透明の板の謎 2
透明の板には難解なレシピと共に父の苦悩が書かれていた。リンは父の苦悩も気にかかるが難解なレシピも気になった。薬師の性というものかもしれない。
最初の頁の最後に父の文字で『このレシピで薬は作れない』と書かれていた。父の文字が読めなければ、書かれたレシピ通りに薬を作る。きっと失敗することになる。よくよく読み込んでいくと、難解に書かれたレシピは、わざと難解に見えるように記述されていた。
『……は確実に行う』と書かれた項目はすべて、飛ばしてもいいような手順だった。規定薬をランクS以上できれば、十分に対応できる。下手に手順通りに調剤すれば必ず失敗する。手順を重ねるたびに余計な魔力が追加される。魔力過多で薬は変質する。魔力操作技術が特に難しいうえに、不必要な手順を抜く必要があった。
この透明板を見つけてもレシピ自体を読むことができない。開くのにこの調剤室の錬金窯が必要になる。父が持ち出した錬金窯では『変換せよ』と書かれているだけで、中のレシピを読み解けない。頁が進むにつれて、何の薬のレシピかもわからなくなる。まるでいたずらに頁を増やしているようだ。
父の思いはこの中のレシピを残さないか、作れなくすることのなのかもしれない。数あるレシピを読みとばし父の記述だけを読んでいく。
『祖母の呪縛から逃げ出せない父』
『父の死は毒殺か』
『逃げろと母は言う』
『母を残しては逃げ出せない』
『弟は薬師にしない』
『犠牲は俺で止める』
エスぺラン侯爵家は大奥様がいまだ薬種商会テトの頂点いる。お父さんの弟は薬師ではない。跡取りの子供たちはまだ幼子だと聞いた。ここで大奥様が亡くなれば隠されたレシピは失われるかもしれない。
忍び込んだ大奥様が、リンの寮の錬金窯に何かを近づけていたのは、この透明の板のようなものかもしれない。大奥様の血のつながった孫であるベルやジュリアを薬師にしたのは、大奥様の後を継がせる計画があったのかもしれない。
「リンさん、調剤長が呼んでいます」
もっと遅くに帰る予定なのに?と思いつつ、透明の板を元の場所に収納する。リンの胸の中では身ぐるみ剝がされればすぐにばれてしまう。透明板の魔力の残存が知られては困る。透明の板さえなければ解析しろとは言われない。父のことだから誤作動を起こす程度の魔力違いでは開かないことを信じよう。
リンが調剤室を後にして、調剤長室に向かう。リンの後ろには声を掛けたシャルルが付いて来ていた。逃げ出すこともできない。昨日の親しげなシャルルの様子はない。前門の虎後門の狼状態になっていた。
「リンさんどうしたの?」
「シャルルさんから調剤長の呼び出しがかかったの」
「えっ、シャルルさん、調剤長帰ってきているの?リンさんの話より先に納品分のサインが欲しい。一緒に行くかな」
「えっ、調剤長にご迷惑ですわ」
「何言ってる。昨日急に注文が入ったメナード公爵様のとこだよ。シャルルさん責任取ってくれる?君は知らないかもしれないけど、あそこは納期にうるさいんだよ。公爵様だよ分かってる?」
「メナード公爵って次期宰相候補の?」
「そうだよ。だから調剤長が帰るのを俺は首を長くして待っていたんだ。良かったよ早く帰ってきて」
「ち、ちょっと待って、わたしも頼まれてリンさん呼びに来ただけだから・・確認してくる」
リンとリッツは顔を見合わせた。シャルルの慌てぶりに調剤長は帰ってきていないことが分かる。不在の調剤長室に勝手に出入りできるのはそれなりの権力者しかない。戻ってきたシャルルはリンより先にリッツに声を掛けた。
「ごめんなさい。伝言が間違っていたみたい」
「じゃ仕方ないな。リンさん食堂にお茶しに行こう」
リッツは有無を言わせずリンを食堂に連れ出した。リッツはシャルルが、リンに言葉を掛ける隙を与えなかった。リッツの意図を感じたリンは仕方ない振りをしながらもシャルルから早く離れた。自由食の食堂は昼食前で、まだ空いていた。お茶を注文して奥のテーブルに二人は付いた。リッツが小さな三角錐の魔道具をリンに手渡した。
「それを手でにぎって、少し魔力流して、防音の魔道具だから」
リンはこんな小さな魔道具など見たことはなかった。高度な技術がいるだろうし高価のものには違いない。リッツは何者だろうか。
「不審そうな顔しているね。僕は悪い人ではないからといっても信頼できないよね。とりあえず話を聞いてくれ。昔は薬は高価で庶民の手に渡ることがなかった。エスぺラン侯爵家が、薬種商会を立ち上げて、薬を作るようになって、安価で効果の高い薬が普及するようになったことは知っているかい」
「調剤長さんから説明は聞いた」
リッツの話はそれからも長く続いた、リンは見ないと決めた暗い井戸を覗き込んでいるような気がしてきた。暗い井戸の底に引き込まれないように魔道具を握った手をさらに強く握った。
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