第二章
気持ちの良い朝を迎え、転生2日目が始まった。
ここ十数年で一番の快眠。若返った体と、魔力切れでの寝落ちが理由だろう。
簡単に身支度を整え、昨夜の情報をもとに南へ向かう。
3kmほど先に川があり、昼間は動物が水を求めてやって来るらしい。
魔物は夜が多いということで、狩りには最適だ。
道中は闇魔法の「身隠し」(自称)の練習をしながら進む。
これは影をまとい、周囲の影に溶け込むように自分を隠す魔法。
森のような薄暗い場所では効果を発揮する。
「身隠し」で近づき、「影縫い」で捕らえる。
闇魔法使いの鉄板戦術だ。
川に着くと、運良く一匹の兎型の動物を発見。
その茶兎(仮名)は毛色がそういう色なのか汚れなのか茶色と白のまだらで、耳は長いが少し丸みがあってネズミに近い顔つきだが、後ろ足が発達していて跳躍力がありそうだ。
距離は約15m。
森の出口まで3m影縫いの射程は10mに満たない。
あと少し足りない。
「身隠し」で気配を殺し、影を伸ばしつつ静かに茂みを抜けて距離を詰める。
もう一歩、あと0.5秒というところで草が擦れた音が出て、兎が振り返る。
右を向いたその一瞬、俺は右に踏み込む。
「掛かった!」
兎は予想通り右へ跳ぶ。
跳躍の頂点直前、俺の影が兎を捕らえた。しかし──
「弱いっ!」
捕らえたはずの影がすぐに引き剝がされそうになる。
兎は必死にもがき、跳躍を繰り返し俺の陰から逃れようとする。
「させるかっ」
俺は急いで魔力を影に注ぎ込み、ナイフを抜いて駆け寄る。
「うおおおおおっ!」
しかしあと数歩届かず、兎は影を振り切って逃げてしまった。
(力不足か……でも、もう少しだった。)
狩りは失敗したが、得られた気付きは大きい。
射程、発動速度、捕縛力、影との同化精度、同時発動の習得。
優先すべき課題が明確になった。
訓練を続ければ、成功も遠くない。
その後、河原に来る理由の一つでもある火打石探し。
石英を探しナイフの背で火花を試すが、ふと思い出す。
「そうだ、みつかいさんがいるんだった。」
目ぼしい石を拾っては
「これは火打石?」
と尋ねていく。
そうしてついに、火花の出る石を3つ見つけることができた。
最後に水袋へ水を補充し、ついでに服を脱いで水浴び。
全身の疲れと汗を洗い流す。
「ふぅーっ。気持ちいい……」
一仕事の後の水浴びは気持ちいいっ。
狩りの方は失敗だったけど。
だが、学びも成長も多い一日だった。
服を着て荷物をまとめ、再び「身隠し」の練習をしながら拠点の大樹へと戻る。
帰り道では食べられる植物や薬草になり得る草、または毒になり得るかを見分けるため、みつかいさんに質問しながら進んだ。
3日目の朝を迎えた。
昨日と同じく、いや昨日よりも更に気持ちの良い朝だ。
昨日は狩りがあったからだろう。
人生で初めての本気の狩りを行い、程よい、程度ではなくかなり緊張して、体も酷使して、結果としては失敗に終わったがしっかりと手応えは感じられた。
その後の水浴びもあったからだと思う。
それで朝には回復し、心も体も鋭気にみなぎっている。
こんな朝を今日もまた迎えられたことに、今朝もみつかいさんに感謝の祈りを捧げる。
今日も狩りだ。
本来、狩りは日を置いて行うものだろうが、俺には期限がある。あと98日で、自立して生き抜く力を身につけなければならない。
狩りの先には魔物との戦闘、安全な住処探し、着実な金の稼ぎ方と課題は山積みだ。
そもそも昨日の狩りは失敗しているので、日を置く必要はないのだが。
そこで今日も昨日と同じく南の川辺を目指す。
ただし、獲物がいなければ南西の川下へ進む予定だ。
川上は動物も魔物も強くなると聞いた。
(というより質問を重ねて導き出した結論だが)
昨日の失敗の主因は、茂みを抜ける直前に立体物に接触し音を立ててしまったこと。
影は地面に這わせていたが、膝下が茂みに触れたのだ。
立体物を避ける方法や影の立体化など色々考えたが、みつかいさんとのやり取りから、身隠しに改良の余地があると掴んだ。
つまり、「身隠し」と「影縫い」、さらに「影縫い」の準備段階にある影――ここでは「闇影」と呼ぼう――これらを同時発動する必要がある。
今日からは、その訓練に重きを置いて出発する。
まずは出発前に「身隠し」の魔法を発動する。
俺のイメージする身隠しとは、自身の周囲に闇属性の魔法で幕を張り、その幕を何層にも重ね、細かな闇魔粒子を使って濃度や厚みを調整することで、視覚や嗅覚からの認識を遮断するものだ。
この三要素――粒子の細かさ、濃度、層の厚さ――を周囲の状況に合わせて即座に調整するのは難しいが、日々の訓練が重要だ。
今日も、今の精度で身隠しを張り、そこから移動を開始する。同時に足元には闇影を発生させる訓練も並行して進める。
ただ、最初はバランスが取れず、足元がおぼつかない。
そこで、まずは移動に集中し、次に身隠し、最後に闇影生成と、順序を決めて取り組むことに。
道中、身隠しが切れたり、闇影が不安定だったりと手間取ったが、昨日の倍近い時間――2時間弱かけて――なんとか川辺に到着した。
川辺を覗くが、見える範囲には獲物の姿はない。そこで予定通り、森を抜けず川下――南西方向へと進む。
もちろん、身隠しと闇影の訓練は継続しながらだ。
河原沿いを移動して1時間半ほど経った頃、やっと動物らしき姿を発見。
気配を殺し、慎重に接近する。訓練の成果で、今では足が地面に着く直前に闇影を生成でき、踏み場さえ選べば無音に近い足取りで進めるようになった。
身隠しも濃度を調整し、森の影に溶け込むよう心掛ける。
接近して確認できたのは茶兎だ。
昨日逃がした相手と同じ種だ。
きょろきょろと周囲を警戒しながら、水面に口を近づけている。
背後から慎重に近づき、俺は森の出口2m手前で足を止めた。
茶兎までの距離は15m。
現在の影縫いの射程は13m、生成にかかる時間は2秒。
条件は昨日とほぼ同じだが、今回の方が距離の分、難易度は高い。
俺は昨日の失敗の二の舞を踏まないよう、森の出口までの足の踏む場所を慎重にシミュレートする。
数秒の場で目を瞑り心を落ち着かせ。
そして、パッと目を見開くとイメージ通りに足を運びながら闇影を伸ばし、茶兎まで距離を詰める。
「しゅっ」「ぱっ」「ざくっ」
「ギィィィッ」
影は茶兎が俺に気付いた瞬間には届いていた。
次の瞬間、影が茶兎を捕縛し、抜かれたナイフがその両耳を右から左へと貫ぬいた。
狩りは成功した。
これが闇魔法使いの狩りのお手本であるかのように、だ。
俺は驚くほど冷静だった。
初めて狩りに成功したら、自分がお祭り騒ぎになると思っていた。
嬉しくない訳ではなく、むしろかなり嬉しいが、何と言って良いのか。
この結果を得る為だけに何度も練習して準備をしてきた。それが成っただけ。
というものと。
やっと出来た事ではあるが、今後これは日常になるのだ。
というものと。
自分の命を続けたいが為だけにこの命を頂いたんだ。
というものとが同時に湧いてきて、それで、はしゃぐ気持ちは全くなかった。
「ありがとうございます。」
俺はそっと目を閉じて、今ここに命あることに、この世界に、この森の恵みに、そして機会を与えてくれたみつかいさんに感謝の祈りを捧げた。
日は中天に差し掛かる頃か。
この後の作業を考えると時間は余りない。
あらかた血が抜けた茶兎を川で血と泥などを流し、駆け足で大樹へと帰路に就いた。
勿論身隠しに闇影も同時発動しながら。
獲物の血の匂いで魔物などが寄ってきたらまずいのと、やはりどんな時でも鍛錬あるのみだからだ。
急ぎの帰り道だが、途中いくつかの草類を採取する。
昨日みつかいさんに聞きいて判明した薬草等だ。
今回は、大朴葉(自称)と痛毒草(自称)と鎮痛薬草(自称)の3つだ。
それらを見付けては採取しながら進む。
この大朴葉にはその効能を確認するのにかなり苦労した。
痛毒草と鎮痛薬草は割と簡単だったが、いくつもの種類の草木の中から、何かしらの効果があることは解るも、その効果・効能が何なのかに辿り着くのにとても時間が掛かった。
それもそのはず、食料品などを包むと殺菌効果により保存に適しているというものだ。
それは中々思いつかない。
どうして気付けたのかは、前の世界の地元の特産品に、これと良く似た葉っぱでくるんだ朴葉寿司というものがあったからだ。
では逆に何故すぐに気づけなかったのか。
それは前の世界ではだいたい葉の長さが30cmからせいぜい4,50cmといったところ、幅も15cmから20cm程度、しかしこの葉は長さが1m近くあり幅も30cmもあったからだ。普通別物と思うだろう。
まあ、形は酷似していたんだけど。
大樹の元に着くと先ずは採取した大朴葉を縦に2枚並べて敷き、そこに茶兎を置き解体する。動物の解体は前世でも今世でも初めてである。
ここに着くまでにみつかいさんにどこから切るのか、から始め、どうしたら綺麗に皮を素材に出来るか、肉はどう解体するか、食べられない内臓はどこかなど多数確認済みである。
初めてにしては割と手際よく、(当然苦戦はしたが)皮と肉と内臓と廃棄分とに分けられる。
肉は前足から胸にかけての塊を胸肉、後ろ足まわりの塊を腿肉、それを左右それぞれ切り分け4つの塊にした。
それらを大朴葉の上に並べ、余分な血が更に流れる様にし、皮は血で汚れない様に寄せておく。
そして廃棄分を持ち森に向かう。
廃棄分は左手の掌に余裕で収まる程度だった。
それをなるべく森の奥へと運び、丁寧に地面に置き、森に帰るようにと軽く祈り、そこを立ち去った。
そうすることで血の匂いで近づいた動物、魔物がその内臓で満足してくれればそれで良いし、そうでなくても土に帰れば森の恵みになるであろうと。
そしてその帰りには長めの枝を3本と、細い竹の様なものを1本と薪と枯れ葉をなるべく集めながら戻り、大樹の元に着くと長めの枝でトライポットを設置する。
その隣に薪を並べ火を熾す。
燃える薪の周りに枝で作った串に内臓や胸肉のひと塊を更に切り分けた肉を差して、薪を囲むように地面に突き刺していく。
それらが焼ける間に、薪の中の炭をいくつか、枝から作った火箸でつまみ、トライポッドの真ん中に並べる。
その炭の上に枯れ葉をどさっと置く。
竹の様なものを30cm位に切り、中の節を先程の箸でつついて穴を開け、火吹き棒として枯れ葉の中に先を突っ込み、炭に向かって息を吹き込む。
しばらくすると煙が立ち込め始める。
そしてそのトライポッドの枝の内側に腿肉2塊をそれぞれ引っ掛け、てっぺんには茶兎の皮を被せて燻製にする。
更に煙が逃げない様に葉っぱが多くついた枝をトライポッドの周りに被せる。
残った胸肉は別の大朴葉に包み、綺麗に畳んで四角い包みにする。
それではまだ生焼けの内臓から食すとする。
何故生焼けの内臓をかって?
毒の耐性力も訓練で伸びるからだ。
痛毒草も同じ理由で採取した。
実は昨晩から痛毒草による耐性強化訓練を行っている。
干し肉を食べるのと一緒に。
痛毒草は体内に入ると体中に痛みが生じ、そのまま摂取し続けると呼吸困難も生じる。
そうなったところで鎮痛薬草を摂取し、治まるまで休むという具合に、だ。
それを今回は生焼けの内臓でお腹を痛めない耐性をと考えている。
というか出来るとみつかいさんに確認済みである。
これはいずれ火を熾せない環境下でも、生肉を食べてでも生きていけるようにする為だ。
生焼けの腸、いわゆるホルモンから頂く。
「おおおおおっ!」「美味しいっ」
こんな新鮮なホルモンは初めて食べる。
これが前の世界の焼き肉店のホルモンなら、間違いなく生焼けでも食べていい程の新鮮さだ。
いや、確か内臓には一定数の菌がいて、新鮮でも生食はいけないんだっけ。
ま、いいや今世だし。100日加護あるし。
その後も食事を進め、胸肉に到達する頃には、さすがに味気なさを感じていた。
早急に「塩」を手に入れる必要があると痛感し、夜のみつかいさんとの質問タイムでは塩づくりを優先事項とすることに決めた。
日も傾き始める頃、腿肉に火が通ったのを確認してそれぞれを大朴葉に包み、大樹の寝床とは別に用意した枝の棚に並べる。
まずは大朴葉を敷き、そこに肉の包みを三つ置く。
その上にも大朴葉を裏返して敷き、最後に葉のついた枝を被せて重しとする。
こうすれば肉の匂いや見た目が隠せ、魔物への注意も少しは和らぐ。
火をしっかり消し、いつもの枝の床へと戻る。
荷物を置き、茶兎の皮も干す場所に広げてから、根元に座り込む。
ここからが、夜の訓練時間だ。今日から新しい魔法の練習を始める。
これまで地を這わせていた「闇影」(今後「操影」と呼ぶ)を、空中に浮かせて伸ばし、さらにそれを「硬化」させるというものだ。
が、これがなかなかうまくいかない。
三日間、ずっと影は地面を這うものとして扱ってきた。
その「イメージ」が、脳内に深く定着してしまっている。
影が地面を離れて空中を進むなど、感覚がまるで掴めない。
それでも、みつかいさんは「できる」と言っていた。
ならば、あとは信じて、イメージを塗り替えるしかない。
まずは影を空間に伸ばす様子を何度も頭の中で思い描く。
空に向かって伸び、そして硬く、鋭く、自由に動く影。
最初はイメージがぶれる。
すぐに地面へ引き戻されそうになる。
けれど、何度も、何度も、繰り返し意識を集中させていく。
そのうちに、魔力を流しながらイメージを押し通せるようになってきた。
だが、影を空中に「浮かす」ことができても、「硬化」させるのはまた別の難しさがあった。
「イメージがすべて」――みつかいさんの言葉が脳裏をよぎる。
実際は自分の考えた言葉に「ピンッ」をもらっただけだが。
空中に浮かぶ黒い帯。
それは触れれば刃のように鋭く、意思を持って動き、敵を縛り上げる――そんな理想の影を思い描きながら、何度も魔力を流し、何度もやり直す。
やがて、意識がふっと遠のく。
魔力切れだ。訓練の締めくくりは、いつものように限界まで力を使い切ること。
体は枝の床に横たわり、闇に包まれていく。
4日目の朝。
昨晩感じていた腹痛や毒の痛みはすっかり引き、清々しく目覚めることができた。
体調は万全だ。
静かに目を閉じ、今日もこの世界に、生きていることに、そしてすべての存在に感謝の祈りを捧げる。
朝食は昨日仕留めた茶兎の胸肉。
生のまま保存しておいたそれを焚き火にかけるため、昨夜の場所に薪を足し火を起こす。
肉を木の串に刺し、焚き火の周囲に立てかけてじっくりと焼く。
香ばしい匂いが漂う中、今日一日の計画を練る。
今日の主な目標は二つ。
「魔物との戦闘に備えた魔法訓練」と、「塩の採取」だ。
魔物との戦闘……その言葉の響きは重い。
これまでは食糧確保のための狩り、そのための魔法だけに集中してきた。
だが、この先必ずやってくるのは、命を奪い合う相手との対峙。
獲物を仕留める魔法も大事だが、まず何よりも必要なのは、自分の命を守る術だ。
狩りと違い、魔物はこちらの存在に敏感だし、中には魔法を放ってくるやつもいる。
見つかった瞬間、反撃も防御もできなければ、それまでだ。
今、必要な防御魔法は二つある。
一つは「影盾(自称)」。
これは、影を硬化させて自分と敵との間に生成し、盾のように使う技。昨夜から続けている、影を空中に伸ばして硬くする訓練の延長だ。
もう一つは「黒粒界(自称)」。
これは、自分の周囲に展開した闇魔粒子をさらに濃く、そして硬くして防壁とする技。これは身隠しの応用ともいえる。
新しい魔法訓練が必要だと感じていた。
そしてそれは、意外にも「塩の採取」から始まる。
塩。食事の味付けのためではない。
塩を得る方法を知ることが、さらなる魔法の可能性につながる。
昨晩得た知識から、塩の採取には二つの手段があることがわかった。
一つは地中に眠る岩塩の採掘。方法は分かったが、まだその場所に行くには力も時間も足りない。
もう一つは、海水から塩分だけを抽出する方法だ。
これが面白い。
これは「生命力」や「魔力」といった、目に見えないものを抽出・吸収する魔法――いわゆる「HPドレイン」「MPドレイン」につながる考え方らしい。
ならば、まずはその前段階。空気中の「水分」を取り出す訓練から始めようと思った。
水は知っている。塩も知っている。
目に見えなくても、水はこの空気中にある。
塩が海水に溶けていることを知っていれば、そこから塩分を抜き出すという発想もできるはずだ。
そして、その先にあるのは――生命力の抽出、魔力の吸収。
「始める前からワクワクしてくるな……」
そう呟きながら、今日という一日に想いを馳せる。
防御魔法と未知なる吸収魔法の基礎。
すべては、生き抜く力を得るために――。
ただ、何もしないで魔法の練習だと日中の時間が勿体ないので、植物の判別&採取を行う事にする。
まだ足を踏み入れていない西の森へ。
採取しながら西に向かい、2時間程経ったら南へ進路を変えればいずれ昨日の狩場あたりの川に当たるはずなので、そこからは川沿いに北東に進み、最初の狩場辺りで北上して戻る。
というルートにする。
途中動物に遭遇したら狩りモードに変更し、狩れたら川へ直行し、昨日と同じルートだ。
(昨日は茶兎を洗ったのに自分自身を洗うのを忘れていた。色々ありすぎてか。今日こそは体を流したい。)
そう思いながら焼けた肉を頬張り、食べ終わると火を消し移動を開始する。
身隠しと闇影を作りながら、更に左手のひらを空に掲げて、空中に濃い闇魔粒子を散布するイメージをしながら。
時々右手に替えて。
中々発動すらしない。
3つ目の同時魔法発動の練習でもある。
簡単な訳がない。いや、でも必ず出来る。
そうこうしていると、木々の合間の上空に丸っこい何かの実がなっているのが見える。
確認すると食べられると。
操影を這わせ採取に。
今回はもぎ取るのではなく付け根を切る様に。
これも訓練だ。中々切れない。10分以上掛かってやっと実が落ちてきた。
丸みを帯びたその実と木の蔦とを繋げていたであろう細い蔦には、何十回とも数えきれない程のためらい切りの様な跡が残っている。
「よし。先ずはこれでいい。切れたのは確かだ。あとはこの数を減らすだけ。研ぎ澄ませるだけだ。」
もうすっかり魔法に対して前向きな考え方が定着されつつあることは、今はまだ自分でも気づいていない
よく実を見回すと、昔よく食べたアケビにそっくりだ。
学校帰りにある浅い森に入り、木の周りにアケビの蔦を探し、それらしき蔦を見付けるとその先に実が成っていないか見渡す。
すると2個、3個のアケビを見付け、石を拾って当てて落とす。
石で潰れたりもしたが、粒々の種を含んだ甘い果実が、頬いっぱいに甘美と喜びを運んでくれた懐かしい記憶がよみがえる。
「よーし。」がぶっと一口
今思い出した甘美が、全くそのまま口の中で最高に再現された。
「甘ーーーーーい!」
この世界にきて初めての甘味にもう幸せを感じる。涙がこぼれた。
一列に大量に並んだ種を順番に口から連続で発射する。
スイカよりも狭い場所に大量に並んだ種は連射に向いているのだ。
もう片方の果肉も口に含み、もう一度、種連射。
涙がこぼれるどころか、わんわん泣いた。
ひとしきり泣いた後、落ち着いたのでもう一つ位、熟していて落ちてしまう果実が無いか上空を見渡す。
だが上空を見渡しても良く見えない。
まだ涙が滲んでいるからだ。
それならと、目を瞑り、操影を蔦に沿って這わせ、実が成っている蔦まで数本伸ばす。
そしてもっと集中するといかにももう熟している個体を感じ取れる。
その実の蔦の付け根を切るイメージ。
「すぱっ」
今度は一瞬で切れ、実が落ちてきてそれを空中でキャッチする。
一気に成長した感覚だ。
ひとしきり感情的になるとその後はいつも以上に集中できるものだ。
要はそういうことであろう。これは良い経験ができた。
その後も薬草毒草を採取しながら進むと、2時間位は経ったであろうか。
そろそろ南に進路を移動する。
ここからは川辺に着くまでだ。そうしてると、とうとう左手のひらから闇魔粒子が空に向かってふわっと溢れ出た。
「おおっ!出たっ」
身隠しは常時発動していることは分かっているが、闇影が消えたのでは、と確認する。が、ちゃんと両足共に接地面に影がある。
「よしっ。先ずは3つ同時発動はクリアだ!」
その後は左手の先の闇魔粒子の集まりが現在バレーボール位の大きさのものを、もっと大きくなるように魔力を込めながら進む。
これがなかなか変わらない。
「そうだっ」
俺は面白いことを思いついた。
俺は辺りを見渡し、近くに動物や魔物の気配が無いことを確認し、身隠しと闇影を一時的に解除。
その状態で魔力左手に一点集中し、最大で闇魔粒子がどの位広がるかを、自らに認識させようとしたのだ。すると
「ぶわぁっ!!」
左手のひらから最大直径5m位、長さも5m位のメガホンの形を太くしたような逆円錐形のような黒い粒の集合体が出来上がる。
「えっ?」
これには自分自身が驚き、体が後ろに仰け反ってしまった。
「な、なんだこれは!?」
まさかここまでとは思っていなかった。
(恐らく身隠しの常時発動が、魔力操作のレベルと魔力量を引き上げてたんだろうな。)「ピンッ」
「おっ」久々の不意打ち「ピンッ」に驚く俺。
「ま、まあ、この位出来るってイメージ付いたな。」
誰に向かって言い訳しているのやら。
気を取り直し、身隠しと闇影を発動させ、もう一度左手のひらから闇魔粒子を出してみる。すると今度は直径1m位の集合体が現れる。
「い、イメージって凄いな。」
と感心していると、突然右の、西の奥の森から物凄いプレッシャーを感じる。
恐らく先程の闇魔粒子の魔力に反応したのだ。
そして魔力に反応するのは魔物だ。
そいつは真っ直ぐにこちらに向かってくる。
魔力に反応して向かってくるのはボア(自称)系の魔物だ。
俺は真っ直ぐ西の方角に向き、身隠しを解き、右手でナイフを抜き構え、操影を前方に幅広めに展開し、待ち受ける。
(防御手段はない。影縫いとさっきの影槍エイソウ(自称)で撃つしかない。)
そこで茂みの中から魔物を視認できた。体長約2m程だ。
「レッサーボア(自称)だ」
レッサーボアとはワイルドボア(自称)の劣化版だ。
ただレッサーといえども大きな猪位上はある。気は抜けない。
20m近く伸びた影にレッサーボアが到達する瞬間を見極める。
「今だっ」
と影縫いを発動。
「よしっ」
影縫いが捕縛した。が、油断はしていない。
一瞬足止め出来る程度だ。
「影槍!」
影の中から硬化された鋭く黒い刃が現れるが、レッサーボアの前足に届く前に影縫いを振り払われる。
「ダメか」
声にしながら左前方に飛んで突進を躱す。
突進が宙を切ったレッサーボアは途中で止まり、ゆっくりとこちらに向き直った。
同時に俺はそのレッサーボアに向かってもう一度影を伸ばす。
俺の影などお構いなしにまた突進してくる。
「影縫いっ」
捕縛の影が伸びた瞬間、レッサーボアはそれを跳ねて躱す。
そのまま突進してくる。
俺は今度は右前方に飛んでそれを躱す。
「くそっ」
もう一度正面に対峙し、俺が操影を伸ばす、奴は跳ねて、を繰り返す。
更にもう一度。
このままだと体力勝負になる。が、奴は息も上がっていない。これ以外の手札がない俺は5度目の対峙をする。今度こそ
「影縫いっ」「ぶふぅっ」
跳ねる前に影縫いが捕縛した。すかさず
「影槍」
レッサーボアの右前足に刺さった。
「よしっ」
これで勢いが弱まったところにナイフで突く。
そう思った時予想外のことが。
影縫いも影槍も弾いたレッサーボアが更に加速して突進してきた。
一瞬次の攻撃に移ろうとした俺は、それがレッサーボアのフェイントだと気付かずに、躱すのが遅れ、右脇腹に突進を食らった。
「ドーンッ」「うぐぅっ」
レッサーボアの牙によってその脇腹がえぐられた。
「ぐはぁ」
血を流す俺。
レッサーボアは一合目のやり取りで、俺の魔法は大したことが無いと踏んで、拮抗しかけた際にわざと魔法を受ける事で隙を作ったんだ。
大した奴だ。魔物は侮れないってことか。
が、しかし、俺にも覚悟が出来た。
俺はやっとのことで立ち上がると、影は伸ばさず、自分の下に影を留めたまま対峙する。
そしてナイフを逆手に持ち替え、武士が切腹する時の様な構えで待つ。
「グゥゥゥゥーッ!」
唸りながら突進してきたレッサーボアに対し、正面のまま対峙し、突進が当たる直前に自分とボアの前に硬質化した影の壁を生成する。
「パリンっ」
当然ボアは止まらない。
俺はその音と共に後ろに向かって飛びながら、ナイフを勢いよく振り下ろした。
「ドンッ」「ざくっ」
俺に突進が当たったと同時に、振り下ろしたナイフがボアの後頭部に刺さる。
「ブフェェェェェッ」「ぐふぉっ」
気がつくと、俺は気絶していた。
目を覚ますと、手にしていたナイフがレッサーボアに深く突き刺さり、その巨体はすでに動かなくなっていた。
どうやら、倒しきったようだ。
レッサーボアがその身を削って俺を殺しにきたように、俺も同じ覚悟をした。
俺には死なない絶対な歩があったからだ。
そうはいっても簡単ではない。
みつかいさんのことを100%信じてはいるが、自分が殺される攻撃を受けようなんて発想、アドレナリンか何かで感覚が飛んでいたに違いない。
しかし、今はその死体の処理が先だ。
こんな壮絶な戦いを経た命を、ハイエナのような魔物に喰い荒らされるなんて絶対に許せない。何とかしないと。
ふらつく体を無理やり起こし、レッサーボアに向かって手を合わせ、感謝と祈りを捧げる。
その後、腹を裂いて内臓を取り出し、血抜きを進める。その間に、近くの細めの木をナイフと影槍で2本切り倒す。
長さは約3メートル。少し間隔を空けて並べ、蔦でぐるぐるに巻いて固定する。
即席の担架だ。
そこへボアの死体を引きずって載せ、木の根元側を両手で持ち上げ、先端を地面に引きずるようにして川へ向かった。
太陽が沈みかける直前、なんとか川にたどり着く。
ボアの体を半分だけ川に沈め、流されないように石で固定する。
そして、近くの大木に登り、太い枝の上に腰を下ろす。
左手に止血草(自称)を乗せ、影槍で細かく刻む。掌の上で擦り潰したものを、右脇腹の傷口に塗り込んだ。
次に鎮痛草を取り出し、口に咥えて噛み砕き、飲み下す。
最後に潰れてしまったアケビを両手で掬い、果肉の部分を啜って口に含む、多量の種もそのまま飲み込んだ。
「んんっ、美味しい。」
そういえば、止血草を塗る時、内臓まで逝ったと思った傷が内側から回復してきているように見えた。あれも死なない加護の力かな・・・いつの間にか寝落ちしていた。