1 結納
こちら「いでっち51号」さん主宰、「わがままなザッハトルテ」の二次創作小説の参加作品になります。
――――――――鬼さんこちらぁ、手の鳴るほうへ。
――――――――鬼さんこちらぁ、手の鳴るほうへ。
鬼さんこちらぁ……………――――――――。
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1938年、昭和13年。
日本海にほど近い農村部「千樹村」
村では若い男女の結納が神社にて、つつましく義を執り行われていた。
結納の義が済むとお座敷に移り、それぞれの親族が対面する形で座り、女中達がいそいそと料理や酒を運ぶ。
この場の主役、花婿の朔と花嫁の綾世は仲人に紹介されると気を引き締めた。
「ほんでば、朔と綾世の門出を祝して、乾杯!」
景気の良い返事と共に掲げた杯を皆があおると、袴を着こなし祝福する男達は口々に朔を称えた。
「朔ぁ、もう18か? 小せぇ頃から知ってるが、いつの間にか大きくなってぇ」
「朔はぁ、村一番の男前だからなぁ。言い寄る女子も多かったさなぁ」
「んな中で幼なじみの綾世が村一番の男前を捕まえたべ。綾世。姉さん女房らしく、しっかり尻に敷いとけぇ?」
「朔ぅ! 村の為にぃ、しこたま子ども作れや」
そう言うと農夫は立ち上がり、腰を前後に激しくふる動きをした。
男達は大笑いし横で見ていた農夫の妻は夫を「はずかしいから、やめぇ!」と叱りつけながら、彼の袖を鷲掴みにして無理矢理座らせると、拳を振り下ろす。
談笑の中、隣で清らかな花嫁衣裳をまとう伴侶を、愛おしく見つめる朔は自然と語りかけた。
「綾世、必ず幸せにするよ」
「朔……」
遠くの回廊で女中の悲鳴が祝福を遮る。
袴を着た農夫は襖から顔を半分出して覗きながら言う。
「なーん、騒がしいべなぁ?」
次第に悲鳴の大きさは足音のように近づき、杯の場へ向かっていると察しがつく。
「いやぁああ!?」
襖の端から端を駆け抜けた女中の後から、姿を表したのは、赤い花柄の着物に身を包んだ少女。
少女の顔には生気が宿っていなかった。
襖であぐらをかいていた男達は、その姿を見て泡を食ったように跳び跳ね、襖から距離を取った。
「サ、サチ!? おんめぇ、んな物騒なもん持って何してんだぁ!?」
サチの右手は木こりが伐採する時に使う斧が握られていた。
振り子に似た刃先には、まだ乾いていない赤い汚れがついている。
サチの声は肉体を離れ、漂うように名前を呼ぶ。
「朔……朔」
少女の呼ぶ声を聞いて周囲は呼ばれた当人へ注目する。
朔は壁の隅に身体を寄せて青ざめた表情で、サチと手に持っている斧を交互に見ていた。
「どうして? どうして綾世を選んだの? 朔……私は遊びだったの?」
「サ、サチ……何しに来たんだ? 今日
は結納なんだぞ?」
「私と将来を共にしたいって行ってくれたじゃない……アレはウソなの?」
朔に寄り添う綾世の目が一瞬、伴侶へ疑心の目を向ける。
サチはかすれた声で朔へ語りかける。
「もう、朔だけじゃないんだよ?」
「なんだよ? どういう意味だよ?」
サチが朔へ気をとらわれている間に、農夫の一人が彼女の背後へ回り肘の辺りから、腕を回して抑えこんだ。
農夫は他の男達へ「おい! 斧を奪え!」と指示すると、近くにいた男が相づちを打ってから斧を握るサチの手首を掴んだ。
しかし、ここから異様な事態へ発展する。
サチは斧を持たない空いた手で、背後から捕まれた腕を掴むと、ひっぺがし、その腕をねじる。
後ろにいた農夫の顔が苦痛で歪み、少女は枯木のように細い腕で男を投げ飛ばすと、手首と斧を封じた農夫も巻き添えで吹き飛ばされる。
農作業で足腰や腕力が太い幹にまで鍛えられた男達を、可憐な乙女が片腕で次々と投げ飛ばす様は、鬼神が乗り移ったようだった。
片腕で投げ飛ばされる様を見て周囲の男は、うかつに近づけないと踏み、距離を取ったまま動こうとしなかった。
サチは覇気の無い声で語りかける。
「ねぇ、朔? 私と結ばれないなら、一緒に死んでくれる?」
サチが斧を振り上げると、朔は「やめろ!」と声を荒げて抵抗してみせた。
そこへ、花嫁の綾世が朔を背に前へ出てサチと対峙。
花嫁が身を呈して夫を守ろうとする姿に、サチは振り下ろす腕を止めた。
「綾世。どいて?」
「サチ、朔を傷つけたら私が許さない」
「貴方はいつも私の決めたことに従う子だったのに、随分とたくましくなったわね」
「やめてよサチ。朔は諦めるって、ずっと前に話たでしょ?」
「ほんっと、バカな話よね……諦めるなんて言わなければよかった。そうやって小さい頃から朔を守ってきたのも私だったのに」
「サチ。もうやめよう?」
「綾世、貴方は本当に朔のことを愛しているのね……」
サチは諦めたように振り上げた斧を静かにおろした。
それを見ていた農夫達はそろりと近づき、サチの斧へ手を伸ばし、奪い取ろうと画策した。
が、
「やっぱり綾世のことは嫌い。昔から私が好きなものを同じように好きなって、いつも、私から奪い取る」
サチの目の色が変わり、斧を振り上げて綾世の脳天へ突き立てた。
斧は綾世の頭から眉の上まで突き刺さり、斧を引き抜くと、鮮血と共に脳が桃色をした脂肪の塊となって流れ出る。
綾世は白目を向き畳へ倒れ、激しい痙攣を起こす。
これを見た座敷に集まる村人達は、悲鳴を上げ男も女も皆、部屋から逃げた。
めでたい席はあっという間に血の池へ変わる。
「あ、綾世ぇえー!!?」
朔は花嫁へ駆け寄ろうとするも、凶器を持つサチに恐怖し、強襲に倒れた彼女へ近づくに近づけない。
サチの足はゆっくりと朔へ歩み寄る。
朔は凍えるリスのように震え、手の平をサチへ向け自身の顔を隠す。
彼は視線を落として狂った女を見ないようにしていた。
「た、助けてくれサチ……ぼ、僕を愛しているんだろ? なら殺さないでくれ!」
サチの口角が上がり瞳に母性が芽生える。
「朔は小さい頃からそうだったね? 雷が怖い。隣の犬が吠えて怖い。夜の林を通るのが怖い。その度に震える手で私の手を握って離さなかった。頼りないけど、そんな朔がいつも愛おしいと思っていた」
朔は「やめてくれ、やめてくれ」と泣きながら制止する手を向けて懇願。
「朔――――可愛い」
サチは斧を横へ寝かせて、真一文字に朔へ斧を振るう。
斧の刃先は朔の頬へ切り込みを入れると、綺麗に生え揃った歯を吹き飛ばしてしまう。
斧が離れると朔は畳へ倒れて頬を抑えながら暴れ回る。
花婿は顎が砕けて獣のような叫びを上げた。
それを見てサチは小首をかしげた。
狙い通りに行かず困り顔をするも、またも斧を振り上げて狙いを定める。
真上から縦に振り下ろした斧は、寝そべる朔の肩へ突き刺さり、骨を砕く。
度を越えた痛みに朔はのたうち回り、畳は赤く引きずられた汚れで塗り手繰られる。
サチはかまうことなく斧を振り下ろし続けると、次第に朔の悲鳴が途絶え、胴体と切り離された彼の首へ手を伸ばし、その髪を鷲掴みにして持ち去った――――。