この話における神の定義
この話もとばしOKです。
いわばつなぎです。
ただ更新していないので、久しぶりにしようという…
もしかしたら前フリと矛盾するかもしれませんのであしからず…
端的にこの話における神の定義というのは、神ではない。混乱しないで欲しい。それはただ、一般で言う神ではない、ということだ。こんな言い方もおかしいだろう。つまりこの話における神というのは、神というのは、あるもの、この話における絶対とされているもの、それに『神』という名前をつけられたものである。名前はかぶされて、ただこの現代で最もふさわしい言葉というのは、ただこれだろうと名付けたものだ。正直、これはふさわしくないと思う。きっと、もっと、ふさわしい言葉というのは見つかるはずだ。
それはさておき、この話の神は絶対の存在であって、世界、いや宇宙、いやそれ以外の外を出たところさえも監視、また統治をしている。不思議にもその範囲はない。そのわけは単純に、神という存在は人であるからだ。
しかしそれでなぜ範囲は定められているか。人間の知る範囲、それよりももっと多くの想像力が国を出て、世界を出て、宇宙に出たからこの世界は存在している。さらにその宇宙を出た場合、また領土のように世界は拡大し、拡大し続ける。
だが世界は、もとは小さな世界の集まりで地球は成り立っていた、と皆は考えるだろう。昔々からそれは続き、今に至ると考える。しかしそれは違って、互いに自分たちの存在を知りえなかったから、世界は独立していた。そして出会うと世界は一つになり、また出会うと一つになり、それを繰り返して今に至る。つまり神は一人になる。だがそれは、出会うと言ったが、一方が一方的に見つけたなら、それはまた繋がる世界となる。もしかしたらまた知らないどこかで世界は繋がっているかもしれない。
先ほど人は神だと言ったが、それはつまり、神である人が願えば世界は広くなることかというと、それは違うことになる。人は多く、それぞれ価値観が違い、そういうものから人種まで違うわけだから、世界の考え方ももちろん違う。その神により、世界は広くなったり狭くなったりする。
神はさらに世界も創る。しかし現在の世界、それはいわばもとの世界、いつもと呼ばれる世界だが、それは皆、知っていることだ。それを常識だと思い、さらに自分が髪であるということは自分は知らない。だから急に世界が変わるなんてありえないことだ。
だが神は世界を創りかえることができるというのは否定しない。
ここまで長々と話してきたが、なぜ人間が神なのかと考えたことはないか。
中略をするとして、簡単にいえば、この世界で初めての感情を持つ生き物であったからだ。その人間を創ったのは神である。その時の神は人ではない。だがここの神はこの世に通じる神という意味ではないから、もう分かるだろう。その時の神は人ではないといったが、それは何者なのかは分からない。
ところでこの世の神というのは宗教や創造する者と多々様々ある。しかしここの神はもちろん違うことが分かる。それはなぜか。
大きな理由はやはり、それらの神は人間の想像により作られた、ということだろう。そこに一線を引いて神を区別し、さらに人間により考えられた神を分別すると、頂点にはこの話における神がいる。
さらにこの話における神というのは人間とある。しかし人間の作り出した神は人間の体をしているにも関わらず、確かな実体がない。精霊のような、そんな人間でもない体だと定義されていない神さえいる。
また疑問を覚えることだろう。するとなぜこの話における神が人間なのか、ということだ。それは未だ仮定でしかないが、人間でない前の神が当時の永遠に変わりそうもない世界を変えようと、感情の持つ第一の生き物を作ったと考えられる。すると今に至るわけだが、その経過で他の人間に次ぐ、準感情を持つものが現れた。
それらは人間によって現在、調べられていることだが、本当は神が共存を目指して作った…いやこれ以上は話が逸れるのでやめておくとしよう。
これらがこの話における神の定義である。絶対であって、この世の神とは大きく独立している。それは間違いないことで、また誰にも知られない。