1話 ランドセルで異世界
余裕が無かったり、大事なことが控えてる時って妙に部屋の掃除したくなるよね。
それで卒アルみたいな罠にひっかかって、時間を盗られる。
うわ、このおじいちゃん先生まだいるのかな。
この子は確か初恋の……あれ、あんまりかっこよくないな…………。
懐かしさに浸りながら、楽しかった思い出をめくっていく。
すると、最後に『将来の夢』が見開きで出てきた。
私は……空を飛びたいだって、メルヘンか。
あの頃は、ランドセル背負って学校行くだけで楽しかったなぁ。
かけっこはずっと一番だったし。
テストは100点だったし。
将来になんの心配も無かったし……。
「わ、まだ捨ててなかったんだ」
押入れを漁っていたら、まさにそのランドセルが出てきた。
真っ赤でつやつやな革を見てると、小学生に戻ったような気分。
そうだ、せっかくだし背負ってみよう。
とその前に、中に何か入ってないかな…………あれ、開かない。
錆びか、それとも留め金が曲がっちゃったのかな?
まあ後で何かでこじ開けるとしよう。
姿見の前に立って、腕を通す。
もう何年も経って身体は成長してるはずなのに、何故か窮屈じゃなくてすんなり背負えた。
そしてそれを不思議に思う間も無く、目の前が真っ暗になってしまった。
意識が途絶える直前に鏡に映っていたのは、目を見開いて驚く私と、背中の銀の翼だった。
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「ねぇ、あそこ誰か倒れてない? ほら、あの木と木の間」
「え? もう禁止区画ですけど……あー、本当ですね」
「ちょっと見てくるね」
「あ、私も行きますよ」
私は今、夢を見てるのかもしれない。
じゃないと、空から人がゆっくりと降りてくることに説明がつかない。
あとなんか鳥の羽みたいなのが生えてるし。
とにかくもっとよく見たいけど、何故かとてつもなく重いまぶたに阻まれた。
「大丈夫ですかー!?」
「意識無さそうだね、すぐ外さないと」
「そうですね……あっ!? わ、ちょっとこれ! 数が!!」
「え、何……嘘、初めて見た……」
「「翼が六枚!!」」
女の人たちの声がどんどん遠のいていく。
強烈な疲労感に耐えきれなくなって、私はもう一度意識を手放した。
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目を開けたら私の部屋……じゃなかった。
木目が綺麗な天井で、電球の色が暖かい。
それとなんか腕に違和感があると思ったら、点滴が刺さってた。
そのおかげか、だいぶ楽になった気がする。
ところで、まだ夢の中なのかな。
「あ、起きた! 大丈夫? 調子はどう? おっと、私が言ってることわかる?」
「えっ、わっはい、大丈夫、です」
驚いたのは話しかけられたから、じゃなくてその人の髪が青かったから。
水色よりの鮮やかな青い長髪をポニーテールにして、白衣を着ている。
それ以外は普通の綺麗な、大人びたお姉さんって感じ。
だから余計に髪へ目がいくけど、なぜかコスプレ感は全く無くて、ごく自然に見える。
「自分がどこから来たのかわかる? あ、その前に名前聞いておこうかな」
「あっはい、花音っていいますけど……」
「カノン、だね。私はランだよ。よろしくね!」
「こちらこそ……?」
よろしくとか言われても。
これって夢、なんだよね?
起きたら掃除中の私の部屋だよね?
点滴が刺さってる腕がやけに痛んで、少しずつ不安が募る。
「さて、いろいろ聞きたいことがあるんだけど……あ、ちょっと待っててね」
ランさんは静かに言うと、おもむろに立ち上がってそっとドアに忍び寄った。
よく見ると少し隙間があいてて、目がいくつかこちらを覗いてる。
あ、目が合った、と思ったら引っ込んだ。
それと同時に勢いよくドアが開かれて、女の子が三人転がり込んできた。
「わっ、見つかっちゃった」
「あなたたち、今は座学中でしょ」
女の子たちは小学生くらいの見た目で、みんな丈が長い同じようなワンピースを着てる。
あと、髪の毛が茶色と銀と赤。
茶髪はともかく銀と赤って、今どきの子供はすごいんだなぁ……。
ふと自分の髪の毛を見たら変わらない黒で、なんか少しだけ安心した。
「えへへ……」
「お願い! 先生には言わないで!」
「ああっ! あなたがあの救世主様ですよね!?」
「「救世主様!!?」」
この子たちはなんなんだろう、と眺めてたら、突然熱い視線が三つ私に集まった。
あなたがあのって、私がどの?
世を救うと書いて救世主?
そんな大層な人間じゃないよ、私。
誰かと勘違いしてるだけだったらいいんだけど。
「ほんとに翼が六枚なんですか!?」
「どれくらい速く飛べるの!?」
「でっかいやつとか一撃で壊すんですよね!!」
「え、えーっと……?」
今にも飛びかかられそうな勢いで捲し立てられて、否定も肯定もできず言葉につまる。
速く飛ぶとか一撃とかもよくわからないし。
翼が六枚とか言われても、なんのことやらさっぱり……。
……いや、さっぱりじゃないか。
押入れで見つけたランドセルを背負って、鏡を見て気を失うまでに間違いなく翼を見た。
確か六つで、銀色で……。
そういえば、最初に気が付いたとき、女の人たちの声も六枚がどうとか言ってたような。
じゃあこの子たちが言ってる、救世主っていうのも私のこと?
飛ぶ、って空を?
壊す、って何を?
というかそもそも救世主ってなんなの?
いつの間にか、ここが夢かどうかなんてどうでもよくなっていた。
「こら、救世主様は体調が悪くてお休みしてるんだよ。さ、はやく教室に戻ろうね」
私がいろいろ考えてる間に、駄々をこねる女の子たちは放り出されてしまった。
ドアの閉まる音ではっと我に返って、つかの間の静寂。
……と思ったら、閉まったはずのそれが少しだけ動いた。
そして再び目が三つ、今度はばっちり私と目が合っている。
そんな私の視線から察したのか、ランさんはため息をついて背中を向けたまま言った。
「本当にチラカに言っちゃうよ!」
わあ、と慌てた声がして、目はどこかへ消えてしまった。
チラカ、って何だろう。
あ、もしかしてさっき言ってた先生のことかな。
あんなに焦って、よっぽど怖い人なんだろう。
「ごめんね、うるさくしちゃって」
「いえ……あの、救世主ってなんのことですか?」
「え?」
一旦落ち着いたから、とりあえず一番私に関係ありそうなことを聞いてみた。
そしたら頭の上にクエスチョンマークが見えるくらい、不思議そうな顔をされた。
もしかして変なこと聞いちゃったかな…………。
でも知らないものは知らないし…………。
やがて、ランさんは苦笑いしながら口を開いた。
「あはは、まさか本人から聞かれるとは思ってなかったよ」
「本人って、やっぱり私がその、救世主なんですか?」
「そうだけど、覚えてないの? それとも知らない?」
「えっと……ここがどこなのかすらわからなくて…………」
「ここはメールナー基地だけど……あ、もしかして記憶喪失とか?」
「そういうわけでは……あの私、日本から来たんです」
「ニッポン? そんな基地は無いはずだけど、そこから来たの?」
「はい……無い……じゃあ、アメリカとかイギリスとかって……」
「うーん、どっちも知らないなぁ」
私は、メールナーなんて知らない。
ランさんも日本やアメリカを知らない。
ここには、羽を生やして飛んでる人がいる。
もちろん私はそんな人たち見たことない。
…………もしかして。
いやそんなまさか……でもそうとしか……。
「……ランさん、あの、笑わないで聞いてくれますか?」
「どうしたの突然」
「私、たぶん違う世界とかから来たと思うんです」
「違う世界?」
「はい、そう考えると自然というか……」
思いつく限りの『自分の世界』のことを伝えてみたけど、かなりのことが違っていた。
言葉は一つしかないらしい。
7の次が10らしい。
人間以外の動物は存在しないらしい。
時計を見せてもらったら、一秒が二倍くらい早かった。
年中行事も聞いたことがないものばかりだった。
そしてこれだけ違うのに、なぜか言葉は通じる。
間違いない、ここはいわゆる異世界。
私の常識からあまりにも離れていることが多くて、そういう世界なんだと考えた方がつじつまが合う。
別の世界だなんて物語の中だけだと思ってたけど、本当にあるなんて……。
そういえばランドセルを背負った時に羽が生えたし、その時にここに来たんだろう。
なんでランドセルなのかはわかんないけど……。
なんで私で、なんでここなのかもわかんないけど。
そして、私はこれからどうすればいいのかが全くわからない。
ちょっとめまいがしてきた……。