1.囚われた世界で
意識とは何か。
それが、大学での俺の研究テーマだった。
人間の行動はすべて物理的な反応で説明できるのか。
感情や意思と呼ばれるものは、ただの情報処理に過ぎないのか。
そしてもし、見た目も行動も人間とまったく同じなのに、中身が存在しない、そんな存在を作ることができたとしたら。
それは本当に人間と違うと言えるのか。
哲学ではそれを、哲学的ゾンビと呼ぶ。
……そんなことを考えていたはずだった。
気がつくと、俺は見知らぬ村の中に立っていた。
木造の家が並び、石畳の道が続き、遠くでは鐘の音が鳴っている。
まるでRPGの中に入り込んだみたいな光景だった。
最初に思ったのは「これは夢かも」だった。
次に思ったのは、「これはゲームの中だ…」だった。
そして三日後に思ったのは、
「——俺はここから出られないのかもしれない」だった。
この村での生活は、妙に落ち着いていた。
誰も俺を不審に思わない。
当たり前のように話しかけてくるし、
当たり前のように俺の名前を知っていた。
俺は、この村に住む人間の一人だった。
仕事もある。
家もある。
顔見知りもいる。
俺も、なぜかここの人たちのことや暮らしのことを知っている。
まるで最初からここで生きていたみたいに。
もしかしたら、研究していたと思っている方が夢が何かで、ここが現実の世界なのか?そんな気がしてきた。
それなのに、どうしても拭えない違和感もあった。
村人たちは、普通に笑う。
普通に怒る。
普通に悲しむ。
好きな食べ物もあるし、嫌いな相手もいる。
会話も自然だ。
…なにもおかしいことはない。
……ない、はずなのに…。
ある日、思わず隣の家の男に聞いた。
「この村のこと、好きか?」
男は少しだけ考えてから答えた。
「好きだよ。住みやすいからな」
「どこが?」
そう聞いた瞬間、男は黙った。
困ったような顔をして、少し笑って、
「……ここに住んでるからだよ」
と言った。
理由になっていない。
いや、言葉としては別に間違っていない。
だが、その奥にあるはずの何かが感じられなかった。
別の日。
広場で泣いている女がいた。
「どうしたんだ?」
「夫が死んだの」
悲しそうな顔をしていた。
声も震えていた。
だから俺は聞いた。
「どんな人だったの?」
女はうっすらと口を開いたまま止まった。
しばらくしてから、ゆっくり言った。
「……いい人だったわ」
それ以上は出てこなかった。
思い出も、
好きだったところも、
何も出てこなかった。
ただ、悲しそうな顔だけがそこにあった。
そのとき、ふと思った。
——こいつら、本当に中身があるのか?
違和感は、日を追うごとに大きくなっていった。
会話はできる。
生活もできる。
何も困ることはない。
なのに、どこか薄い。
この世界は確かに存在しているはずなのに、
触れても、話しても、奥行きがないように感じた。
俺だけが馴染めていない。
いや。
違う。
俺だけが気づいてしまっている。
そんな気がした。
そしてある日、
どうしても頭から離れない考えが浮かんだ。
——もしここが仮想世界なら。
——もしここがゲームの中なら。
……死ねば、戻れるんじゃないか?
その考えが浮かんだ瞬間、背筋が冷えた。
——試せばいい。
高い場所から飛び降りればいい。
刃物を使えばいい。
それだけで確かめられる。
ここが本物かどうか。
…なのに、体が動かなかった。
…怖かった。
ここが偽物かもしれないと思っているのに、
死ぬのが怖かった。
——もしここが現実だったらどうする?
——もし元の世界の方が夢だったら?
——もし、俺は最初からここにいたのだとしたら?
——哲学的ゾンビ。
研究室で何度も考えた言葉が浮かんだ。
見た目も行動も人間と同じ。
だが内面だけが存在しない存在。
もし、この村の人間がそうだとしたら。
そして、もし。
俺だけが違うと思っているこの感覚すら、
ただの反応だったとしたら。
——俺に、本当に意識があると証明できるのか。
その日から、俺は高い場所を見るたびに考えるようになった。
ここから落ちれば、
終わるのか。
それとも、
始まるのか。




