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卓球しよう




 俺に感情はある。しかし、それは普通よりも欠けた感情だ。例えば怒り。人は激怒という状態になることがあるが、俺にはそれが一切ない。例えば悲しみ。人は慟哭という状態になることがあるが、俺にはそれが一切ない。


 楽しむことも恐怖することも、全ては俺の中の欠けた感情の中で表現されるだけの乏しいことだ。


 それでも人には気丈に振る舞い、今では陽気な人間として、生意気な人間として認知されるような己の性格を本当だとして生きている。


 でも、だからって全てがそういった浅い感情ではない。


 同情や憐憫、特に俺が脳の処理速度の代償として受け取った15、正確には16年の短命に関して共感する境遇に居る人間に対しては、心の底から想うことがある。


 身体のどこかが不自由で、未来の選択肢が狭まった人間は、俺のように好きなことをして、卑屈になることなく自由に生きてほしいということだ。


 確かに嫌なことは山のようにある。他人の視線、発言、対応、雰囲気。敏感になった感覚は、自分を『普通』として扱ってくれないような気分に陥らせてくるから。


 それでも、したくないと思うことは音川にはなかった。未だに球技をしたいと思う気持ちは、顔を見れば確実にあると分かった。それくらい、1ヶ月の付き合いでも分かるくらい、音川は分かりやすいんだ。


 だから俺は走った。夏に入った季節に暑さを感じることすら忘れ、無我夢中でスマホという最近扱いに慣れた機器を使って目的地へと。


 そこで用事を済ませ、長くて20分の約束時間に間に合うことを確信して、俺は音川の部屋に戻った。ガタンっ!と、間に合うのに急いだ俺は、荒々しくも扉を開けた。


 「ただいま」


 その先に居る、ベッドに寝転んだ音川。気づくと起きて、まず先に俺の顔を見て、次に提げてる物に目を向けた。


 「おかえりなさい。息も絶え絶えに何を急いで買ってきたの?」


 脳が異常なだけで、俺は元々体力は少ない方だ。生まれながらの虚弱、病弱体質だから、それはごく普通のこと。しかし俺にとってはそうでも、何も知らない音川は本心から心配してくれていた。私の為にどこへ?と。その目がとても暖かく感じる。


 「ふぅ……何を買ったと思う?」


 「全く分からないわ。考えることも面倒なくらい判断材料がないもの」


 「それもそうだな。俺の突発的な行動だし、それも仕方ないか」


 正解を言われることを待っていたのではなく、単純に音川の為に動いたということを理解しているかを知りたかっただけ。結果、音川の付き人として音川に尽くすことは当たり前なのに、俺が今、音川の話を聞いてその悲しい願いを叶えてやろうと動いたとは微塵も思っていない様子。


 本当に誰も自分に尽くしてくれないと思っているのは、長年の思い込み故に仕方ないとは思う。しかし下僕と言うのだから、冗談でも設定として長坂七生は私に尽くしてくれていると思ってくれてもいいと思う今だった。


 「正解は――」


 歩いてソファではなく勉強していた机に腰を下ろして袋から買ったそれらを取り出す。


 「卓球セットでしたー」


 「卓球セット?へぇー……何故卓球セットを?」


 机に置かれた卓球セット。小さなラケットとネット、どれも本格的な卓球にしては幾分か小さい道具を触ろうと、ゆっくり座椅子に座ろうと動く。


 「お前と卓球をしたくなったからだな」


 「私と?……まさか気を使ったの?」


 「違うと言えば嘘になるけど、それ以上に、俺がしたくなったのが大きいな」


 「……そう?ホントに?」


 訝しげな様子は消えない。それくらい、話の流れ的に俺が気を使ったとしか思えないからだろう。それは俺も重々承知だ。


 「ホントだ。何回も言うけどな、俺は病室育ちだ。悲しいことに、親も親戚も居ない。そんな俺が、お前の話を聞いて球技をしたいと思ったんだ。生まれてから球技なんて触れたこともなかった。だから今、初めてのお前と、遊びでも何でも、とにかく一緒に小さなことからでも触れていきたいって思ったんだよ」


 この世界は充実の基準が高い。しかし、俺と音川は低い。俺は異世界というこの世界より技術も未熟な世界から来た存在、音川は足が悪く自由を奪われた存在。そんな制限された人生を歩む2人は、普通と比べて圧倒的に充実の基準が低い。


 だから楽しめると思った。机をコートにしてする小学生の遊ぶことでも。


 「……っそ。ならいいわ」


 何か引っかかった様子だったが、それでも俺の意見に納得した様子でもあったから気にすることはない。


 「それにしても、よく見つけたわね。大変じゃなかったの?」


 「今どきのスマホは優秀だからな。勉強を教わらない回避の仕方も調べたら教えてくれそうだし」


 「それは私という存在を知らなければ、どれだけ調べても答えなんて出ないわよ」


 「確かに。それにスマホといえど、面倒でワガママそうな人を知ろうとは思わないだろうしな」


 「それは誰のことを指しているのかしら?」


 「さぁー、音川か成川のどっちだろうなー」


 久下は絶対に違うので、私情含めて除外した。それでも2人もその枠にハマりそうな人と関わっていると思うと、この世界の基準が狂いそうになるな。


 自分から煽っておいてすぐに逃げた俺は、説明書を読みながら机の端から端にネットを張る。球技の中で最も準備が簡単なのではないかと思うが、まだ知らない球技もありそうなので断言はしない。


 「はい、これで完成」


 「座ってするの?」


 通常の卓球より半分くらいの大きさだろうか。片方のコートだけで両コート作った大きさだ。そこに座ったままの俺を見て、音川は普通の卓球を思い浮かべて疑問だからと聞いてきた。


 「立って別の机でしてもいいけど、面倒だからな。それにこれなら正々堂々とお前をボコボコにできる。日頃の鬱憤を晴らす機会にしては最高の展開だな」


 「……後半が本音のように聞こえるわ」


 「後半も本音だからな」


 「いいわね。なら私も、日頃の感謝をぶつけるとするわ」


 「それは卓球じゃない時に頼みたいんだけどな」


 「それもそうね」


 しかし伝えられることは多い。日頃の感謝なんて、笑顔を見せてくれるだけで十分なのだから。


 そうして始まるお遊びの卓球。ラケットの使い方もルールも何もかもが浅い知識の中で、俺のサーブからお遊び卓球は始まった。

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