呼び方
「七生と莉織は初めて見るんだっけ?」
「そうよ」
「初めてだな」
「よく見えるといいね」
優しい声色の本音は、成川から発せられたと思えば違和感があるが、心優しい成川を知っていたらそれを愛おしく思える。
そんなことを思って待った21時。話し終えたタイミングで、始まりの一発目が打ち上がった音を遅れて鼓膜は聞き取った。
そして花火は大きく咲いた。
3人の浴衣に縫われた赤色の花。まるで3人のために打ち上がって咲き誇ったような一発目は、俺の目に美しいという言葉を思わせるよう映った。
そんな花火も散り行けば、続いて何発も連続で打ち上がり始める。虹を超えた色彩の数。花形だけではなく、動物や文字、数字や星型など様々な花火が同時に人々を魅了する。
俺もその1人だ。そして背中で「綺麗」と一度呟いてから一言も喋らなくなった音川も同じだろう。
こんなに心が感動を覚えて記憶に刻むよう脳の処理をしていることに、俺は驚きを覚えていた。正直ただ花火が綺麗に見えるだけと思っていて、そこに友人と来たという付加価値がつくことで記憶に残す意味を成すと思っていた。しかし違った。
鮮やかに彩られた花火は、ただ咲くだけで感動させた。
想像を超える一発目。散る瞬間が惜しいと思えたのは、それだけ心に響いた美しさがあったから。
元の世界では味わえなかった純粋に楽しむだけの花火の良さは、俺には十分過ぎる輝きを与えてくれた。
この世界で生きる俺へのご褒美かもな。
それもまた都合のいい解釈かもしれないが。
そんな感傷に浸り、美しさに呆然としていた俺たちは、やはりこの変人によって我に戻らされる。
「うわっ、やっぱりキスしてるよ。どこかのカップルがするとは思って見てたけど、最奥かぁ。見えにくいな」
「……お前に感動の雰囲気とか察せないよな……」
暗順応していて、更には花火の明るさも加わると最奥のカップルがギリギリ見えるか見えないかの距離感。それを見て成川はいつも通りの成川だと思わせてくれた。
「まぁ……一発目から数秒黙ってくれただけでも良かったわ」
背中から聞いた事のないため息が聞こえた。それくらいのことをしたのだろう。
「でもさぁ、気になるでしょ?こういうとこで人に隠れてイチャイチャしてないかってさ」
「性格の悪さが出てますね」
「しょうもないことに感動を奪われたこの感じ、ホントに呆れるわ」
自分は勿論、他人の恋愛にも興味ないと思っていたが、他人こそ興味があったようだ。しかもコソコソ見るのでなく堂々と見るので、気づかれたら俺たちまで恥ずかしい。変人との付き合い方は難しいものだ。
「でもでも、ほら、もうキスして10秒経過してるのにまだ終わらないよ。あれ絶対舌入れてるって!」
「別に興奮するようなことじゃないですよ。恋人なら普通だと思います」
「えっ、そうなの?!そういうキスは……ね?そういう本番前にしかしないものだと思ってたから……」
「お前って純粋なんだな」
人は見かけに寄らないと言うのは、久下で身に染みて分かっている。しかし成川がそのタイプなのは予想外で可愛く思えた。伝えることはないが、多分この様子を男子に見せたら人気急上昇だろう。
ちなみに、学年でも人気のある3人だが、最も人気ではないのだとか。そういう話は3人共興味なく嫌いな部類で話を聞いたことすらないと言うが、ちょこっとクラスメイトの男子が話していたとこから漏れて聞こえたことを正しいとするなら、隣の2年3組に才色兼備が居るのだとか。
「そういう知識は全く知らないからね……今後使えるとも思わないし」
「そういったことは、実践の時に自然と体が動くから心配しなくていいと思うわよ」
「まるで経験したような言い方ですね」
「したことないわ。そんな気がするだけよ。だから全くしたことないから心配しないで大丈夫よ、長坂くん。私はとても清い乙女よ」
「念押しされなくてもそう思ってるから大丈夫」
痴女だと思われないようにだろうか。そんなことが嘘かどうか分かる俺には、念押しなんて無意味だ。それでも気にするのは、俺を失わないようにしてくれる大切な思いからか。それならいいが。
「それでこそ私の付き人よ。そうだわ、長坂くんこのまま花火に背を向けてくれる?」
「いいよ」
疑問を持たず、ただ言われたことに従った。180度向きを変えて、一旦花火が見えなくなる。それは音川も同じだが、何をするのか聞こうとするとその答えを知る。
「よし、これでいいわ」
音川のスマホが内カメにされて俺たちを画角に収めていた。つまり写真を撮るということ。思い出に残すありふれた行為の1つだ。
「おっ、写真撮るの?私も入るー」
「ダメよ。先に私と長坂くんのツーショットを撮る。そしてその後に貴方たち敗北者も画角に入ることを許可するわ」
「独占欲強いワガママめ」
「では私たちも長坂くんとツーショットを撮りましょう。そうすれば、全員平等に撮れますし」
「おぉー、流石学年3位。私の言おうとしたことを言ってくれてありがとー」
「……やっぱり私だけにすれば良かったです」
頭を撫でられつつも不満を口にした。しかしその手を振り払うことはせず、あくまで冗談の範囲なんだと分かる対応をした。大人だ。
「仕方ないわね。寛大な心で許可するわ」
「ありがとうございます」
これに関しては俺も賛成なので権利を奪われても何も言わない。
「ということで、音川さん降りて次は私が背中にお邪魔します」
「あぁ、背中で撮るのも一緒なのか。俺は構わないけど」
「私も構わないわ。1番に撮れたし、共有したいから」
「だってよ。ほら」
屈んで交代だ。スムーズに降りると、次に音川という平均より軽過ぎる人から、更に軽過ぎる人へと交代したことで俺の腕は楽になった。
そして久下の、成川と同じ機種でも大きく見えるスマホを持って写真を撮った。
「次私ー」
そう言って成川は勢いよく俺の背中に乗った。
「元気だな」
「こうしてあんたを上から見下ろすように花火と写真撮れるのは、あっても来年になるからね。今のうちに堪能しないと」
「背中に乗ることも滅多にないしな」
「背中に乗るのは今してるから、今後もするよ。ハードル低くなったし」
「なら次は、久下の前に乗ってくれ。久下の次だと重すぎて腕が限界だ」
「はぁ?貴様……赦さん。こうして背中に乗ってたら避けられないでしょ?顔ぐにゃぐにゃにして撮ってやる」
その通り。いつもの癖で喧嘩を売ったが、背中に乗られている以上俺は自由がない。力もなければ解決法も持たない。体術も心得てないので、この距離ではギフテッドは何の今もない。
だから言われるがままされるがまま、音川も止めに入ることはなく、それを見ながら楽しそうに笑みを浮かべていた。
「仕方ないから受け入れるか」
「あははっ、いい顔ー」
満面の笑みと共に、俺のぐにゃぐにゃとした窮屈な顔は写真として撮られた。不快なんて思わない。むしろ、成川の高笑いと共に笑顔を見れたことで元を取れた気分だ。
「こうして見ると私以上に兄妹に見えないかしら?」
「見えますね」
「まぁでも、何より仲良しの友人に見えるわね」
「私と長坂くんもそう見えますか?」
「ええ。碧は長坂くんを振り回して陽気に触れ合う友人に見えるけれど、久下さんは同じ鷹揚とした感じて触れ合う友人に見えるわ」
「それは実に嬉しい関係です」
微笑んで俺にとって久下らしくないと思うようになった、でも久下らしい笑顔を見せた。花火に照らされる笑顔は、3人の笑顔を更に際立たせる。やはり綺麗の底上げは心臓に悪いな。
「1つ気になったんですが、音川さんは成川さんのことを碧と呼びますが、私のことはずっと久下さんですよね?そろそろ結と呼んでくれても良いんですよ?」
俺が背中の珍獣に顔を使って遊ばれていると、何やら面白そうな話を始めた音川と久下。
「それを言うなら、久下さんも私を音川さんと呼ぶじゃない」
「それは統一性が……いえ、そうですね。親友なら名前で呼びましょうか。では今後、碧さん、莉織さんと呼ばせてもらいます」
「えっ、俺は?」
「あっ、下の名前で呼んでもいいんですか?」
「うん。もうこのバカに呼ばれてる時点で好きに呼ばれる覚悟してるし、なんなら名前の方が呼ばれてる気がして嬉しいからな」
「はぁ……悪口先に言って懲らしめられてるのにまた悪口?この野郎!」
意趣返しとして右手で顎から頬を掴まれて顔をぐちゃぐちゃにされる。無理に落とすのも危ないので受け入れる。
「分かりました。では長坂くんは今後七生くんということで」
「結からの名前呼び嬉しー」
「ふふっ。こちらこそ結と呼んでもらえて嬉しいです」
「私には最初から呼ばれてるでしょ?嬉しいって言え。あと碧って呼べ」
「はいはい、碧から呼ばれて嬉しい嬉しい」
ハイテンションの理由は謎だ。きっと花火の影響なのだろうが、そこそこ騒いでいるのでカップルたちも時々俺たちに視線を向ける。この構図が修羅場に見えるか、それとも普通に見えるか。きっと異常に見えてるだろうな。
「この流れに乗って、私も結と呼ばせてもらうことにするわ。下僕を名前にくん付するのは少し違和感があるから、長坂くんは七生と呼ぶわ」
「ありがとうございます、莉織さん。まださん付けで呼ばせてもらいます。慣れたら外すので」
「分かったわ」
「俺は好きに呼んでくれ。莉織様」
「貴方はそれでいいわ、下僕」
「呼ばないのかよ」
期待したが、早速名前を呼ぶことには抵抗があるのか。正直元の世界と名前の造りが違う時点で、そんなに呼ばれ方にこだわりはない。しかし、下の名前がレリアスだった頃は呼ばれて嬉しかった。だから俺が長坂七生であるならば、七生と呼ばれるのは近々嬉しくなるかもしれない。
「写真も撮ったし、名前呼びに進化したし、また仲良くなったんじゃない?」
「お前が降りるまで俺はお前にだけは仲良くなったとは思わないけどな」
「なら降りるーありがと」
そう言って背中からスルッと降りた。
「夏祭りってこんな充実するものだって始めて知ったわ」
「それは私もです」
「俺もだな」
「私は知ってたけどね」
「黙れ」
「辛辣ー」
お決まりの頬ツンツン。そろそろ頬もそのつつきに耐性がつく頃だ。
「また一緒に来たいですね」
「そうね。この花火も見たいし、この関係がどうなってるのかも気になるわ」
「人増えてたりして」
「それは有り得ますね」
「碧が消えてたら笑うけどな」
「名前呼びしてくれたから1回は赦す」
そう言いながらも中指を立ててくるので視界に入れないよう目を逸らした。
「来年は海とかもありです。受験なんてないですから楽しみましょう」
大学付属高校。故にエレベーターに乗っているのだから受験の恐怖は存在しない。夏休みが夏休みの意味を成すということだ。
「だな」
「楽しめれば何でもいいよ。海で七生が死なないことだけ心配すれば」
「逆に沈めるぞ」
「その前にまだ時間は1年あるのよ?予定は夏だけじゃないんだから、近い未来も見ないと」
「そうだね」
いつまでもこの関係で居られるか分からない。だからこそいつまでも居る気分で築く。やはりこの3人は俺にとって大切なパズルのピースだ。
そんな会話をしながら、俺たちは花火を見続けた。咲いては散るを繰り返す花火に、常に綺麗と言いたい気分を抑えて、約15分間の花火を最後まで楽しく見続けた。




