本戦⑤♦
うなだれたナインハルトの身体から力が抜け、体重がニイルの腕にかかる。
「よく闘った。」
勝ちを確信したニイルがナインハルトを称える。
誰が見ても勝負は決したように見えたが、しかしシヴだけは違った。
「よくやるぜ……。」
シヴが決着の号令を出さずにそう呟いた事に違和感を覚えたニイルだったが、例え僅かとはいえシヴの方を見てしまった事が決定的な隙となる。
「まさか!?」
慌て視線をナインハルトに戻したニイルの視界が捉えたのは、歯を食いしばり痛みに耐えながら、自分を見据える獣の眼光。
制御できずに重力に逆らう事も難しかったその身において、剣を握る一本の腕だけは精神力だけで支え続けていたナインハルト。
追撃をして終わらせるか? 間に合わない、良くて相打ち。
では距離を取るか? この男の突きから逃げおおせる時間は無い。
防御? 避ける?
ニイルの思考が脳内を駆けまわり、魂のこもったナインハルトの眼が適正な判断を鈍らせる。
「ひ……」
思わず出掛かったニイルの小さな悲鳴を合図に、ナインハルトの身体に振り絞られた最後の力が宿る。その足は踏み出され地を掴み、腕は解放された弩のように撃ち放たれた。
正確にニイルの心の臓を狙い迫るナインハルトの剣が酷くゆっくりしたものに見え、ニイルは死を覚悟する。
(タロス……)
死神に出会う直前に浮かんだ名は、シヴではなくタロスだった。
「しゃらくせえっ!!」
しかしナインハルトの剣はニイルの胸を貫く事は無かった。
シヴはナインハルトが突きを出すとほぼ同時に逆手に持った大剣を振り下ろし、ニイルに届くすんでの所でナインハルトの剣を叩き斬ったのである。
腕を伸ばしきった状態で動きが止まるナインハルトと、斬られて短くなった剣の先端が胸に食い込んだ状態で立ち尽くすニイル、そしてその二人の間で残心するシヴ、というのがこの試合の最後の瞬間となった。
「おい救護っ! 何やってやがんだ早く来やがれっ!」
ニイルの無事を確認したシヴは、オサモンに試合終了の合図を飛ばしながら救護班を呼ぶ。
試合の終了を銅鑼が告げ、その銅鑼の音と共に救護班が闘技場へ上がってくるが、致命傷を負った者はこの場には居ないように見えた。
「シヴさん、誰を手当てすれば?」
「ばかたれっ! ナインハルトに決まってんだろうが!」
救護班の男の頭をシヴが引っ叩く。
「し、しかしナインハルト選手は立って……」
「大分前から落ちてんだよ! いいから早く運んでやれ!」
シヴの言う通り、ナインハルトは飛び込んだ際のニイルの一撃ですでに失神していた。
「何故気を失っているのに止めなかったんです?」
運ばれていくナインハルトを見送りながらオサモンはシヴに尋ねる。
「いや、正直言うと俺も気付かなかったんだよ。」
「では逆に何故気付いたんです?」
「私の心臓を狙った。」
オサモンの問いに答えたのはニイルだった。しかしオサモンはそれだけでは良くわからない。
「それが……、何か関係が?」
「あいつは敵にも情けをかけるような甘ちゃんだぞ? そんな奴がまさか試合で相手の命取るような真似はしねーだろって事よ。」
「多分……、あの眼はあの者の生存本能。」
「そんなものですかねえ……。」
オサモンはナインハルトにそこまでの闘争心があるようには思えずに、腑に落ちないでいた。
「まあ、あいつも最初は耐えきるつもりだったんだろうぜ、ところがニイルの一発が予想以上にきつかった。意識が飛ばねーように踏ん張ろうとはしたんだろーが……。」
「相手を倒す本能だけが残された。」
「はぁ……、あるんですねえ、そんな事。しかし勝敗はどうしますか?」
ニイルの攻撃で失神していたとなればその時点でニイルの勝ち。しかしシヴが得物を斬り飛ばしていなかったらニイルは死んでいた事になる。
「どうすっかな、俺はこいつの勝ちでいいんじゃねーかって思うが。」
シヴはあくまで試合として決着していた部分を取り上げ、ニイルに軍配を上げる。しかし、これに異を唱えたのは他でも無いニイル自身だった。
「冗談じゃない。命を取られた筈の私がここに登るのは、ただ恥を晒すだけ。」
「殺しゃあどの道反則負けだ、お前さんが残っても恥にはならねーだろ。」
「明確な殺意というのが条件にあった筈。あくまで本能、あの者の理性は私を殺す気は毛頭無かった。」「つってもなあ、あいつがこの先まだやれるかわかんねーし……。」
「えっと……、困りましたね。……あっ、そうだ。」
オサモンは空中で両掌を交差し、部下の男に合図を送る。その合図を見た男は拡声器に走り、観客達へ審議に入るに伴い、結果が出るまで大会が中断される事を告げた。
「ここに立って話し合っていても埒が明かなそうですから。観客の目もありますし裏へ戻りましょう一度。」