『無理だよげっふぁぃ』
キリ山に入ってものどかな旅は続いた。
若々しく茂る木々の間からは木漏れ日が差し込み、鳥のさえずりが耳に優しい。
ポコポコ、ポコポコ、速くも無く遅くも無い速度で荷馬車は山道を登って行く。
アッシュは相変わらず黙々と手持ちブタさんをニギニギしていた。
「ねぇ、アッシュ。どれぐらいで山を越えるかしら?」
「さぁなぁ~。ま、昼飯時ぐらいまでには頂上には着くんじゃないか?」
アッシュが日の出前に村を出てから、既に太陽は真上近くまで登って来ていた。
傾斜の体感角度が急になって来たので、頂上に近付いて来たのは何となく感じていた。
馬車の荷台から過ぎて行く景色に光の射す量が増えてきた。
「木が減ってきたな。もうすぐ森を抜けるぞ。」
誰に言うわけでもなく、アッシュが呟く。
とつぜん、視界が開けアッシュの目に飛び込んできたのは2台の馬車がギリギリ擦れ違える程の山道と断崖絶壁だった。
「………………ぅわ、マジか。」
アッシュの口から自然とそんな言葉が漏れた。
「何が?」
無邪気な表情でリリアが問う。
「何が?って………………、」
アッシュは説明しようとしたが言葉に詰まった。
アッシュの目の前の質問者は………………、羽根が生えていて、浮いているからだ。
「ま、まぁ何て言うか………………、ワレワレ飛べない者の立場からするとだな。高い場所から転落すると命を失ってしまう恐れが有り、だな。それが恐怖心を育て、想像力がその恐怖心を糧とし、そうなる可能性を算出してその確率が日常の通常運転時と比較して明らかに高い場合に心は恐怖を感じるメカニズムになっておられるのだ。」
「………………???よく分からないけど、要はこっから落ちたら死んじゃうって事ね。」
「ギャアァアアァッ!この状況でサラッと死んじゃうとか言っちゃうリリアってどうよ!?」
「どうよ?って言われても………………、でもドウズさんは平気みたいよ?」
「あれは、何て言うか、プロなんだよ。」
「何のよ。」
「高さの………………だょ。」
「何よ、高さのプロって。変なの。」
よく見るとアッシュの目はオロオロしており、左手は荷台の縁を力一杯握り締め、右手の手持ちブタさんは千切れんばかりに変形していた。
「アッシュ、もしかして高いの苦手なの?」
ゴロゴロゴロゴロ…………………………
「え?聞くなよ、ンな事!見たら大体分かんだろうがよ。」
そう言われてリリアはじーっとアッシュの目を見る。
ゴロゴロゴロゴロ……………………
「何だよ、分かったよ。苦手なんだよ高い所は!」
ゴロゴロゴロゴロ……………………
「あら、意外と素直ね。勇者様はもっと強がるかと思ってたわ。ふふふ。」
リリアは意地悪そうな言い回しと無邪気な笑顔でアッシュに笑いかける。
ゴロゴロゴロゴロ………………
「あのなぁ、巷では親父は勇者か知らんが俺はただの……………………」
ゴロゴロゴロゴロ……………………
「何か変な音しね?」
ゴロゴロゴロゴロ………………
「そうね、何かしら?」
嫌な予感がして、アッシュは恐る恐る荷台から顔を出し、山の側面の上部に目を凝らす。
(落石………………、か?)
ゴロゴロゴロゴロ……………………
音は近付いてくるが、落石の気配が無い。
何も無いのか……………………と、荷台へ体を戻そうと視線を下ろして来ると何やら丸い影が転がりながら近付いて来るのが見えた。
アッシュは高所の恐怖心も忘れ、荷台から半身乗り出したまま後方からやって来る何かに焦点を絞っていく。
…………デカイ。
デカイ………………何?
デカイ………………転がる………………ボール??
………………黒??………………否、茶色。
デカくて茶色いボール………………ゴツゴツ?
「わあっッ!とてつもなくデッカイ唐揚げが転がって来る!!!?」
「アンタ、何言ってんのよ????????」
リリアがはてなマーク全開でアッシュに聞き返す。
リリアの突っ込みで自分の言った事の奇妙さに気が付いたのかアッシュも自身に「え?」と問い返す。
アッシュは再度瞳孔を絞り、更に解像度を上げていく。
「岩だ!岩石が迫って来る!!このまま馬車と衝突したら大変だ。ドウズさんにさ知らせてくる。」
「知らせるってどうやってよ?」
リリアが言うが早いか、アッシュはホロ馬車の天井部の縁を逆手に持ち、逆上がりの要領で屋根の上へと飛び出して行った。
「あ、あと、リリア!ホロを閉めてヒモ結んどいてくれ。荷物落とすなよ!」
姿は見えないが屋根の上からアッシュの声が聞こえた。
「分かったわ。」
(何よアッシュったら、高いトコ苦手とか言いながらカッコイイとこ有るじゃないのよ。)
リリアは小さな体で懸命にホロを閉じながらそんな事を考えていた。
アッシュは屋根伝いに先頭へと向かった。
「ドウズさん、ドウズさん!」
屋根の上から頭を出し、ドウズを呼ぶ。
「おい!どうした、アッシュ!?」
ドウズは一瞬だけ声のする方向へ顔を向けるとまた馬車の運転に集中する。
「ドウズさん、落ち着いて聞いて下さい。岩が転がりながら迫って来ています。」
「岩ぁ??落石か!?」
そう言いながらドウズは山の斜面の上部に視線を送る。
「いや、ドウズさん。落石の流れはもうやったんで………………。」
「何だぁ?もうやったってのは??」
今度は進行方向に目をやる。
「何も迫って来ちゃいねぇみたいだか??」
「違うんです、ドウズさん。後ろです、後ろから迫って来てるんです。」
「アッシュ、お前、後ろは上り坂だろうがよ。岩がどうやって転がって来るんだ???」
「え?……………………まぁ、その自力で。」
「ハァ?」
「多分、モンスターだと。」
「マジかよ、何で俺ばっかり狙われるかねぇ。ヨッシャ飛ばすぜ、掴まってろよ。」
「飛ばすって、まさかこの細い山道で!?」
アッシュがそう言い終わるか否かのタイミングで鞭のしなる音がした。
馬車のスピードがグッと上がる。
「ヒィィィィィィィィッ!!!落ちる、落ちる!」
「落ちない!勇者がこれぐらいでビビるなって!!」
「だから、勇者は親父なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーー!!」
谷中にアッシュの情けない悲鳴がコダマする。
……………………
…………
……
「どうだ、アッシュまだ付いて来てるか?」
アッシュは恐る恐る上半身を起こし、後方の様子を伺う。
「まだ付いて来てる!!」
「ヨッシャ。」
正直、アッシュにはどうヨッシャなのかサッパリ分からない。
「アッシュ!お前、この先が見えるか?実はなもう少し行くとこの山道は急カーブに差し掛かる。」
(嫌な予感しかしない。)
「俺はこのままそのカーブを曲がり切る。で、奴はどうだ。そのまま谷底へ真っ逆さまって寸法よ!!」
(やっぱりだぁ、やっぱりこのスピードで曲がる気だぁ。)
「無理だよ、絶対!!」
りだよぜったぃ………………りだぉげったぃ……………………………………ぉーげっはぃ……………………げっふぁぃ…………………………………………………get fight ……………………………………
アッシュの渾身の叫びは山彦となって青空へと消えて行った。