6話 再ランドセルと初飛行
「ど、どうしましょう……」
お腹の中が、きゅってなる感覚。
暑くもないのに手汗がすごい。
もし明日のお披露目で、何もできなかったらどうしよう。
棒立ち救世主、なんて言われちゃうかもしれない。
そんなの、人を守るどころか笑われ者になってしまう。
……あ、記憶喪失!!
ちょうどいい、そのせいで飛び方も忘れちゃったことにしよう!
それなら違和感なく誤魔化せそうだし、何日か待ってもらって、練習して飛べるようになろう。
「ということにしたいんですけど」
「あー、それなんだけど……『記憶が無くても、救世主様が飛べないわけないよね』って……」
「隊長が?」
「…………私が」
「…………」
ランさんだった……。
悪気はないんだろうけど、既に逃げ道は断たれてた。
でも、このまま明日をむかえるわけにはいかない。
体調不良とか、怪我とか、なんでもいいから何か理由を考えなきゃ……!
「ま、まあそれくらい簡単ってことだから!」
「でも……」
「じゃあちょっとだけ飛んでみよっか。練習場空いてるといいけど」
とりあえずぶっつけ本番にはならなさそうでよかった。
あとそういえば、私はもう自分の羽を見てる。
つまり少なくとも、何も出せなくて途方に暮れる、なんてことはないってことだよね。
動かし方さえわかれば、お披露目も無事に終わるかもしれない。
な、なんとかなりそう……?
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「誰かいるかなー」
基地の近くの大きな建物に来て、ランさんが中を覗き込みながら言った。
ここが屋内練習場か……それにしても、とてつもなくでかい。
学校の体育館なんて目じゃない、小さな野球場くらいはあるのかな。
人が飛ぶんだから、たぶんこれくらいの広さがいるんだろう。
「よし、おいで」
練習場の中は、外見通りの大きさだった。
舞台といくつかドアがある以外は何もない、ただただ広い空間。
ここから向こうの端まで、余裕で100メートルはありそうだ。
見上げた天井も、何十メートルあるかわからない。
「あ、ちょっとここで待っててね」
「はい」
一人残されてしまった。
壁がしっかりしてるのか、外からは何の音も入ってこない。
なんとなく自分の鼓動を聞きたくなくて、ちょっと大きめの声を出してみた。
「あー!」
あーぁーぁー……。
また静かになった。
何やってるんだ、と我に返る。
スマホみたいな何か暇つぶしできるものがあればいいけど、街を見る限りなさそうだった。
かと言って今から部屋に本を取りに行くのもなぁ。
何かこの世界に持って来れたら良かったのに……。
あ、そういえばランドセルは?
あれを背負ってから変なことになったんだし、重要なものに違いない。
それと今更思い出したけど、ランドセルはどっかに寄付してたはず。
じゃああれは誰の、というか何なの?
「お待たせー!」
答えはランさんが持ってきてくれた。
つやつやで赤くて、底は角ばって、上が丸みを帯びている。
昔は、見たら楽しくなった。
昨日までは、懐かしかった。
今は、疑問でいっぱいだ。
「それってランドセルですよね……?」
「そうだけど、もしかしてカノンの世界にもあるの?」
「はい、ありますよ」
「見た目も名前も同じだなんて、すごい偶然だね! あれ、でも飛ばないんだよね? 何に使うの?」
「小さな子供が、学校に行くときに背負うものですけど……」
「こ、子供……」
ランさんのような大人はもちろん、私くらいの年齢でも身に着けることはない。
でも海外ではおしゃれとして注目されてたんだっけ?
まあ、ここで外国の話をしてもしょうがないけど。
というか、二つ持ってきたっていうことは私も……。
「ま、まあいっか。えっとね、私たちはこれで飛ぶんだよ。こっちでは大人も背負ってるから安心してね」
「そうですか……」
「さて、早速練習しよう! はい、カノンの」
「あ、ありがとうございます」
ランドセルは、どこからどう見てもランドセルだった。
横についてる金具とか、触った質感とか、背中に当たるところの柔らかさとか。
ただ、やっぱり開けられないから中身はわからない。
でもそれなりに重いから、何かは入っているんだろう。
あとは……あ、縫い目がない。
「じゃあ一応、見本見せるね。まずは背負って、えー……なんて言えばいいんだろう」
「うわぁ……」
しばらく縫い目があるはずのふちをなぞっていたけど、そんな些細な差など気にならなくなる光景だった。
ランさんが、ランドセル。
似合う似合わないじゃなくて、やばい。
綺麗なお姉さんが、真剣な顔して、ランドセル背負ってる。
何かいけない雰囲気すら漂ってきた。
「とりあえず、はい! これが翼だよ。出し方は、うーん、背中に意識を集中させる感じかな」
「わぁ……!」
そして、さらにとんでもない光景が上乗せされた。
銀の羽を広げて立つ姿は、さながら天使か、女神のようだ。
両手を伸ばしたよりも大きそうなそれは、ゆっくりと動いて輝いている。
もはや眩しさを感じる……けど、ちょっと視線をずらすと赤いものが目に入る。
美と滑稽が同時に在って、複雑な気持ち。
「触ってもいいですか?」
「おっと、手が切れちゃうかもしれないからやめてね。さあ、今度はカノンの番だよ!」
「わ、わかりました」
私もいよいよ羽が……!
でもランドセルか……。
みんな背負ってるらしいし、恥ずかしがるこいとはないんだろうけど……。
なにもこれじゃなくてもいいのになぁ。
「これでいいですか?」
「おー、いいね、似合ってるよ!」
「にあ……ありがとうございます」
褒めてくれてる……んだよね。
でも、何もかもがちっちゃい私にランドセルが似合っても、あんまり嬉しくない。
さすがに小学生には見えてないと思いたいけど……。
まあいっか、それはさておき、今は羽が優先だ。
えっと、背中に意識を──────
「うわっ!!?」
きん、と甲高い音がして、銀の光が私を包み込んだ。
そして6枚の羽が、私の背中、もといランドセルから生えているのに気が付いた。
家の鏡で見たのがずいぶん前のことみたい。
それにしても、これだけ大きいのに全く重さを感じない。
それどころか、むしろ軽くなったようにも思える。
ランドセルには収まりそうにないし、どういう仕組みなんだろう。
そんな疑問を持つ私をよそに、ランさんは恍惚とした表情で歩み寄ってきた。
「本当だ、すごい……救世主様だ……あ、いや、信じてなかったわけじゃないけど……実際に見ると……」
「ど、どうしました?」
「いやー、生きててよかった!」
「そんなにですか?」
「うん、そんなに! もうちょっとよく見てもいい?」
「いいですけど……」
何度も周りをぐるぐる回られ、上から下までなめるような視線を浴びた。
そしてしきりに「おぉ……」とため息ついては、「すごい」と呟いている。
むず痒くて、恥ずかしい。
「あの、そろそろ……」
「あ、ああ、ごめんごめん、つい。えーっと、飛ぶんだったね。でもその前に、6枚じゃ危ないから2枚にしよっか」
「どうやるんですか?」
「それはまあ、引っ込める感じで」
「引っ込める……えい」
背中の先を意識したら、羽は全部なくなってしまった。
「あれ」
「あはは、じゃあちょっとだけ、2枚だけ翼を出すような感じで」
「2枚だけ……えいっ」
再び6枚展開されてしまった。
しばらく羽の出し入れをしたけど、結局できなかった。
2枚だけ、というイメージが全くつかめない。
ランさんが言うには、少ない方が長距離の飛行に向いてるんだって。
でもとりあえず明日には必要ないだろうから、ということで諦めた。
「さて、今から飛ぶんだけどその前に、服のここの留め具を外して引っ張ってみて」
「これですか……おぉー」
謎のボタンの正体は、あっけなく判明した。
引っ張るとスカートが二つに分かれ、裾がすぼまってズボンのようになった。
ちょっと楽しいね、これ。
「あとはそれを引っかけて、邪魔にならないようにしておいてね。戻す時はこっちを引っ張ればいいから。飛ぶ時はこれを忘れないようにね」
「わかりました」
「じゃないとその、中が見えちゃうし、ひらひらしてて飛びにくいし」
「なるほど」
ズボンでいいのでは? とは言わないことにした。
「よし、じゃあ飛んじゃおう。でも慎重にね」
「は、はい」
いよいよ、私が空へ羽ばたく時が来た。
鳥になりたい、と思ったこともあった。
羽があったら楽しいだろうな、とも夢想した。
いよいよ、いよいよ飛べるんだ!
わくわくと、どきどきがとまらない。
そして、身構える間もなくその時は訪れた。
「じゃあ、上に飛ぶ、ということを意識して。背中の先の、翼を動かすことを考えて」
「上に、羽をおおぉぁああぁあ!!」
べき、と何かが折れる大きな音。
でも、痛みどころか衝撃もない。
一瞬で天井まで到達した私の頭上には、羽が1枚入り込んでいた。
そしてきょとんとしていると、そのままゆっくりと降りて着地した。
「おお、すごいね」
「なんか跳んだって言った方が正しそうですけど……」
「4枚でも気を付けてないと頭ぶつけちゃうからね。練習場をもっと大きくしてもらわなきゃ」
「これ以上ですか」
ふと見上げたら、天井が思いっきりへこんでた。
ここから見ても大きいとわかるくぼみで、周囲にもひびが入っている。
もしかして弁償とか……?
「あれどうしましょう……」
「あ、勝手に直るから放っておいていいよ」
「え、直るんですか」
「うん、だから安心してぶつかってね」
「ぶつかりたくはないですけど……」
そんな私の気持ちとは裏腹に、練習してる間ずっと激突してた。
そのせいで、天井はタコ焼き器みたいになってしまった。
ホバリングができるといいかな、と言われて頑張ってみたけど、私が止まれるのはぶつかった時だけだった。
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それから何度も飛ん、いや跳んでるうちに、体の異変に気が付いた。
汗はかいてないし、息も荒れてないのに、どんどん疲労感が大きくなっていく。
この世界に来てすぐの時みたいだなぁ、と思いながら座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「はい、でもなんか全身から力が抜けたような……」
「あ、言ってなかったっけ。翼は体力を消費して動かすんだよ。今日は使ってないけど、武器にも体力が必要だから気を付けてね」
「わかりました……」
なるほど、体力か……。
2枚の方が良いっていうのは、消費が少ないからっていうのもあるんだろう。
でも結局こつはわからなかったしなぁ。
羽を自由に扱えるのが先か、好きなだけ飛べるような体力をつけるのが先か。
まあいっか、とりあえずもう休みたい。
最低限飛べるようになったし、明日の心配も軽くなったし。
「歩ける?」
「大丈夫です……おっとっと」
ランドセルを置いて立ち上がったら、思わずよろけてしまった。
そのまま抱きとめられる。
「す、すみません」
「ううん。あ、もし歩けなかったら、その、おんぶしよっか?」
「そんなご迷惑を……でも、お願いしてもいいですか」
せっかくだから甘えてしまうことにした。
おんぶなんて何年ぶりだろう。
ランさんの背中はあったかくて、いい匂いで、すごく落ち着く……。
こんな姉がいたら良かったのになぁ…………。
……あ、私重くないかな。
……今何時だろ……。
………………。
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目が覚めたらベッドの上で、もう夕食の時間は過ぎてしまっていた。
とりあえず明日から、走り込みでもして体力つけなきゃ。