。まるで、何か怖いモノがこの森に侵入してきて、それに怯えているといった感じだ。
そのことを訝しみつつ、気配察知の範囲を広げていく。森の奥の方は異常なし、研究所周辺もおかしなところはない。そして……。
「……見つけた」
町の方から森に入ったあたり、比較的浅い場所。そこに森を騒がせている原因がいた。
俺は気配察知でとらえた存在の方に視線を向け、両眼に力を込めた。
――魔眼、解放。
心の中で鍵言を唱えると、魔力が目に集中し、僅かに熱を帯びる。
すると今まで見ていた視界が切り替わり、別の場所の景色が瞳に映し出される。
そこには、ボロボロになりながら森の中を走る俺と同い年くらい少女と、後方からその少女を追いかける複数人の大人がいた。
少女は焦燥感にかられた表情で、いつ転んでもおかしくないほどおぼつかない足取りで、それでも前に前に進み続ける。
それを追う大人たちは、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。一目でロクでもないと分かる面をしていた。
それだけで十分に事件と断言できる状況だったが、少女の首に巻かれた金属製の首輪と、大人の持つ物騒な武装の数々が、それに拍車をかけている。
なるほど、森の生き物たちはあの大人たちの放つ殺気や敵意、そしてねばりつくような悪意に怯えていたということか。全く、あんなに幼い少女に対して、あそこまであけすけな害意を放つとは。
嗚呼、まったく――反吐が出る。
ざわり、と体から殺意が漏れ出る。途端に森が騒がしくなり、俺の周りから生命の気配が消えていく。
怯えさせて申し訳ないと思うが、今の俺は感情を制御できそうにない。感情の高ぶりに呼応して、魔力が高まっていく。
激しく燃え盛るような怒りが魔力爆発を巻き起こしそうになるのを、拳に力を入れて耐える。
ギリッ、と歯を食いしばる。
「……俺の平穏を害するか、下郎!」
……平和で普遍的な日々、温かい日常を謳歌すること。それが今世の俺の望みであり、『宝』だ。
それを、この下衆どもは穢そうとしている。真白き世界に、土足で上がり込んできている。到底許せることではない。
ドラゴンの『宝』を穢すという行為が、どれほど愚かなものなのか。こいつらに教えてやらなければならない。
さぁ、覚悟しろ。そして、己の愚かさを恨みながら死んでいけ。
俺の逆鱗に触れた貴様らに許された運命は――――終焉だ。
◆◇◆◇◆◇
「きゃあ!?」
少女の悲鳴が上がり、小さな身体が地面に倒れる。露出した木の根に躓き、転んでしまったのだ。土で汚れ、草や枝葉が絡まる長い白髪が広がり、蒼玉の瞳が涙で滲む。
「あうぅう……」
すぐに立ち上がろうとする少女だが、体が上手く動かない。かなりの距離を逃亡のために走ったことによる疲労と、これまでの生活のせいで、少女の身体にはほとんど力が残されていなかった。
心を奮い立たせても、気力を振り絞っても、ピクリとも反応してくれない己の身体。このままでは追手に捕まってしまうと、少女の胸中を絶望が埋め尽くしていく。
どうしよう。どうにかしなくちゃ。どうやって?
「だ……誰か……」
ぐるぐると思考が渦を巻く。考えても考えても答えは出ない。
落ち着かなきゃ、焦っても焦っても事態は悪い方に向かうだけ。そんなことを理解したところで、何か打開策を思いつくわけでもなく、動かない身体を無理に動かそうともぞもぞするだけだ。
そして、少女の絶望は加速する。
「ハッ、やっと追いついたぜ。ったく、手間かけさせやがって。このクソガキが」
「さぁて、奴隷ちゃ~ん。追いかけっこはお終いですよ~。ギャハハハハハ!」
「……ぁあ」
少女の口から言葉にならない声が漏れる。瞳から光が急速に失われていき、カタカタと小刻みに体が震える。
聞こえてきた声は、少女を散々追いかけまわした大人たちのもの。少女の心を打ちのめす、恐怖の象徴だった。
体が無意識に動き出す。追手から少しでも離れようとする、本能的な行動だった。
ずるずると地面を這おうとする少女を見て、追手は下卑た笑いを上げる。
「ははははは! なんだコイツ! 芋虫みてぇな動きしてやがるぜ!」
「ハッ、薄汚ぇ奴隷風情が! お前はそうやって地べたを這いずり回るがのお似合いなんだよ!!」
「ほらほらぁ~、急がないと捕まっちゃうぞ~?」
それは、この世の何よりも穢れ切った光景だった。
明らかな弱者に対しての、情け容赦ない仕打ち。幼子に対して大人が行う、言葉の暴力。
悪意に満ち満ちた彼らの言動は、心の清らかなものが見れば思わず目をそむけたくなってしまうようなモノだった。
じわりと滲んでいた少女の涙が、雫となって零れ落ちる。幾度となく気づ付けられた少女の心は、ぶつけられる悪意に耐えられなかったのだ。
「うぅううううう……!」
「あ? ……おいおい、見てみろよ! コイツ泣いてるぜ?」
「ははっ、いい気味だ。ガキのくせに、俺らの手を煩わせたんだ。泣き顔の一つでも拝まなきゃやってられねぇよ」
恐怖に涙する少女を見下し、嗜虐的な笑みを浮かべる追手たちは、悪魔よりも邪悪極まりない。
追手の一人がニヤニヤとしながら少女へと手を伸ばす。
大きくごつごつした手が迫ってくるのを、少女は怯え切った目で見つめる。逃げなきゃ、と思っても、身体は動いてくれない。
もう限界だった。
少女の心は罅だらけで、あと少しの衝撃で簡単に砕け散ってしまいそうで……。
大きすぎる絶望が、汚すぎる感情が、悍ましすぎる恐怖が、彼女を追いつめて追いつめて……。
「あぁ……やぁ……誰か……助けて……」
少女の口から、助けを求める声が漏れる。ポロポロと涙の流れる瞳を、祈るように強く閉じた。
「バァ~カ、誰も助けになんてこねぇよ」
助けを求める少女に、嘲るような言葉がぶつけられた。
しかし、残念ながらその言葉は正しい。人の寄り付かない森の中、運よく助けが来るなど普通はありえないのだ。
そう、普通は――
「さぁ、こっちに……」
「そこまでにしてもらおうか」
来た。
「なっ! だ、誰だ!」
突如森に響いた、第三者の声。それに驚いて、少女へと手を伸ばしていた男がその場を飛び退いた。
そして、そこにいた全員の視線が声のした方へと集中する。
「な、なんだよ……お前……」
男が、呆然とした声を上げた。
複数の視線を一身に受けるのは、異形の戦士とでもいうべきナニカだった。
体に張り付くような漆黒の全身鎧をまとっており、ドラゴンの頭部を模したフルフェイスヘルメットを被っていた。手甲の指やグリーブの先は鋭い爪のようになっている。
異形の戦士は、全身から滾る怒気をまき散らし男たちを睥睨していた。
フルフェイス越しの視線に貫かれ、男たちの動きが止まる。
異形の戦士は、倒れ伏す少女と男の間に立つと、吐き捨てるように告げた。
「……通りすがりの、貴様らの敵だ!」
追手たちにとっての絶望が。そして……
――――少女にとっての希望が、現れた。