偶然にも
「いやー、長坂くんはなんでも似合いましたね」
洋服展を出て、久下は満足そうに言った。
「似合うのを久下が選んでただけだろ?」
「素材がいいと選びやすいんですよ」
「俺がカッコイイのが悪いのか。それは迷うのも仕方ない」
「自惚れるのもほどほどに」
「……はい」
冗談に対して冗談で返してくれているのは分かる。だが、本当に冗談で言われているのか疑心暗鬼なのは、出会ってから常に久下には驚かされてばかりだからだ。
今日だけで熟知の一歩手前までは辿り着きたいと思っていたが、残念ながら人の心はそう容易く溶けてはくれないらしい。
「荷物、私が持ってもよかったんですよ?」
歩きながら、セルフレジで会計し終えた後にも言われたことを再び言われた。何もかも私が、と言うので、流石に自分の物になるのだから俺が持つことを断じて譲らなかった。
「お前が持ったら手と床の距離が近くて、提げて歩くと破れるかもしれないだろ?」
「両手で抱えて可愛い女の子感出して持てますよ?」
「それは見たいけど、それを客観的に見た時、デート中に男が手ぶらで女が荷物持ちの場面はよく思われないだろ?だから無理ー」
「そんなこと考えてみる人、多分居ませんよ?」
そうなのだろう。これはただ、久下に持たせたくない俺の適当な発言だ。意味なんてない。
「子供が大人に反発するなよ。荷物持ちたいのは分かったから」
「では、そうします」
「あっさり引くんだよなぁ……」
他愛ない話をしたいのか、それとも俺を使って遊びたいのか。どちらにせよ、俺が当初抱いていた久下への印象とは懸隔した発言だ。
「長坂くんは本当に面白い人です」
「それ何回目?」
今日、少なくとも4回は言われている。手のひらの上で踊らされているようだな。
「何回でも言うくらい面白いんですよ。反応だったりが。私が長坂沼に嵌りそうです」
「嵌ってくれ。そして本性さらけ出してくれたら万々歳だ」
「もう嵌ってるから、最近本性を出してるのかもしれませんよ?」
「お前にしか分からないことだから、そう言われると怖いな。体の震えが止まらない」
もし急に、殺すぞ!なんて叫ばれても俺は驚かないだろう。ただ、心の中で久下に対して恐怖心は生まれそうだ。
「今日はもうこれで終わりか?」
集合して用事を済ませて今は15時過ぎ。解散にしては少し早いだろう時間帯だ。
「いえ、駅までの道のりで期間限定のバナナシェイクを買って帰ろうかと思ってます。それが終わると解散ですね。天気も先程と変わって雲が増え始めましたから」
ショッピングモールの1階から出て、空を見ると天気は晴れでも黒雲が増えていた。明日から雨で、今日の19時から雨との予報があったが早まりそうだ。
「ホントにバナナシェイク買うのか?今のお前からそんな可愛い言葉が出ると頭がおかしくなるんだけど」
「酷いです。普通に美味しいと有名だったから買おうと思っただけなのに、そんなことを言うなんて……」
今にでも泣いてやろうかと言わんばかりの演技だ。
「一応ギフテッドと付き合って17年。それなりに人の嘘をつく特徴は掴んでるから、表情の変化で嘘をつくのは無効だと思った方がいいぞ」
「あっ、そうなんですか。それは恥ずかしいことをしました」
それも全く恥ずかしくなさそう。
「だからホラー映画が苦手で俺をおかしいと指さしたのも、ホントだったって知ってるからな」
「あれは演技ですよ。まだまだですね」
「いいや、違う。あの反応は本物だ」
「演技です」
「本物」
「演技」
これは恥ずかしそうに言い合う。思えば久下が恥ずかしいと頬を赤く染めたことは見たことがなかった。染めた、と言える赤さはしてないが、それでも恥ずかしそうに目を逸らす姿だけでも価値はあった。
「認めないなら仕方ないな。演技だったってことにしとく」
「本当に演技なので、それ以上言うなら記憶飛ばします」
「はいはい。子供の言うことを聞くのが大人の余裕ってやつだからな。忘れとく」
しっかり鮮烈に記憶しとく。
「やっぱり身長はコンプレックスということにしていればよかったです」
悔いるように残念そうに言った。
「過去は取り消せないぞー」
いい事も悪いことも全て。そして自分の死も転移も。
なんだかんだ馴染んでいるが、全て不安がなくなったわけではない。こうして幸せを感じる際も、心の底からよかったと思っても、不安が襲って刹那的な思いに変わる。
この世界で生き続けることは俺に可能なのか。いつか知れると嬉しいが、取り敢えず今は不安と共生しながらも、俺より誰かを幸せにすることを最優先に生きる。
いつ消えてもいいように、全てに於いて俺は後回しだ。
「――わぁっ!何すんだ!っておい!返せ!!」
「ん?」
突然のことだった。俺たちが帰路に着いている今、久下と話している途中で聞こえた荒々しい声。なんだと思って俺は声の発生主が近いことを理解しつつ、前を確認した後すぐ振り向いた。
距離は5m程度。若い男性が尻もちをついていて、返せと叫ばれた相手だろう全身黒服で黒マスクをした男性が、たった今俺たちの方へ走り出そうとしている瞬間だった。
そして時は途轍もなくスローになった。
さて、これはどう見てもひったくりというやつだ。倒れる男性の顔は怒りに満ちていて即座に立とうと右手に力を込めている。
黒服の男性は左手に、倒れた男性から奪っただろう荷物を持っていた。袋から見て、数秒前通った腕時計を扱う店の品物だろう。ならばそれを狙ったのか。周りに人は少ない。いや、居ないと言っても過言ではない距離離れている。
計画的にここで待ち伏せして、そして犯行に及んだか。だとしたら、もうすぐ通り過ぎようとする犯人の左腕を掴むとしよう。
そう考えた俺だが、ゆっくり動く左腕は止められた。俺が掴んで止める必要性がないと判断したからだ。
だから、意識は普通でも体はスローの今、正しいと思って手を出さないことにした。
そして集中することも止めた。
「おい!!待ちやがれ!!!」
すぐに立った男性は、俺たちの横をダッシュで逃げる犯人を追う。癖で隣の久下に何も被害のないよう間に入って見送った。
「……ひったくり、でしょうか?」
「だろうなー。この世……退院してから生で初めて見たけど、これ逃げ切れると思ってるのか?」
危な。この世界に来て、なんて言ったら頭おかしいと思われるとこだった。
久下はどうやら不審に思わなかったらしい。助かった。
「止めなくてよかったんでしょうか。長坂くんなら、私の刹那も止まっていたと思うのですが」
「その通りだけど、この先を見たら何もしない理由が分かる」
そう言うと久下は帰る方向を見た。
「あぁ、そういうことですか」
「ちょうど捕まったし、バカでよかった」
逃げた先、そこには交番があった。そこまでに横へ逃げ込む道はなく、追われている側としては真っ直ぐ逃げるしかない。そしてひったくられた男性は、見るからに平均を上回る筋肉量。普段からトレーニングをしていることは明白だった。ならば止めなくても捕まえられただろう。
どちらにせよ、バカは犯罪すらできないということだ。
「やっぱり長坂くんのする行動には意味があるんですね。私と見えている時の流れが違うのは、個人的にとても気になります」
「でも、実際持ってるとつまらなく感じるから普通がいいと思うぞ」
野球、サッカー、バレー、バスケ、バドミントンなどなど、球技に関してこのギフテッドは有効過ぎて面白くない。日常でも勉強をして覚えようと思うとすぐに覚えるし、案外ギフテッドというものも、飽きという概念にはとても弱いのだ。
「長坂くんがそう言うなら、多分私も同じことを思うんでしょう。なんとなくそう思います」
「そうか」
「それにしても、最近は物騒ですよね」
「こんな近くで起こるとそう思うよな」
だが、正直この程度で物騒だと思うのはこの世界特有だ。元の世界では家が爆発される程度から物騒という言葉が蔓延する。ひったくりなんて日常茶飯事だから、まだ平和な方だと俺は思っていた。
「私たちもバナナシェイク買って飲みながら帰りましょうか」
「1人で帰れるのか?」
「ひったくりを見た後だと即答は難しいですが、これでも私は強い方なので安心してください」
「なら信じて見送ることにする」
「ありがとうございます」
武術に長けていても驚かないな。
そうして、久下とのデートは雲行きが怪しくなってすぐ終了となった。
ちなみにバナナシェイクはマジ美味かった。久下はやはり最高だ。




