淀みの中の人々
人生はリセットボタンはないが、電源ボタンはある。
電源ボタンはいつでも押せる。
今日電源ボタンを押す貴方。
いつかは押そうと思っている貴方。
あと1年待ってくれないか?
今日押しても来年押しても結果は同じなのだから…
勝ち組と呼ばれる職業は、時代と共に常に変わってきた。明治の日本では教員が聖職者として扱われていたが、いま現在、教員と聞いてイメージするのは[給料が安い][部活の残業代が出ない][生徒の親からのクレーム]などのマイナスイメージばかりだ。
では教員は底辺職なのか?
それは違う。たしかにあまりいいイメージはないかもしれないが、確実に底辺職ではない。
負け組と呼ばれる職業は、時代に左右されることなく底辺職であり続ける。
[サービス業][肉体労働][ライン作業]これらの底辺職はきっとこれから先、未来永劫差別され、搾取され続けることであろう。
そして彼等の心は少しずつ淀んでいき、社会の淀みの一部となり底辺を形成する。
Amazonで即日荷物を受け取るための[淀み]。
夜中でも酒を買うための[淀み]。
汚物や死体を見えなくしてもらうための[淀み]。
真面目に勉強をしてきた名前もわからない誰かのために、彼等は淀んでいく。
決して這い上がることができない禍々しい渦の中でのたまう人生。
それが「淀みの中の人々」だ。
何よりも問題なのは、彼等が自分の不幸と向き合わず博打やジャンクフードなどの一瞬の快楽で現実から目を背けてしまうことである。
彼等、というか我々は不幸である。
我々は工夫せねばならない。
我々は「今は」不幸である。