第2章 其の貳
†
「な・ん・で・て・め・ぇ・が・こ・こ・に・い・る・ん・だ・よぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!」
転校生。
右も左も分からぬ新参者。歓迎こそすれ、迫害する謂われなど本来は皆無である筈の異邦人。違う文化からやってきた、ある意味未知数の要注意人物。
そんな人間には間違っても向けるべきではない、殺気と怒気にまみれた目線をこれでもかと注ぎながら、俺は手近にあった教科書をぶん投げた。この場にプロ野球のスカウトマンがいれば、きっと俺のことをドラフト会議に連れて行ってくれるであろうほどに見事な投球フォームで、攻撃の意味合いしか込めずに投擲した。
相手に向けるのは、教科書の角。
キャッチャー、ではない、デッドボールを受け止めるバッター役は、齧澤季語ことゴキ子。
昨日までゴキブリだった筈の、1人の少女だ。
「――」
俺の放った一撃は、一直線にゴキ子へと向かっていく。丸めた新聞紙でぶん殴るように、その紙束たちはゴキ子の脳天を射抜かんと迫る。
しかし、ゴキ子とてただのゴキブリではない。今や人間としてこの場に立つ、人智を越えたゴキブリなのだ。そんな一撃が易々と通じるほど、甘くはなかった。
「――ふん」
俺の視線を鼻で笑うと――――瞬間、ゴキ子の姿が消えた。
標的を失った教科書は、虚しく空を切り、黒板との正面衝突を果たす。ガァァアアアアアアアアアンッ!! という凄まじい音からすると、どうやら俺の思っていた以上に威力はあったようだ。隣で佇む先生に当たらなくてよかった。下手をすれば、俺の命は風前の灯となっていただろう。
しかし、ゴキ子は一体どこへ――
「無様ですねぇ、なぁにやらかしてくれてんですか? ご主人テメーこの野郎」
「っ、な、はぁっ!?」
その声は、すぐ足元から聞こえてきた。
驚愕を隠し切れず、がたがたと狼狽えてしまった俺は、2、3歩とはいえ後ずさってしまう。その隙を、生存本能に貪欲な彼女は見逃さない。悪魔のような笑みを浮かべて、ゴキ子はがばっと姿勢を変えた。
まるでここまで、教卓から3メートル半は離れた教室最奥部まで、匍匐前進でやってきたかのような四つん這いの姿勢から――――机を足場に、椅子を足かけにした、侵略者の姿勢へと。
弱者を嬲るかのようなその格好は、勿論、スカートの中身が丸見えであることなどまるで配慮しない。
「私の来襲に反応した、その反応速度だけは褒めてやっても構わねーですよ? ご主人テメーこの野郎。しっかし、対応がなっちゃいねーですね。先制攻撃に使うものが、あんなお粗末なティッシュ代わりの紙切れじゃ、避けてくれっつってるようなもんですよ? あぁ、それともあれですか? 私に公開自慰ショーを行えと、そういう遠回しな命令だったりしたんですか? いやですねご主人テメーこの野郎、やっぱり大概好き勝手やりやがる変態じゃなばがっ!?」
「先生すみません、ちょっとこいつの脳味噌を洗ってきますんで、少し席を外します」
ゴキ子の口周りだけを丹念にアイアンクローで絞めつけながら、俺は教室を後にする。教師の返事なんか、この際待つ訳にはいくまい。これ以上教室でこの脳内ストリップ劇場娘に言質を許したら、俺は社会的及び精神的に終わり過ぎて笑えやしない。
「ごぶび――――痛ぁっ!?」
ゴキ子を廊下の柱へと叩きつけ、ついで教室へと繋がる扉をがっちりと閉める。どうせなら目張りでもして密閉空間に仕立て上げたいけれども、テープがないので諦める。クラスメートを一頻り鋭く睨んでから、俺はゴキ子の方へと向き直った。
こいつに対しては、鋭い目で睨みつけたりはしない。
殺気だけを湛えた目で、突き殺すように見るだけだ。
「……あ、あのー、ご主人テメーこの野郎? その、目、目が無茶くっちゃ怖いんですけど…………どうか、しました?」
「これでどうもしてねーとでも思ってんのかてめぇの身体ん中は血液じゃなくて媚薬でも流れてんのか万年発情期のクソゴキブリ娘」
「ちょ、口が悪いのは私のアイデンティティでしょーが! いくらご主人テメーこの野郎が私の命の恩人だからといって、そんなとこまで崩さねーでくださいよ! どうすんですかこのままじゃ私はただの乳がでかいだけの女じゃねーですか!」
「黙れ」
「大体ですね、ご主人テメーこの野郎がロリコンのペドフィリアで一二歳未満の寸胴体型処女で胸はAAAカップの幼女にしか興奮しないっつーのは周知の事実ですけど、けれども、いやだからこそこうやって健気に胸だけは大きくして誘惑してんじゃねーですか。そんな仕方なしの嫌々で身につけた外見だけをアイデンティティにされちゃ、私としたってゴキブリ以前に生物としてのプライドがほあたぁっ!?」
「黙れ、と言った筈だ。2度は言わねーぞ」
ミシィ……!
俺の突き出した携帯型蠅叩きの先端が、廊下の壁にめり込んでいた。
ぱらっ、と破片がゴキ子の肩に落ちる。減らず口で姦しいゴキ子も、リアルに命の危機が迫ると黙るという選択肢を思い出すのだろう。ぎこちない笑顔を浮かべたまま、彼女は赤べこの如くこくこく頷いた。
最初からそうしていれば、要らぬ怒りは買わずに済んだものを。
「はぁ…………お前さ、一体なんなんだよ。いや、訊きたいことは山ほどあるんだけどさ、もう本当、お前は一体なんなんだよ」
「なんなんだよって…………そりゃ、ゴキブリですけど。メスの」
「いや、そういうことを訊きたいんじゃない」
「もっと言えば、ご主人テメーこの野郎専用の性処理用ペットですね! ほらほらぁ、好きなとこ使っちまっていいんですよぉ? 胸でも口でも腋でも髪でも、そして勿論、……私の、大事な所だって」
「次にクラスでそういう趣旨のことを言ったら、お前の口を裂くぞ」
「っ!? そ、それはまさか、クソ熱いヴェーゼを交わそうというお誘いの言葉ですかご主人テメーこの野郎っ!? 振りですね、それは振りなんですよねぇっ!?」
「口裂け女って都市伝説、お前は知ってるか?」
「…………オーケー、ちょっと話し合いましょうご主人テメーこの野郎。まだ、まだまだ私たちの関係って、修復不可能なほど破綻してはいねーと思うんですよ」
「破綻しかけているんだとしたら、原因は間違いなくお前だからな」
っていうか、お前との関係だってなし崩し的に、仕方なく結んじまっただけだ。
まさか素っ裸の美少女を1人、屋外で放置しておく訳にもいかねーしな。素性が素性だから、警察機構なんて頼れねーし。
「まず第1に、お前、家の留守番はどうしたんだよ。大人しくしてろって、さっき言っといた筈だろ」
「えー。別にいーじゃねーですか。彼女もいねー独り身のご主人テメーこの野郎に、盗られて困るものなんてねーでしょうに」
「そういう問題じゃねーだろっ!」
「あ。もしかして心は盗まれたいとか、童貞は奪われたいとか、そういうのは」
「殺虫剤って、直腸とか膣内に充満させるとどうなるんだろうな」
「なにさりげなく殺虫剤を、しかもお徳用のぶっとい奴を取り出しやがってんですかご主人テメーこの野郎っ! 太いだけなら大歓迎ですが、中のものは流石に膣内には毒です!」
「じゃあ口ん中にでも入れるか。ほれ、口開けろ顎外せ」
「さりげなくドSですねご主人テメーこの野郎。いや、ちょ、本当にマジでそれは洒落になんねーですからっ! 私は確かに薬物に対して抵抗性持ってますけど、体内に直は危険ですからっ!」
「だったら大人しく質問に答えやがれコラ」
かっしょかっしょかっしょかっしょ
いつでも殺虫剤を散布できるように、俺の両手は小刻みに上下に動いていた。
普段なら絶対に使わない、奥の手中の奥の手だ。特にこんな、虫が多い学校の中じゃ、武器として殺虫剤を取り出すのだって遠慮しているというのに。
話が通じちまう俺が武器を持っていると、虫たちって時に神風特攻仕掛けてくるんだよな。
「留守番、留守番ですけどね? ご主人テメーこの野郎が家を出てからすぐに、代わりに留守番してくれるっていう奴がいたんで、任せてきたんですよ」
「代わりに……?」
「えぇ。どうやら、ご主人テメーこの野郎の知り合いだったらしいですけど。普通に扉開けて入ってきましたし」
「我が家の扉は現在フルオープン状態だろうが、どっかの誰かさんの所為で」
「あんなすぐ壊れる扉が悪いんですよ。私みたいなか弱く可憐で華奢な女の子の蹴り1つで吹っ飛ぶだなんて、使えない不良品にもほどがあります」
「あぁそうか。お前、脳味噌に回す筈の栄養が全部胸に行ってんのか。だからこんな、救いようもないほどにバカなのか」
「…………ご主人テメーこの野郎。私、ゴキブリじゃなかったらマジ泣きしてますよ?」
「でも、だからといってなんで学校に来たんだよ。俺、お前に高校のこととかなにも言ってねーぞ? 大体、昨日までゴキブリだった癖に転校とか、無理があり過ぎだろ。どんなご都合主義だよ」
「ぐすっ……よよよ……」
「うぜぇ、早く話せ」
我ながらなかなかに外道だった。まぁ相手はゴキブリのゴキ子だし、いっか。
それになにより、そのことがなによりの懸案事項であるのも本当だしな。
再三に亘って、しつこいくらいに繰り返す通り、齧澤季語ことゴキ子はその名前からも分かるけれども、ゴキブリなのだ。それも昨日まで、もっと言えば今から約8時間前まではゴキブリとしての生を歩んできた筈であり、齧澤季語という妙ちきりんな名前をした少女がこの世に誕生したのは、つまり約8時間前ということになる。
8時間。
しかも、ド深夜から早朝にかけての、8時間。
それは多分、殆ど無に等しい時間だろう。少なくともついさっきまで存在していなかった人間が、いきなり高校に転入するだなんて大それたことをやってのけるには、あまりにも時間が悪いし足りない。
戸籍もない人間が、小学校内容すら履修していないゴキブリが、唐突に高校に入るだなんてできる訳がない。
「うぅぅぅ……ご主人テメーこの野郎が、予想の斜め上をいく鬼畜野郎でした…………でも、そんなに悪くない、かも」
「お前の胸って、蠅叩きが何本刺さるんだろうな。試してみていいか?」
「ちょ、人の胸をそんな針刺しみてーな使い方使用としねーでください――――って! なんですか蠅叩きを刺すっていう斬新な語感っ! どんな拷問方法ですか1本目で大抵の人間は死にますよっ!?」
「お前は死にたいのか? ゴキ子」
「私はまだ生きていたいんで白状しますっ! この学校に行けばいいって教えてくれたのも、その代わりに来てくれた人ですっ!」
「……制服は?」
「その人から頂きましたっ! ……ちょーっと胸がきついんですけどね。あ、これは別にいやらしい意味じゃなく、単なる感想で。全体的にサイズも小さいですし」
「……成程」
「? な、なんか、妙に納得なさっているようですがご主人テメーこの野郎。もしかして、私の代わりに留守番してくれやがっているあの女に、なんかしら心当たりでもありやがるんですか?」
「……………………」
ゴキ子が珍しく的を射た質問をしてきたが、俺はそれに答えようとはしなかった。
それどころじゃあ、なかった。
彼女の言う通り、俺には心当たりがあった。俺の家の留守番を喜んで引き受けそうな奴にも、ゴキ子をこの学校に潜り込ませられるような奴にも、凄く残念ながら生憎の話、誠に遺憾ながら。
けれども、問題はその動機だ。
留守番に関しては、まぁ分からなくもない。あいつなら、俺の部屋に一分一秒でも長くいたいと望むだろう。ましてや口五月蠅い俺のいない時間中、部屋のものを好き放題にしていいということになれば、興奮のあまり全身の穴という穴から出血しかねない。部屋が、具体的には箪笥の中や布団が血まみれになっていないかが地味に心配なのだが、しかしそれは後に置いておくべきだろう。
乾き切った血液くらいなら、あいつが洗濯すれば落ちるだろうし。
分からないのは、ゴキ子をこの学校に転入させた理由の方。確かにあいつの手練手管を駆使すれば、このくらいの異業(偉業ではない)は容易いだろう。けど、こんなことをしたところで、あいつにはなんのメリットもない筈だ。あいつ自身がこの高校に転入してくるならまだしも。
その辺は、後で詳しく話を聴かなければならないか――――いや。
話を訊き出さなければ、ならないか。
「…………ご、ご主人、テメーこの野郎……? な、なんか、顔、顔が……壮絶に怖い、んですけど……」
「ゴキ子、なんで地獄が怖いか、知っているか?」
「はぇ? じ、地獄はそりゃ、怖いでしょうよ。普通に怖いです、誰だって怖いです。元はといえば、怖がらせようって目的で考えられたんだから、そりゃ怖いに決まって――」
「地獄に行く予定がなければ、怖くもなんともない筈だろう?」
「はい?」
「自分は地獄になんか行く筈がないって、そう思っていたら怖くない筈なんだよ。そうだろう? そんなのは、絶対に自分が行かないであろうテーマパークの絶叫マシンを眺めているようなものなんだから。怖い筈がない。なのに、人間は大抵地獄を怖がる。恐れる。恐怖する。それはな、地獄に行くかも知れないっていう危惧があるからだ。もっと言えば、地獄行きになりそうな心当たりがあるからなんだよ」
「……へ、へぇ。そりゃ、勉強になりました……」
「さて、ゴキ子。今の論で言えば、俺に怒られる謂われがなければ、俺の顔が怖いなんてことはない筈、だよなぁ?」
「ちょ、それはどうですかねご主人テメーこの野郎。一概にそうとは言い切れねーんじゃねーですか? 必要条件と十分条件とを取り違えてんじゃねーですか?」
「俺に怖い顔をされる心当たり――――掃いて捨てて腐るほどあるよなぁ?」
「…………わ、私、ゴキブリに戻りたい……」
泣きそうな声で言いながら、ゴキ子はその場にへなへな座り込んでしまった。
無論、だからどうしたという話でしかないけどな。人間で俺のことが好き好き大好き状態の美少女がこんな状態になっていたら、そりゃ追撃の手を緩めるくらいのことはするだろうけど、こいつはあくまでゴキブリ。しぶとさの象徴みたいな生物。そんなゴキブリを相手にして手心を加えるだなんて、ゴキブリという生物種全体に対して失礼とさえ言えるだろう。
だから、ここで手を抜くなんてことはしない。
してやらない。
朝っぱらから2回もドッキリを仕掛けてきて、しかもいけしゃあしゃあと言葉責めをしてくるなんて、上等過ぎて涙が出てきちまうよ。これはもう、きっつい灸を据えてやらなきゃなぁ――――そう思って、かっしょかっしょかっしょかっしょ、俺は殺虫剤を振っていて。
だから、遅まきながらようやく、それに気付いた。
学ランの胸ポケットに入れていた携帯電話が、小さく振動していることに。
「ん?」
1度意識してしまったら、その振動は一層強く感じられる。猛り狂うように震えるそれを無視する訳にもいかず、俺は右手の殺虫剤をポケットにしまい、代わりに携帯電話を取り出した。
着信。液晶に表示されるのは、我が母親の名前。
「もしもし? 母さん?」
『おっ、蜻蛉じゃん。久し振り、元気してろ』
微妙におかしい挨拶を平然と口にしながら、電話口で母さんはけらけらと笑った。
あぁ、そうだったそうだった。ここ半年ほど会っていないから忘れかけていたけれど、そういえば母さんは底抜けに明るい人だった。こういう状況下で声を聞くと、何故だか凹んでしまうくらいに明るい人。きっと能天気過ぎて、こちらがシリアスな雰囲気であることを無用なほどに自覚させられるからだろう。なんて迷惑な明るさなのだろうか。照明も光度が強過ぎると目がチカチカするとはいうけれど、あれみたいなものだろうか。プラス向きな性格は、必ずしもプラスには作用しないという典型例みたいな人なのだ。
閑話休題。
「なに? というか、今は学校の時間だって、母さんだって知っている筈だろ?」
『んだとこらー! 学校とお母さんと、どっちが大事なんじゃぅおのれー!』
「比べるべきものじゃないだろ、二つとも」
『お母さんは世界に匹敵するほどに尊重すべき最重要事項だって、子どもの時に洗脳……げふんげふん、いや、なんでもないよー』
「ちょっと待て。今俺さぁ、自分の母親の人間性を疑うような単語が聞こえたんだけど」
『幻聴だよー。ところでさー、蜻蛉ちん』
「勝手に俺のクラスメートのキャラを取るな」
そうそういて堪るか、人の名前に『ちん』って付けて呼ぶ奴が。
いきなり電話かけてきて、フリーダムにもほどがあるぞ我が母親よ。それでも今年で52になる大人なのか。いい加減そろそろ落ち着いてほしい。
『…………蜻蛉、あたしは唐突に、あなたを殴りたくなりました。テレビで』
「勿体ないからやめろ」
『じゃあ掃除機で勘弁してやるよー』
「確かに昨今変わったものを武器にするキャラクターが漫画とかで増えてはきたけど、現実の母さんがそれを真似する必要はまったくないからな。家具を武器に暴れまくる母親がいたら、俺は警察に駆け込むからな」
『うわー、それは勘弁してくれー。捕まっちまうー』
「疾しいことがあるのかよ!?」
『本気の話はこの辺にして』
「冗談じゃねーの!?」
『実はさー、さっき連絡があったんだよねー。繭遊。あの子がさー、寮にいないんだって』
「…………はぁ」
やっぱりか。
このタイミングで都合よく電話がかかってくるんだとしたら、どうせこんなことだろうと思っていたんだ。
俺の妹。蟋蟀峠繭遊。蟋蟀峠家今代の末子。
比類なき才能と、類稀なるトラブルメーカーの性質とを併せ持つ少女。
『およ。なーんか全て予想済みだったと言わんばかりの冷めたリアクション。息子のあたふたした姿を見て――――もとい、聴いてみたかった母親としては、ちょびっと残念だったけれど、まぁその分なら、心配をする必要はないみたいだねん』
「よく言うよ…………元から、そんなに心配していないみたいだったじゃねーか」
『あの子の行動なんて、ある程度読めちゃうからねー。昔っから遊びに行くと、蜻蛉と一緒に深夜まで帰ってこなかったしー。伊達にあの子のお母さんを、あたしは13年間もやっちゃいねいのーさー』
「だったら直せよ、あの性格を…………」
『性根を作るのは、周りの人間じゃなくって環境らしいよ?』
「純度100%であんたらの責任だろうが」
『都合の悪いことは聞こえませーん。んじゃ、繭遊のことは蜻蛉に任せたわー、あとよろしくねー』
「は? あ、ちょ待――」
ぷつん
乱暴に電源ボタンを叩いたのだろう、やけに耳障りな音がして、見えない電波の糸は断ち切られた。
ツーツーツーと、物悲しい音が流れる。
「……あっのクソ母親、息子と娘をどう思ってんだよ……」
「あの~……ご主人テメーこの野郎、話って終わりましたか?」
おずおずと話しかけてきたゴキ子に向かって、俺は八つ当たりで蠅叩きを向けた。鼻先にすら届いてもいないのに、「ひぅぅ……」とか言って矢鱈とビビっている。取り敢えず、対策の一つとして蠅叩きは有効なようだ。
女の子にトラウマを植えつけてしまったことには、少し心が痛むけど。
「話……あぁ、終わったよ。ところでゴキ子、確認の為に訊くんだけどさぁ」
「確認って……ひぅっ! い、言います! なんでもかんでも洗い浚い全部吐きますから! だからその蠅叩きを向けんのやめてくださいよご主人テメーこの野郎!」
「お前がその態度を改めるっつーなら、考えてやらんこともなくもなくない」
「考え直さねーんですか!? …………どうしよう、こんな鬼畜ご主人テメーこの野郎も、悪くねーと思えてきちまいましたよ……」
「次々と訳の分からねー扉を開いていってんじゃねーよ元・ゴキブリの癖に。……ゴキ子、お前の代わりに留守番を買って出た奴ってさぁ――――銀髪の、矢鱈背の低い女だったりしなかったか?」
「え? …………んー、多分、そうだったと思いますけど」
「多分だぁ?」
「ひぃぅううごめんなさいごめんなさい謝りますから蠅叩きでつんつんしねーでくださいっ! しょうがないでしょうが私ってば元々がゴキブリなんですからっ! 記憶力はともかくとして、対人記憶なんて推して知るべしでしょうよ!」
「……まぁ、それもそうか」
人間がゴキブリの顔を判別できないのと同じで、ゴキブリだって、人間の顔を識別できねよな。納得納得。
けどまぁ、確認なんかしなくっても、半ば決定事項だ、これは。
問題なのは解決する方法と――――こんなことを仕出かした、その動機。
下らないことにも、下らないなりに動機はある。ありとあらゆる事象には、それに相応しい理由と動機がある筈だ。少なくとも最低限、あいつは下らないことはしまくるけれど、意味のないことはしないのである。
だったら、考えるべきはまずそこか――――
「おーい、お二人さん。もうそろそろHRを再開させてくれや。授業開始が遅れたら、あたしの監督不行き届きになっちまうだろうが」
「あんた本当、爽やかに自分勝手だなっ!」
教師失格と烙印を捺されても申し開きできないであろう、相変わらずの自分本位具合を発揮しつつ、担任教師が俺たちを手招きしている。
手早く武器を収納し、俺は教室の中へと戻っていった。
「…………ん? ちょ、置いてかねーでくださいよご主人テメーこの野郎っ!」
勿論、我が迷惑なる居候であるゴキ子のことを、俺は歯牙にもかけなかった。