13 母親
白い床、白い壁、白い天井。全てが白で統一されている中に不自然に浮かぶ黒。白く長い廊下を歩く莉樹の顔はパーカーのフードで隠れて見えない。
莉樹は一番奥にある個室の前で立ち止まり躊躇せずに扉へと手をかけた。
部屋の中で見えたのは莉樹と同じ『金色』。莉樹は慣れた様子でその金色に近づき背もたれのない小さな椅子へと腰を下ろした。
「久しぶり……母さん」
莉樹はポツリと、ベットに寝ている母へと言葉を落とす。
「二ヶ月ぶりだね」
部屋の中に響くのは莉樹と母の呼吸の音、母の身体に取り付けられた機械の虚しい音だけ。
「昨日、家にまた新しい家族が来たんだ。庵って名前なんだよ」
莉樹は庵との出会いを思い出したのか目を細めながら嬉しそうな顔をする。
「俺達と同じで愛に飢えている獣の目をしている」
莉樹は彼女の長く綺麗な金色の髪をさらりと撫でる。
「綺麗な金色。俺の髪とは違う……」
莉樹が話しかけても母の目は開かず、手も動かない。母はベットに横たわり、ただ呼吸をしているだけ。
「ねぇ、母さん」
二人だけの空間を確かめるようにゆっくりと目を閉じる。
「莉樹……」
莉樹と母の二人しかいなかった部屋の中に莉樹の声ではない、低い声が響いた。
莉樹は閉じていた目を開けてゆっくりと扉の方へと振り返る。振り向いた視線の先には、シワ一つない白衣を着た医師が立っていた。医師は鋭く、優しさを含んだ目を細めて口角を上げている。
「お久しぶりです。九条さん」
「あぁ、久しぶり。二ヶ月ぶりだな」
「はい」
敬意を払って敬語で話す莉樹を見て九条と呼ばれた男は苦笑いを浮かべた。
「敬語じゃなくてもいいと言ってるだろ……」
「いえ、俺にとって貴方は恩人のような方なので」
「そんな大層なものじゃねーよ」
「俺にとってはです」
莉樹の変わらない意見を聞いて小さくため息を吐いた九条は未だベットで眠る莉樹の母親を見る。
「もう、十二年も眠ってるのか」
眠ったままの母さんは今、何を思っているのだろうか。莉樹は本人にしかわからないことだと首を軽く横に振って考えることをやめた。
「いつ亡くなっても可笑しくないのに……。自分に守らなければいけない人がいることをわかっているんだな」
九条は莉樹をじっと見つめた。そんな九条を見て莉樹は自嘲するような笑みを浮かべた。
「まさか……俺じゃないですよ。もし俺だったら十二年間も待たせないでしょう」
「………………」
「俺じゃない誰かを守るためですよきっと。……皮肉なものですね」
そう言いながらも莉樹は愛おしいというように母の頬を撫でる。
「莉樹」
「九条さん、何も言わないでください」
「…………」
「わかっていますよ。俺の言うことが間違っていることくらい。でも、そうでも言わないとやってられない」
莉樹は顔をくしゃりと歪めて震える声で言葉を吐き出す。九条はそんな莉樹を見つめたままピクリとも動かない。莉樹は今、どの言葉も望んでいない。そう感じとった九条はそのまま無言で莉樹の頭を撫でた。
「すみません。もう大丈夫です」
莉樹は落ち着いたのかすぐに無表情へと戻った。そして、頭を撫でている九条を真剣な目をして見上げる。
「九条さん、話を聞いてもらってもいいですか?」
「……頼みごとか?」
「……はい」
一瞬目を見開いた莉樹を見て九条はクスリと笑った。
「何年お前と居ると思ってる。俺だってそれくらいわかる」
「…………」
「それで?」
首を傾げると九条の綺麗な髪がさらりと横になびいた。急かすように問いかける九条は微かに笑みを浮かべている。
「いつもと同じ、家族を俺達と同じ学校に転入させることです」
「また、新しい子が来たのか」
九条はそう言って目を細めた。そして呆れた様にため息を吐いた。
その様子を見て莉樹は無表情を崩して困った様に眉を下げた。
「………駄目、ですか?」
らしくない莉樹のか細い声が部屋の中に響いた。九条は先程よりも深く息を吐くと自分の頭に両手を持っていき手に力を込めてガシガシと乱暴に髪を乱した。急な行動にピクリと肩を揺らした莉樹はキョトンと不思議な表情をした。
「駄目じゃなくて……いや、何でもない」
九条の言葉に数回瞬きをして様子を伺う莉樹。そんな莉樹に苦笑いを浮かべた九条は先程掻き乱した髪の毛を手櫛で整える。
「俺がお前の頼みを断ったことがあるか?」
「……ない」
「だろ? だからそんな顔するなって」
莉樹は右耳につけているピアスに触れながら、今日一番の笑顔を見せた。
「よし、一仕事するか」
ニヤリと笑って病室を出て行った。部屋の中に残された莉樹は九条の後を追いかけるため足をドアの方へ向けて歩く。
「……また来るね、母さん」
次も会いに来ると背を向けたまま言葉にする。扉が閉まる時、後ろから懐かしい母の声が聞こえた気がした。