続くぶっ壊れ
それにしても人混みが凄まじいことで、どこを見ても人で埋め尽くされている。元の世界ではこんな光景を見た事はないから、久下の言う苦手という意味がなんとなく理解できた。
視線とかそういう問題ではなく、単に人が多いとそれだけ無意識に警戒して疲れてしまうから、付き人としての仕事を任されている以上は細心の注意を向けることに早速嫌になる。
ここが元の世界と比べて平和なのは理解している。しかし、だからこそそれに怠けてもしもに対応が不可能にならないよう気をつけなければ。
こんな人の目が多くある場所で、大きな問題事も起こるとは思えないけど。
「何食べても美味しそうだよね」
「だからって全ては食べられないわよ?食べるとしたら夏祭りらしい食べ物を食べたいわ」
「大丈夫。食べれなくなった時にしっかり残飯処理担当を用意してるんだから」
俺を指さして堂々と言った。
「ふざけんな。俺の胃は久下並の小ささなんだぞ」
「例えが気になりますが、そんなに小さいんですか?」
「前、このバカとデートした時にピザ頼んだだろ?その時半分でギブアップなくらい小さいな」
意趣返しで指さし返してやった。
「42位が何か吠えてるー」
さっきの癒されたとか結婚しようとかいう成川は消えていた。いつものウザイだけが取り柄の変人に戻ってしまったか。なんとも残念だ。
「確かにそうね。長坂くんは家でもそんなに食べないから、1人前とその半分で料理は作っているわ」
「省エネなんですね、羨ましいです」
「まぁな」
幼い頃は大食漢と言っても過言ではないくらい、ご飯を食べて食べて食べ続けた俺だが、付き人になってからは動きやすさ重視として少食に無理矢理切り替えた。その結果慣れる間の2ヶ月は体調を崩すことになったが、それを乗り越えて省エネの体質へと強制的に変化させた。
だから食事は好きじゃない。それに、死ぬ寸前から1ヶ月前までの期間、俺は食事を摂っていない。その影響からか、更に少食になった気もする。
元々脳の処理速度の向上にエネルギーを無駄なく使うことに長けていた才能もあったから、省エネの体質になれたという部分もある。生まれつきの体質とも言えるな。
「えぇー、それなら来た意味なくない?」
誰が?という問いかけをされないようにだろうか。最近成川から触れられることが増えたが、こうして肩を組まれて頬をツンツンとつつかれて煽られることが増えた。
「最近お前の俺に対する扱いが雑で、音川以上に辛辣に感じるのは勘違いじゃなさそうだな。今すぐ殴りたい」
真隣の距離。手はすぐ届く。
ちなみに身長差は15cmだ。成川と音川が共に161cmで、俺は176cmだから間違いない。浴衣と甚平を注文しに行く時に音川から聞いた。だから肩を組んでも体勢は崩れない。
久下となら崩れるが。
「不思議ですよね。何回も頬を抓られたりしてるのに、それを求めているかのように長坂くんを挑発するんですから」
「それが碧の性格なのよ。懐いた相手と懐いた手段で関わり続けるのがね」
成川の性格は遠慮がない。そして己の素で人と付き合いたいと思っている。そこに、俺という都合のいいサンドバッグが友人としてできて懐いた。それなら、サンドバッグとして懐いた成川は、音川と久下に対して抱く友人の関係ではなく、俺に懐いた特有のサンドバッグとしての関係を常に求める。
最初から出会いが最悪だったもんな。
「それをもっと早く聞いていたら、今頃俺はこいつに肩を組まれて煽られないよう接してたのにな」
「過去には戻れないから仕方ない。一生サンドバッグで居てね」
「はいはい、分かったから、こんな人が居るところでくっつくなよ。視線も暑苦しいのは嫌なんだけど」
「はーい」
成川も暑かったのかすんなりと言うことを聞いてくれた。
言うほど視線は集まらない。各々一緒に来た人と楽しむことを最優先にしているからだろう。しかし、それでも男女の接触が大胆になればなるほど注目されるのは間違いない。俺は構わないが、久下や音川のことを考えると、ポジティブになってきているとはいえまだ苦手は苦手な部類なのだから気を使う。
「よくそんなに懐いたわね。殺意が湧くけれど、それ以上に貴方がそんなに人に懐くことの方が気になるわ。久下さん以来じゃない?」
最初の親友だからこそ、懐かない人間だと知っているような音川は、長い期間の知らない空白に何か変化があったのかと気になって問うた。殺意はいつも通り。
「確かにそうかも」
「異性では初めてですよね?」
「うん。最初は莉織に近づきたいだけのクズかと思ってたけど、いや、今もクズなんだけど。でも、そもそも莉織の付き人になってるだけで違うってことに気づいて、カフェに誘拐されて話して仲良くなっていつの間にか今に至るって感じ。どこで私のセンサーが反応したか分かんないけど、言い合いの喧嘩始めてから、自然と仲良くなることが直感で分かってたのかもね」
「いい話にしてはなーんか気分よくないんだよな」
認めてくれただけでも成川との関係を見れば喜べるか。いや、そもそも成川は誰にでも口悪くサンドバッグにする人ではないから、最初から褒められている時点で喜べる。
「碧もそう思うなら、やっぱり4月に出会ったのは偶然とは思えないわ。長坂くんと出会ってから急に私たちの関係が変わってる。貴方って不思議な存在ね。そこが好きなんだけれど」
「お節介なだけで、そんな俺に関わろうとしてるお前たちの方が、俺からしたら不思議だな」
異世界に飛ばされて都合よく主を見つけ、助けて友人との関係を戻し、それに乗じて俺も友人を作った。これに関しては俺が何かしたのではなく、音川が変わったから起こったこと。そこに俺が関わったとしても、本人の意思は本人にしか変えられないのだから、俺は特に功績はないと言える。
「これから分かると思いますよ。お互い関わり続ければ、そのうち打ち解けて話す時が来る。その時に不思議がなくなれば、これからもきっといい関係を築けます。楽しく過ごしましょう」
「そうだな」
「何かあったらいつでもこの成川様に言いなよ?」
親指を立ててグッド。その様は可愛くても、日頃の行いから可愛いと思いたくないので思わないことにする。
「現状お前に話したいとは思わないけどな」
「差別するなー」
俺を見て今度は親指を立てて下に向ける。でも笑顔で楽しそう。このやり取りができていることが、成川にとっての幸せなのだろう。受け入れてあげられる性格でよかったと思う。俺の日頃の無関心さに感謝だ。
そんな時、人混みの中で視線を俺に集中させて前を歩いていた成川は、すぐ目の前に歩いてきていた人とぶつかりそうになる。その瞬間俺の意識は時を止めた。
軽く腕を握って引き寄せる程度で大丈夫だな。
情報処理が速くなるだけで、体は動かせない。だから背後の気配と左右の死角もどうなっているかを分析して最適解を出した。
そして腕を引く。
「――わっ!」
結果、ギリギリ避けて当たることはなかった。
「前見て歩けよ。情報処理に面倒は使いたくないんだから」
抱き寄せたような感じになった今、なんて口答えや言い訳をするのか気になった。そして目を合わせられると口が動く。
「ありがとう。やっぱり七生って普通じゃないね。優しく腕を掴んでそっと引き寄せて回避させる。こんな紳士見たことない。ホントに男っていう性別なのか疑うくらいに初めて会った善人だよ。結婚しよ」
「なんでそうなるんだよ」
腕を引いた時に頭のネジも落としたらしい。
暴走の再発。目は憧憬に向けるそれで、恍惚とした様子はさっきよりもレベルが上がったように見える。それでも冗談の範囲だと分かるくらいの雰囲気は、普通の成川と全く別人に見えたからだ。
「私よりも先に長坂くんの手を借りるなんて、浮かれ過ぎよ」
「気をつけないと色々な意味で怪我しますよ」
その色々に親友からの暴力も含まれてそうだな。
「分かってる。今のは不注意だったからごめん」
「来た意味あっただろ?」
「そうだね。ありがと」
元に戻って今のは素直に感謝することだと思ったのだろう。俺もそれを素直に受け取るとする。
「あっ、お好み焼きです」
人混みに落ち着く暇もない今、久下という癒し枠の喜びの声はとても心が和むアイテムだ。




