特別なこと
七生が戻ったのは、私があまりの心地良さに睡魔に襲われ始めた頃。時間では20分が経過した時だ。
「ただいま……って、一瞬部屋に戻ったのかと思ったぞ」
「あぁ……おかえり」
私は七生のベッドで七生の布団を使ってくるまっていた。だから寝ていると思わなかった七生は、私を見つけるのに少し苦労したのだろう。しかも自分のベッドに寝ているとは流石に思わないだろうし。
戻った七生はパジャマで、まだお風呂上がりの様子を残していた。
「眠いならそこで寝てもいいぞ。俺はもういつも通りだから」
そう言われるとそうしたくなるが、折角の機会を逃したいとは思わない。だから体を起こしてまだ寝惚けつつある脳を覚醒させる。
「大丈夫よ。今日はまだこれからだから」
「慰めなら終わりじゃないのか?」
「違うわ。雷の心配よ」
「エアコン直ってるのに?」
「人と居たい気分なのよ」
「それなら仕方ないか」
元々一緒に居てくれるだろうが、こうしてイジワルを言ってくるのは元に戻った証拠だ。いつもの七生に戻ってくれてありがたい。
「七生、こっち来て」
「いいよ」
ソファに向かおうとした七生を、無理に方向転換させた。そしてベッドへ。私の前に到着すると、座っている私を見下ろす。
「両膝ついて座って」
「……何?本格的に下僕にでもするのか?」
若干引き気味で言った。
「違うわ。いいから言われた通りにして」
「ワガママだな……」
不思議そうにそれでも従ってくれると、両膝をついて頭が私の頭と同じラインに来る。そこで固定されると、私はそっと七生の首に手を伸ばして引き寄せるように抱きしめた。
「助けてくれたお礼よ。そこらの男子では味わえない至高のハグを堪能しなさい」
私は素直じゃない。だから、こうして口では高圧的に発してしまう。だがそれを分かっている七生は、それに本気で不満を口にしたことは一度だってない。知っているから、今も珍しく微笑んで受けてくれてた。
「助けたお礼にしては貰い過ぎだけど、ありがとう」
こうして抱きしめて感謝されると、感じたことのない初めての高揚感に駆られる。ずっと抱きしめていたい、なんなら一緒に後ろに倒れて寝たい。そう思うくらいには、落ち着きとはかけ離れた思考になっていた。
まだ寝惚けているんだろう。そう思う私が居た。
「それで、いつまで俺は抱きしめられればいいんだ?」
既に20秒はこの状態だ。七生は私と思うことが違っていたようで、離れることを望んでいるようだった。それが少しというか結構残念に思えたのは何故だろうか。未だに分かりそうになかった。
「そうね……ならこのまま私をソファに連れて行ってくれる?一緒に何か観るわよ」
「了解」
快諾してくれると、杖は置いて私だけを抱えて立ち上がる。七生からしてくれた初めてのハグと思えば、今は夢の中かと思うくらい幸せだった。
重いと言うこともなく、仕草だってしない。紳士らしく私を丁寧に運んでくれると、一緒にソファに座った。真ん中に2人で、両端に空きがある。
「ありがとう。優秀よ」
「どういたしまして」
「さて、何を観るかなんてもう決めてあるからそれを観るわよ」
「どうせ前のアニメの2期だろ?」
「正解よ」
私が全て謎を解けなかった赦されないアニメ。難易度が最初から高く、幾度も用意した予想すら外して犯人を捕まえることは無理だった。
今日の誘拐犯を捕まえようと必死の父さんから生まれた子にしては、全く想像できない才能のなさだ。
「今回は当てれるといいな。多分無理だろうけど」
「最初からその気持ちは良くないわ。しっかり全問解いて警察より優秀というレッテルを貼るわよ」
「そんなのいらないと思うけどな」
「アニメに負けたらなんか悔しいじゃない」
「そう思うお前に従う俺も、多分そうなんだろうな」
七生は今回の誘拐事件で色々と感情を見せたが、実際は夏祭りで見せた哄笑のように、感情を表に出すことはとても珍しい。だから悔しいとか思うことはなく、アニメ程度で感情が揺さぶられることは絶対にない。
「じゃ、観るわよ」
「解くかー」
背伸びして観る準備を整える。時刻はまだ16時で夕方だ。それでも深夜のような気分なのは、間違いなく天候が関係している。
雨音が鳴り響いて雷鳴は轟かない。以前とは違って落ち着いているのは、やはり関係が近づいたからだろう。心の距離が近づくにつれ、私の過去の氷も溶けていく。完全に溶けた時、私は何を思うだろうか。
そんなことを考えつつ、私と七生はアニメを観始めた。
――それから観終えたのは21時頃。結局私は1つも解くことができず、頭の回転が悪いんだということを教えられたのだった。
「やっぱり無理。このアニメは狂ってるわ」
「お前はホントに学力だけなんだな。俺も分からなかったし言えたことじゃないけど」
「まだ半分残ってるなんて思うと疲れるわ。もう無理。萎えたわ」
「元気そうに萎えるなよ」
隣既にくっつく距離に居る七生の肩に頭を乗せる。声はとても元気に発したので、それが七生にとっての私の元気基準らしいことは今知った。
それにしても、やはり素で触れ合えていることは私にとって大きな成長だ。出会った頃は触れられたくもなければ、道を邪魔する七生に対して若干の嫌悪があった。
しかし今ではそんな嫌悪は1つもなく、微塵もない。むしろ好きな方に傾いていて、七生と一緒の空間に居れるそれだけでも幸福を感じれる状況だ。
同時に、人生で感じたことのない思いが微かにある気もした。
何かの勘違いかもしれないが、七生と関わるとなると、私の考えは行動は共に、碧と結と関わる時以上に求めるようになる。それこそ、さっきのベッドでの件や今のソファで寄りかかることもそう。
確実に私の中での長坂七生を見る目が変化している。それは事実だろうと自覚はしている。しかし勘違い程度の小さなこと故に、まだ私自身絶対にそうだと思って浮かれたりはしない。
この思いが別の違う感情によって引き出された私の知らない感情だったとしたら、多分私はその時相当な精神的ダメージを負う気がする。だから今はまだ勘違いかな、と思うくらいでちょうどいい。
「お前に寄りかかられると、なんだか眠くなるな。疲れたからかも」
「同衾?」
「ホント好きだな。ソファは1人しか寝れないだろ」
「ベッドがあるわよ?」
「さっき濡らしたからベッドも1人しか寝れない」
「……意図的にしたの?」
「ふわぁ……そんなわけあるか」
欠伸をして本当に眠気が襲っているのを理解した。七生が私の前で欠伸をするなんて稀有なことはなかった。七生も私の前では少しずつ変化しているのだろうか。もしそれが私にとっていい方向なら大歓迎だ。
違ったとしても、七生なりの人生の起点として私が囲われただけでも嬉しいと思う。
「どっちに寝るんだ?俺はソファがいい」
「ならベッドしかないじゃない。足が悪い私に移動しろと言うの?」
「仕方ない。俺が移動する」
「面倒なら移動しなくていいのよ?いや、移動したらダメよ」
「職権乱用が許される世界じゃないと思うけどな」
どうしても一緒に寝たかった。何故そんなに拘るのか、それは七生と一緒に居たいからという理由からだ。それ以外に理由はない。きっと。
「ここに2人居ても布団ないと寝れないから、どの道どっちかが取りに行くことになるぞ」
「なら一緒に取りに行ってベッドで寝るか、ここで一緒に寝るかね」
「……そんなに一緒に寝たいのか?」
「命令しても寝るわ。そんな不思議そうに見ないでくれる?私だって何故そう思っているのかよく分からないから。でも一緒に寝たいと思う気持ちだけは判然としてるわ」
「……はぁ……まぁいいか。別に嫌でもないし」
「ホント?!素晴らしい判断よ」
素で私は喜んだ。一気に内側からブワッと感情が溢れ出す。止まることを知らないようで、やっと許可された同衾に思わず笑みを浮かべた。
「もう寝るってことでいいのか?俺は睡魔と格闘してるけど、お前はそうでもないだろ?」
「貴方と一緒ならいつでも寝れるわ」
「了解。布団取ってくるからソファで寝るけどいいか?」
「ええ」
承諾して、正直寝れるだけで何でもいいので、そこら辺の判断は七生に任せて返事した。すぐに動いて布団を取りに行くと、さっき私がくるまっていた愛しの布団を持って来る。
「電気も消すぞ」
「なんだかそう言われるとエッチね」
「なんでだよ」
「いいわよ、消して。別にそういうことしたりするつもりは毛頭ないから」
それは……嘘かもしれない?けれど。
言った私が思うのもなんだが、触れたいと思う七生に対して、そういった感情が芽生えないこともない気がした。私はそういうことに鈍感だから、理解は結構難しい。
「はい消した。前みたいなマシンガントークしててくれ。その間にしれっと寝るから」
私と七生は肩を寄せ合って寝ようとしている。私はいいが、七生はその寝方に慣れているように普通だった。病室でもそんな寝方をしていたのか。今は深く追求することでもないか。
「最低ね。付き合ってくれてもいいのよ?」
「実は結構眠いんだ。人と一緒に寝ることは初めてだけど、緊張もなくて心地よく寝れそうだから邪魔するのなしな」
「っそ。仕方ないわね。それくらいは許すわ」
人と初めて寝る。だったら私が最初になれるのは僥倖だ。七生の初めての何かを得られるのは、それなりに嬉しいことだから。
「じゃ、頼んだ」
「それはこれから起こる全てを自由にしていい許可かしら?」
「……そういうことでいいよ」
深く考えることは、もう眠い七生にとって面倒だったのか。そう言うと静かに目を閉じた。微かな灯りが私たちを照らす。
「ねぇ、七生」
「ん?」
「起きてるじゃない。早く寝なさいよ」
「何されるんだよ」
「何されてもいいでしょう?」
「……まぁ」
七生も私への信頼はある。だから自分の嫌がることをしてこないと知っているから、私という今変な女と化した相手にも平然と触れさせる。
もしこの状況が赤の他人ともできることならとても嫉妬するので、もしそうなら命令で私と親友たちに限定しよう。
眠たそうにしているのは一目瞭然なので、一旦話しかけるのは止める。今日は誰よりも疲れただろう七生を、これ以上私の都合で起こさせるのも申し訳ないから。
だから私が動き始めたのは、それから5分してからだ。
「七生?」
小声で耳に直接言った。しかし反応はない。静かな鼻息だけがこの部屋を木霊する。雨は降ることを止めて、私たちだけの世界に誘われたかのような部屋の雰囲気に何でもしたくなる。
だがその欲を抑えて、私は七生が寝ていることを確信して、七生の体を横にそっと倒した。
これでも起きないのね。
そう思って次に、横になった七生の体の前に私は横になった。そう。七生を快眠の道具――抱き枕として使うのだ。
これくらいは別にいいわよね。日頃の労いで。
腕を動かして体を潜り込ませる。足が悪くても体を動かすのは得意なので、もごもごして何とか七生の体の前に入る。そして腕を掴むと、私の頭を撫でるように置いて、私は七生の胴体をそっと抱きしめた。
「……これは……いい」
私も睡魔に襲われ始めていたから、既にこの心地良さが夢への切符だった。
七生の体は暖かくて、布団なんて不要なくらい寝れそう。
普通なら、こんなことは付き合った男女でしかしないこと。しかし普通ではない私たちにとってはこれが普通だった。
七生は分からないが、私は少なくともそうだ。
幼い頃から人との付き合いを制限し、自分の首を絞めて自分を偽って抑え続けた結果、懐いた七生が男性ということもあってこうして体温を求めることも厭わない。
それでも良かった。私なりに関わりを保てる相手が、私を拒否しないで受け入れてくれたから。
だから私は今、七生の腕の中で胸の前で寝れる。
この胸に感じる高揚感は、親友にしては大きくて、恋愛対象にしては小さい。もしかすると、私はこの先この感情に懊悩するかもしれない。だったらそれでもいい。
その時はまた、自立しながら七生と一緒に知ればいい。
今は今だけを考えて過ごす。未来はどう変化するかより、私は今を幸せに生きることだけを重視する。
七生がそれを許す限りは。
私の意識は既に朦朧としていた。七生に対する様々な不思議な感情に首を傾げながらも、今を順風満帆に生きれていることに笑顔になりつつ、どんどんと。
「……おやすみ」
七生の体を強く引き付けて、私は七生との距離を0cmにして更に高鳴る鼓動を無視して、静かに眠りについた。




