思ってない
警察だって、警告し続けた上で警棒を用いたり、最悪の場合発砲する。しかし俺はしなかった。誘拐犯の考える普通の人間の定義に当てはまらない俺は、こういう場ではとても役に立つようだ。
腰を抜かした男の前に座る泰然とした莉織。正直顔を合わせることすら許されないと思っていたが、俺の安堵の気持ちは莉織の顔を見たがっていた。
歩いて近寄り、コンビニに行ったにしては遅過ぎる顔合わせとなった。
「……ごめん」
躊躇いがあったのは、最初何を伝えるべきか選択肢が多かったからだ。謝罪するのか、安全を確認するのか、安心を伝えるのか等、混乱から落ち着きを取り戻した俺は、脳をフル回転して謝罪をした。
それに対し、悪く思うなと感じれる優しい相好で莉織は言う。
「大丈夫よ。ほら、私は無傷。助けに来てくれてありがとう」
「怖かっただろ?」
「そうでもないわ。貴方が来てくれることを信じていたから」
「……そうか」
何とか助けてくれる信頼はしていても、被害に遭う前に守る信頼はなくしたかもしれない。俺は俺の役目を果たせなかった。これでは俺は、ただの友人でしかない。いや、友人ならあの時ついて行って守っただろうな。
莉織を前にしても、不甲斐なさは痛感する。本来なら許されない失態に、俺は初めての後悔を覚えていた。
そんな俺の顔を見て、心底申し訳ないと思っていることを感じ取ったようだ。莉織はいつもと変わらない態度を見せる。
「そろそろ拘束も疲れたわ。この紐を解いてくれないかしら?」
「そうだな。任せろ」
窮屈にも縛られた紐を、言われるように解く。その間、後ろの腰を抜かして倒れた誘拐犯を見て、一応伝えるべきことを思い出した。
「この後人が大勢来るから、その時にこのことの説明をしてくれ。俺はこの子を1人で連れ帰るから、頼んだ」
音川茂が呼ぶ警察ではない人たち。護衛として雇っている人たちだろうが、俺はその詳細を一切知らないので説明も詳しくは無理だ。
とにかくこの場に人が来てこの件について片付けをすることは確実なので、その時に3人が悶え苦しむ理由と腰を抜かしている理由を説明してもらうことにした。
そしてその傍ら、俺は莉織の腕の紐を解いた。
「ありがとう。やっと楽になれたわ」
「この程度造作もない。一旦人に連絡するから待っててくれ」
「ええ」
そうして音川茂へ連絡した。莉織を無事救出したので、お金を振り込む必要もなくなった、と。それを聞いてホッとしたようで、相手側から音川茂のくずおれる音が聞こえた。その後感謝されて手短に通話を終えた。
「これでよし。帰ろうか」
「彼は放置でいいの?」
「逃げたとしても捕まるのは時間の問題だろうな。それに、逃げる気力も残ってないだろうし」
そもそもこの計画が子供のお遊びだった。緻密に組み込まれた高難易度の試練かと思えば、挑むと分かる素人の愚行で、簡単に捕まえられるくらいにしょうもなかった。
確かにイレギュラーもあっただろうが、それでも人を誘拐するという前提があるなら、もっと確実に相手の手段を封じる手を持っているべきだった。しかしそれすらなかったのは、やはり若さによる危機感の欠如と言えた。
そんな誘拐犯たちに背を向けて、俺たちは帰宅しようと歩き出す。
「ま、待て!逃げるな!」
それを許さない誘拐犯。失敗したくないのが目に見えて分かる。何かペナルティが存在するのだろう。焦りによる発汗と両手の震えは尋常ではない。
「お前もここに来る時考えたんじゃないのか!その女の付き人か護衛か友人か恋人だろ?その女の足が悪いせいで日頃面倒かけられてるし、いっそこのまま帰って来なければ、自分は自由になれるかもしれないのに、ってな!!」
パニックから発する足止めの言葉は、しかし意味を持たなかった。発することは全て男の思い込み。俺は一切思っていなければ考えたことすらない。どうせ時間稼ぎにでも足を止めて、少しでも有利になって生き残る道を探したいと思考しているんだろう。ならば帰宅への足は止まらない。
無視を続けて俺は前にだけ歩いた。
けれど、1人の誘拐犯の意見を聞いたのは、俺1人ではなかった。
不意に目に映った隣の莉織の顔。俺にとって思ってないことを言われた程度で無視することが可能な程度の戯言が、莉織にとっては悲しい顔をする要因になり得た発言だった。
下を見て悲しみを表現する相好は、無意識に俺を誘拐犯へと走らせていた。
湧き上がるのを感じる。俺の俺自身への不甲斐なさ、失望、怒りなど様々な負の感情が憤怒へと変化して、この結果を生み出した誘拐犯を赦さないと煮えたぎる混濁の感情を。
だから俺は、怯えて両手を自分の体の前に出して本能的に守ろうとする誘拐犯のそれを無意味にするよう、悉く殴った。右頬を、左頬を、鼻を、胸骨を、肋骨を、何度も何度も殴った。しかし時間にして4秒程度の時間。それぞれ最低3回は殴った結果、誘拐犯はまだ意識をギリギリ保てている状態になっていた。
そして胸ぐらを掴む。
「――――っ!」
だが、俺自身の怠慢が生み出したこの現状でもあるから、誘拐犯に対して俺があれこれ言う資格はないと思った。だから何かを言いかけて何も言えなかった。犯罪者が相手でも、俺は自分のことを棚に上げて否定し、怒りに身を任せて言葉を発せる立場ではなかった。
言いかけた言葉を飲み込んで、掴んだ胸ぐらをゆっくり離す。誘拐犯はその場に再び倒れ込み、身体中の痛覚が一旦整理をするためか、そのまま意識を失った。
「……二度と言うなよ」
小声で、莉織を悲しませることをもう言うなと、聞こえないだろうに呟いた。
「七生」
そんな時、莉織は俺の名前だけを呼んだ。その声の方を見て、何かとゆっくり目を合わせる。
「私は大丈夫よ。貴方のしたことも間違いだとは思わない。確かに守れなくて情けなく思うかもしれないけれど、貴方は貴方の思っているより十分優秀よ。だからそんなに気落ちしてるのは貴方らしくないわ。怒ってる貴方も似合わない。今は私の隣で私を癒してくれるのが、貴方にとっての最優先なんじゃないかしら?」
そんなに自己嫌悪になるな、と。そしてそんなに落ち込む暇があるなら私を優先しろ、と。
本当にその通りだ。俺の役目は莉織を支え守ること。今はもう守る必要はなく、支えることに切り替えて接するべきだ。いつまでも過去に囚われてはいけないと、改めて思わされた。
「それもそうだな。そうする」
「なら早く、私の隣に並びなさい」
杖でトントンと隣の床を叩いた。ここに来いと、まだ見捨てられなさそうなのは心底良かったと思えた。
立ち上がって一息ついて、俺は莉織の隣に並ぶ。悲しい顔はもう見えない。普通の莉織に戻っていた。
「それにしても、あれは生きてるの?ボコボコにしていたようだけど」
「人殺しにはなりたくないからな」
「良かった。人殺しを付き人にはできないから」
「俺はあいつの言ったこと、何1つ思ってないからな」
「あら、貴方もそう思っていると、私が思っているとでも?」
「ないな」
日常の会話のようにほんわかした空気感の中、俺たちは大雨の中静かに家に戻った。




