15 小さなお店の主
「それでは、庵をお願いします」
「おう」
家の前には普段見ない白い車が止まっている。車の持ち主である九条さんは、黒いスーツを着ていて少し長い黒髪を後ろで結っている。病院で会うことが多いから白衣を着ていないのが少し違和感を感じさせる。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
九条さんの横に立っている庵に声をかけると小さい声だが返事をしてくれた。嬉しくて思わず笑みが浮かんだ。庵の髪をわしゃわしゃと撫でてやると、手を払いのけられたが庵を見ると頬が緩んでいて少し嬉しそうだ。
車に乗った庵と九条さんを見送った後、俺は蓮とある場所へ向かった。
向かった場所は路地裏にあるお店。普通の人が通っても気がつかないでそのまま通りすぎてしまいそうな外装をしている。中へ入ろうと扉に手をかけたが開けるのを躊躇してしまう。なにしろここに来て良い思い出が浮かばないからだ。
「……………………」
後ろに立っている蓮をチラリと横目で見ると蓮も此処に来ることを良く思ってないようで、眉間にシワを寄せている。このまま何もしないで時間が経つのは好ましくない。仕方が無いと覚悟を決め、深呼吸をして扉を開けた。
「いらっしゃい」
カウンター席に座っている黒髪の少年の後ろ姿が目に入る。蓮は嫌そうに顔をしかめた。
「……挨拶くらい顔みてできねぇのかよ」
蓮の言葉に反応をしてこちらをみた少年は純粋な幼い子供のように目を輝かせた。
「会いたかったよ、黄華!」
「……俺としてはできれば会いたくなかったよ、黒鬼」
今にも抱きついてきそうな勢いの黒鬼をみて鳥肌が立つのを感じる。自分でも頬が引き攣っているのがわかる。このままだと本当に抱きつかれかねないので蓮の背中へ隠れる。
「えー……月光も来たの?僕、別に君に会いたくないんだけど」
「同感だな。俺もお前なんかに会いたくねぇ」
黒鬼は先程までの笑顔はどこにいったのか冷めた鋭い黒瞳をすっと細めた。相変わらず黒鬼と蓮は仲が悪いようで睨み合っている。
「なんかさー、月光のくせに随分と生意気」
「冗談はよせよ。それはこっちの台詞だ」
「……はぁー?」
顔を思い切りしかめた黒鬼。一見口を開かなければ、真面目な少年に見えるが中身は全然違う。
「僕は君みたいな男に興味はないんだよ。黄華、そんな奴の背中に隠れてないでこっちへおいでよ」
「俺だって男に興味を持たれる趣味はない。ていうか黄華も男だぞ」
確かに、今は黄華として黒鬼にあっているから男という設定だ。それでも私に興味があるとかいう黒鬼に少し身の危険を感じた。
「あー……もう煩いな。少し黙っててくれる?」
「………っ!」
一瞬だった。気がついたら目の前にいたはずの蓮は床に押さえつけられていた。喉元にはナイフが向けられていて少しでも動けば突き刺さってしまう程の距離だ。
しかし、床に押さえつけられてる蓮は黒鬼の首を掴んでいた。このまま力を入れれば絞め殺すことが出来そうな程しっかりと掴んでいる。
「……生意気」
「お互い様だろ」
それでも二人は笑みを浮かべていた。もちろん、互いに遊びでやっているわけではない。だからこそ冷静に、自分が有利な状況に持っていくため余裕がある様に振る舞う。
私はこのままだとキリがないと深く溜め息を吐いた。仕方がないと黒鬼の脇腹を目掛けて蹴りを入れる。不意打ちで油断をしていたのか蹴りが入った瞬間腹部に力が入っていなく黒鬼はお腹を押さえてうずくまる。
「……あはは、やっぱり君は最高だね」
大切な家族に凶器を向けていたことに苛立って少し強めに蹴りを入れたのに、ヘラヘラと笑う黒鬼に今度こそ殺気立つ。
「ねぇ、やっぱり僕は君が欲しいよ。君の強さはそんな場所で使うものじゃない。僕の所へおいで、君となら何でもできる気がするよ!」
そう言って俺に手を差し伸べる黒鬼の目は純粋な輝きではなく、獲物を狙うようなギラギラとした輝きを宿している。
「……悪いな、俺はお前の手を取ることはできない」
そう言うと黒鬼は拗ねてるとアピールするように頬を膨らませた。非常に面倒な性格をしている。
「えー……僕どれだけ君に振られるの。少しは考えてくれたっていいじゃないか!」
「悪い、それはない」
迷いなくキッパリと断ると口角を上げていつもと同じ、気色の悪い笑みを浮かべた。
「でも、僕はそんな君が喉から手が出る程欲してるんだよねー。だからいつか必ず君は僕が貰うよ」
……おっと、寒気が。会う度に誘いは受けるがこんなにストレートに言われたのは初めてだ。
「……さて、お遊びはここまでにして本題に入ろうか」
そうだ。こんな会話をしにこんな所に来たんじゃない。本来の目的を忘れていた。
「まぁ、そこに座りなよ」
カウンターの中へ入った黒鬼は自分が座っていた隣の席を指さした。素直にそこへ座ると飲み物をテーブルに置いてくれた。変な所に気がまわるのは変わらない。
「さて、話は何だい?」
「……お前、内容は大体予想ついてるんじゃないか?」
頬杖をついてこちらをニコニコと伺う黒鬼は幼い子に秘密を隠すように口元に人差し指を当てた。
「予想はついてるよ。でも答え合わせは大切だろ?」
コテっと首を傾げた黒鬼はご機嫌な様子で今にも鼻歌が聴こえてきそうだ。
「……今回は紅羽についてだ」
「うん、やっぱり紅羽か!僕もそろそろ話したかったんだよねー」
やけに喉が渇いていたから目の前にある水を飲む。きっと黒鬼の笑顔に無意識に緊張をしていたんだろう。喉を通る水の冷たさがやけに心地良い。
「それで……紅羽を潰すのにぼくの力を借りるつもりかい?」
「そのつもりだ。紅羽は無駄に人数が多いからな」
私達の戦いにルールはない。だから誰が手を組んでも問題は無い。今まで誰も手を組まなかったのは単なるプライドだ。ただ、ルールがないからこそ警戒をしなきゃならないこともある。
「それにしても急だね。何かあったのかい?」
疑問に思うのも無理はない。本気で潰し合えば既に決着はついているはずだ。それでも本気で潰し合わなかったのはお互い自分達の調子や機会を伺っていたからだ。
「そろそろ、長い戦いに終止符を打とうかと思ってな。多分今がそのチャンスなんだよ」
「ふーん……それなら紅羽を潰したら次は僕の番かな?」
「まぁ……そうなるな」
そう言葉を零すと黒鬼は目を輝かせた。やけに嬉しそうな顔をする黒鬼にドン引きする。なんで自分が潰されるかもしれないのにそんなに楽しそうにするんだよ……。
「やっと……黄華の本気が見ることができるんだね!!」
「あぁー……お前が考えるのはそこか」
今まで黙って話を聞いていた蓮は呆れているのか頭を抱えて深く溜め息を吐いた。
「取り敢えず、日時が決まったら連絡する。次会う時は紅羽を潰す時だ」
「えっもう帰っちゃうの!?」
当たり前だ。もう私はお前の相手をするのは疲れた。すぐ帰りたい。
「んー、わかったよ。次あった時はもっと話をしようね」
「………………」
誰がするかよ。ニコニコと笑って手を振る黒鬼を見たくなくて再び蓮の背中へと隠れた。
「今度会うときは月光はいなくていいからねー!」
「……別に今ここでお前を潰してもいいんだけど?」
「あはは、冗談だって。冗談も通じないのかよ単細胞」
「はぁ?!」
最後の単細胞のところだけ以上に声のトーンが低かったのは気の所為だろうか……。
「……蓮」
「あぁ、悪い」
帰るって時に喧嘩なんてされたらたまったもんじゃない。それくらい察しろ馬鹿蓮。
「じゃぁ、よろしくな」
「うん、まかせてよ」
ヒラヒラと手を振る黒鬼はニコニコとしているが目は笑っていなかった。氷の様に冷たく鋭い目が脳裏に焼き付いて、店を出てからも黒鬼の表情が頭から離れなかった。