思い出のひとつ
「後ろは後ろで盛り上がってますね。私たちはこれからですけど」
「普通に無理。やっぱりじわじわくる恐怖は苦手だ」
「それは分かる」
自動で時間停止する機能がついた俺は、無意識の攻撃にも本能が反応して時間を止める。その際、当たりたくないから強制的に回避の思考へと切り替わるが、その時じわじわと迫る攻撃を見続けるのは疲れるから苦手だ。
ガタンゴトンと音を鳴らして進むジェットコースター。そろそろ急降下だ。それは千隼も理解していて、左手に伝わる千隼の右手の握力は強まっていた。
「頼む……故障しないでくれ……」
「しないから大丈夫だ」
「しっかり握っててくれ。信じてるからな?」
「言われなくてもそうします」
安堵させることは無理だ。なのでできることは強く握られることに耐えることだけ。それに応えて10秒後、ジェットコースターは一瞬だけ止まった。
「えっ?」
それに驚いた千隼。だがそれは一瞬の不安を誘うだけの仕掛けのような時間。故障かというような反応を見せた後、すぐに急降下へと向かった。
「――うっ!!嫌だっ!!!」
「――マジかぁぁ!!!死ぬぞこれぇぇぇぇ!!!」
隣と後ろから聞こえる叫び声。碧の絶叫はもう発狂のようで、莉織の反応なんて聞こえないし、隣の女子の声すらも聞こえなかった。
俺の隣はというと、単純に力が込められる。目を閉じたのは仕方ない。それだけ高所恐怖症にとって相性最悪のアトラクションなのだろう。
それにしても、急降下の今のふわっと浮いた感じはこの世界で初めての経験だ。エレベーターの何倍だろうか。
「力強いな」
「ごめん!でも許してくれ!これは想像の何倍も怖いんだ!!うぅ……落ちる!どうしよう!!」
「大丈夫ですよ、千隼。私たちは絶対に手を離しませんから」
「死ぬんじゃね?!死ぬんじゃね?!おいおいおいおい!ヤバいってぇぇ!!!」
「うるさいわね。まだ序章よ?」
落ち着いた俺たちに、落ち着かない高所恐怖症コンビ。恐怖エリアに行った方が絶対良かったと思っているだろう碧と、何故主役としてもっと意思表示をしなかったんだと後悔しているだろう千隼。
それを見て楽しむ俺たち。
客観的に見れば最低の友人たちだ。タワーマンションハラスメントである。
「次一回転ですよ」
「無理無理!言わなくていいことを言わないでくれ!」
「次一回転だってよ」
「君は最低だ!!」
右手をぶんぶん振って嫌悪を表現。余裕のない中で現れたクールとは懸隔した千隼の可愛いは、やはり他3人と比肩する。そんなこと言ったら3人からイジメられそうなので心の中に秘めておくとする。
ぐるっと一回転して、途切れないで続く絶叫。でも目立たないのは、碧と千隼の同類が前に大勢座っているから。誰1人として両手を挙げる人は居なくて、特に女性のけたたましい声はハッキリ聞こえる。
「怖いですね。初めて乗ったんですけど、爽快に相応しい気持ちです」
「それは頭が狂ってるんだ!」
「そんなこと言っていいんですか?七生くん、千隼の右手挙げてください」
「うぃー」
「あっ!止めてくれ!ホントに死ぬ!!!」
千隼が真ん中に乗ると言った時に既に決めていたことだろう。一回転や急降下などではなく、平坦な真っ直ぐな道の今だからできる、高所恐怖症をイジメる両手挙げ。都合がいいのはこういう意味だ。
「あー、気持ちいいですねー」
「助けてくれ!悪かった!私が悪かったから!!」
「ふふっ。仕方ないですね」
結が千隼の左手を下ろすと、それに従って俺も下ろした。
「うおぉぉぉ!!!はぁぁっ!……ダメだ!気合いで乗り切ろうにも恐怖が勝っちゃうんですけど!!!」
「何をバカなことしているの?そんなことでどうにかなることなら、とっくに高所恐怖症なんて克服してるわよ」
「はぁ?!うるせぇ!カス!!」
「言うじゃない。両手挙げさせるわよ?」
「違う意味で手を上げてやろうか!!」
「後ろはとんでもない喧嘩始まってるな」
もう1人の女子は叫びながらも喧嘩に笑っているのが声で分かる。普通に聞いていると情緒不安定が不安に駆られて自分を保てなくなって暴走したように聞こえる。
碧は俺に対して噛み付いても、冷静で何事も冗談で済ませるいい子だ。しかし今は本気で暴言を言っているようなので、この先本気で言い続けて後々莉織に粛清されなければいいが。
「通常運転ですよ」
「こんな怖い中、何故君たちは普通に会話が可能なんだ!!」
「怖くないからですよ」
「それはそうだな!」
「秀才も、こんな状況だと普通の思考も失うんだな。面白い情報だ」
もう半分も過ぎて終盤に入った。横になって回るので、重力関係で体が大きく傾く。その中で手を握るだけだと不安なのだろう。千隼は俺と結の握っている腕を自分に引き寄せるよう力を込めた。
「ここを超えれば終わりだ!ここを超えればぁ!!」
「ジップラインもそうでしたけど、終わるのが早いですね。楽しいとこんなに感じると初めて知りましたよ」
「そうだな。でもいいタイミングだと思うぞ。俺の左手が限界を迎えないギリギリだから」
「私も同じくです」
非力な俺には、恐怖に駆られた女子の握力には耐えられなかった。終わりが近づいたと思うとほっとした俺も居て、その時確信した確かな痛み。そんなに怖かったんだと理解したのは、これからに活かせそうではある。
最後の周回を終えて、残りは真っ直ぐに進むだけとなった。速度も落ちて、あるのは高さへの恐怖だけ。しかしジェットコースターを乗り終えた高所恐怖症には、もはやその高さは恐怖の対象にしては甘かったようだ。
「……終わった?」
「終わりのようですね」
「えっ、マジ?終わった?」
叫び声も消えて、聞こえるようになった俺たちの声。碧も反応して聞いてきた。
「漸く静かになったわ。耳がおかしくなる手前で良かった」
「お前たちいい勝負だったぞ。僅差で碧がうるさかったけど」
「そういう勝負は今してないから」
「敗北は認めた方がカッコイイと思うが?」
「なんであんたも勝負に乗ってくんの」
結局事故は起こらず、ただ楽しめた人と恐怖を乗り越えた人だけが分かれたジェットコースターは、それでも満足そうにそれぞれため息を吐き出しているのはいいことだと思えた。
後はゆっくりと動いて戻るだけ。1分弱でスタート地点に到着。その瞬間にゴールということになった。
脱力感満載の碧と千隼は足腰を全力で動かすくらい疲れていて、さっきの客のデジャブを感じた。
碧の隣に座った女子とその他のメンバーにも軽く挨拶をして別れると、俺たちは5人揃って下に降りた。これで完全にジェットコースターはゴール。疲れた疲れてない、楽しい楽しくない関係なく、思い出の1つとして刻まれた瞬間だ。




