3.見られている世界
あの男と会ってから、丘に行く回数が増えた。
理由は分かっている。
もう一度会える気がしていた。
会わなければいけない気もしていた。
あいつは、この世界の人間じゃない。
この村の連中とも違う。
あいつは、ここに縛られていない。
何度も丘に登った。
何も起きない日もあった。
風の音だけがして、村が遠くに見えるだけだった。
それでも来た。
ここに来れば、何かが分かる気がした。
そしてある日、本当にあいつはまた現れた。
「また来てるな」
振り向くと、男が立っていた。
前と同じ場所に、当たり前みたいに。
「……来たな」
「ああ、何だよ」
男は笑った。
「ここ好きだな、お前」
そう言って丘の下を見た。
前と同じ仕草だった。
少しだけ安心した。
同じ動きをしているのに、こいつだけは違って見える。
「なあ」
俺は言った。
「ここは何なんだ」
男はすぐには答えなかった。
少しだけ考えるような顔をして、それから息をついた。
「……どうした急に」
「分かるだろ」
「全部、変なんだよ」
「人も、景色も、会話も」
「ちゃんとあるのに、奥がない」
男は黙った。
しばらく何も言わなかった。
「……すげえな」
小さくつぶやいた。
「そこまで言う奴、あんまりいない」
胸がざわついた。
「俺は人間だ」
「ここに閉じ込められてるだけだ」
「そうだろ?」
男は視線を外した。
丘の下を見て、少しだけ眉をひそめた。
「閉じ込められてる、か…」
その言い方が引っかかった。
「違うのか」
男はすぐには答えなかった。
ポケットから、小さな端末を取り出した。
見たことのない形だった。
画面を見て、少しだけ目を細めた。
「……出てるな」
小さくつぶやいた。
「何がだ」
男は答えない。
指で画面をなぞって、少しだけ息をついた。
「いや……」
「なんでもない」
そう言って、端末をしまった。
だが、その顔はさっきまでと違っていた。
少しだけ真面目で、
少しだけ困ったようで、
少しだけ驚いていた。
「なあ」
俺は言った。
「今、何見てた」
男は少しだけ迷って、それから笑った。
「気にすんなって」
その言い方で分かった。
これは、俺に関係ある。
「……俺のことか」
男は答えなかった。
代わりに丘の下を見た。
「さっきさ」
「お前、変なこと言っただろ」
「ここから出してくれ、って」
胸がざわつく。
「……言ったな」
男は小さくうなずいた。
「普通、言わないんだよ」
「この辺の奴らは」
風が吹いた。
静かだった。
「……俺は違うのか」
男は少しだけ空を見て、それから言った。
「違うかどうか、…見てる途中なんだよ」
ぞっとした。
「見てる?」
「観察っていうか……」
「まあ、そんな感じ」
言いながら、男は苦笑した。
「変な話だけどさ」
「見てると、安定するんだよ」
意味が分からなかった。
「安定?」
「反応が」
「挙動が」
「その……」
言葉を探して、男は小さく首を振った。
「まあいいや」
それ以上は言わなかった。
でも、もう十分だった。
——見てると安定する。
——観察してる。
——普通は言わない。
俺は丘の下を見た。
村が見える。
人が歩いている。
話している。
笑っている。
ちゃんとある。
ちゃんと動いている。
なのに、ふと思った。
誰も見ていなかったら、こいつらは
…ここにいるのか?
——そして。
誰も見ていなかったら、
俺は、…ここに、いるのか?
——風が吹いた。
空は、ちゃんと青かった。
本当に青いのかは、分からなかった。
ただ、
誰かが見ている間だけ、俺はここにいる。
——そんな気がした。




