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第4章 其の貳


 今回はあんまり唐突でもなく、普通に揚羽宮愛虫のお話。

 できることなら語りたくない、思い出すのも嫌な話だ。とはいっても、俺が酷い目に遭ったのではない。ただ単に、本っ当にイライラする話だから思い出したくないという、それだけだ。他意はない。

 揚羽宮愛虫はお嬢様だ。それも生粋のお嬢様だ。

 自分が世界の頂点にいると思い込み、周りの人間は自分に使える為に生れてきたのだと、なんの遠慮もなく思い込んでいた夜郎自大だ。そんな彼女に対し、反発があるのは当然の話なのだけど、家柄というものがここで悪く作用した。

 揚羽宮財閥は、規模こそ中の下から中の上程度の、本当に大きな財閥には及びもつかない程度の家系なのだけど、それでも地元への影響力は絶大なものがあったのだ。地元の産業の8割には揚羽宮が関わっていたし、当然そこで親が働いているという生徒は多い。本来なら中学校くらいで解体されていて然るべきだったその関わりが、片田舎だったことが災いしてか、高校までずるずると続いてしまっていたのだ。

 要するに、揚羽宮愛虫は、調子に乗っていた。

 けれどまぁ、地元民にとってはもう慣れっこの揚羽宮の横暴。普段の生活の、気にならない程度の些細な我儘だったら、皆淡々とこなして我慢していたのだ。それが彼らなりの処世術でもあったし、心の奥底では『どうせあいつは、後々苦労するんだろうしな』という仄暗い復讐心もあっただろう。取り敢えず、当面は好きにさせておくことにしたらしい。地元を離れ、わざわざここまでやってきた俺も、郷に入っては郷に従え、ひとまずはその対応に倣うことにした。

 だが、我慢できない事件というのが、発生してしまったのである。

 去年の夏休み直前、文化祭でやる演劇の役決め。

 事件はそこで起こり、そして今現在も、ずるずると続いている。

 元来自己顕示欲の強かった揚羽宮は、その劇の主役に立候補した。それも、他に複数人いた立候補者を蹴落としてだ。中には演劇部員などもいたのだが、事なかれ主義の沁みついたクラスメートたちは、仕方なしに揚羽宮を主役に抜擢した。

 だが、揚羽宮は一向に練習に参加しなかったのだ。

 誰がどう誘っても、『そんなの必要ありませんわ』の一言でバッサリ。通し稽古さえまともに参加しないのを見て、流石にみんな気が気でなくなってきていた。

 俺はその中で、既にグラグラと、腸が煮え立つのを感じていた。

 そしてある日、事件は起きた。

『五月蠅いですわね、あなたたち愚民が惨めに努力している、その中に混ざれと言うんですの? このわたくしに? あなた、何様のつもりですの?』

 クラス委員が揚羽宮を注意して――――返ってきたのが、その言葉だった。

 名前を忘れてしまうほどに目立たない、温和でぽんやりしたクラス委員は、それでも説得を続けようと、言葉を選びながら話しかける。

『で、でもね揚羽宮さん。もし、もしも本番で、ちょっと、上手くいかないことがあったら、それは、嫌でしょう? そういうことがないように、さ』

『黙りなさい愚民。あなたたちとわたくしを、同次元で語らないでくださらない? 気持ちが悪い』

『……で、でも』

『黙りなさいと言った筈よ。ふん、こんな簡単なお遊戯もできないなんて、本当にあなたたちは劣りに劣った劣等人種ですわね。あなたたちとわたくしが同い年ということが、わたくしの人生において最大の汚点ですわ』

『れ、練習は大事だよ、揚羽宮さん。みんなのためにも、さ』

『あなたたちなんて、わたくしからすれば虫も同然ですわ』

 必死に説得をするクラス委員に。

 懸命に練習をするクラス全員に。

 揚羽宮は平然と、当然のように、にやにやと笑いながら言ったのだ。


『虫如きの為に、なんでわたくしが面倒なことをわざわざしなければなりませんの? わたくしが主役をやってあげるだけで、既に劇は成功しているでしょう? それを「上手くいかなかったら」などと――――恥を知りなさいな、この虫が』


 その言葉のなにが琴線に触れたのか、俺にはよく分からなかった。

 或いは、たまたまきっかけがその言葉だったというだけで、俺はずっと前から腹に据えかねていたのかも知れない。

 気づけば俺は、


 パァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!


 と、揚羽宮の頬を平手で張っていた。

 女子だということも考えず、考慮の外に置き、力一杯に。

 怒りという衝動に任せて、叩いていた。

『…………?』

 突然の事態に理解が追い付かなかったのだろう、揚羽宮はしばらくぽかんとしているだけだった。

 だが、現状の整理が脳内で完了すると、赤くなった左頬を手で覆い、目に涙を浮かべて俺を糾弾してきた。

『な、なにをするんですのこの愚み――』

『うるっせぇんだよこのボケがっ!』

 涙声になりかけているそれを遮って、俺はダンッ! と脚を大きく鳴らした。怒りよりも痛みよりも、恐怖の方が先行したのだろうか。揚羽宮はそれ以上口を開くこともできず、俺のことを潤んだ瞳で見つめているだけだった。

 普段の俺だったら、それだけで惚れてしまっていたかも知れない。

 なのに、その時の俺は、ただただ怒り狂っていた。

 思いつく限りの、口汚い罵倒を吐き出した。ゴキ子も真っ青になるような、罵詈雑言のオンパレードだった。それも、教室の窓ガラスが微かに震えるほどの大声で、絶え間なく間断なく休むこともなく、延々と30分間に亘って、俺は揚羽宮のことを悪し様に罵りまくったのである。

 今となってはその内容なんて断片的にさえ覚えておらず、ちゃんと説教の体を成していたかも謎だ。確かなのは、その時の俺がちんけなホラーなんかよりもよっぽど怖かったということ。お陰で女子の警戒度は引き上がってしまったのだが、それはまた別の話。

 それから揚羽宮は、俺の前に姿を現さなくなった。

 授業にも殆ど出席せず、定期考査を受ける後ろ姿をちらっと見る程度になった。

 そして、あいつは俺を殺そうとし始めた。

 時にはボウガンで、時には拳銃で、時には日本刀で、時には手榴弾で。

 手段も場所も時も選ばず、彼女は無分別に俺を殺そうとしてきたのだ。その度に破壊される街も、翌日にはすぐ元通り。警察に被害届を出そうと、1時間後には屑籠行き。金に糸目をつけない、矢鱈と派手な暗殺は、今日に至るまで続いている。

 このエピソードから分かることは、2つだ。

 1つ、揚羽宮愛虫は、俺のことを逆恨みして殺そうとしている。

 そしてもう1つ――――蟋蟀峠蜻蛉という人間は、揚羽宮愛虫を殴ることに関しては、躊躇などしない。

 そう、丁度今みたいな時には――――遠慮なく、その顔面に一撃を叩き込む。

 少なくとも、直前まではそのつもりだった。


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