いざ
「七生、私杖ないから代わりに掴まらせてくれる?」
「いいよ」
到着してすぐ、ドアが開く前に莉織が言うので当然その願いを叶える。杖は必需品でも、遊びには邪魔になってしまう。だからこういう場合では俺が杖の代わりになる。この経験は初めてだが、これからもしたいと思うのは、こういう楽しい場所にまた来たいと思えている証拠だ。
ドアが開くと先に千隼が出る。それに続いて邪魔にならないようスムーズに動く。莉織は俺の右腕を掴んで立ち上がると、体を預けるように軽く俺へ体を寄せた。
そしてゆっくりと降りて、これでやっとジップラインのスタートラインに立った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
まだ移動は続く。その間腕は杖代わりなので、一旦はカップルのように腕組みをすることに。
「来てしまった……これでもう乗るしかないな」
「一応歩いて横から帰れるらしいけどね」
ロープウェイを経由しない徒歩でこのジップラインに到着することも可能。しかしそれなら疲労と面倒を背負うことになるので、それを望む人なんて居ないことから利用者数も極小だ。
「ここに来たら楽しみしかない私にとっては、その帰宅は絶対に有り得ません」
「莉織、ここ何mあるって言ったっけ?」
「470mよ。大自然の中のジップラインと比べると短いわ」
「私にとっては超長いけどね」
「ちなみに2人乗りと1人乗りが分かれてるっぽいから、2人乗りなら1人寂しくなるし、1人乗りなら当然哀愁漂う雰囲気から叫ぶだけの悲しい道しか残ってない。俺は1人で乗っていいけど、どうするんだ?」
最後尾に並びつつ、同時に5つのジップラインを動かせるここは、珍しく2人乗りも可能だ。だが5人という絶妙な数の俺たちにはその判断がとても懊悩なものになってしまった。
「私は七生と2人乗りに乗るわ。そのつもりでここに来たんだから」
ギュッと更に莉織に腕を寄せられて絶対の意思が伝えられた。
「待って待って、それなら私たち高所恐怖症が2人で乗るのも許されるよね?」
「そんな寂しいことありますか?ここは私たち5人で正々堂々じゃんけんか、いっそ5人横並びで全員スタートかですよ」
そう言うが、しかしながら5人同時になるには、今5つ全てバラバラでジップラインを楽しむ人たちが俺たちのタイミングに合わせて揃うように乗ってもらわないと不可能だ。
ジップラインの器具はある。しかし完走しない時に新しい人が乗って事故を起こしでもしたら大惨事。今日の午後のニュースになって、翌日このテーマパークに来る人たちのヘイトを受けたくないので答えは絞られる。
だから実質、誰かが1人か、3人で横並びがギリギリ。もしくは2人乗りと1人乗りが同時出発か。
「高所恐怖症なら克服するってことで2人共横並びスタートでいいんじゃないか?それか俺か莉織か結が加わっての3人スタートで」
「孤独に乗るのも嫌だな。その案は私の中でありだと思っている」
「でも3つ揃うの?」
「揃わなくても少しは待てる。今ロープウェイが出発して下の人たちを迎えに行ったから、ここに来て後ろに次の客が並ぶと考えて、待つくらいの時間は確保できるだろうしな」
俺たちの前には20人程度の人が客として並んでいる。今ロープウェイがジップラインとほぼ同じ距離を移動していると考えると、迎えに行って戻る往復の時間で15人は消費するだろう。だったら少し待つくらいどうってこともない。
「こういう時は無駄に考えなくていいんだよ。揃わないっぽい。それなら止めよう。また今度。でいいんだよ」
「未来で怖がるより今怖がる方が楽だぞ。それに、ジェットコースターの方が怖いだろ?どうせ乗るんだから我慢だな」
「いやいや、ジェットコースターは全身ガッチガチの固定されて始まるじゃん?でもジップラインって体をロープで縛るだけ。はい死ぬ。分かる?」
分からないこともないが、多分俺が分かろうとしている気持ちの何倍も高所恐怖症の人にとっては無理なのだろう。
「死なないから安心しなさい。この10年で誰も落ちてないんだから」
「でも落ちない確証はないよね?」
「ロープウェイも落ちない確証はないわ。でも乗った。はい安心。分かる?」
「もうぶん殴って気絶させて乗せましょうか?」
本気でしそうだ。
「悉く逃げ道を潰されるな。もう私のように受け入れることをオススメするよ。一緒に横並びで乗ろう」
「……そうする」
漸く受け入れた地獄への切符。自由エリアに来たいと言った自分を呪い続けて長かったようだが、ここで吹っ切れたのは良かった。後は叫び声がどう聞こえるかの楽しみだけが残る。
「やっとですね。だったら私は2人の間に入ってジップラインに乗ります。なので莉織さんと七生くんは2人乗りに乗ってください」
「いいのか?」
「はい。日頃のお礼とチケットのお礼です」
日頃のお礼が何なのか分からない。関わっていることなら感謝には及ばないし、触れさせたことや幸せの共有だってそうだ。結にはある、俺に対しての感謝がどういう意味なのか、俺は全く理解していなかった。
「何もしてないけどな」
「ありがとう結。これで七生に抱きつけるわ」
「どういたしまして」
「あんただけいい思いするなんて信じられないんですけどー」
「貴方はさっき私の部屋でいい思いをしてたでしょう?」
「それは否定しないけどこの未来が見えたらしてないよ」
俺に触れて何がいい思いなのか。いや、俺も莉織たちに触れることができるなら、いい思いをしたと思うかもな。
それから暫くいつもの様に言い合って、5人で仲良くその時を待った。思っていたよりジップラインの速度が速いようで、ロープウェイが次頂上に到着した時には、既に俺たちの番になろうとしていた。
「先に私たちが3つ用意して乗るよね?」
「その方がいいだろうな」
俺たちで1個消費して待ち時間を増やすのは得策ではない。
「次の方どうぞー。1人乗りですか?それとも2人乗りですか?」
5つ全てが今使用中。そのうちの2つが今もカチャカチャして別の客が準備中だ。だから今準備可能なのが3つ。数瞬前に2人同時に行った側ではない1つのジップラインの担当の人から次の1人の準備を求められた。
「1人乗りで、可能ならこの2人と一緒にスタートしたいんですけど、可能ですか?」
普段絶対見れない碧の敬語。聞かただけでも運がいい。
「今丁度お2人出発したとこなので、残るお2人が準備終えて、今から準備する方がそのお2人を待つなら可能ですよ」
「ではそれをお願いします」
「かしこまりました。ではこちらへどうぞー」
「……ふぅ……マジか」
「頑張れ」
「あんたから背中押されるとはね」
物理的にではなく言葉で。
「怖くて心臓がバクバクいい始めてしまった。強敵だ」
「何と戦ってんだよ」
「それじゃ行ってくる。先に行って待ってるからね」
「ええ。楽しんで」
そうして碧は先に準備をしに向かった。




