予選③♦
「さっきのはあれで良かったのか?」
「ええ、怒りもまた人を惹き付ける要素になり得ます。」
四回戦は、他八名を降した獣人二名が無言で座り込み、唯々制限時間を待つという有様だった。
当然客席からは罵声が飛んだが、その二人の獣人が敗れるところを見たいと息巻いている観客の姿は、オサモンには興奮への起爆剤に見えた。
良いとは言えない空気が会場を取り巻く中、五回戦の出場者が闘技場に並び始める。その中にナインハルトの姿があった。
「次は俺の上司様か。」
「それともう一名。」
オサモンが視線を向けた入場口からは魔族の一人、タロスが姿を現した。武器は持っていないが、足元まで隠れる黒い外套に身を包み、異様な雰囲気を放っている。
「ナインの奴にはちっと重い相手だな。」
「この試合はタロス様の勝利で終わるでしょうね。」
「ん? いや、お前さんちょこちょこ見込み違いしてんな。」
「どういう事です?」
「終わればわかるよ。」
不思議そうな顔のオサモンにシヴはそう言うと、闘技場の端に向かう。
途中、神妙な面持ちのナインハルトと目が合ったが、シヴは口角を少し上げただけで視線を外した。
「始めえっ!」
試合が始まると同時に、三人が一斉にタロスへと斬りかかる。タロスは長い黒髪を揺らしながら退屈そうにそれを躱していた。
「くっ! 何故当たらん!」
三人の内の一人が盾を構えて一度距離を置くが、視界からタロスが消えている事に戸惑う。
「急場凌ぎで碌な連携も取れていないからですよ。」
突然耳元でそう囁かれ、慌てて振り返ると極々至近距離に美しい魔族の男の顔があった。
「う、うわぁっ!」
盾の男は剣を振り回すが、冷静さを欠いた状態で繰り出されるその斬撃は、虚しく空を切る。他の二人はその振り回される剣のせいで近付けないでいた。
「時間を待てば何もせずとも済むかと思いましたが……、私が目の敵にされているのではそうもいきませんねえ。」
タロスは斬撃の隙間を縫って相手の懐に入ると、首にそっと手を触れる。
「そこまでだ、お前さんの勝ちだよ。」
「……。」
剣を振り回していた男は、いつの間にか近くに居たシヴによってタロスから引き離され、タロスは無表情でシヴを見た。
「なんだよ、文句あんのか?」
「いえ。」
タロスの手が男の首筋に触れた時、一瞬タロスに殺気がこもったのをシヴは見逃さなかった。
「次殺す気でやれば反則負けにするからな?」
「何の事でしょうか? 理解に苦しみますねえ。」
シヴは何も返さず盾の男を引き摺りながら闘技場の端へと戻ると、男を下に落とした。
「さて、まだやりますか?」
「い、いや、もういい。」
残った二人にタロスが声を掛けるが、二人は魔族に手を出した事を後悔し、棄権した。
「では、時間までゆっくりと見物させていただきましょうか。」
タロスは手を後ろに組み、残った六人の方へ目を向ける。が、すでに四人は倒れており、そこに見えたのは斧を構える筋肉質な男と、ナインハルトが対峙している場面であった。
斧を持った男が体格の差を活かし、上空から振り下ろす様に斧を薙ごうとする。ナインハルトは一瞬で踏み込み、斧を持つその右腕を下から打ち上げる。
「抜いていれば貴方の腕は飛んでいます。」
ナインハルトは鞘付きのまま闘っていた。例え致命傷にならずとも、極力相手を傷付けたくないという心の表れだが、馬鹿にされていると受け取られかねない。事実、斧を持つ男は自分が見下されていると思い、憤っていた。
「俺は誇りを掛けてここに来てんだ! 真面目にやりやがれ!」
「し、しかし……」
「しかしじゃねえ! 俺はまともに相手する気も起きねえ雑魚だって言いてえのかよ!」
「そういう訳では……。」
ナインハルトは自分のせいで目の前の男の自尊心を傷付けたと知り、狼狽える。
「いいじゃないですか、真剣勝負というやつですよ。」
気配も感じさせずに近寄り、僅かの距離に立っていたタロスがナインハルトの剣の鞘を外す。
「なっ!?」
突然目の前に現れたかのような錯覚を受け、ナインハルトは飛び退いた。
「ほら、これでいい。これでお望み通り、誇りとやらの為に死ねますよ貴方。」
鞘を投げ捨て、斧男にそう言うタロス。
「なんなんだてめえ!」
斧男はタロスに向かって右手の斧を振り下ろす。
「相手が違うのではないですか?」
タロスは斧を躱し、羽根を広げ宙に浮いた。
「卑怯だろうがてめえ! 降りてきやがれ!」
「やれやれ、飛んではいけないなんて聞いていないのですが。」
タロスは高度を少し上げると、次の瞬間斧男に向かい急降下する。
「危ない!」
外套の下から覗く鉤爪が斧男の頭部を捉える直前、ナインハルトが割って入り右前腕で受け止めた。
「殺す気かよ!」
斧男がタロスに向かって叫ぶ。
「貴方さっきと矛盾してますよ? それに殺しては私の負けになってしまうようですから、そのようなつもりは毛頭ありませんでしたが。」
「目を狙った。」
「はい?」
ナインハルトがタロスを振りほどき、剣を構える。
「確かに殺気は感じませんでしたが、今のは間違いなくこの方の目を狙ったものでした。」
ナインハルトのこの言葉は斧男に向けたものではなく、勿論タロスに言った訳でもない。腕を組んで斧男の後ろに立つ審判、シヴに向けたものだった。
「そういうこった、お前さん二回戦闘不能になってるんだぜ本当なら。」
シヴは斧男に後ろからそう言うと、振り向いた斧男の腹を殴る。
「ぐえっ!」
「威勢がいいのはいいが、引き際が分からねーってんじゃ本当にいつか死ぬぞ。お前さんは敗退だ。」
シヴは腹を押さえる斧男を引き摺りその場を離れようとするが、立ち止まって振り返る。
「そいつとは本気で闘っていい、喧嘩の相手に言うのも変だが、信用していいぞ。」
全力を出しても間違って殺してしまうような事はない、そうシヴはナインハルトに伝えて斧男をまた引き摺り始めた。
「シヴ様の言葉、聞きましたか?」
「ええ、あなただけに言った訳ではなさそうですねえ。」
「私もそう思います。」
「ふふ、何とも公平な審判ですねえ。」
タロスは闘技場に足を付けると、外套の留め具を外す。
「先程の獣人のように、このまま時間まで何もしなくてもいいかと思いましたが……。」
「お断りします。」
「でしょうねえ。」
ナインハルトは剣を一振りし、風切り音を響かせる。そうしてゆっくりと突きの構えを取り直した。
「いいでしょう、お相手しましょう。」
タロスは羽根を広げると、右手を前に深々とお辞儀をした。
観客達はその雰囲気に飲まれ、声を出す事も忘れて二人を見守るしかなかった。