ヒルダとキイ③♦
「はじめぇっ!」
ナインハルトが右手を天に向けて伸ばし、開始の合図と同時に振り下ろす。
ヒルダの鞭がキイに伸びるが、キイは後方に転がって躱し、片膝を付いて起き上がりながら矢を放つ。
ヒルダはその矢を鞭で叩き落としながら溜めを作り、キイに向けて打ち下ろす。
「ほう」
矢筒で鞭を防御したキイは更に距離を取り、鞭の範囲の外へ。
「ふむ、お主の言う事はあながち嘘という訳でもなさそうじゃの。」
「今更謝っても遅いんだけど?」
「謝ってはおらん、ただ少し見くびっていただけじゃ。」
「は?」
「中々の鞭捌きじゃな、しかしゆっくり相手をしておる暇もないのじゃ。」
「さっさとあんたが降参すればいいのよ!」
「そうはいかん、シヴみたいに器用な事はできんので、本気でやらせてもらうのじゃ。」
「なんで私が見下されてんのよっ!!」
ヒルダは鞭を手元に引き寄せながらキイに向かって走る。
キイはその瞬間に次の矢を放つが、先程と同じように鞭で払い落される。
しかしその矢にヒルダの意識が一瞬集中したところで、次の矢を真上に向けて打ち上げたのはヒルダは気付いていない。
(まさかあの矢が落ちて来る位置に誘い込もうと言うのか?)
見物人からは見える位置なのだが、その速さを目で追えた者はナインハルトだけだった。
すぐに鞭がキイの横から薙ぐように襲い掛かるが、キイは付いた両膝を曲げ、後頭部を地面に付けて避ける。
鞭がキイの胸を掠め、その部分の布が散る。
「うおー! ヒルダさん頑張れ!」
「早く! 早く!」
クロウの応援に力が入る。
「ふんっ!」
ヒルダは鞭をキイに振り下ろす。
大きく空を切り裂く音が鳴り、キイの正中線をなぞるように鞭が迫る。
キイは左足に力を込めて右に寝返ったが、完全には避けられず、今度は背中を掠る。
そのままもう半転しながら矢筒をヒルダに向けて投げるも、当然それは鞭で打たれ、空中で分解した。
(また真上に……?)
ナインハルトは寝返りながら空中に放たれる矢を見逃していなかった。
「あなた大事な矢筒捨てちゃっていいのかしら?」
矢筒を破壊した鞭がヒルダの手元に戻る。
キイは矢筒を投げる前に矢を抜き取ってはいるが、片手がふさがっていては構える事も出来ず、ましてや同時に打ち出したところでまともに狙える訳もない。
弓を持つ手に矢を持ち替え、破れた背中を右手で押さえる。
矢と弓を片手に握っていては本来の力など出まい……、とヒルダが勝ちを確信したその時。
「丁度じゃな?」
ヒルダの頭上から矢が降ってくる。
(よくぞあそこまで巧みに……。)
ナインハルトはヒルダにその矢が当たった時点でこの試合を止める事になると考えていた。
しかしナインハルトの思惑は外れる。
ヒルダはニヤリと笑い、右手の鞭を地面に垂らす。
「丁度っていうのは……」
そう言ったかと思えば鞭はヒルダの頭上を舞う。
キイの矢を鞭が折り、折れた矢は力を失いヒルダの左右にそれぞれ落ちる。
「これの事かしら?」
鞭を唇に当て、勝ち誇るヒルダ。
キイとナインハルト、そして空中に放たれた矢を知らなかったクロウ達も驚く。
「見えておったのか?」
背中を押さえながらキイが立ち上がり、悔しそうにそう言った。
「当たり前じゃない、矢筒なんか投げて私をここに立ち止まるように仕向けたつもりなんでしょうけど……。ざ・ん・ね・ん、ね。」
上機嫌でウインクするヒルダに、盛り上がるクロウ達。
(ではヒルダはキイ様の矢を見て、故意にあの場所で止まったと言うのか……。)
ナインハルトもヒルダのクロウ時代の仕事振りは知っていたが、それでもここまでだとは思っていなかったので驚愕する。
「いや、正直言うとじゃな、まさかお主に見えるとは思ってなかったのじゃ。このままではワシの負けじゃが、せめて悪あがきくらいはしておきたいのう。」
キイは背中を押さえていた右手を離し、弓と一緒に握っていた矢の中から一本を右手で取る。
同時に残りの矢は落下させ、すぐに矢を構えて発射する。
「往生際が悪いわね!」
謝罪が来ると思っていたヒルダは呆れながらその矢を払うが、キイは拾っては放ち、拾っては放ちを繰り返し、地面に落ちた矢を全て撃ち込んだ。
当然正面から来る矢は軽々と鞭で落とすヒルダだったが、もう矢が残っていない事を確認するとゆっくりとキイに近付いてくる。
「はいおしまい、後はあなたの服をこの鞭で全部剥ぎ取って晒すだけね。」
(止めねば、いや、しかし……。)
雌雄が決した筈の二人を、ナインハルトは何故か止めないでいる。
「ほら、ギルドマスターもあの通り、調子に乗り過ぎたあなたの恥ずかしい姿を待ってるわ。」
「ヒルダさん! 一生ついて行きます!」
「目に焼き付けろよお前ら!」
「当たり前よ! 歴史的瞬間だろ!」
クロウ達が騒ぐ。
「ふふ。」
キイが微笑む。
「何が可笑しいの? あなたもしかして露出狂?」
ヒルダがもう一歩キイへ近付く。
「そこじゃ!」
キイがそう叫ぶと背中から矢を一本出し、即座にヒルダに撃つ。
背中の破れを抑える振りをして隠しておいた、正真正銘最後の一本。
「しつっ! こいっ!」
油断したようには見えるが、ヒルダは片時も油断などしていない。
その程度の奇襲、想定の範囲内であった。
「ほう、これは……。ところでワシが上空に撃った矢、よく見えたのう?」
「何なのよさっきから、参りましたって言いなさい! 言っても剥くけど!」
「いや、ワシの勝ちじゃよ?」
「はあああ? あなた何なのよその負けず嫌い! 素直に負けも認められなっ……」
そこまでヒルダが言った瞬間、ヒルダの頭上に矢が突き立った。
……ように見えたが、矢尻の付いていない只の木の矢、ヒルダの頭に大きなこぶをつくるだけに留まる。
痛みに頭を押さえ、声にならない声を出しながらうずくまるヒルダ。
それを見て、ゆっくりと右手を天に上げるナインハルト。
「それまで! この試合はキイ様の勝利!」
ナインハルトの号令が裏庭に響いた。