Season0 [後]
「ここは…」
私が見る限り、ここは私の部屋だ。しかし外はまだ明るい。夕暮れだろうか。ベッドの上に乱雑に脱ぎ捨てられた制服がある。机には見たことがあるもの。確か捨てような。
私の体は戻っていた。顔だけではない。上半身も下半身も、腕も足も全部ある。あれは、夢だったのだろうか。
今日はいつだろうか。
私は携帯をとろうとしたが、最後に置いたところであろう場所にはなかった。
部屋を出て、リビングに向かうと、ソファーの上に携帯はあった。
携帯を開き、日付を見てみると、願ってもない始業式の日。私は戻ったのだ。とりあえず、リョウに電話してみようと思った。この日、何をしていたか、覚えていない。
電話をかけると、リョウはすぐに出た。
「もしもし、アズサ?」
リョウだ。最後にあった、あの公園のリョウではない。まだ新鮮味のある、口ごもっていない、前のリョウだった。
「リョウ?ちょっと、今日あったこと、教えて欲しいんだけど…」
「今日か?」
リョウは不思議そうに尋ねる。
本来であるならば、今ここにいる私は、きっとリョウと一緒に過ごしたに違いない。こんなことを聞くのは変だ。
「…ああ。構わねえけど…」
不思議だった。なぜかと理由は聞いてこない。
しかし今はそんなことよりも、リョウの話に、熱心に耳を傾けていた。
「ありがと、リョウ…」
無事、教えてもらったことにより、ぼやけているが、思い出すことはできた。
すると突然、ミズキの様態も気になった。
「…ミズキ、元気してる?」
「あ、ああ、元気だ」
不意を疲れたように、リョウは動揺していた。
今の段階で、もう話すことはない。
「そう、じゃ、明日、学校で」
その後のリョウの言葉を無視するかのように、私は早々と電話を切った。もっとリョウと話していたく、声も聞いていたかったが、そのまま話し続けていると、自分の理性を失いそうな気がした。夢中で話して、これからのリョウとの付き合いを分からなくするような気がした。
自分の部屋に戻り、ベッドの上に座る。なんだかな、と思いながら、これからどうするかを考えて見ようと思った。
すると渋のことを思い出した。
「渋…航か…」
すると隣に、その澁がいた。忽然と現れたので驚いた。こいつは幽霊か。
「うわぁあ…驚いた…」
渋は変わらない形相で、そして例により、外を見ていた。
「あなた…呼んだ…」
確かに呼んだというより、また話を聞きたいと思った。いろんな話をだ。
すると渋は、手を私の額に当てた。
「これで…いい…」
渋は立ち、部屋を出て行った。私はその後を追いかけたが、そこには誰もいなかった。
今ではそんな現象ごときでは驚かなくなっていた。すでに渋のことを宇宙人だと認め、そう渋に植えつけられたからかもしれない。
あの渋の行動、私の額に手を当てられた時、私の頭にすべてが入ってきた。私の頭は素直にすべてを受け入れた。私の聞きたい事が入ったのだった。いわゆるテレパシーというものなのだろう。
私は渋に教えられたとおり、明日のため、これからのための準備をしようと思った。ベッドに横たわり、思い浮かべるだけでいい。それだけで、私の思い通りに動いてくれる。だがいきなり動かしてはだめだ。慎重にやらねば。渋はそう言った。
チェスの駒のように、一つずつ、正しく整備していくことになった。
だが一番大変な日は今日ではない。今日の電話でリョウに変な不信感を与えてしまっただろう。これから送る日々をどうクリアしていくのが、私の今後の課題である。
学校でリョウと会った。教室に入った時、ミズキも一緒だった。その教室には渋もいる。私が呼んでおいた。他の人たちもそろっている。しかしその中には中学校からのおなじみもいる。
私は席に着くなり、この後どうしようかと、深くため息をついた。しかしそれはよかったかもしれない。二人には、今私が何かで悩んでいるように見えたのかもしれなかったからだ。
それに気を使ったのか、単に普通に疑問に思ったのか、リョウは言った。
「どうしたんだ、そのポニーテール」
そう。今日はいつものショートヘアではなく、ポニーテールにしてみた。
少し照れている自分がいたが、リョウにいつまでも見ていて欲しく、必死だった。
「…前と変わらないわよ」
「あ、ああ、そう。ポニーテールにしては…テールが短すぎじゃないか」
リョウは不思議そうではあった。そしてミズキと小声で話し出した。
今日は午前で終わりということで、いつもより学校を早く下校することができた。その帰り道、私は二人の後を追うように自転車をこいでいた。昼食としてファーストフード店に入った。私は寡黙のまま、二人に話しかけることはできなかった。まるで他人、別人と一緒にいるようだった。
だがその空気を壊すものがいた。ミズキだった。
するとミズキは、この空気を打開する一打を放った。
「今日さ、どこ行くよ」
単純で普通の会話の始まりに思えるものが、私には救世主だった。
「…あ、それなら、カラオケに行きたい。久しぶりに…」
つい出た言葉に、私はしまったと思った。久しぶりという単語はNGワードであった。話では、昨日、三人でカラオケに行ったと、昨日のリョウとの電話で聞いた。
だがリョウはそれを気にしない姿勢であった。いかにも私が天然であるかのような接し方だった。
「何言ってんだ、お前。昨日、行ったばかりじゃねえか」
「そ…そうだっけ。忘れちゃった」
私はいかにも天然であるかのように振舞った。そすすれば、今後の間違いも、ある程度はこうして緩和されるだろうと考えた。
まあ、避けられないこともあり、やはり二人は少々不審そうに私を覗いた。
「お前さ、今日よ、大丈夫か。何か変だぞ。暗いし、どうしたんだ」
「い、いや…別に…」
この時が本当の山に思えたこれが越えられることができるなら、これからのことが上手くいくだろう。そうやって自分を追い詰めて、乗り越えようと思ったが、どう乗り越えればいいのだろうか。
そうだ。もしものためのマニュアル。あれ行こう。
「今日の朝さ、嫌なことがあって…気にしないで」
ミズキはそうかと顔が和らげたが、リョウは首をひねって、まだ怪しそうに、これから私を徹底マークしようという目であった。
その後、私たちの間に沈黙が訪れ、食べ終わるまで、何も話さなかった。
しかし、やはりここでもミズキは切り出した。
「じゃ、行こうか」
カラオケに向かう途中。私は後ろから追いかけることしかできなかった。まだ不慣れな接し方だった。
「やっと、着いたな」
それは私にとって、今日一番の思い一言であっただろう。ここに来るまで何一つ話さずにやって来たのだ。やっとという言葉が何よりもふさわしい。
カラオケ店舗内に入り、私たちは部屋へ向かった。私はすでにその時点で、何を歌おうか決めていた。ここで、そのすべてを歌おうと思った。
部屋に入り、雑誌を左手に、リモコンを右手に持ち、素早く打ち始めた。打ちなれているリモコンで、ある程度覚えている番号だ。番号を打ち終わり、リモコンからマイクに持ち替えた。
「…よし」
曲は流れた。私が一番得意な曲だ。
「アズサ、この曲、昨日お前が散々歌い散らしたじゃねえか」
「え…知らないもん。そんなの」
確かに知らなかった。といより、覚えていない。
そういえば、リョウとカラオケに来たのはいつ振りだろう。本当は昨日のはずなのだが、私にとっては、夏休みに一回行ったきりだった。その時のリョウは元気がなく、特に歌おうともせず、結局私たちはカラオケ店から間もなく出たのだった。
それがどうだろうか。今日はリョウもミズキも生き生きとしていた。私は嬉しくなり、今日は永遠に歌おうと思った。一緒にこの空間にいたかった。
そして終わってみれば、曲はいつもより多く歌っていた。時間がいつもより長く感じられた。これも私の力なのだろうか。おかげでのどが痛かった。
外はまだ明るく、日は高かった。だが二人は早く帰りたいのか、逃げるようにして一目散に去った。私もその後をついていくので精一杯だった。
ミズキとはY字路で別れ、帰る途中に公園が目に入った。あの、リョウに言われて私を絶望にした。だが本当に最後に、これでもうここには来ないと誓おうか。
「ねえ、公園に寄ってかない?」
私たちはすぐに座り慣れたブランコに座った。
先ほどまで子供たちがいたが、こういう時は誰もいないほうがいいと思った。この公園に踏み入れるのは最後にして、もう、同じ過ちは踏み間違えないようにしよう。
だが、リョウに対して誤解を招いてしまったようだ。
「で、一体、なんだ。話があるんだろ。言ってみろ」
それはない。だが、一つだけ確かに確かめたいことがあった。それは昨日の夕方、ここで言ったリョウの言葉をこのリョウが知っているかどうかということだ。
「は?昨日は携帯で話しただろ」
やはり知らないようだ。私は本当に過去にさかのぼったらしい。不思議なことがあるものだ。きっとこの世でこんなことができるのは、世界で私だけだろう。
そういえば、明日、ルイが転校して来る日だ。これを教えてあげようかあげないか。でも人間のしたいという気持ちは誰に求められないな。
私はそろそろ帰ろうかと思い、立ち上がった。そしてリョウを置き去りにして自転車に乗った。そういえばこうやって、あんな変な話ではなく、こうやって自由に話せたのは久しぶりだ。心を許していた。あの時のリョウは、違うリョウだ。
私は何を言ったか覚えていない言葉を発し、きっとその時の気持ちを言ったのだろうが、これからに差支えがなければいいだろう。
私は自転車をこいでそこから去った。
球技大会の前に行われるテスト。それは何が出るか、一回テストを見たことがあるので、簡単に解けた。テストのための勉強会を開いて、そのテストの貢献に一役買った。
そして球技大会の日。すでにルイも転校してきていることだし、とりあえず、私が目立とうと思った。そうしてリョウに見てもらえれば。
だって、リョウがルイに見惚れていたんだもん。なんか嫌だ。というより、絶対、今度こそは、私が。
だが違った。私が目立とうとすると、リョウは怒る。その理由が分からない。私はリョウを理解できない。ただ、リョウのことが好きだと一心なのに。私も苛立ちを隠せなくなっていた。
しかもルイはリョウと仲良くなりかけている。それもそうだ。エラーすると思ったフライを捕ってしまったのだ。未経験者のルイがだ。奇跡だとしか思えない。しかし奇跡とは続くもので、二回目も捕ってしまった。
それを褒めるリョウも嫌だった。
私はその一日目、リョウと関わりを持たなかった。リョウも持とうとはしなかった。これがチャンスなのか。いや違う。
教室に戻っても、リョウはいない。ただ私は悩むばかりであった。
二日目はどうにかしてよりを戻せねば。
それを別に置いといて、私たちのチームは前とは違って、なんとリーグで優勝し、決勝トーナメントへと上がった。
そしてその試合で、私はリョウに一喝された。だが私にもその理由がある。言えないことだけど。それを機に、私たちは元に戻った。試合は犠牲にしてしまったが。
最後は岸のエラーで点を取られて逆転負けだったが、それをリョウは優しいから慰める。
誰に対してでも優しいのは昔から知っている。だからそれを見ているから嫌になるのだと思い、しばらくはリョウと離れようと思った。
閉会式の時、リョウは私を探していてくれたようだった。私は悪いことをしたなと思いながらも、照れは隠し切れなかった。どんな理由であろうと、私を探してくれたのは嬉しい。しかしリョウは話し出そうとしない。その駆け引きというか、小突き合いが楽しかった。
私は明日打ち上げに行こうと誘った。だが、リョウはどうやら理由があるらしく、明日は行けないと言う。なら明後日にしよう。
今日、私は帰ってからしなくてはいけないことがある。リョウからの誘いを断ったのが何よりももったいなく思えた。
そして更衣室で着替えていると、岸は入ってきた。お疲れ、と挨拶して、自分のエラーで終わった試合なのに、嬉しそうな顔をしている。何があったのだろうか。
「ねえ。何かあったの?」
「ん…な、なんでもないよ」
動揺しているのが何とも怪しい。
次の瞬間、私は気付いた。二人で話していた。明日、リョウは用事がある。ルイは嬉しくいる。そして前までリョウとルイは、付き合っていた。いや、付き合うだろう。それを全部、針の穴に糸を通すと、すべてしっくりくる。答えは、デートだ。まだこの時期は付き合っていないが、もしかしたら、また…。
私は誰よりも早く着替えると、出る前に一度振り返ってルイを見た。背中だけだが、それは明らかに喜びが見られた。
そしてまっすぐ家に帰った。私の心には、ズシリと重い鉛がぶら下がったままだった。足が重くて、体がだるくて、リョウの家の前を通る時、急にスピードを速めた。
家のドアを開き、リビングに行くと、いた。
「…どうすればいいんだろう」
渋は寡黙ながら、いつも正しいことを言う。まるで軍師のようだ。
「…あなたのしたいことをすればいい…」
いつも同じ事を言われる。だがそれ以外、人のことに口出ししないことは分かっていた。
渋とは前に一度会った。始業式後日だ。その時の渋と比べると、話し方がだいぶ人並みに話せるようになっていた。
「だって…また、同じことを繰り返すかも…」
「…あなた次第。彼女はまだ彼女の立場を知らないだけ…」
「好きなのかな…」
「…うん…」
私は悩んだ。どうすればいい。私もアプローチをかければいいのだろうか。でも幼馴染だから、そんなことをするのは恥ずかしいし、それにいつもの遊びだと思われて流されてしまうことに違いない。
「…気になるなら、聞いてみればいい…」
それも一つの方法だが、何を話せばいいのか。
しかし、もはや手段は選べなくなった。何も無い。他に思いつかなかった。気付いたら、携帯を手にとっていた。
「はい、もしもし」
「…私。ちょっと時間ある?」
「ああ、ちょうど今、暇だったところだった。それで、何の用だ?」
「いや…用ってことじゃないんだけど…それよりどうしたの?何か変だよ?」
いつもと違って、リョウの話し方は変な調子だった。何ていうか、はきはきとしている。何かあったのだろうか。
「いや、特に…いや、あった」
「どっちなのよ」
リョウはおかしい。明らかにおかしい。なぜこんなに動揺しているのだろうか。
渋は私を見たまま、ソファーに背筋を伸ばして座っていた。
「お前さ、帰ってくる途中、何かおかしくなかった?」
私にはそんな覚えが無い。いつもの帰りだった。
「え?何にも無かったけど」
「いや、さ。何て言うか…何もなかったて言うか…止まってたって言うか…」
「一体何なのよ」
「いや…いつもと異様だったんだよ。何て言うのかな…俺が…俺たちが…別の世界にいたみたいでさ」
「ふーん…」
その時、私には思い当たるものがあった。私がまた極端に落ち込んだからだろうか。私が外にいた時はそんなこと無かったと思うが、なぜだろうか。
「それで、用件は?」
「え…忘れちゃったわよ、バカ。あんたが悪いんだからね」
「何だよ。お前が聞くからじゃねえか」
「それよりも、明後日ね。忘れるなよ」
「あ…ああ」
最後は気まずい感じだったが、こうも軽々しく話せたのもまた久しぶりに思えた。球技大会のときとは別の安堵感だった。
携帯を置き、ソファーに寄りかかった。
これで確かに分かったことは、私の気持ちはあまり動かないほうがいいということ。そして明日、リョウはルイと遊びに行ってしまうこと。いっそのこと、ついていってしまおうか。
「ねえ、コウ。あんた、何でもできる?」
「…何でもはできない…」
「じゃあ、こういうことは…」
私は話した。渋は特に反応もせず、ただ私の目をじっと見つめて聞いていただけだった。それが私の話の妨げになり、時々渋から目をそらした。
「…できる…」
それを聞いて安心した。私が作ったシナリオ。いつか、私の正体を教えなければいけない時が来る。その時までに、リョウには大体のことを知ってもらい、私が自分のことを話しだした時に理解しやすく、そしてすんなりと理解してもらえるようになってもらいたい。そうすれば上手くいくと、私は思っていた。バックアッププランは、考えていない。
今回は果たしてどうなるか。世界は私に託されている。だが私にはその実感が無い。一度世界を破滅したのにも関わらずに。例え失敗したとしても…その後のことは考えていない。
私は絶対の自信があった。一度知っている世界を迷い、間違えるはずが無い。それが私を勢いづける原因だった。一度くらい大丈夫だろう。きっとルイとはこれだけだ。
渋は知らないうちにいなくなっていた。きっと帰ったのだと思うが、ひとことぐらいはこえをかけてもいいのではないか。
私は一人で一通りの家事を済ませて、勉強をして、テレビを見て、風呂に入って、ベッドにもぐった。特にすることは無い。こんな日が、何日続くのだろうか。ベッドの中から窓を通して満天の星が見える。リョウの言ったあの後、外はどうなったのか。私は知らないが、とりあえず外は平和そうで安心だということなのだろうが、気になってしまう。
そして、この元に戻ってから常に考えていることがある。なぜ私が神なのかだということだ。渋が言うには、この世の人間のちょうど平均値であるのが私だと言うのだが、平均とはどういうことなのだろうか。欲や話し方や学力や運動神経なんかすべてをひっくるめての平均なのだろうか。こんな裕福な国の私ではなく、もし他国の貧困に苦しむ人たちが神であるならば、きっと誰もが平等な国になっていただろう。自分だけでなく、人のことも考える社会になっていただろう。私なんかは今に実際、自分のことしか考えていないのは誰に聴いても分かる。なぜ私なのだろうか。
それも星の数を数え始めると、私はかくんと気を失ったように眠るのであった。
次の日は一日中部屋でごろごろしていた。何もすることがなく、暇だ。どうせならミズキと遊ぼうか。しかし今日は外に出ないと決めていた。気分で決めていたことだ。もしリョウたちと鉢合わせなんかしたら、漁はどんな顔をするだろうか。そんなマイナスを考えるより、私がリョウを誘い出したらのデートプランを立ててみた。想像だけで、もうクッションをぎゅっと抱きしめる。
勉強もして、久しぶりに部屋の掃除もして、今日は特に充実もせず、ただ体を休めて、それだけだった。明日になったらまたリョウにも会えるし、いいか。
そうして土曜日は無駄に灯が消えていくのであった。
日曜日の駅前。まだ誰もいない。今日はどこでやろうかとまだ考えていなかった。そう考え始めたところ、私の前に渋が現れた。
「あ、コウ。早いね」
すると渋は遠くを見つめて言った」
「…来る」
「何が?」
何がここに向かってくるのか分からなかった。だが何かあるのには間違いない。その目の先に何があるのか気になってその先を見たが、私には何も見えない。
「よお。早いな」
駅から来たのは水崎と小海と氷野だった。
今日の集まりはソフトボールのチームメイトの集まりだが、あまり来る人はいない。ざっと八人くらいだろう。
「おお。早いな」
ミズキはやってきた。
これで残るはリョウとミズだけ。実はルイは呼んでいない。あの更衣室でいようとしたが、言えなかった。その後も気分がそがれてしまってタイミングを逃したまま今に至っている。
「遅れた。ごめん」
続いてミズも現れ、最後はリョウだけとなった。
リョウが来る方向をじっと見つめた。道路の向こうからかすかに見えるのは、リョウだ。
「遅いぞー」
リョウに向かって精一杯叫んだ。それに応えたのか、精一杯に自転車をこいでやってくる。
「悪い。あー疲れたわ」
「遅いんだよ、バカ」
リョウが到着したのと同時に、背後から聞き覚えのある声がした。
「お待たせ」
恐る恐る振り向くと、ルイがいた。何で。
渋はルイがやってきた方向をじっと見つめ、そのまま動かなかった。
「俺が呼んだんだ。知らなかったみたいでさ」
だからか。あんたはのんきに笑っているが、あんたは昨日、ルイと接触したって言っているんだよ。そんな顔しないで。
リョウは笑っていた。
「それでよ。どこ行くか決まってのか?」
私への質問か。とりあえず、流しておく。
「決まってないよ。これから決めよう」
「お前、行き当たりバッタリだもんな」
そうして打ち上げが始まったのだ。近くのファミレスで食べて、他にもいろんなところに行ったが、私はその日、一度も浮かれた顔をしなかった。リョウのそばに行こうとすると、ルイがいる。やっと二人だけになれた時なんてひどい。トイレと言って、そそくさと離れていく。それはたまたまなのだろうが、なぜだかリョウとはこれから、疎遠に思えてならなかった。
夕方に駅前で水崎、小海、氷野、渋と別れて、私たちは帰路に着いた。帰ろうとするが一度振り向き、その時見た渋の顔が、初めて悲しそうに見えた。
そういえば渋は一日中、顔色一つ変えずに私たちの後をついてきて、ユーフォーキャッチャーをやってみろと言われた暁には、百発百中の腕前を見せた。
渋は不安だったのだろうか。表情は変わらないが、最近、渋と親密になってきて、だんだん渋の感情というものが分かってきたような気がする。その顔が切なくて、いつまでも見ていられなかった。
その帰り、ルイとリョウは二人で話をし、ミズキとミズと私は三人で話した。
「じゃあね」
やっと煩わしいものがいなくなった。
私はすぐにリョウの隣に着き、話をする。だがリョウはいつもとかわらなし様子で話す。ルイと話すときとは別の楽しみ方で嗜んでいるようだった。ルイといる時とは違う笑顔を見せる。
「私はこっちのほうが家近いから」
「じゃあな」
別れのY字路でミズは気を利かせて曲がってくれたようだった。ミズとミズキは曲って行って、いよいよ私たちは二人きりになった。二人きりで自転車を押しているのだが、なかなか二人とも乗る機会がつかめないでいた。
私はこのチャンスを逃すまいと、私から積極的に話した。だがなぜかリョウは相槌を打つだけで、めったに会話という会話が成り立たなかった。
そして気付いてみれば、すでに公園の前を通り過ぎようとしていた。私は必死だった。だが寮は相手に仕様とはしていない様子であった。私にはそう見えた。
リョウは自分の家の前まで来ると、じゃあな、と言う。
リョウから離れたくないという思いは変わらないままだった。
「あんたのこと、私好きだよ」
「え…?」
私も驚いた。どんな会話からこんな言葉が導かれるのだろうか。自分でも予想外の言葉だった。思いをそのまま言ってしまった。
私は自分の言った言葉に、急に恥ずかしくなり、じゃあねとも言わずに急いで自転車に乗って去った。風が私のモーターを冷やすが、まったく効果が無い。
リョウは呆然と、ただあいつは何を言ったんだ、と思いながら立ち尽くしていることだろう。
私は幼馴染の域から外に出たい。ただそれだけのことなのに、リョウはそれをしようとはしない。なぜだか分からない。そこから出るのが恐いのだろうか。それともただ単純に、そんなことを考えたこと無いのだろうか。
私は家に帰り、ただ真っ赤な顔を冷やそうと必死だった。私はあの時、告白をしていたように思えてたまらなかった。
私はしていないと、奮い立った気持ちを静めていた。明日からどんな顔をして学校へ行けばいいのだろうか。いっそのこと、記憶を消してしまえば。だが渋は、そのことをあまり頻繁にやるなと言う。本当に、大切な時にその機会が来ると言う。
私は黙ったままだった。自分の家の自分の部屋で、たった一人で突然、独り言をつぶやくのも変な話だが、それで今私にまとわりつく邪念を取り払えればいいと思った。だけどそれが無理だからこうやって苦しんでいるわけだ。
しかしどうしたものか。その引きずりは朝まで続いていた。寝ている間も夢でうなされていた。
学校に向かう足取りは重かった。ゆったりと歩く。それで、一時間目は遅刻してしまった。遅刻するなら休もうと、一時間目だけを学校外でコンビにでも寄って暇をつぶし、一時間目が終わりそうな時刻で学校に向かうと、校門の前でリョウに会った。逆から来ているのに気付かなかった。リョウもまた、私と同じような感じなのだろうか。
「おはよう…」
「ああ。おはよう…」
双方とも元気がない。暗い部分が多く、まともに顔を合わせることができなかった。二人はまるで、手はつなぐが体は遠ざけるカップルのように、距離をあけて歩いた。教室に向かって歩くのは簡単で、だが開けたくはなかった。
その扉を開けるのはどちらかと争った風にしていると、チャイムが鳴り、ドアから勝手に開いた。出てきた先生は私に強い眼光で睨みつけ、そして出て行った。
私たちは教室に入ると、一瞬息の止まるような静けさが一時訪れたが、また騒ぎは戻った。机に向かう途中、ルイは私たちを見なかった。見ようとしなかった。
ミズキたちも不思議そうな二人だけの登校を、まじまじと見ていた。
この一日、変な質問などはされなかった。唯一されたと言えば、担任から一時間目は何で休んだのか、ということだけだった。周りからの冷ややかな目が気になったが、逆手に捉えれば嬉しく思える。ちらちらと見るルイの目も面白い。
私たちは学校で話さず、学校が終わると、特に黙ったまま、帰りは三人で帰った。ミズキはいづらく、Y字路に着くまで、何も話さなかった。こんなこと、初めてだった。
ミズキは去り、また二人だけとなった。いづらい空気が何とも苦しい。ただ帰り、ただ別れ、ただ家に着く。
その暮らしが幾日も続くと、さすがに慣れというのか、私は両と話せるようになっていた。リョウもそうだ。体も軽くなったし、もとの生活も取り戻せたし、上手くいけば、リョウとも友好な関係を築けるかも知れない。私の望みどおりになるかもしれない。もんをぶち壊すのも時間の問題じゃない。
あの時、言っといてよかった。恥は一時、このことだな。
私は浮かれていた。足が地に着いていないようで、簡単に足がすくわれそうだ。
しかしそういう野望は叶えられない。唯一叶えられたというのは、過去の中で一人もいない。邪魔は必ず入るものだ。
「ねぇ。ちょっと話しあるんだけど」
ルイだった。話しかけられた時、妙な恐怖感が私に伝わった。
それは放課後のことで、呼び出されて、校舎と校舎の間の陰に連れられて、湿った土の上に立った。この上は窓がなく、誰にも見られる心配はない。
そして何用かと思えば、予想していた通りだった。
「アズサ…もしかして、リョウ君と、付き合ってるの?」
そう思われたことが嬉しい。だが実際そうではないから残念だ。
「最近、リョウ君がおかしくて…」
「付き合ってないよ」
一言で収めようとしたが、だめだった。
「ウソだ。だって…私との態度が…変わっちゃったんだもん」
「知らないよ、そんなこと言われても」
「ウソだ。だって、だって…」
ルイは涙ながらもこらえていた。目からは本当の必死さが感じられた。
この状況を打開するすべを知らない私には、困惑と厄介の二言だった。
「私…リョウ君のことが好きなのに…あなたが邪魔するから」
その言葉に、さすがにカチンと来た。私の理性は失われていた。
「アンタこそ、私の邪魔しないでよ」
まるで小学生の喧嘩のような言い合いだ。それにしても、なぜ急にこんな発展になったのか。単なるルイの感じ外であるのに。
ルイも負けじと言い返す。
「アンタ、ずるいよ…何があったの知らないけど、幼馴染だからって…」
それが逆に大きなハンディとなっていることも知らずに、ルイは半ベソかいている。
私は耐え切れず、苦労を知らないルイに思い切りこのやるせない思いをぶつけた。
「何がずるいのか分からない…私だって、大変なんだから」
ルイはすかさず反撃する。
「大変って、アンタのほうがリョウ君と付き合い長いし、それに…」
その後の言葉が気になった。だが、その後の言葉を聞く前に、ルイの背後に右から左へ歩く、リョウの姿が映った。
「私…あんたのこと知っているんだからね。神だってことも…全部知っているんだから」
リョウはこちらに気付いた。足は止まったままだった。
私は急いでルイを止めようとした。だが遅かった。言った後だった。
「アンタ、私を操って、アンタとリョウ君だけがくっつこうとしたんでしょ。今までのこと、何であんただけいい思いをしているの?何でアンタが神で、何でもやっていいの?何で私が、神じゃないの?」
リョウの手から、ゴミ袋が滑るように落ちた。その音に反応したルイはすぐさま振り向き、そして嘆くように言った。
「リョウ…クン…」
リョウは固まったまま、動かなかった。
それもそのはず、ルイの体から、私と同じ、光の粒子が洩れ始めていた。
「何これ…」
まるで消えるのは分かっていたが、自分の消え方までは知らなかったようだ。興奮したように驚いて、手がつけられない。
さすがにそれを見かねたリョウは、地面に接着剤でくっつけた足を引っ張って、ルイの元に寄った。
「リョウ…クン…」
どうしようもない顔をリョウはして見せている。目の前のことが信じられないようだ。まるでそれを体験した時の私の顔だ。
ルイの体は上半身だけが残り、それは宙を浮いている。
「リョウクン…私…好きだった…」
リョウは何もいえないまま、ただ黙って消えていくルイを見ていた。何も感じない目。ただ信じない目。受け止めない目。そこにこもったものは、到底私なんかに理解し難い。
「リョウクン…私、楽しかったよ…じゃ…」
言い終わらないうちに、無情に口も消えて目だけが何かを落とそうとしていたが、それは落ちることがなく消えた。そして髪の毛一本も残らず消えていった。
リョウは立ち尽くし、まだ目の前の光景が意味分からないでいる。それは当然だと思うが、いつまでそうしている気だろうか。
「何が…あったんだ…」
リョウは私に近づいてきた。そして私の肩を持とうとしたリョウが恐かった。持たれたら、私はもう動けなくなり、きっと嫌な思いをするだろうと感じていた。
私は後退をしながら、この時をどう脱するか考えていた。
「…それは、神のルール…神が誰なのかを外部に漏らしてはならない…彼女は知っていたが、間違いを犯した…それだけのこと…」
突然渋はリョウの後ろに現れた。
リョウもそのことに驚いていた。煙のように現れた渋のほうを振り向いた。
「お前…いつの間に」
「…ルイは消えた…もういない…そしてあなたは知った…彼女のことを」
「え…何が…だ」
私のほうを向いて何か助言を求めようとしたその時、リョウは地面に向かって倒れるところだった。
それは渋が手刀でリョウの首辺りを打ったのだった。
リョウは腹から地面に落ち、冷たかろう地面に横たわった。
「何やってるの、コウ」
「…心配しない…気絶しただけ…」
渋はリョウを見て腰を下ろすと、リョウの首筋をさすった。
「…ほら…今のうちに…」
渋が私に何をしろというのか分かった。いつかのことだ。本当に、大切な時にその機会が来ると渋に言われた。
一度時間を戻ってこういう道を避けようと思い立ったが、渋はそのことを察したらしく、私の腕をつかんだ。
「…早く…授業始まる…」
それが心配で急かしていたのか。誰もが口をそろえて言うだろう。心配の対象が違うだろう。
「おい。瀬上はどうした」
先生はリョウの席を見て言う。このことは私と渋しか知らない。
「分かりません」
ミズキは答える。
ミズキの後ろの席はない。なぜなら岸瑠衣はいないからだ。そのことは誰も知らない。私しか知らないからだ。渋は知らない。私以外の人から記憶を消してしまったからだ。
しかしそのことで、ルイは完全に消えた。存在、名前、姿形、影、その辺に落ちている髪の毛一本さえも消えた。彼女の注意不足で、間違いなく彼女の責任であることは間違いないが、いやはや、私も責任を感じる。しかし天敵がいなくなるのは不幸中の幸いかもしれない。だが人一人消えたのは、もちろん喜ばしいことではないことは分かっていた。
私は何を考えているのだろうか。もはや自分の理性を失いかけていた。人が消えたのを、喜びに変えようとしている自分がいたことを、だんだん腹立たしく、そして妬ましく思えてきた。
消えたルイの身にもなれば、本当はもっとリョウのそばにいたいと、また幸せにしたくなりたいと。しかしそれはできない。私が代わりにそうなるだろう。だがやはり、人一人消えて、しかもその穴を埋めるものになろうというのは虚しく感じ、やるせなく思えた。やはり進路は自分で決めるべきだろう。
それに私はルイのことを消えて欲しいとは思っていないし、これは予想外だった。自分が神だったから消えたのでは、いや違う。ルイが呼んだから悪いんだ、そうだ。私は自分をそう慰めることしかできなかった。
「すみません…遅れました…」
授業を行っている途中、教室の後ろの扉が開いた。そこにはYシャツの腹辺りを汚したリョウがいた。後ろの首辺りをさすっている。
「どうしたんだ。遅刻の理由は」
「いや、ちょっと…寝てました」
教室からクスクスと笑い声が聞こえた。
「たくっ…これからは気をつけろよ」
「あ、はい」
リョウが席に着くと、首をひねり始める。やはり違和感があるのだろうか。しかしケロッとした顔をして、さっきまであったことを忘れているようであった。
私は前のリョウが気になったので振り向かせようとしたが、目が合うのが怖い。もしかしたらそれがきっかけで記憶が回帰されてしまうのではないのか。絶対思い出せないはずなのだが、不思議とそんな怯えが自分には見える。
授業が進む中、私の緊張はだんだんと増す。もしかしたら突然後ろを見るかもしれない。消しゴムを落として私が拾い、その時に目が合うかもしれない。私の妄想は広がるばかりであった。
無事授業は終わった。
先生が教室を出るなり、リョウは振り向いて何気なく話してくるのであった。リョウは何も気付かない。何も思い出さないようで、いつものように話す。
前に記憶を消したミズは、何気なくそれらしく振舞っているようにも思えて、実際、自分にそんな能力があるのか分からなかった。
とりあえずこの時間、ミズキはリョウが遅れたことに関してやけに突っかかるので、私には被害という被害はなかった。
放課後にも何もなく、数日経っても変化は見られない。これが正常だと言わんばかりだ。
しかし私にルイのことを思い出させる機会がやってきた。
梅雨の季節、成城のいじめ問題だ。前はルイが助けた。今回は誰が助けるのか。
私は外に降る雨を一滴、また一滴と上から下に法則的に落ちる雨の数を数えていた。
するとその時はやってくる。あの女子の塊だった。相変わらずのいじめっぷりだ。顔にも嫌な相が見える。
ここは私が出るべきかと迷っていた。だが決心して、椅子をずらそうとすると、リョウは言った。
「やめろよ。お前ら」
トイレから帰ってきたリョウは言う。ミズキも引き連れていた。
「そんなに楽しいか」
ミズキも加戦をする。
どこかで見たことがある光景がまたデジャブのように動き出す。
女子らは去り、二人は戻ってくる。温かい目が二人を包んでいた。
だが成城は感謝するような顔もせず、相変わらず顔は硬直状態だ。まるで第二の渋を見ているようだ。
リョウたちが戻ってくると、私は考えた。
ルイの変わりにリョウがやったこと。もしかしたらいなくなった存在は、他の人が埋めるのではないか。もしかしたらだが、そこにはいるのは誰でもいい。つまり結果に導かれたことは、初めから何も動じない。もしかしたらそうなのかもしれない。
この時の時間だけは非常にゆっくり流れたように思えた。実際、遅いとも感じた。
その後は早く流れた。特別その時だけだったようで、夏休みが始まろうとしていても、待ち遠しくて時間が遅く感じたりしなかった。
夏休みといえば前と同様、キャンプの予定が入っている。リョウやミズキ、ミズらもそのことで話し合い、決めた。前と同様の日にちだと、散々なことが起こりそうだ。ただ何となく、嫌だっただけなのだが。それならばそれよりも前か後に行けばいいのだが、それよりも前に行くことにし、提案した。その日に決まり、後日変更があるならば、また連絡をするということで一軒は落着した。
後はただ何もないことを祈るだけだ。それは変な違和感のような、不吉な予兆を感じていた。今回のキャンプ、果たしていいものなのだろうか。ミズがまた邪魔するかもしれない。しかしそれとは大きく異なっているような気がした。
無事にキャンプ場まで着き、空は快晴。素晴らしい日和だ。山も霞など見られず、まさしく絵に描いたようだ。
そして夕飯の仕度ということで、私とリョウはまた同じ組となり、薪を集めに林に入った。
会話は話題がよかったのか、いつも以上に弾み、どんどん発展していった。今までで一番楽しい時間かもしれない。
しかしそれも束の間。話すのに夢中でどこに向かっているのか分からないでいた。そして着いたのが前に見たことがある洞穴だった。私は洞穴前の吹き抜けに出てしまい、そこの前で恐ろしい体験をした。竜の息吹のごとく、洞穴が風を吸い込んでいるようだったのだ。
私はそれを怪しみ、会話を一旦やめ、一度そこから離れて、もとのキャンプ場へ戻ろうと言った。
そしてまた林に入ろうとすると、木の陰から一つの人影がすっと目の前に現れた。それは見たことのある容姿だった。
確か、川上沙奈。同じクラスメイトだ。私が呼んだ一人でもある。彼女もまた渋と同様、宇宙人で、だが同じものではない。似たもの同士と言ったものだろうか。私が求めたわけだから。
私は安心し、リョウは驚いた。安心したというのは、警戒態勢を万全に敷いていたからだ。それにしても、こんなところで何をやっているのだろうか。私は気になり、川上の前まで歩こうとした。
そして近づきながら、どうしたの、と聞いてみると、突然、川上は不気味な笑みを浮かべた次の瞬間、私の周りに紫色の膜が張られた。
不吉な予兆はこれだったのか。
空は紫で、木も紫で、後ろを見てみると、リョウはこの中にはいなかったようだ。
そしてまた川上のほうを見ると、川上は笑いながら私に殴りかかろうとしていた。爪は伸び、猫のようだった。気付いていたらもう目の前にそれはあって、私は一歩も動かなかった。
すると鋭い音と共に現れたのが渋であった。彼女はこの不吉な予兆が気になって連れてきたのだった。もしものために、信頼できる人がいたほうがいいと思ったからだった。
「大丈夫…?」
渋はそれをか細い五本指で止めていた。その指先からは、弱々しい光が出ていた。
川上は後退し、フラフラとした足で倒れそうになった。すると膝から足首にかけて、無数の引っかき傷のようなものがあった。さっきまでなかったはずの青いあざのような傷は尋常ではなかった。渋がやったのだろうか。もしそうであるのならば、渋はいつ攻撃をしたのだろうか。
「クソ…なぜお前が…」
渋は応答に答えようという意思はしないのか、無言で、たった一歩で離れた川上の前まで移動した。
また川上は不気味な笑みを浮かべ、今度は薄気味悪い笑い声ももらした。すると川上はジャンプをしてみせ、渋の攻撃をよけて見せた。
「不覚…」
そのまま川上は私の前に着地をした。何が目的なのか。私にはその先が見えない。
「フフ…死になさい…」
私に振り下ろしたのは斧だった。どうやら川上の体は自在に変形させることができるらしい。
私は目をつぶり、その時ばかりは死を覚悟した。だが、いつになっても死んだような感じはない。痛みはない。
恐る恐るまぶたを開いてみると、口を開いて腕は斧ではない川上がいた。目線が上で、膝はがくがくしている。上がっている腕も、立っているのもやっとの足も、直に地面に落ちた。
「遅い…」
渋は川上を仕留めたらしい。背中と首と頭に、尖端のある光が刺さっているのに気付かなかった。血は出ていない。傷跡しか残らない攻撃だということを、私は知らなかった。
川上は地面に伏せ、そしてルイとは違い、赤い真っ赤な血の代わりに火が彼女を包み、彼女を消し去った。
渋は平然とそれを見ていた
「ねえ…なんなの、これ」
私は今の状況を飲み込めないでいた。これを飲みこねばならぬとは思わなかったが、素直に知りたかった。
「ここは…時空不限空間…彼女が支配していた空間…」
そんな空間はまだ知らなかった。
「なんなの、それ」
「時と場所が定められない空間…この空間は内部からも外部からも出ることや入ることはできない…手出しもできない…唯一絶対支配者が歪められる空間…彼女はこの空間の神だった…」
「それなら、川上さんのほうが有利じゃないの?」
「…そう…」
つまりすべてにおいて、渋のほうが優れているということだろうか。遠まわしにそう聞こえた。そんなことを思い、川上が消えたことには一切興味がそそられなかった。
もう驚くことなどなかった。川上はもともとこの世にはいない存在であり、それが消えた。この世には変動はないにしても、やはりどこか胸が痛む。
「あの子は何だったの?」
「…裏切った…」
私が創った宇宙人で、私に従順だったはずだった彼女が、なぜそんなことをするのか。
「なんで私を裏切ったの?」
「彼女は知りすぎた…それは、狙い…欲には勝てなかった…彼女はこの宇宙を…支配しようとした…」
私はなるほどと思った。私は元に戻った後、渋からあらゆることの、すべてを教えてもらっている。だから宇宙の仕組みは知っているのだった。そして私が神である理由はもちろん、その後継方法も知っている。
「つまり、これからも?」
「私たちが努力してる…」
渋なら大丈夫だろうと安心する。しかし他に、誰がいるのだろうか。それだけは渋も教えてはくれなかった。
「それで…どうやってここから出る?」
「支配者がいなくなった今…直、消える…」
しばらく待ってみた。すると膜は薄くなっていって、もとの色が見え始めた。
渋がいたほうを見ると、もう渋はいなくなっていた。辺りを見回し、リョウの姿も見えない。だが林の向こうから声がする。私はそちらのほうに向かった。
リョウは大きな声を上げながら探していたので、いくら周りに人がいないといえども恥ずかしかった。リョウは私に気付いた。そして走って心配そうな顔をした。
「どうした…いなくなったと思ったら、本当にいないんだもんな…」
息を切らして、私の肩に手を乗せる。汗をかき、そして声はかすれかかっていた。
よっぽど心配してくれていたようで、私はこの上ない喜びを感じた
「いや、ちょっと…川上さんと話してて…」
「あ、そうだ。川上さんは?なんでここにいたんだ?」
「あ、それは…彼女が転校するから…明日引っ越すんだって」
「え、そうなのか。それだけのために?」
「う、うん…そうらしい。もう帰っちゃった」
そんなはずがない。もう消えているのだから。我ながらいいデマを話した。これでいなくなった理由もかたが着く。しかし怪しみはしないだろうか。普通なら、そんなことを伝えるために、わざわざこんな山奥まで来ない。
だが明日引っ越すという言葉が利いたのか、リョウは特に怪しんだ様子はなかった。
「あれ。お前と川上さんて、そんなに仲がよかったっけ?」
「うん。裏事情であれこれと」
そんな事情はない。しかし関係から言えば、そんなものなのだろう。
薪を拾い集め、楽しく話しながら、もとのキャンプ場へと、平然として戻るのであった。リョウも怪しむことはなかったので、それはそれで安心したが、いつかこれらのことが一度に雪崩れてくるのを恐れていた。
だが心配は心配。ただ浮かんでいる雲のように、私の心も宙に浮かんでいた。何も起こらず、どちらかというとミズは私に協力的だった。
あまりに平和に終わってしまい、いつの間にか前とはまったく逆のことを過ごしていたので、垢抜けたようになってしまった。
夏休みとは早いもの。宿題のノルマを終わらせる中で、やっと作った時間をリョウと共有する日々が続いた。時にはリョウの家に行き、時には私の家に来て、時には電車かバスに乗って遠征までした。
今になってはこんな関係が保てられるのを夢に思う。ついこの前まではこんなことを想像すらしていなかった。すべてはライバルがいなくなったおかげとも言えるが、それは大きな犠牲だと後で考える。
たった私一人のためにいなくなったというのは、一応世界を保つための大きな一つの必要条件であるが、あれは避けられる状況ではないのか。渋の進言どおりにせず、自分で時をかけてやり直せばよかったのでは。あれから二ヶ月が経とうとするが、いまだに考える。そしてこれからそんな状況に陥った時、どうすればいいのかも考える。
人の命というものを尊重せず、なぜに消えたのだろうか。事故といえども、やはり私が神である以上の過失なのだろうか。
ただ自分を責め、追い込み、圧力をかけるだけで進展しない私の考え。国会の予算決めよりも進みが悪いものであった。
だがそういう哲学風にことを考えていると、そろそろ祭りの日が迫っていた。カレンダーを見て気付いた。赤い色で数字に大きく丸が描かれていた。
今年の祭りはどうしようか。ミズキも連れて行こうか。だが邪魔はされたくはない。しかし付き合いというものもある。そういえば前は、ミズキがひどく気を遣ってくれたような。
よし、と決め、私はリョウだけにメールを打つ。そして時刻と待ち合わせ場所を知らせるメールを送った。リョウからの返事は早く、正直驚いた。よほど暇なのか、それとも机にとりついて勉強か。将来は決めていないと言っていたのに。
ミズキにも連絡をした。今年は行けないと嘘のメールを送った。まさかリョウと一緒に行っているなんて思われたくない。いつまでも友人でありたく、それに相手を傷付けたくなかった。
そして二人で祭りに行き、雲行きは一切怪しくなく、雨もなく、快適に祭りを楽しめた。楽しかった。誰もいない境内で気分だけのお参りをして、祭りに戻るなり食べ歩き、焼きそばを分けて食べたり、浴衣を引きずりながら今日は至福の時を迎えた。楽しい時とはこの時だろう。幸せとはこれだろう。私は生きる新しい瞬間を見つけた。
「お、そろそろだぞ」
絶景丘に登ると、こんないい場所であるのにまったく人がいないので、優越感を十分に満喫した。ベンチに座り、しばらくしないうちに、まだ完全に闇に包まれたわけではないが、花火は上がった。大きな花を咲かせ、まるで線香花火が散るように消えゆく寂しさ。祭りの後のあの物寂しさが心身と伝わる。だがそれが夏の風物詩。夏が終わろうとしている今、見るのはとても風流だ。同時に夏休みも終わる。
その平行に進む時間を感じながら、私たちは寄り添って花火を見ていた。打ちあがるたびに咲き、消え。花火は消えて欲しくはない。終わって欲しくない。このまま時間が止まって欲しい。もし終わってしまったならば、リョウとこのままでいられなくなる。大きく言えば、別れそうで、この関係を保てないで、終わってしまいそうな気がした。
辺りは暗くなり、さらに一層花の色がよく分かる。
大きく見開いたリョウの目を見てみると、何か物寂しげに見ているような気がした。それは、そう。あの、何かを思い出そうとしている。思索か模索か。冷たいものでも見ているような、しかし懐かしささえ感じる。
人の気も知れずに、花火は終わった。楽しいというわけではない。こういう時間は早く進むのだ。
終わったというのに、リョウは動こうとはしなかった。それは私には予想外の出来事だった。すぐにでも動くと思っていたのだが、私はこのままでもいいと思っていた。
またリョウの横顔を見てみると、まだあの、切ない目がどこの星を見ているのか分からない。本当に花火を見ていたのか。花火の向こうの星、星の向こうの銀河、銀河の向こうの何を見ていたのか。
もしかしたら私が隣にいることを認識せずに、ただボーっと座っているのか。それならどうしてそんな状態でいるのか。
私は寄り添いながらも、無性な孤独感を感じた。また一人になる。
周りには先ほどよりかは人がいた。その人たちは花火が終わるとすぐに帰っていった。
この状況は、しんみりと、閑静で、街を走り回る車の音、ダイヤのように光り輝く夜景、宝石を池の底に沈めたような星らがそこにある。
何をしたらいいのだろう。もしかしたら、何かをリョウは期待しているのではないか。それも特別なもの。
そして分かったように私はリョウを見た。だがまだボーっとしている。そして私は振り向かせるべく、リョウの肩を突いた。そしてリョウは我に帰ったように気付いた。
「そうだな。帰るか」
リョウは立ち上がり、さっきまで猫背になっていた背中を伸ばした。
私は予想と大きくはずしたことに、気持ちがそがれてしまった。もしかしたら期待していたのは私なのかもしれない。
その帰り道、特に何もなかった。下駄がカツ、カツと音を立てるだけで周りから妨げるものはない。私の胸はドキドキと高鳴るばかりで、行動には起こせない。
この夜の公園も何かとぼんやりと霞んでいて、そこに浮かぶ白い球が何とも幻想的であった。そこの公園には、先客がいた。
リョウの家の前で、リョウは何もなかったように言う。
「じゃ、これで」
リョウを見送る私の姿は、どう見えているだろうか。自分を客観的に見てしまうと、葬儀場まで死者でも見送るような不恰好に見えた。
リョウの後ろ姿を追いかける自分が、嘆かわしく思えた。
勇気がほしい。言う勇気がほしい。
「ねえ、リョウ。私のこと…好き?」
リョウは振り向きざまに言う。少し間があったかもしれないが、緊張のせいでそんなことは分からない。
「ああ。好きだよ」
前とはまったく違う展開に進んでいるのが分かった。
私はそのことを聞けるだけで嬉しかった。
「…じゃあね」
照れながら私は言うが、リョウは微笑んで優しく言った。
「じゃあな」
夏休みは終わった。だがここまでだ。私が知っているのは。これからは私も知らない未知の世界がある。踏み入れるのは大して恐くはなかった。今回は自信以上の味方がついている。
そして始業式の日。私はリョウを呼び出して、今頃と思う告白をしようと思い立った。あの花火の帰りの勢いを乗せて、私は成功すると思っていた。
「リョウ…付き合って」
果たしてどんな言葉が返ってくるか、胸の鼓動は早まる。
「何だよ、かしこまって。こんなところまで連れてきてさ…」
一度リョウは改めた。
「で、どこへ行くんだ?」
どこまで空気が読めないのか。昔から空気を読むのは上手ではないほうであった。だがこの時ぐらいはと、心から叫びたい。
「そうじゃなくて、私と…さ。ほら…つまり…好きだから、付き合って…さ…ほしいんだけど…」
二度目の告白は、急に恥ずかしくなってしまった。波から落ちたサーファーのごとく、私の精神は崩れかかっていた。リョウの顔を、ちらちらとしか見ることができない。
「え…?」
リョウは急に戸惑い、うつむいた。この状態を見ると、本当に理解をしようとしていなかったのだろう。もしくは単に間違ったのか。空気を読まずにふざけていたわけではないと見ると、本当に戸惑いを隠せないでいる。
「俺…」
リョウの言葉は詰まる。だが必死に言葉を探しているようで、出てくる言葉は途切れ途切れだった。
「もう少し待てないかな…俺、ちょっと…返事は後ということで…ダメかな?」
今すぐほしかった返事。もう分かっていた。
「もう…いい」
私はその場からすぐに立ち去った。リョウを見ないで。リョウはどんな顔をして私を見ているだろうか。もしくは見ていないか。自分のふがいなさで見れないでいるだろうか。
私は家に戻り、すぐに返事をくれないリョウについて考えた。
あんなのリョウじゃない。いつものリョウなら丸と手で表してくれるはずだ。絶対、今日のは違う。あれは間違いであって、私の失敗ではない。
「違う…」
その時渋はいた。ベッドで崩れている私を見ていた。ここ最近、渋とよく話す。前までは私についてのことが主だったが、世間話なんかもよくする。しかしその時は決まって世界情勢やニュースについてである。
「違うって何よ」
「だから…違う。あなたは過信…しすぎた…突き進めば突き進むほど…猪突であっても成功すると思っていた。そこが…違う」
「え…じゃ、私は、何をすればいいのよ。私、不器用だから…分からないよ」
渋は近づき、私の隣に座った。
「私が言ってもいいけど…本当に…言ってもいいの…自分でやり遂げねば…本当の未来はつかめない…」
最近渋はやけにつき話す態度に変わっている。
「リョウは…待ってと言った…ならば…待てばいい。それがいつになろうと…または…自分で進むか…これは私の言葉ではない。あなたの進める二つの道…」
そう言い残すと、無表情のまま部屋を出て行った。
まったく嵐のように来て嵐のように去ったというわけだが、私は確かにその道しかないことに気付いた。戻るといっても、変化は見られそうにない。なるほど今を変えねばならぬ渋の意見は正しかった。渋をはるか昔の時代に飛ばして世界を変えてみたい。
私はため息をつき、自分がやっていたことを改まった。前と比べると、開き直りと包容力は増していた。
あの時、確かにリョウは分からないでいた。もしかしたら今までの、つまり夏休みでの遊びや花火の帰りの出来事なんかも、リョウは私が突発的に誘い、そして幼馴染だとして好きだと解釈したのかもしれない。それを私は勝手に違う意味で理解していた。それなら私のほうに大きな過失があったのではないのか。
私はすぐに携帯電話取り出した。今から会うには、あれから大して時間も経っていなく、恥ずかしかったので、メールで謝罪をすることにした。きっとリョウもまだ、私の行動に対して困惑していることだろう。
「いきなりゴメンね。私、動転してて…本当にゴメン!!」
リョウのメールは帰ってくる。迷いがないのか、あっという間だった。
「俺もすぐに返事を返せないで悪かった。もう少し、考えさせてくれ」
あの時の言葉通りで、安心した。文面で駄目だなんて言われた暁には、直接で言われたよりかは傷つくぐらい分かっていた。だからそのメールを開ける時も、相当緊張感がほぐれなかった。
ひとまずこの状況を脱した。だが明日からどんな顔をしてリョウと面を合わせればいいのか。それを考えるだけで、今日はすぐに没した。
次の日の朝は太陽が優しく迎えていた。学校へ行くのにもすがすがしかった。あんなことがあった昨日なのに、今日は何かいいことがありそうだ。
「おはよう」
明るく教室に入ってみた。
「おはよう」
リョウもミズキも温かく迎えてくれた。リョウもこの方法が一番適当だと思ったらしい。互いに何か吹っ切れたようで、その挨拶をして、すると笑ってしまった。その間に乗り込めないミズキはただ見ているだけであったが、なぜだかその目は温かく思えた。すべてを把握しており、まるで親でもあるかのようだった。
私は後少しで待ってるからと言い出しそうになってしまったが、その後どうなるかを想像したら、沈黙が走りそうだったのでやめた。それに、私はしばらく笑っていたかった。二人だけが知り、共通の笑い。それが嬉しく、楽しかった。
私はリョウの笑顔に喜びを感じた。
季節は秋。夏休みははるか彼方。秋には芸術、食欲、運動、読書の秋とあるわけだが、あれからテストがあり、体育祭があり、そして今度迎えるのは文化祭。この学校では『輝望祭』と呼ばれている。
この下準備を進める中、私は平行してあることをしようとしている。リョウも誘ってはみたが、見事に断られてしまった。そんな恥ずかしいことはできないと言われた。来年は受験生で、きっと何もできないことは目に見えている。だから今年ぐらいはと思ったが。
嫌なら無理にとは言わないが、人数を合わせるために、水崎や成城、渋を誘ってみた。成城や渋はもちろん、水崎もできると言う。
私たちがやろうというのは、バンドである。実は準備は夏休み始まり頃から決めていて、練習を欠かさずやっていた。そのおかげでテストの一つは赤点を取ってしまった。
水崎はベース、渋はギター、成城はドラム、そして私はギターとヴォーカル。ギターと言っても、大体背負っているだけだった。中学の頃、私は水崎と、他の学校に散らばった友達とバンドを組んだことがある。
だから実際の話、曲と歌詞を作るだけで夏休みは終わってしまったものだ。
練習はそれからで、それから一ヶ月経ったが、ようやく合ってきたのだった。いや、合わせるのは私と水崎で、渋と成城には申し分がない。もう本番まで時間がない。より一層練習をせねばならない。放課後、私と水崎で練習を続け、教室にはクラスメイトが残って準備する中、私たちはノルマとそれ以上の働きを示し、早く返してもらうことに成功した。
そして初めて合ったのは、前日のリハーサルだった。その時は歌わず、曲だけであったが、通してずれはなかった。
私たちは顔を合わせ、初めて会った喜びを隠すことはなかった。互いに達成感を感じ、明日はきっと大丈夫だと確信と自信を持てた。
そしてそうして帰りに仲良く帰り、明日のことを称えて別れた。
しかしそうやって浮かれていた晩のことである。携帯が鳴った。
「はいはーい」
「もしもし、アズサ?ちょっと、やっちゃったんだけど…」
それは水崎だった。どうやらあせっているようだった。私はもしやと思った。
「ごめん…指…怪我しちゃって…」
予想通りだった。水崎は電話の向こうで泣きそうだった。
「ごめん…最後に練習をしようとしたら…指、切っちゃって…あんなに練習したのに…」
ついに泣いてしまったようで、もう何が何だか。
とりあえず、どうやら相当厳しい状況に立たされているのが分かる。そして一つの案が思いついたのだった。
「大丈夫。大丈夫だよ。何とかするから」
「何とかって?」
「大丈夫。何とかするから。じゃ、明日学校で」
「あ…ちょ…」
私は電話を切り、また新たに電話をかけた。
「早く出ろ…」
「…何だよ」
どうやら寝ていたようで、起こされたことに不機嫌だ。
「いや、ちょっと…というより、かなりやばい状況だから、コンビニに来て。今すぐ」
「は?何だよ、いきな…」
携帯を切って、楽譜を持って、早速部屋を出た。
外は寒い。そういえばさっきまで小雨が降ってたっけ。もう秋なのは間違いなく、紅葉に生え変わり、だがその寿命は短く、もう散ろうとしていた。最近の地球温暖化には目が留まる。他の地球の問題は今、この地球上全体の問題だ。いくら高校生の私にだって、それくらいの危機感は分かっている。
まあ、今はそれよりも、先にしなければならないことがある。
コンビニに着いたが、リョウはまだ来ていない。リョウの家のほうが近いはずなのに。外は寒いので、中に入り、雑誌を読み始めた。
しばらくすると、リョウは窓をこつこつと叩き、私を外に呼び出した。
「何だ。用って?」
「用って…あれ?」
ファッション誌を見ていて、あ、これがいいと、名前を覚えるのに記憶のスペースを開けていた。しかしすぐに思い出した。
「あ、そうだ。水崎、怪我したんだよ。それでさ…」
「俺に出ろと」
飲み込みの早いやつだ。あの告白の日から、まだ返事は貰っていない。だが、あれからだいぶ変わった。
リョウの返事は早く、意外だった。
「ああ、いいよ。お前のそれ、楽譜だろ。見せてみろよ」
「え…あ、うん」
いともあっさりとことが進んでいることに驚いた。
「…面白いな、お前」
「何がよ、バカ。何が面白いのよ。一生懸命に書いたんだから」
リョウはそれを見て、明らかに笑いをこらえているように見える。
「いや…さ。ちょっと直せば…もっと良くなるのに…悪くしてばっかで…ハハハ」
ついに噴出した。もう私も黙って入られない。
「バカバカ。私だって、アンタみたいなセンスが欲しいわよ」
将来の夢は特にない。だが誰かに負けるのは人一倍嫌な体質で、いつもリョウには負けたくはないと思っていたが、男女という格差のほかに、量には展性的な音楽センスがあった。それには唯一、私は感服してしまう。しかしそんな才能を持っているのに、蔵に入れたまま出そうという気はないみたいで、今は音楽活動をやめている。本人曰く、疲れたらしい。親父かと突っ込みたい。
「それならなんで断ったの?」
「いや…その時は気が向かなかったんだよ。あるだろ、そんなこと」
「まあ…あるっちゃ、あるけど…」
やるって言っていることだし、まあそんなことはどうでもいいか。
「じゃ、それ、分かってるわよね」
「ああ。俺はベースだろ。後、曲も書きかえる。いいだろ?」
「ちょっと。それじゃ、崩れちゃうでしょ、全体が」
「大丈夫、大丈夫。さりげなく、引っ張る感じにするから。それよりも何か。全部書き換えてもいいんだぞ」
「いや、遠慮しとく」
風は吹いてきた。強く、寒かった。こんな時期にスカートなんかで来るのではなかったの後悔している。
「あ、そうだ。何か買ってよ」
「は?なんでだよ」
「待たせた罰。それに笑ったのも。カレーまんがいい」
「おいおい…今月小遣いが…」
「さ、入ろう」
コンビニの中に、二人は消えていく。そして温かい丸い黄色い月のようなものを持って、外に出た。その半月を、リョウに分けた。
「さ、いよいよだね」
ステージ裏で、私たちは待った。そこで水崎は一人落ち込んでいる。
「大丈夫だって。俺が出るから。こいつより上手いし、頼りになるぜ」
リョウは私を指差す。
「何よ。私が書いたんだからね」
この学校の文化祭は、一般公開が二日間。前夜祭はなく、後夜祭がある。吹奏楽部や演劇部、コーラス部などが体育館を使って一日目に発表する。そして二日目は軽音楽部とバンド。登録したグループのみ出ることができる。そして後夜祭。投票で選ばれた水槽学部からバンドまでをリクエスト的な方式でまたライブをする。それは三組しかできない。
私はそこまでこだわっていない。単なる思い出残しだ。
そういうことで、一日目はいつも仲良くしている友達と回り、その後リョウらと回り、最後に何回か曲を合わせた。その時はリョウも不満足な顔をして、一度やっては書くの繰り返しだった。おかげで時間がかかって疲れてしまった。
そんなことを思い出しながら、先のステージでの演奏は終わり、ついに私たちの番になっていた。素直に、緊張していた。足が笑っているようだった。
ステージ上に上がると、ライトは強く照らし、熱かった。まぶしい真夏の太陽を浴びながら、挨拶をして始めた。観客はそんなにいない。先のバンドはひどかった。リョウもひどい顔をしていた。
そして始めた。私は一生懸命に歌い、弾いた。リョウもネクタイを途中で緩め、本気でやっている。あんな目を見るのは久しぶりだ。
今日用意したのは二曲。実はもう一曲あるのだが、それは未完成だった。
一曲目が終った時、体育館の椅子は、半分埋まっていた。それを見て、満足そうな顔をしている。
後一曲あることを告げ、本格的なバンドを始めた。
リョウは成城からベースを渡し、代わりにギターを受け取った。
そして始めるのだ。リョウの即席オリジナルが。
後夜祭でも歌った。私たちは選ばれた。リョウに早々と曲を書いてもらい、即席だが聴いてくれた人は騒いで、盛り上がってくれた。そしてアンコールもあったので、多分あまり聞かれていない、昨日の一曲目の曲を歌った。
そして『輝望祭』は幕を閉じた。
私にとって、十分な思い出だった。リョウと一緒のステージに立ったし、それに楽しかった。これでもう高校生の思いではいらないと思った。だってこんな楽しい気分になれたのは、初めてだ。
リョウは後で俺に感謝しろと恩着せがましくするが、確かにリョウのリードで大成功であった。しかも曲は極限に仕上げられていて、曲の最大の良さが引き出されていた。渋も成城も素晴らしいほど的確で、唯一リーダーの私が一番出遅れたような感じだった。
しかしそれがきっかけで、リョウはモテ始めた。
正直驚いた。私はそれがきっかけで、もしかしてリョウの気持ちが揺らぐのではないかと不安に思った。
女子に囲まれ話しているリョウの顔は清々しいほど嬉しそうだ。
私はその中を割り込んで、早く帰ろうと誘ったが、もう少しだからと言うだけで、結局ミズキと二人で帰ることにした。今日は休日なのだが、模試で学校があり、さらに夕方までかかった。
そのすっかり疲れてしまった帰り、ミズキは言う。
「あいつ…変わったよな」
その一言は深く見事矢を射られた。ちょうど心臓辺りだろう。むかむかする。しかしそれはまだ核心ではない。いつ頃かと尋ねてみた。
「それは、ええと…成城さんを助けた時ぐらいかな…」
やっぱりそうだ。私が変えたことで、変わっていた。何も変わらず、水平線一線をたどるものかと思っていた。その上を歩くだけかと思っていたが、違った。いつの間にか桟道から落ちていた。暗い奈落の底へと、自ら自分を葬っていた。
そのことに気付いた私は、また自己不振に陥っていた。その後ミズキと別れたが、魂を抜かれたように、もぬけの殻のように帰路へついた。
家に帰り、部屋に入ると、ひどい自分の姿を目の当たりにした。
そしてまた、自分をさらにそこに穴を掘り進めて、さらに穴があれば隠れたい。もう、どうすればいいのか分からない。
だがこんな時に決まって出てくるのは渋だが、今日は出てこない。私の唯一の励ましがなくなってしまった今、悲観せざるをえなかった。さらに追い討ちをかけるように、突然地震が起こった。
それをきっかけに私はリビングに行くことにした。テレビでも見て、気を晴らせればと思った。私がしっかりしないと、世界が崩れることは、頭にたこができるほど渋に教えられた。
だがテレビをつけると、上のほうにニュースの告知が現れていた。
私は恐怖におびえた。私がまた、あんな精神状態に追い込んだから。私は自分が恐くなった。自分がいるから。自分がここにいるから。自分がいつか、兵器のように思える時がある。その時はどうしようもなく切なくて、死にたいと思う。なんでこんなことになったんだ。なんで私ではいけないのか。だがいつも渋は言う。目の前の壁を恐れるなと。だがこれは体験した者のみが味わう恐怖で、責任感で、それで私のせいでたくさんの人が死んでいる。それがどうしても私の理性を抑えることができない。
助けて欲しいが、それが誰にも出来ないことは知っている。他者が関われないことがある。それは知っている。だが頼りたい。自分の力でどうにかしなければいけないのは知っている。だがコントロールができない。
するとリョウは微笑む。私の中であるが、それが何よりの助けであり、救いだ。リョウが笑えば、私は嬉しい。私も笑う。それが楽しい。
そのリョウに、私は何回も助けられている。ルイの消えた日から、ずっとだ。私は生きている喜びを知れた。リョウにより、生きる意味を知った。だから、私はリョウが好き。何でも知るのではなく、ただいて楽しいから、一緒にいたい。
涙を取り払い、むごい光景のテレビを消して、今日は疲れたなとベッドで眠る。まだ何も家事という家事はしていないが、たまにはいいだろう。どうせ明日は日曜日だし。
また新たな希望を持って、光がある未来へと私を託すのであった。
それがきっと、私を導いてくれるのだと思う。
月日は経ち、自然とリョウの周りから女子はいなくなり、リョウのしょんぼりとした顔が見える。
後々考えてみて、もしかしたら変わった時期という憶測も違い、実は私自身がリョウを変えたのではないかと思った。まだ返事も貰っていないし、実はそれがきっかけかもしれない。
返事を貰おうと何回か機会を与えてはいるのだが、聞くことはなかった。そのままクリスマスは近づき、同時にあと少しで冬休みと新年を迎える。一年なんて早い。この前サクラを見たと思えば、もう雪を見る季節だ。
それは置いといて、私の誕生日も近づいている。クリスマスの次の日だ。私はあえてクリスマスの日にリョウと一日を過ごすことにした。
そして呼び出し、もみの木を見て、ウィンドウショッピングをして、食事を楽しみ、そして楽しい時間は過ぎて夜になった。
もみの木の下でリョウはもじもじしている。寒いのだろうか。
それにしてもお腹がすいた。そろそろ夕飯にしたいと思っていた。
「ねえ。そろそろどこか食べに行かない?」
「…ああ。そうだな」
食事の間もリョウは午前とは違って、どことなく寂しい顔をしている。なぜだろうか。
店を出て、また同じもみの木の下に移動し、だがリョウはまだ顔を曇らしているようだった。
「これからどうしようか」
私が尋ねると、なぜか沈黙は訪れた。
私は立ち上がり、地面の石を蹴った。石はころころと転がり、排水口に吸い込まれた。
するとリョウは立ち上がった。
「お、俺…あの…実はおま…」
「あ…雪」
私の視界に入った白い粉雪が入ってきた。ちらちらと、光に反射されて、一つの星にも見えた。
「で、リョウ。何?」
リョウはまた言おうとしたが、言葉をつむんだ。
「…なんでもない」
私たちはもう帰ることにして、リョウは相変わらず暗かった。
「じゃあね」
「…ああ…じゃあな」
ドアを閉める音が住宅街に響き渡った。その音と共に、空から雪が一気に落ちてくるかと思うほど、それは大きく思えた。
まだかと思う。今日は私の誕生日。携帯が鳴るのを待った。もしかしたら二日連続のデートはありえる。それを待っていた。
去年も一昨年も、ファミレスに連れて行って、そこで私を祝ってくれた。
しかし今日はいつもより遅く、もう時計の針は午後に入ろうとしていた。
「遅いな…」
ぼやきながらも、確かな期待をしていた。リョウは来る。絶対来る。過信する思いが続くのだが、やがて時間が一日の終わりを訪れようとすると、机に向かって勉強しているフリをしているしかなかった。
もしかしたら、リョウは忘れているのか。
私から電話をかけることはできない。厚かましく思われる。ミズキからのメールもない。もし来ていたならば、ミズキにもメールを送って、リョウを引っ張り出そうという案を編み出した。だがそうすることもできずに、私は一日が終わるなぁと、外の星を数えていた。
なぜ今日はこんな仕打ちを受けねばならないのか。若い人の誕生日は楽しいはず。しかしそうではない。
机に突っ伏し、もう何もしたいとは思わなかった。何もしていないのに、ひどく疲れたような気がする。精神的に疲れた証なのだろうが、何だろう。この虚しい感じ。心が今にも砕けそうだ。疲れた。
きっとこうやって年末年始も一人なのかなと想像し、人生とはなんなのかなと、無理にでも哲学をして気を紛らわしていた。
だがその甲斐もむなしく、またいつもの私に戻ってしまった。
私の悪いところは気持ちの変動が激しく、暗くなった時はとことんマイナス思考だった。
今日は机の上にペットボトルと菓子パンで私自身を人生で一番寂しく祝った。そうすることで、もしかしたら何かをつかめるかもしれない。だがつかめるものなんて、どうせ何もない。自分を慰めるのはどことなく寂しい。
本当にこんなことで、リョウとの関係はどうなるのだろうか。
不安は増すばかりだった。
誕生日から連絡はない。無論、年末年始もだ。リョウはどうしたのか。ますます心配になってくる。もう私の誕生日がどうだなんて言ってられなかった。リョウの身が心配で、始業式の前日、リョウの家の前まで買い物ついで、寄った。
目の前まで来たのはいいのだが、どうしようか。
私はリョウの家の前をウロウロとし、前を見てみると、リョウはいた。
「何だよ…さっきから」
少し見ないうちに、やや太ったなと思った。上着を着て、その重みなの両肩はストンと落ちていた。風邪でも引いているのだろうか。
「風邪?引いてねえよ」
鼻声でもないし、確かにそうなのだろう。
だが風邪を誘う、沈黙が訪れた。冷たい風に押され、体を震わせた。
「中…入るか?」
肌寒いし、暖を取りたかったが、入るのには少しためらった。どういう話をすればいいのだろうか。それが分からない。
しかししばらくリョウの家に行っていなかったためなのか、リョウの部屋が懐かしく思えた。
「…うん」
リョウの部屋にはストーブがあり、その上にやかんがある。どことなく幼馴染の名残がある。部屋はあまり変わっておらず、それが私の心を和ませた。
リョウは唐突に言い出す。
「誕生日…悪かったな…用事が入ったんだ…」
長く付き合っている私には、それが嘘だと分かった。嘘をつく時、決まって左の目元をぴくぴくとさせる。だがそれを信じたいと思った。リョウにも事情というものがあるのだろう。しかし明らかに分かったのは、それを信じることで、私は自分を保とうとしていたのだった。
「うん…別に…」
年始に入ってから初めて会った。ほんの二週間ほど会っていないだけなのだが、一年も会っていないような錯覚が私の心を混乱させていた。
リョウも私も、何も話さなかった。そして昼頃だろうか。大体一時間ほどして、よくこんな状態を保てるなと、我慢大会に出られるかなと思った時、私は家を出ることにした。
「じゃ、私…そろそろ、おいとまするね」
リョウは家の前まで送ってくれた。
「じゃあね」
返事はなく、ただ黙ったまま私を睨みつけているようであった。
嫌だな。素直に私は思った。
そして私はそのまま帰ることにした。もうリョウの顔は見ない。そうすることにした。
しかしどうしても振り向かねばならなくなってしまった。私の肩を、リョウはつかんで引っ張ったのだった。
「なあ…俺…俺…」
言葉の出ないリョウより先に、突然のことに驚いて、気が動転していた。そしてすぐに私の肩に乗っている手を払い、リョウの目つきを思い出し、今のリョウの強い眼光と引っ張る腕の力がさらに加えられ、私は急に恐ろしくなった。何もかもだ。
私はきびすを返して逃げ出した。走って、走って、走った。家の中に飛び込むと、何とか振り切ったような気がし、息が弾み、しかしすぐに魔物でも追いかけて来ている勢いで、ドアのカギを閉めた。
私はすっかり雨にぬれたような格好になり、疲れた足を引きずりながら自分の部屋に戻った。何も感ぜられぬままベッドに飛び込み、また何やっているのだろうと私に問いかけた。しかしその時の感情移行は鮮明に思い出せるのだが、その思い出されるたびに後悔が現れる。あの時、ああやっておけばよかった。もしかしたらあの時、あれがリョウなりの最大限の表現だったのかもしれない。
私はまた、あの時リョウが何を言いたかったのかを考えてみたが、いくら考えたところで導かれるものはない。
まあ、やはり突然あの時、訳も分からずに逃げ出した私が悪いと私は決め付けた。何を言おうとしたのか。私は気になった。だが自分から謝ろうにも、携帯を持つまでで、その後ボタンを押す勇気がない。
携帯を机に置き、またベッドに倒れこんだ。
自分に欠けているのは多くある。だがそこに埋めるものは何もない。少なくとも私の周りにはだ。自分で探す気にもなれない。そんなの決まっている。どうせ自分でではどうにもできない。
ため息をこぼし、私はただ真っ白で純白な天井を見続け、ただただ、大きく深呼吸をするのだった。
新学期が始まると憂鬱になる。それは学校があり、その中に勉強をせねばならぬ時間というのがあるからだと、決まって誰もが口をそろえる。
そしてリョウとももちろん会う。冬休みはあれっきり、リョウとは会っていない。まだ謝ってもいないし、未だに気まずい雰囲気でいた。
リョウとは挨拶程度の付き合いが一週間ほど続いた。それを見ていたミズキやミズはどうしようもない空気にただ狼狽して、なるべく射程範囲内には入らないようにしていた。
そんなある日のことである。その関係を保ったまま二月に入り、リョウは私のことを誘った。約一ヶ月ぶりに話したわけだが、質素な会話だった。
とりあえずリョウは学校帰りに私を誘い、ひとまずカラオケに行こうと言った。予定はないらしく、行き当たりばったりだった。ミズキらはいいのかと尋ねると、いいと言う。そしてカラオケに行ったのだが、リョウの声には張りがない。何と言うのか、元気がない。それに本調子ではなく、どことなく緊張しているように思える。
カラオケを出ると、もう辺りは暗かった。冬の夜は早い。土手の上を自転車で走っていると、道は狭いし、川沿いなので肌に当たる風は寒い。
そこでリョウは止まり、土手に座りだした。
「ほら…横に座れよ」
私は横に座り、橋の上のきれいに流れる流れ星を眺めていた。それは満天の星。冬の空はきれいで清々しくて、気持ちよかった。
リョウは土手を下り、川に向かって石を投げ出した。一回、二回、三回と跳ね、川に散っていった。リョウは時計をちらちら気にしながら、石を投げ続けた。しばらくするとまた土手を上がってきた。
「行くぞ」
そう言って先導すると、果たしてどこに連れて行かれるのかと不安を混じりながら、やや冒険感覚で楽しんでいた。リョウから誘い、リョウに先導してもらうのは、幼馴染人生で初めての体験であった。
商店街を通る時、すでに閉めている店は多数あった。まだ開けている店はあったが、人は外に出てきていた。駅の前の噴水ももう水溜りになっていて、駅の前はすっかり行き交う人はいなかった。私はリョウの後を追うまま、いつの間にか学校に導かれていた。
学校の正面を通り過ぎて、リョウに導かれるまま、学校の裏側に自転車を止めて、壁も植物もないところから侵入し、しかも目の前のドアは開いていて、その奥へと消えていった。
私はためらうが、リョウに手を引っ張られ、中に入ってしまった。
「ここ…知ってっか?」
リョウは冒険心旺盛な子供のように、はしゃいでいるようであった。
「ちょっと…やばいよ…」
私の心の中で葛藤は始まっていたが、リョウのほうが一枚上手だった。
暗い廊下を通り、避難のぼんやりとしたライトがゆらめいている。月明かりに照らされた階段を駆け上がり、誰にも見つからず、リョウにリードされたまま、屋上への扉を開いた。
「きれい…」
今にも届きそうな星だった。目もくらむような数に、見惚れていた。
リョウは私の手を離し、少し先を歩いた。私も少し着いていった。
そこで、リョウは突然振り返り、私の肩を持った。そして力を入れられて、少々痛かった。だが我慢しようと思った。あの時のことを思い出しだのだった。もう、二の舞なんかにして堪るか。
そしてあの後に考えて、考えて、たった一つ、辿り着いた答えがあった。もう一度、告白しよう。まだもらっていない返事を、自分から貰いにいこうと考えた。
だがリョウは先に言った。
「俺…ちょっと不器用だけど…」
そこまで言うと、前も同じように口をつむいだ。何を言うのか期待していたが、リョウの口は止まったままだった。
だから私は自分から言い出すことにした。
「私…私…」
私はあの時のように、すらすらと言い出すことができない。私の何かが、それを阻止しているのだった。
そして脳裏に横切る、一つの顔。ルイだった。優しく微笑む顔。これでいいのか。本当に。私が神であるから消えた彼女。おかげでライバルなんていなく、ことは淡々と進んだ。しかしこれで本当にいいのだろうか。
私はできない。告白なんて、ましてリョウからの告白も受け付けたくなかった。
私はリョウを幸せにせねばならない。だがそれは違った。ルイや私ではなく、リョウ自身が自分の手で。それが人生だ。私はすべての間違いを、確かめた。
本当の幸せは、こんなことではない。私がリョウと付き合うことがゴールならば、それで世界は変わらずに水平線をたどり続けるだろう。こんなの変だ。絶対違う。私は幸せが近くにあるものだと思った。目的を達せれば、それが幸せなのだと思った。
「やっぱり…できない…」
そして私は一つのことをした。それはシンプルで、簡単なこと。
「ルイの…思い出…」
「…あ」
私はリョウにルイの記憶を返した。神から直接に、あるいは間接的ではなく、もともと記憶としてあったわけだから、教えたことにはならない。
リョウも気付いたように、ルイが思い出されていた。
「ルイ…」
リョウは狼狽した。
あの消えた時のルイを思い出したわけだから、ショックも大きいだろう。そして私もまた、ばれてしまった。神であることが、ばれてしまった。今にとってはもうどうでもいい話なのだが。
「お前…」
リョウは動転している。消えていったルイが、光の粒子になったのだ。しかもそれが明確に、明細に、鮮明に思い出されたのだった。
リョウは近づき、私の肩をつかんだ。
「ルイは…ルイは…」
私はリョウに教えた。神の能力で、脳に植えつけた。
「そんな…」
地面にしりもちつくリョウに、私は慰めた。
「これは…本当なんだよ…私…神です…」
すると私はまた、光の粒子となって空に消えてゆくのであった。だが、それは違った。消えてゆく私をリョウは肩を押さえつけ、一念に消えるなと唱えていた。しかしそれは無理なことだ。私は消えるのではない。また、戻るのだ。
「大丈夫だよ、リョウ。私、戻るだけだから…また、戻るだけだから…」
リョウに教えた容量は大きく、ほぼすべてを知ってしまったようだ。
「…アズサ…ガンバレよ」
私は涙をこぼしてしまった。しかしそれは、悔しかったり、悲しいからではない。
私は過去を振り返ってみると、リョウに『アズサ』と呼ばれたのはいつのことだろうか。確かに言えること。この一年は『アズサ』と呼ばれず、『お前』だった。私はそれを気にせずに受け止めていた。本当は心の奥底でひっそりと泣いている私が、事実、化面をかぶらされて、さらに縛られていた。本当の自分と向き合われず、影が私の前に出ていた。
「じゃ…」
「健闘を祈るぞ…」
「ハハハ…リョウってやっぱり最高に面白いね」
運命は、変えられない。
「そうだろ…ハハハ」
「ハハハ…」
木の陰から、ひっそりと息を潜める人はいた。
「…うん―」
星がまた、無数に散らばっていった。
最後はハッピーエンド、バッドエンド、そして続く。
あなたはどの終わり方が好きですか?
この話は終わりはありません。
あなたがこの先の話を作り、想像してください。
私はこれが永遠の話であると望みます。
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