久下という少女
翌日の学校は昼休みまで進んだ。昼食を食堂で済ませ俺たちは、昨日よりも格段に減った同級生――特にクラスメイトからの視線に慣れを覚え、教室で午後の授業の準備をして座っていた。
ちなみに次は俺の苦手な英語だ。
「それ、なんて本?」
「表紙見たら分かること聞かないで」
そう言って微かな優しさとして、表紙が見えるよう動かしてくれた。
昨日で一気に距離は縮まったと思っていたが、朝を迎えると、早速水筒にお茶入れろとかタオル持ってこいとか、それはもうワガママを発動されて昨日が夢と思うくらいに扱われたものだ。
とはいえ、まぁ、それが音川らしいんだけどな。
「本を読むのと俺と会話すんの、どっちが好き?」
机に右頬をつけて、こっちを一瞬も見ない音川を見ながら言った。
「どっちも好きよ。比べて勝ち負けをつけなければならないなら、大差で本よ」
「……それ、ホントにどっちも好きなのか?」
「ええ。そこらに生えている一輪の花に抱く感情といい勝負よ、貴方との会話は」
「悲しい現実だことー」
俺と会話してくれるが、本から目をそらすことはない。マルチタスクタイプらしいが、本を集中して読みたいなら俺の声は邪魔でしかないだろう。だからここは俺が引いておくとする。
授業が始まる前にトイレに行こうと席を立つ。すると音川は目を向けて聞いてくる。
「どこ行くの?」
「お手洗い」
「そう。いってらっしゃい。一応言うけれど、本より貴方と会話する方が好きよ。さっきのは……その……冗談だから」
少し不安に思った様子を見せつつ言った。冗談が通じてないと思ったか。俺がこうして席を離れることを嫌ったかのように感じさせるのは、小悪魔の一声だった。
「分かってる。そんな可愛いとこ見せて不安にならなくても、相手にされないことに拗ねてお手洗い行くだけだからすぐ戻る」
冗談を理解しているぞと、冗談を混じえて返す。それに安堵した音川は、音川にしては朗らかに笑って理解した様子を見せた。
「それならいいわ。帰ってくる頃にちょうど暇になるから、その時は会話の相手になってあげるわ」
「それはどーも」
そう言って俺は教室を出た。トイレまではそう遠くないし昼休みもまだある。準備することもないから、ゆっくりと向かい、ササッと済ませてトイレから出た。
「あっ、どうも」
ハンカチで手を拭き終えて、さぁ戻ろうとした時、そこには小柄ではじめましてではない少女が、お淑やかな雰囲気を出して誰かを待っている様子で立っていた。
「どうも」
しかし誰を待つだろう。クラスメイトの女子だが名前は知らない。男子トイレの奥が女子トイレだが向かう様子はない。なら男子トイレの誰かを待っている?いや、俺だけだからそれはない。ならここで待ち合わせをしているのだろうか。
様々な可能性が頭を巡ったが、答えは出そうにないので俺は目の前を通って戻ろうとする。
「あの、すみません。少しいいですか?」
そこで理解した。俺に用事があるのだと。
「ん?はい、何か?」
本当に小柄で、数値化すると150cm程度。そんな少女を上から見下ろして、久しぶり故に違和感を感じた敬語も相まって後輩かと思ったが、クラスメイトだからと即訂正が入る。
そんな少女は俺の不思議そうな顔を元の顔に戻そうと、問いかけに答える。
「突然声をかけてしまいすみません。私は同じクラスの久下結と申します」
「長坂七生です」
「親切にありがとうございます」
ニコッと笑って、これぞ可憐でお淑やかな少女としての姿だぞと言わんばかりに丁寧な対応を見せた。普段ワガママな主に仕えていることもあってか、久下結という少女が心底癒しを与えてくるようで心地がいい。
「それで、長坂くんと少しお話しをしたいことがありまして、教室では無理なので今ここでしてもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ」
教室で無理なこと。そんな単語に引っ掛かりを覚えたのは刹那。今は癒しの対象に従って悪いことはないと思った自分を信じて承諾した。
「それじゃ外でも見ながら話そうか。トイレの前で対面して話してるとなんか変だから」
「そうですね」
そうして窓ガラスを開けてそこに両腕をつくと、青春の1ページのように男女2人で外を見る。何も告白とかそんな恋愛の話ではないだろうに、こういうことをしたがる俺も、まだまだ子供なんだと思う。
「それで、話って?」
「はい。昨日のことですが、私、偶然長坂くんと音川さんが、3年生相手に何か問題事を解決しようとしている所を見ました」
「え?マジ?」
「はい。ゴミを捨てに近くまで行くと、誰かが声を出していたので何をしているんだろうと興味本位で覗いたんです。すみません、勝手に覗いたりして」
「何するのも自由だから謝らなくていいよ」
「分かりました」
確かにゴミを集める場所は近く、だからこそ掃除後以外では誰も来ることがない場所だ。放課後は秘密なことをすることに適した場所。偶然過ぎたな。
「それで、その内容も見てまして、何やら長坂くんが音川さんの為に動いていたようで、それを音川さんも認めていた様子でした。そして先程、長坂くんは音川さんの付き人ということを耳にしました。なのでこれはチャンスだと思いました」
「何の?」
「それは、音川さんと成川さんの関係を、再び幼馴染として仲良くする架け橋になっていただけるチャンスです」