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第4章 其の參


「……あの時と、同じですわね、蟋蟀峠蜻蛉」

 扇子を静かに畳むと、愛虫はなにが可笑しいのか、薄く微笑みながらそんな風に言ってきた。

 ドレスの中に扇子が消えようと、彼女の手には未だ矢が装填されたクロスボウが握られたままだ。おまけに、揚羽宮の足元に転がるのは、クロスボウなど及びもつかない物騒な凶器の数々。手榴弾にモーニングスターまでは分かるが、残りは禍々しい形をしているというだけで名前などまるで知らない。

 その上、足場はガタガタで傾いた、高層マンションの屋根の上。飾り気のないそこは文字通りの殺風景で、6月だというのに肌寒いくらいだった。

 学ラン、着てくるんだったな。朝がやや暖かかったから、油断していた。

 無論、こんな事態など想定していなかった。

 揚羽宮に殺されかけるなんていつものことだけど――――ゴキ子が。

 ゴキ子が、こいつに落とされるだなんてことを、どうしたら想定できる?

 予想できなかった自分が、危惧できなかった自分が、俺は今、無性に憎々しい。

 そんな俺の憤怒などどこ吹く風で、揚羽宮は相変わらずのマイペース、より相応しく言えば傍若無人に言葉を続ける。

「まったく、本当にあの時は驚きましたわ。あなたと出会ったのは高校に入ってからのことで、付き合いなど浅いどころか皆無でしたのに、あなたはわたくしに突っかかってきた。頬を叩き、暴力を行使し、わたくしを屈服させようとした。…………わたくしがどれだけの衝撃を受けたか、あなたには理解し難いでしょうね」

「あぁその通りだな、尤も――――理解なんざ、する気はねぇよっ!」

 うだうだ考えるのが性に合わないのは、自分が一番よく分かっている。

 拳を固く握り締め、全力で揚羽宮の元へ駆けていく。クロスボウがなんだ、足元に転がる武器がどうした、そんなものは全部、俺が日常的に目にしているものじゃないか。

 俺1人を狙うなら、まだ許せ――――ないけど、まだ不問には伏せられる。

 けれど、俺以外の人間を巻き込むなら、話は別だ。

 許さないし、許せない。

 向こう見ずで直情的なのは、流石は兄妹と言うべきか、俺と繭遊はよく似ていた。

「でしょうね。だからわたくしは、あなたに理解してもらう必要があるんですの」

 ここで巡り合えたのも、1つの縁でしょうし。

 くすっ、と嬉しそうに微笑むと、揚羽宮はクロスボウを俺に向けて構えた。黒光りする矢が装填されたそれは、スイッチ1つで俺の命を容易く奪うだろう。

 だが、揚羽宮、お前にはもうなんの行動も許さない。

 お前は、俺を怒らせたんだ。珍しく、本気の本気でな。

 蠅叩きよりも殺虫剤よりも――――お前には、拳を叩き込まないと、気が済まないっ!

「っ、え?」

 ガヂッ、という嫌な音がするが、クロスボウから矢は放たれない。

 正確に言うなら、引鉄が引けないのだろう。揚羽宮の細い指は、その金属片を上手く動かせないでいた。

 引鉄に挟まってもらった、カナブンの身体が邪魔をして。

「な、なんで……? こんな時に、故障ですの?」

「ちげーよ。ただ単に、俺が本気を出しただけだ」

 ガァンッ!

 構えられていたクロスボウに平手を叩きつける。いくら重火器を自在に操っているとはいえ、揚羽宮とて女の子、特別な運動をしている様子もないし、その細腕の力など高が知れていた。クロスボウは簡単に彼女の手から離れ、天井に叩きつけられた。

 螺旋が飛んだラジコンみたいに、無残にバラバラの部品へと分解されるクロスボウ。

 お前が一人で物憂げに語っている間に、既に仕込みは済んでいた。俺だって、ただ無意味に虫と言葉を交わせるだけじゃないのだ。虫に命じて、簡単な作業をさせるくらいならできる。大袈裟に言うなら、俺は虫と交渉ができるのだ。

 今回は、身体の硬いカナブンに協力してもらい、クロスボウを封じさせてもらった。

 ああいう武器は、引鉄1つ封じれば、案外簡単に無力化できるのだ。

「な…………!? あ、あなた一体……」

「訊きてぇことはあるだろうけどな、俺だって言いたいことはある。けどっ! それ以前に俺は、お前を殴ってやりたくて仕方ねーんだよぉっ!」

「っ!」

 拳を思い切り振り被り、真っ直ぐに揚羽宮へとぶつけていく。

 顔面を、1ミリの狂いなく狙ったストレート。呆然と立ち尽くすだけの揚羽宮に、避ける術などありはしない。女の子の顔云々の戯言など意識の片隅へ追いやって、俺は、遠慮なく拳を振り抜――

「落ち着いてくださいませ、蟋蟀峠蜻蛉。わたくしは、あなたとお話がしたいのですわ」

 ――ぴたっ、と俺の身体は、停止を余儀なくされた。

 額に突きつけられたのは、黒光りをする拳銃。

 引鉄に手をかけているのは、言うまでもなく揚羽宮愛虫。彼女はその派手なドレスの中に、なんとも物騒な、物騒極まりない武器を隠し持っていたのである。俺が言うことではないかも知れないけど、最近は服の中に武器を隠し持つのが流行っているのか? 俺や繭遊ほど無茶なサイズではないとはいえ、法的にはぶっちぎりでアウトだろ、その金属物体。

「お話……話をしようっていう人間の態度じゃ、ねーよな」

「私見でものを言わせてもらうならば、蟋蟀峠蜻蛉、あなたはわたくしの話を冷静に聴いてくれるような、そんなお人好しではなさそうですわ。ならば、こちらとて交渉の席に着く為に、それなりの用意をしますの。それに」

「あ?」

「恥ずかしながらわたくし、こうでもしないと倒れそうなの」

「は?」

「武器を持って、あなたより上位に立って、それでどうにか精神状態を支えているのですわ。ふん、無様も無様、末代までの恥ですわ。どうぞ好きに罵ってくださいませ」

「……けっ、薄汚い高慢な根性も、ここまで来れば感心するね」

「思い違いがあるようだから訂正しておきますけど、今回に限ってわたくしは、あなたのことを下には見ていませんわ」

「……? さっきから、話が見えないんだが」

「寧ろわたくしは、自身があなたの下にいることを激しく自覚しておりますわ。だからこそ、武器を持ってあなたより上位とならないと、あなたの前に立つことすらできないんですの。拳銃を手放したら、きっとわたくしは…………昇天しますわね」

「お前、そこまで重度にプライド高いのかっ!?」

「だから違うと言っていますのっ!」

 ? なんだこいつ。

 おかしい、まったく話が噛み合わない。いや、俺は別にこいつと話をしたいなんて思っちゃいないのだが、しかしなんだ、この食い違いっぷりは。

 認識の中に、重大過ぎる齟齬があるような、そんな感覚。

「ちっ……けど、元々無理な相談だろ。俺とお前は、仲良く話をするような間柄じゃない、分かっているだろう?」拳銃で撃たれては堪らないので、ひとまず拳を引っ込めて俺は言う。「俺はあの時のことを、まだ許した訳でもない。お前の高慢ちきを、矯正してやりたくて仕方ないし――――たった今し方、許せないことが一つ増えたところだ」

「見解の相違という奴ですわね。少なくともわたくしは、あなたと和気藹々とお話をしたいのですし、あの害虫を叩き落としたのは、あなたにとってもプラスでしたわ」

「お前――」


「ゴキブリから人に成った娘など、関係を続けるだけ不毛ですわよ」


 優しい笑顔のまま、しかしそれでいて酷くつまらなそうに、揚羽宮は言ってきた。

 …………え?

 おい、今こいつ、なんて言った?

 この女からは聞ける筈のない単語が、言葉が、文章が文脈が、ありありと聞こえてきたような気がするのだけど…………。

「あ、揚羽宮……お前、なにを」

「わたくしのことは愛虫と呼んでくださいませ。そして、なにを言っているんだとお訊きになりたそうなのでお答えしますが、わたくしは全て知っていますわ。齧澤季語がゴキブリから人になった人外の徒であることも、そして蟋蟀峠蜻蛉、あなたが虫と言葉を交わせるということも」

「――――っ!?」

 俺は、揚羽宮の言葉に戦慄した。

 俺が虫と話せるだなんてことは、幼馴染みの桐杜にさえ話していないことだ。知っているのは、精々この世で繭遊くらいなものだろう。それに、ゴキ子がゴキブリだったなんて事実も、完全に伏せていた筈。

 なのに、なのになんで――

「――繭遊、繭遊か。そういえば昨日、あいつはお前を殺そうとして、外へ出ていったんだっけな」

「流石はあなたの妹と言うべきかしら? わたくしとあそこまで張り合った人類は、今の所彼女1人ですわ。無粋な警察権力のサイレンがなければ、決着がつくまで殺り合いましたのに、残念でしたわ」

「…………おい、女子高生と女子中学生」

 マジで殺し合いをしていやがったよ、こいつら。

 ちゃんと家に帰ったんだろうな、繭遊の奴。今更ながら心配になってきた。無駄にスペックが高いものだから、将来以外のことはついつい心配するのを忘れちまうんだよ、あいつ。

「尤も、彼女からすれば口を滑らせてしまっただけでしょうけど。なにしろ、兄には知られたくないでしょうからね、自分の所為だなんてことは」

「……? おい、今のはなんの話だ?」

「あの子は憎い憎い仇ですが、しかし血を流し合った戦友でもありますわ。だから、彼女の望まぬ話を、わたくしは漏らしません。土台、このような状況下で他の女の話など、それこそ無粋極まりないのですわ」

「……おい、マジで話が見えねーんだが」

「…………雑談のお陰で、少しは心の整理ができましたわ。そうですわね、そろそろ言わないと――――冗長な日常は、終わりにしませんと」

「?」

 よく見れば、揚羽宮の額には、びっしりと玉の汗が浮かんでいる。口はへの字に結ばれ、瞳も微かに潤んでいる。頬は俺が叩くまでもなく真っ赤っかで、ペンキでも塗ったくったようだ。

 拳銃という力を持ちながら、それでもまだ落ち着かない様子で。

 意を決して、清水の舞台から飛び降りるような顔で――――揚羽宮愛虫は、言ってきた。


「蟋蟀峠蜻蛉――――わ、わたくしは、あなたのことが好きですのっ! わたくしと、わたくしと付き合って下さいませっ!」


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