プロローグ 其の肆
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ドンドンドン! ドンドンドンドンドンドンッ!
「…………うる、せぇ……」
翌朝、早朝も早朝、ド早朝に俺の目を覚ましたのは、扉を叩き壊さんばかりのノックの音だった。
たっぷり睡眠は取ったというのに、まだ胃の中に未消化の食物が残っているようだ。すげぇ腹が重い。胸やけが胴体全部に這い回ってきて、動くことさえ怠くて仕方がない。やっぱり、あの量は多過ぎたか。こんなことなら、あのゴキブリにもう少し分けておくんだった。
まだあるけれど。
食い切れなかった分が、冷蔵庫の中で涅槃仏の如く寝ているけれど。
あ~、そう考えると更に憂鬱になってきた。まだ今日は木曜日だから、学校行かなきゃならねーんだよなぁ。うっわ、そうなると本当に振られた事実が胸に突き刺さ――――らねぇのも、どうなんだろうな。
慣れてしまった。もう、生涯で66回も振られているからな。心の痛みにも、鈍感になれてしまう。
尤も、聴覚はその例外であるらしい。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ! ドンドンドンドンドンドドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ!!
「~~~~あぁもううるっせぇなぁ! なんだよなんなんだなんなんでございますかっ!?」
しつこく続くノックの音に怒りさえ覚えて、俺は布団から飛び出した。畳に敷きっ放しの万年床から、バネ仕掛けの如く立ち上がる。横臥の姿勢だったのも今は昔、髪をボサボサにし、シャツとジャージという簡素な姿とはいえ、今の俺は生ける怒りの化身だった。
朝っぱらからドンドンドンドン、人の家の扉を太鼓みたいに連打しやがって!
言っとくが俺は借金取りに追われているようなこともないし、こんな嫌がらせを受けるような謂われも…………あ、1人やりそうな奴に心当たりがついた、けれど。
あいつだったら、こんな地味な嫌がらせはしない。
もっと派手に、もっと周到に、もっと狙いすまして――――俺の命を、殺りに来る筈だ。
だったら、これは一体誰の仕業……――
「だぁああああああああああああああああっ! 鬱陶しいんじゃぁああああああああっ!!」
バゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッッッ!!
その音は、爆撃機が神風特攻を仕掛けてきたかの如き轟音だった。
日常生活ではまず耳にすることのない音量が、俺のすぐ横で発生する。無残に姿を変えて俺の真横に飛来してきたのは――――侵入者を拒む為の扉だった。
扉。ぼろいアパートとはいえ、無論金属製。それも飛び切り硬い鉄製のものだ。
それが、吹っ飛んできた。
くの字型に折れ曲がって。
きっと寝ていたままだったら、俺の頭をトラックのタイヤみたいに轢き潰していただろう、そんな猛烈な勢いで吹っ飛んできたのだ。
まるで蹴り飛ばされたかの如く。
「な、な、な……!?」
「ふぃ~。あー邪魔臭かったっすねー。まぁそれはともかく、ようやっと入れるんだからお邪魔させてもらいますぜー」
驚愕で動けなくなっている――それどころか、その場にへたりと座り込んでしまっている情けない――俺の元へ、そいつは、彼女は、快活な笑みを浮かべながら歩き寄ってくる。
薄茶色の、腰まで伸びる長髪。
軽く日に焼けたような、健康的な肌。
にかりと笑ったその歯は、陶磁器のような白。
「はじめまして蟋蟀峠蜻蛉――――いやさご主人様」
そいつは。
その女は。
堂々と俺の部屋に入って、堂々と俺の前に仁王立ちし、そして堂々と、名乗りを上げた。
驚くべきことに――――一糸纏わぬ、素っ裸の姿で。
「私の名前は齧澤季語、と名付けてみましたけど、めんどくせーんでゴキ子とでも呼びやがってくださいよ、ご主人テメーこの野郎」
6月19日、木曜日、午前5時47分。
それが、素っ裸の謎の少女、齧澤季語ことゴキ子と俺の、まったく記念すべきではないファーストコンタクトの時間だった。