透明な板の謎 1
昨日の騒ぎが嘘のようにリンはすっきりした朝を迎えた。久しぶりの錬金窯でパンを作り、飴も作って、さらにクッキーも作ってしまった。ここに来てから疑心暗鬼になり心がささくれだっていたようだ。
エスぺラン侯爵家の大奥様(お祖母様)にも会えたし、無理してここに残る理由はない。透明板の謎が解けたらさっさとここを出て行こう。人の部屋に入り込むような組織には居たくない。商業ギルドに商品を登録すれば、しばらくは生活に困らない。暗い井戸を覗き込んでいるうちに井戸に引き込まれてしまいそうだ。
「リンさん、おはようございます」
「リッツさん、おはようございます。昨日は大変でしたね。魔道具の誤作動なんてあるんですね。驚きました」
リッツさんの顔が少しくもった。
「リンさん、あなたは納得していますか?」
「えっ、納得も何もリッツさんがしたのではないですか」
「そうなんですけど・・。昨日エスぺラン侯爵家の魔導師が来ていたんですよ。そのおかげで魔道具の誤作動が分かったんだけど‥なんか腑に落ちないんだ」
「どうして?」
「だって、エスぺラン侯爵家の魔導師が何のためにここに来たのか分からないし、タイミングが良すぎるだろう」
「調剤長さんは?」
「それが丁度、調剤長が不在だったんだ。以前から決まっていた会議だから仕方がないけど、魔導師の訪問が良く分からないんだ」
「魔導師は何で来たの?調剤長は今日もお休み?」
「今日の夕方には戻るけど、魔導師は調剤長に会いに来たらしい。調剤長の予定確認してなかったらしいんだ。俺のもやもやは解決できないよな」
「仕方ないですよ。上のことは下には分かりません。ところで、シャルルさんは今日はいないのですか?」
「リンさん、珍しくお話ししていましたね」
「昨日三時間話しかけられた・・。それに部屋に来たいと言われたからきっぱり断ったから、気分害してないかなと思って」
リッツの話ではシャルルはベルたちが抜けた穴埋めの期間限定の職員らしい。薬師というより事務官のようで調剤の仕事はあまりしていない。あまり深堀りしてもリッツに不審に思われてはいけない。リンは規定薬の調剤に入った。
「そうそう、リンさんは、ジュリアから新商品の話聞いている?」
「新商品?わたしはジュリアさんやベルさんを含め親しくしている薬師さんはいませんよ」
「俺は?」
「リッツさんは指導教員です」
「がっかりだ……。なんかジュリアの母親がジュリアの新商品のレシピを探しているらしい。でも、ジュリアが新商品作れるはずがない。規定薬さえ他の薬師に手伝ってもらっていたんだから」
「そうなんですか?ここの就職は厳しいんですよね。薬のランクも決められているのに」
「そうなんだけど、エスぺラン侯爵家の意向が今回は働いたらしい。調剤長は特級の試験で退職させると言っていた」
「えっ、特級の試験?」
「知らない。リンさんは規定薬のランクも高いし新規商品が採用されているから受ける必要はない。規定薬のランクが今一つのものは、特級の試験をして篩にかけるんだ。どうしても組織が大きいといろいろあって、困った人が就職するんだ。それを篩にかけることを決めたのが、今はいないエスぺラン侯爵家の跡取り予定だった人なんだ」
「ふーん、改革派ってとこかな?ほらほら、リッツさんもクビになりますよ。仕事に戻りましょ」
リンはリッツを調剤室から追い出すと、しっかりと入口の戸を閉めた。再度部屋の中を確認したのち胸から透明板を出し、薬師殺しと言われる錬金窯の上にかざした。透明板に懐かしい文字が浮かんだ。
『秘密の手紙』
これは幼き頃父と交わした不思議な文字を使った手紙のやり取りのことだった。サファイアは聡い子供だったようで普通に読み書きが5歳のころには出来るようになっていた。父はサファイアに特別な文字を教え父と手紙のやり取りをしていた。リンはサファイアの記憶がなくてもその文字が読めた。透明板の頁をめくるとそこには、今使われている文字で、難しそうな薬のレシピが書かれていた。
そのレシピの最後に父特有の文字で2行ほどの記述があった。
『このレシピで薬は作れない』
『なぜこんな薬を作らねばならない』
『これは薬でない。毒薬だ』
『いつからエスぺラン侯爵家は地に落ちた』
『俺が死ねば終るのか』
・・・・・・
薬のレシピともに父の若かりし頃の苦悩がつ綴られていた。父は跡取りとしても薬師としても優秀だったからこそ、難しいレシピを読み解くことができた。それが人の健康の助けにならないものだったことに驚いたようだ。
誤字脱字報告ありがとうございます。




