予選⑪♦
咬み傷に血止めを塗り込み、包帯を腕に巻いたシヴが観衆の前に姿を現す。
凶刃を制し選手達の命を守りつつ、決して誤った判断は下さない謎の審判。その巨大な剣の存在感も相まって、あの男が闘う姿を見たいと考える者も観客の中には随分と増えていた。
「傷は大丈夫かよ審判のおっさん!」
「無理すんなよー!」
「優勝者とお前が闘うのを最後にやってくれー!」
シヴに注目をしている観客の、野次のような激励が飛ぶ。
「随分と人気者になってしまいましたね。」
聞き流しながら自分の横まで到着したシヴに、オサモンは笑顔を浮かべながら言う。
「へん、好き勝手言いやがるもんだぜ。」
「中にはシヴ様が覇者になった事を思い出した者も居るでしょうからね。まあ想定内ですよ。」
闘技大会の規模が今より随分と小さかったとはいえ、開催される度に足を運ぶ者は少なくない。
以前出場した時は服装を変え顔も隠し、大会は殺傷力の無い得物で行われていた。が、巨大な木剣を手足のように扱うその姿が印象に残っていたのか、今担いでいるシヴの愛剣が重なって記憶を呼び起こし、あの時の優勝者ではないかと勘付いた者もいる。
「どっちでもいいけどよ、お前さん迄こいつらと同じ事言い出しやがったら俺は降りるからな。」
盛り上がりそうだから。オサモンならその理由だけでシヴと優勝者を闘わせる事は十分にあり得ると考え、シヴは予め釘を刺しておいた。
「そ、そんな事考えてもいませんよ……!」
シヴの闘いを見たいと願うオサモンは当然それも視野に入れていたが、諦めざるを得ないと肩を落とす。
これまでの予選を勝ち上がった者達が闘技場へ上がる。
十六名の選手達の中には、間近で試合を見ていたからこそ絶望の表情を浮かべる者も居た。しかし会場全体を覆う声援と熱気に後押しされ、誰一人欠ける事無くその舞台に立ち並ぶ。
人間八名、獣人三名、魔族四名、エルフ一名。
この中から八名の脱落者が出るまで、時間無制限の第十一試合の幕が切って落とされた。
「流石にまたぶっ壊すのはなあ。」
九試合目で闘技場を破壊したカピロは、禁止と言い渡された訳では無いが自重していた。
そこに猛烈な速さで突っ込んで来る何かが目に入り、咄嗟に腕を上げて受ける。
「痛ってー! 何だよ!?」
カピロの前腕に全力の蹴りを放って、反動で後ろに飛び退いたのはピーニャだった。
「あれ、きかないにゃ。」
二試合目で他の選手を紙屑のように吹き飛ばしていたピーニャの蹴りを受け止めて、なお平然としているカピロを見てピーニャは目を丸くした。
「あああの獣人か、思ったより重えな!」
そう言って豪快に笑うカピロ。
「これは面倒にゃ!」
間違いなく速度で勝るので、的が大きい分翻弄すればどうにかなると考えたピーニャだったが、予想を超えるカピロの頑強さに相性の悪さを感じ退いた。
「あ、なんだよ俺と遊ぶんじゃねえのか?」
カピロから離れて六回戦を勝ち上がった人間の選手に蹴りを放つピーニャが見えた所で、図体だけなら見劣りはしないガルボニーが襲い掛かる。
「人間の癖にお前いい身体してんな!」
「そっちこそな! ほれぼれするぜ!」
互いの手を組み、力比べの様相となるカピロとガルボニー。
カピロはすぐに決着を付けても良かったのだが、邪魔が入る迄暫くこの状況を楽しむ事にした。
闘技場の中央では、全く動く事も無くシヴを見つめ続けるニイルの姿があり、そのニイルを護るようにタロスが三人の人間からの同時攻撃を受け流していた。
「せめて一太刀!」
一回戦を勝ち上がった三名は、この時の為に密かに連携を組んでタロスを狙う。
五回戦で行われた事の再現のようだが、偶然の一致ではなく今回は綿密な打ち合わせによるものだった。
「何故こうも私は人間に狙われるのでしょうかねえ。」
足首まである外套を翻しながら、鉤爪で剣を止める。一人が止められれば残った二人が死角から間髪入れずに斬りかかり、タロスは反撃の機会を失って避けに徹する。空に飛べばその剣は王女であり元許婚でもあるニイルへ向かう事は分かり切っていたので、敢えてタロスは地上戦でそれを引き受け続けた。
そこにタロスにとっては好機が舞い込む。
ピーニャの蹴りを受け吹っ飛ばされた人間がタロス達の近くまで転がってきた為、連携する三人の人間の注意が僅かに逸れた。その一瞬をつき、タロスの脚が地面すれすれを滑るように一回転し真円を描く。
「ぅわっ!?」
三人は鋭い足払いを避ける事も受ける事も出来ずに大地に手を付く。
「私の勝ちでしょう?」
殺させまいと威圧してくるシヴに、タロスはつまらなそうに言った。
「ああ、間違いねーよ。」
タロスの足の鉤爪は、いつでも相手に止めをさせるように開かれている。シヴはタロスと自分の間に倒れている人間三人の敗けで勝負はついたと宣言した。
偶然タロスへ助け舟を出す形になったピーニャだが、そんな事とは露知らずにナインハルト目掛けて突っ込んでいた。
ナインハルトは丁度六回戦を勝ち進んだもう一人の人間の選手を降した所で、正面から一直線に堂々飛び込んで来るピーニャの蹴りを鎧の前腕で受け止める。
その重い蹴りに、砂埃をあげながら足を踏ん張った姿勢のままナインハルトが後方へ滑る。
「くっ! 何だこの威力!」
防具が無ければ腕がへし折れていても不思議ではないその一撃に、ナインハルトは身が竦む。
「もう一回! だにゃ!」
倒れずにいたナインハルトへ、体勢を立て直す猶予を与えまいとピーニャは距離を詰める。
しかし、わざわざ構えを取り直さなくとも十分に足への抵抗は利いている。ナインハルトは後方へ滑らされながらも右手を引き、すでに迎撃準備を終えていた。
ピーニャは助走しながら飛び蹴りの準備をする。しかし、いざ跳ぼうとした刹那に危険を訴える本能に襲われ、急停止する。
ナインハルトの眼は静かにピーニャを見つめていた。