南の島の悪夢
またも、HDの肥やしになっていた作品の蔵出しです。
そろそろ、お題に合わせていろいろ書けるようになりたいなあ……
こんな感じですが、楽しんでいただければ幸いです。
せっかく南の島に来ているというのに、私の気持ちは晴れなかった。
別に、南の島の風景が嫌いなわけじゃない。輝くような青い空、表現の仕様のない南海特有の澄み切った珊瑚礁の海、どれもこれも、ガイドブックの写真からそのまま抜け出てきたような美しさだ。
だが、だからどうしたというひねくれた気持ちが沸き起こり、素直にその美しさに浸ることができなかった。
そもそも、この島に来ることになったのだって、バカンスで来たのじゃない。取引先の会社に呼び出されて、そこのオフィスに缶詰状態にされていたのだ。どんなに美しい風景が目の前に広がろうと、それはガラスの向こうの“風景”に過ぎない。
得意ではない英語での、脳みそがねじれるようなやり取りを必死でこなし、何とか問題をこじらせずに済んだ頃には、丸一日が経っていた。
この島滞在の最後の夜だけは時間に空きができ、どうにか観光めいたことができる運びになった。とはいえ、出張荷物の中に水着など入れてこなかった身としては、夜のビーチに出て行く気にはならない。
幸い、国際免許は取ってあったので、レンタカーでドライブとしゃれ込むことにした。
私は、まだ暗くならないうちにレンタカーオフィスに行き、一番安い車を借りて、特に目的地を決めずに走り出した。
晴れていたのを幸い、あちらこちらをあてどなく回った後、とっぷり日が暮れた頃にどこかの展望台にたどり着いた。駐車場に車を停めて、一息つくために降りてみる。
展望台そのものはこの近くだったが、暗くなってからではおそらく何も見えはしない。とにかく、ここがどこかを確認してみると、史跡のようなところだとわかった。
仕事が一段落してから慌てて買ったガイドブックで確認すると、ここはかつて、このあたりの島を統一した古代の王が、この島を征服したときに敵軍を追い詰めた渓谷だとある。なるほど、古戦場を見渡す展望台というわけか。
もっとも、ガイドブックに載っている写真を見る限り、単なる緑豊かな谷にしか見えないが。その渓谷が、そのまま海に続いているところは、さすがに南の島だと思う。
意外にも、メインとなる町から直行すれば、車で三十分ほどのところだという。こんなことなら、ちゃんとガイドブックで確認して、明るいうちに来るんだった。そうすれば、緑豊かな渓谷の様子を、じかにこの目で見ることができただろうに。
駐車場自体は、ちゃんと照明が入っていて明るいので、地元の若者連中がそこここで集まり、ビールなどを飲んで騒いでいるのが目に入る。
……つまりここは、そういうところなわけか。
内心苦笑しながら、私もまた途中で買ったノンアルコールビールと懐中電灯を手に、駐車場のはずれのほうへと歩いていった。
昼間は結構暑いが、今は夜風があって涼しいくらいだ。気分も悪くない。
振り仰げば、美しい星空が見える。駐車場から離れれば、もっと満天の星空を拝めるに違いない。
私は駐車場を離れ、少し山に入ったようなところで立ち止まった。ここは駐車場の灯りは見えないが、賑やかに騒いでいる若者たちの声が聞こえてくる。
せっかくなら、若者の騒ぎの声の聞こえないところのほうが、南の島の自然を味わうのに相応しいだろう。そう考え、私はさらに駐車場から離れた。
気がつくと、いつの間にか駐車場はもちろん展望台からも遠い、海に続く渓谷の中に入り込んでしまっていた。振り仰ぐと、背後に星明りの中に浮かぶ断崖が見える。
少し離れたところには、人家もあるはずなのだが、森の中にすっぽり入り込んでいるため、人工の明かりは見えない。
どうも、奥へ入りすぎたようだ。
私は、もと来た道を戻ろうと、森の中を歩いていった。
その時、なんとも表現のしようのない感覚に襲われた。しいて言えば、空気が変わったとでも言うのだろうか。今まで爽やかな夜の冷気に包まれていたものが、急に重く澱んだようなものに入れ替わった感じなのだ。
何事だろうと周囲を見回したが、辺りには暗い森が広がっているだけだ。
いやな雰囲気になってきたので、私は足を速めて駐車場を目指したが、何気なく上を見て、一瞬自分の目を疑った。
星が見えなくなっている。
決して雲が出てきたわけではない。空は相変わらず雲ひとつなく澄み切っているのだが、星の光が一切消えている。おかしい。
私は、懸命に駐車場を目指した。だが、方向を間違えたのか、いつまで経っても明かりひとつ見えない。
焦り始めた私の耳に、妙な音が聞こえた。本当に微かで、下生えをかき分ける音に掻き消されるほどだったが、立ち止まると確かに聞こえる。
それは、どこか遠くで太鼓を叩いているような音。かなり早いリズム。
どこかで祭りでもやっているのかとも思ったが、腕時計で時間を確認すると、もう夜の九時をとっくに回っている。こんな時間に、太鼓を叩いて賑やかに祭りなどするものだろうか。
とにかく、早く駐車場に停めてある車まで戻って、ホテルに帰らないといけない。
私は遮二無二歩いた。そのうち、前方に明かりがぽつぽつと見えてきた。
駐車場の灯りとは違うようだが、なんにせよ明かりの元へ行けば、きっと誰かいるに違いない。その人に頼んで駐車場まで連れて行ってもらえれば、ホテルに帰れる。
私は足を速めて、明かりのほうへと歩みを進めた。
直後、今度ははっきりと、太鼓の音が聞こえた。明かりの方向からだ。
魂が圧迫されるような、幾重にも重なった太鼓の響き。前方の明かりが揺らぐ。
私は気づいてしまった。あれは、電灯ではない。炎だ。炎そのものの光だ。木々の向こうの闇の中に、たいまつをかざした大勢の人間がいる……
私は、ほとんど本能的に逃げ出した。この場にいては、恐ろしいことになる。光とは反対の方向に駆け出した。
走り出してすぐ、ぞっとすることに気づいた。太鼓の音が追いかけてくる。ほんの数メートル後ろから、幾つもの太鼓の音が響くのだ。
振り返ることなど、とてもできなかった。得体の知れないものに追いかけられるのは恐ろしいが、今はそのものの正体を知ってしまうことのほうがもっと恐ろしい。
ここ数年、これほど真剣に走ったことはなかった。心臓が口から飛び出しそうに苦しい。
だが、追いつかれたらと考えると、足を止めるのが怖い。
冷や汗とも脂汗ともつかないものが、体から吹きだしてシャツの下を流れ落ちる。
しばらく走って、太鼓の音が遠ざかったように思った私は、勇気を奮い起こして振り返ってみた。
そこに見えたのは、数え切れないほどの上半身裸の屈強な男達が、手に手に武器を持ち、こちらを睨んでいる様だった。服装も、見たこともない昔のものの感じだ。
刹那、男たちが突然、血も凍るような時の声を上げた。瞬間、私は思い出した。この場所が、かつての古戦場だったことを。
再び太鼓の音が響く。
私はまたも全力で駆け出しながら、振り返ったことを後悔した。やはり、見るのではなかった……
必死の思いで走ったが、次第に足がおぼつかなくなる。追いつかれたら、何をされるかわからないが、息が続かない。
次の瞬間、私は砂地になっていた場所に足をとられ、そのまま前のめりに転んでしまった。太鼓の音が、すぐ後ろに迫ってくる。
私にできることは、そのまま地面に突っ伏して、連中が通り過ぎてくれるのを祈ることだけだった。
と、誰かが背中に乗った。真上を雄たけびが通り過ぎる。視界のふちを、赤々とした光が何度もよぎる。大勢の人間が、私の体の上を、その周囲を、行進していく。
終われ、早く終わってくれ。
祈る私の襟首を、誰かが摑んだ。目の前に、異常なほどの光が見えた……
警察官に連れられて、その男が病院に収容されたのは、翌日の昼頃だった。
全身土に汚れた異様な姿で、砂浜をよろめきながら歩いていたところを地元民に発見され、一時警察に保護されたあと、事情も聞けない精神状態の異常さから、精神科に連絡が入ったのである。
ズボンのポケットに入っていた国際免許書から、日本人らしいことがわかり、各方面に身元照会の連絡が行っている。
しかし本人は、何を聞いても惚けた表情を浮かべたまま、何も答えない。医師の判断では、どうやら強い精神的なショックのために、一種の痴呆状態に陥っているのだろうということだった。正気に返るかどうかは、数ヶ月かけてじっくり診断してからでないと判断はできないという。
いったい何があったのか、本人に聞かなければわからないことばかりなのだが、本人がこういう状態では、いつになったら事情が聞けるのか、医師でもわからない。
ただ、彼が発見された場所に程近い古戦場では、稀にではあるが変死体が発見されることがあり、その死体は恐怖の表情を浮かべているとも言われる。
それは、古代の戦士の行進に出会ったからだという……




