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夏詩の旅人

サドンデス(夏詩の旅人 「風に吹かれて…篇」2話)

作者: Tanaka-KOZO

 1987年5月末

渋谷でマリノが、サドンデスのニトベたちに襲撃された翌々日の事である。


渋谷のライブハウス「テイキング・オフ」


ドカッ!


「ううッ!」

サドンデスの池田ジンに、腹を蹴られたバンドマンが、うずくまる!


きゃあぁぁ…!(女性客の悲鳴)


ライブハウスの観客たちがざわつく。

観客たちは、バンドが襲われている光景を見て、恐怖で固まってしまった。


「おるぁぁ…、立てよコラァ…ッ」


その、うずくまるバンドマンの胸ぐらを掴み締め上げる、身長190cmの池田が言う。

池田の後ろには、サドンデスのメンバーたちが、ニヤニヤしながらその光景を見守っていた。


池田に締め上げられていたバンドマンは、とある大学のバンドメンバーであった。

この日、彼を含んだメンバーたちは、大学の仲間内でライブを行っていた。

そこへサドンデスがいきなり、ライブ中、襲撃に現れたのだった。


「うぐぐ…、し…、知りませんよ…、そんな人…」

腹を押さえて、苦しそうに言う男性バンドマン。


「けッ!」

池田はそう言うと、そのバンドマンの胸ぐらを掴んだまま、片手1本で放り投げた。


「うぁッ!」


ステージから投げ出されたバンドマンが、観客側に飛ばされた!

そして観客がどよめく!


「おい!、引き上げるぞ!」

少しウェーブの掛かったロン(セミロング)をオールバックにした、池田が鋭い目つきで仲間にそう言った。


「おう!」

その呼びかけに応える、サドンデスのメンバーたち。


マッチョで巨体な池田は、白のタンクトップとジーンズ姿であった。

その池田がステージから降りると、観客たちはササッと道を開けた。


出口まで真っ直ぐに続く、人混みが開けた道を、池田は悠々と闊歩する。

そしてその後ろには、サドンデスのバンドメンバーと、舎弟のローディーら十数名がついて歩く。


彼らが出て行くまで、観客たちは固唾を呑んで見届けた。

やっとサドンデスらが出て行くと、観客らは全員で、ほっと胸を撫で降ろすのであった。


池田ジン

東京の悪名高きパンクバンド「Sad On Death(サドンデス)」の、ボーカル兼リーダー。

身長190cmの大男であり、キレて暴れ出したら誰も止める事が出来ないと云われていたる。


サドンデスは、滅茶苦茶なステージパフォーマンスが悪評を呼び、ついには都内のライブハウスの全てから締め出しを喰らっていた。


以降ライブ活動が出来なくなったサドンデスは、今度は無差別に都内のバンド出演者たちをターゲットに、次々とバンド狩りを始めるのだった。


サドンデスのメンバーは池田ジンの他に、ドラムの栗谷とギターの井之上、そしてベースの新渡戸がいた。


圧倒的な暴力と破壊を繰り返して来たサドンデスらであったが、2日前にベースのニトベが誰かに襲われ重傷を負った。


ニトベは、顔面骨折が3ヶ所、顔を3針も縫う傷が4ヶ所、そしてあばら骨と右手首の骨折に、左肘の脱臼と靭帯断絶の大怪我を負って病院送りにされたのだ。


そこで池田は、ニトベを襲った男に報復する為、片っ端からライブハウスを襲う事にした。


ニトベの話によると、襲って来た男はバンドマンだと名乗っており、襲われた場所が渋谷であった事から、まず手始めに、渋谷のライブハウス「テイキング・オフ」が襲撃に合ったのである。


病院送りにされたニトベは、襲って来た男の顔をはっきり覚えているとの事であったが、なんせ全治3ヶ月の重症を負わされた為、身動きが取れなかった。


仕方なく、サドンデスらは、ニトベから聞いた男の特徴だけを頼りに、ライブハウスの襲撃を渋谷から無差別に始めるのであった。



「これじゃラチが明ねぇ…」

ライブハウス“ティキング・オフ”から出て来た池田が、仲間たちに言う。


「襲撃するエリアの担当を決めよう…、取り合えず渋谷と下北は井之上がやれ…」

池田がそう言うと、井之上が頷いた。


「それから、池袋と上野方面は、栗谷に任せる…」

栗谷が池田の指示に、「分かった…」と返事をする。


「俺たちの拠点である新宿は俺がやる…。お前らが渋谷や池袋に行ってる間は、俺が縄張りをしっかり守っとくからよ…」

池田はそう言うと、残りのローデイーメンバーたちにも、それぞれの担当を振り分けた。


「お前とお前は、井之上に付け…、それからお前もだ。お前ら3人は、栗谷だ…」

池田はそう言うと、ジーンズのヒップポケットからショートピースを1本取り出した。


「ふ~~~~~~~……」


ピースに火を点けて、タバコの煙を吐く池田。


「待ってろよクソガキゃぁ…、サドンデスにナメたマネしたら、どういう運命になるか思い知らせてやるぜ…」

池田はフィルターをギリギリと噛みしめながら、そう呟くのだった。



 同日の午後

某大学の軽音サークル部室


ガラガラ…。


「あ!、こーくん♪」

部室に入って来た彼を見て、メンバーの櫻井ジュンコが言った。


※ジュンは高校3年生だったが、彼らのバンドに加入しており、学校の授業が終わると彼らの大学に毎日訪れていた。

彼女は5月の大学の学祭ライブで、プロとしてスカウトされていた。


「あれ?、何だよお前…、マサシとハチが抜けてライブ出来ねぇから、また剣道でも始めンのかぁ…?」


竹刀袋を脇に抱えている彼に向かって、ギタリストのカズがそう聞いた。

※彼は高校時代まで剣道をやっており、三段を取得していた。


「木刀が2本入っている…、護身用だ…」

彼がボソッと答える。


「護身用って…?」(カズ)


「サドンデスのやつらとモメ事があってな…」(彼)


「サドンデス…?」(カズ)


「ちょっとぉッ!、こーくん、それホントなのぉッ!?」

ジュンが急に声を張り上げて、彼に詰め寄った。


「ああ…」(ジュンに頷く彼)


「サドンデスには関わらないでって、私、言ったじゃないッ!?」(彼に怒るジュン)


「仕方ねぇだろ…」(ボソッと言う彼)


「何が仕方ないのよぉッ!?」(ジュン)


「おい!、2人共ちょっと待てよ!…、何だよサドンデスって…?」

状況が把握できないカズが、2人にそう言った。




「ええッ!、俺たちの初ライブの担当してくれた、あのネーチャンが襲われたってぇッ!?」

カズが、彼の説明を聞いて驚く。


彼は、マリノがオープンさせる予定だったライブBARを、サドンデスに破壊されてから、彼女がレイプされた話と、そのあとマリノと連絡が取れなくなっている現状を説明した。


「酷い…」

両手で口を押さえ、蒼ざめた表情のジュンが言う。


「それで、そのレイプしたヤロウを、お前は追っかけて、ボコボコにしちまったと…?」(カズ)


「ああ…」(頷く彼)


「お前って…、そんなにケンカ強いんだぁ…?」(カズ)


「後ろから不意討ち喰らわせて、一方的に蹴り飛ばし続けたからな…、タイマンだったら、どうだったか分からん…」(彼)


「不意討ちって…、そりゃお前…、相手方は、相当頭に来てんだろ~なぁ…?」(カズ)


「そうだろうな…、俺の事を必ず見つけ出して、殺すって言ってたから…」(彼)


「どうするつもりだ…?」(カズ)


「しようがねぇ…、やつらが来たら戦うんじゃねぇの…?」(彼)


「何、他人事みたいに言ってんのよッ!、私、今、プロになるかどうかで悩んでて、それどころじゃない精神状態なのに、これ以上、余計な心配かけさせないでッ!」

淡々としゃべる彼に、ジュンがキレて言う。


「“余計”とは何だッ!、お前、マリノが夢を潰されて、レイプにも合ってんだぞッ!、よくそんな事、言えるなッ!」(彼)


「“余計な”は、ごめんなさい…、謝るわ…、でもッ、あなたの事が心配なのよッ!、こんな気持ちじゃ、プロになんか行けないよ!」(ジュン)


「お前がプロになる話と、俺とサドンデスの件とはカンケーねぇだろ!、プロになるなら、自分の意志で勝手に決めろッ!」(彼)


「なによ…ッ!、そんなの、警察に訴えれば済む事でしょぉッ!」(ジュン)


「ガキのお前には分からねぇだろうがなぁ…、レイプされて裁判起こすってのは、女にとって、そりゃあ大変な目に合うんだぞ!」

「思い出したくない事を思い出して、証拠を採取する為に恥ずかしくて、惨めな思いをさせられるんだ!」

「それに、当の本人が行方不明じゃ、警察に訴えたくても、どうしようもならねぇじゃねぇか!」


「だからって、あなたがやらなくても良いじゃないッ!?、何よ!、こーくん、その女性(ひと)の事、好きだったのッ!?」(ジュン)


「だったじゃねぇ…、今もだ…ッ!」


彼がそう言ってジュンを睨みつけると、彼女は一瞬、眉間に皺をよせた。

そしてジュンは、プイッと振り返ると、目頭を手の甲で押さえながら、スタスタと早足で部室を出て行ってしまった。


「あ~あ…、お前、ジュンをあんまり泣かすなよぉ…、俺のかわいい後輩なんだからよ…」


机の上に座って、黙って2人のやり取りを聞いていたカズが、ジュンの出て行った扉を見つめながら言う。

※ジュンは、カズの高校時代からの後輩で、一緒に軽音部にいた。


「あんまり…?」

彼が、カズの言った言葉に反応する。


「俺んちに夜、しょっちゅうジュンから電話が掛かって来るよ…、お前の事で、いつも泣いてるぜ…」

「それから最近は、デビューの話をどうするかで情緒不安定になっててな…、あいつの母親からも評判悪いぜ、お前…」


カズの言葉に彼は、「ふんッ!」とムクれるのであった。



「とにかく、しばらく俺と行動は、共にしない方が良い…、一緒にいたらお前まで、巻き添え喰らっちまうからな…」(彼)


ジュンが出て行った後のサークル部室では、彼がギタリストのカズとサドンデスの件で、まだ話し合っていた。


「そういうワケにもいかねぇだろ?」(カズ)


「何!?」(彼)


「お前1人で何が出来る?、それにバンドのボーカルが居なくなっちゃあ困るしな…(笑)」

カズはそう言うと、彼に微笑んだ。


「やめとけ…、お前の身まで責任取れん…」(彼)


「ばか!、俺がお前のボディガードになるんだよ!」(カズ)


「お前が…!?(笑)、無理だ…、どうやって守るんだ?」(彼)


「お前、俺がサバゲーの名手だって、知ってんだろ!?」(カズ)


※カズは卓越したテクニックを持つギタリストであるが、同時にエアガンを使った、実践タイプのサバイバルゲーム競技の実力者でもあった。


「遊びじゃねぇんだぞ…」(彼)


「大丈夫だ…。エアガン2丁装備して行く…、俺の的確な早打ちは、相手の攻撃を防げる。その隙にお前が木刀でやつらを蹴散らせば良い!」(カズ)


「ふむ~…、一理あるな…」(彼)


「だろ?(笑)、それに俺は、早打ち0.3秒のプロフェッショナルだぜ(笑)…、義理堅く…、頼りになる、オ・ト・コ!(笑)」(カズ)


「それ、ルパンの次元大介じゃねぇか!?(笑)」(彼)


「そういうコト…(笑)」(カズ)


「分かった…、だがな、危なくなったらお前だけでもスグ逃げろ、俺が相手を引き付けてく間にな!」(彼)


「オーケー!、オーケー!(笑)」

カズはそう言うと、右手でOKマークを作るのだった。


「じゃあ、俺はこれからバイトに向かう…」(彼)


「早いな?、まだ時間あんだろ?」(カズ)


「空が明るいうちに移動した方が、安全だからな…(苦笑)」(彼)


「なるほど…、そうだな…。じゃあ気をつけて行けよ!」(カズ)


「ああ…、ありがとう…」

彼はそう言うと、部室を後にするのであった。



 彼が大学の校舎内を歩いて行く。

すると長い通路の先に、ジュンが1人でポツンと壁に寄り掛かって立っていた。


「ジュン…」

彼はそう言うと、彼女の側に近づいて言った。


「さっきは悪かったな…、君だって大変な時だってのに、あんな言い方しちまって…」

沈んだ顔をして立っているジュンに、彼は詫びる。


「お詫びにオゴルよ。これから“がらん堂”に行こう…、何でも好きなもの頼んで良いぞ♪」

彼がそう言うと、ジュンは「ホント!?」と言って、表情が明るくなった。

※“がらん堂”は、大学の側にある古い喫茶店で、彼らのたまり場であった。



 喫茶店がらん堂の店内


「随分とまぁ…、幸せそうな顔して食べるんだな…(苦笑)」


彼の目の前で、イチゴのフルーツパフェを頬張るジュンは、彼に「んふふふふ…♪」と、含み笑いをするのだった。


「ねぇ…?、こーくんの飲んでる珈琲って、珍しいやつなのぉ…?」


ジュンが、彼にそう聞く。

それは、彼が「本日のサービス珈琲」と書かれた品種を見た時に、妙にはしゃいで頼んでいたからであった。


「ああ…、これ…?、これは別に珍しくはないけど、この珈琲豆はとても貴重な豆なんだ。通常は、もっと値段が高いものなんだよ」(彼)


「ふぅ~ん…、なんて言う名の珈琲?」(ジュン)


「マンデリン…」(彼)


「マンドリン?」(ジュン)


「あほ!、そりゃ楽器だろ!、マンデリンッ!、“ド”じゃなくて、“デ”だッ!」(彼)


「ふふ…、それ美味しいの?」(ジュン)


「ああ…、美味いよ…」(彼)


「どんな味がするの?」(ジュン)


「重厚なコクと苦みがあり…、酸味は少ない…。これはインドネシアのスマトラ島でしか作られていない、貴重な豆なんだよ」(彼)


「ええ!、一口飲ませて♪、飲ませてぇ!」(ジュン)


「ええ!」

彼がちょっと嫌な顔をする。


「いいじゃない!、飲ませて!、飲ませて!」(ジュン)


「ったく…、ほら…」

彼はそう言うと、カップをジュンに渡した。


ジュンがカップを受け取る。

すると彼が慌てて言った!


「わぁああッ!、ミルクなんか入れんなッ!」(彼)


「なんでぇ…?」

ミルクピッチャーを手にしたジュンが、手を止めて聞く。


「風味が損なわれるだろぉッ!」(彼)


「じゃあ砂糖も…?」(ジュン)


「あたり前だッ!、ブラックで飲めッ!」(彼)


「はあ~い…」

ジュンはそう言うと、カップに口をつけた。


「なんで、そこで飲むんだよぉ…」

自分が飲んだ箇所に口をつけて飲むジュンに彼が言う。


「苦ぁッ!」

一口飲んだジュンが、嫌な顔でカップから口を離した。


「ははは…、お前には10年早ぇよ、この味が分かるのに…(笑)」

目の前のジュンに、そう言って彼が笑う。


「じゃあ、お返しに、私のパフェも一口あげるね…」

ジュンは、そう言うと、ロングスプーンにバニラクリームをすくって、彼に「はい…、あ~~ん」と差し出した。


「よせよッ!」

彼が周りを気にしながら、恥ずかしがる。


「ほら、こーくん…、あ~~ん…、あ~~ん…」

ジュンが彼にしつこく、口を開けろと言わんばかりにスプーンを彼の目の前で、ゆらゆらさせる。


「お前、やめろってッ!」(顔を赤らめた彼が言う)


「なに?、恥ずかしいの…?(笑)、ほら、早く食べないと、他のお客さんに気づかれるわよ…、んふふふふ…♪」(ジュン)


「ああッ、もおッ!」

彼はそう言うと、急いで目の前のスプーンをパクッと咥えた。


「んふふふふ…、んふふふふ…♪」

スプーンを引っ込めたジュンが、身体を左右に揺らしながら含み笑いをする。


「何笑ってんだよ!?」(彼)


「これってさぁ…、間接キスだよねぇ…?、んふふふふ…♪」

彼を上目遣いで見ながらジュンが言う。


「それがどうした!?」

彼がムッとしながら言う。


「きゃぁ~…、こーくんと、間接キスしちゃったぁ!…、間接キスしちゃったぁ…!、んふふふふ…(笑)」

身体を左右に揺らしながら、ジュンは彼をからかう様に小声で何度も言う。


(まったく…、無邪気なモンだな…)

彼は目の前で浮かれるジュンを見ながら、ヤレヤレ…と思うのだった。



 PM6:00

渋谷 ダイニング“D”


「あら?、こーさん、おはよう!」

バイト仲間でウェイトレスのヤマギシあゆみが言う。


「ああ…、おはよう…」

エプロンの紐を後ろ手で締めながら、彼が言った。


「ねぇ…、こーさん…」

ヤマギシが彼に顔を近づけて、ヒソヒソと話し出す。


「ん?」(耳を傾ける彼)


「この前、話したサドンデスってバンド…、ほら、バンド狩りしてる最悪の…」(ヒソヒソと話すヤマギシ)

※ヤマギシは、カレシがインディー界隈で有名なバンドマンの関係で、その界隈の情報通であるのだ。


「ああ…」(頷く彼)


「そのサドンデスの1人が2日前、報復されて病院送りになったみたいよ…」(ヤマギシ)


「ああ…?、それ?…、それ俺がやった…」(ボソッと彼)


「うぇッ!、こーさんがやったのぉッ!?」(驚いて仰け反るヤマギシ)


「しッ!、声がデカイッ!」(彼が慌ててヤマギシに言う)


「それ、どおいうコトぉ~…?」(目を大きく開いて、ヤマギシが小声で彼に聞く)


「分かった!、ワケを話す…、ヤマギシ…、お前も今夜一緒にハブりに来い!」

※ハブるとは、渋谷センター街にある、ブリティッシュパブHUBに飲みに行くという意味である。


「ハブる…?」(何それ?と、ヤマギシ)


「バイト後に、俺、タカたちとHUBで毎晩飲んでるだろ…?、そこにヤマギシも来いってコト!」(彼)


「あ!、そういう意味?…、分かったわ…、良いよ♪」(ヤマギシ)


「じゃあ、詳しくはそンときに…」

彼がそう言うと、店長の若ハゲ、“ドカチン”こと、永川ひさしがやって来た。


「ほらッ!、そこッ!、オタクたち!、おしゃべりしてないで、仕事!、仕事!…」(ドカチン)


「はぁ~い…」

間の抜けた声でそう言った彼が、その場を離れる。


「ごめんねぇ…、ドカチン…♪」

ヤマギシが甘い声で、巨乳を強調させながらドカチンに言う。


「うほぉ!、うほぉほほほ…♪」

“永遠の素人ドーテイ”という異名を持つドカチンが、ヤマギシの色仕掛けに、まんまと引っ掛かって上機嫌になった。


フロアを巡回する彼の後ろから、ドカチンの“ゴリ笑い”が聴こえる。


(参ったな…、おとといの話しなのに…、もうヤマギシにまで噂が広がってるとは…)

余りにも早い情報に、彼は身の危険が徐々に迫って来ているのだと思うのであった。



 PM10:20

渋谷センター街、ブリティッシュパブHUBの店内


「で?…、どおいうコトなの?、こーさん…」

ヤマギシが、彼に聞く。


同席の金髪ソフトモヒカンのタカと、ガタイの良い、ロン毛で切れ長目のヤスも興味津々で彼を見つめる。


「実はな…、2日前にマリノの店がサドンデスの襲撃に合った…」(彼が神妙な顔つきで話し出した)


「え!?、あの、お泊りコースが決まってた日の事ですかぁッ!?」(ヤスが驚く)


「そうだ…。彼女の店はメチャメチャに破壊され、その後、マリノはレイプされた…」

険しい表情の彼が言う。

寡黙なタカは、神妙な顔をして無言で聞いている。


「マジすかぁ…?」

ヤスが彼に恐る恐る聞く。

ヤマギシは蒼ざめて、言葉を呑み込む。


そして彼は、あの日の経緯を同席してる仲間たちに話し出すのであった。



「そんな事があったんだ…?」(ヤマギシが気の毒そうに彼に言う)


「そりゃブチ切れますよねぇ…」(彼に同情するヤス)


「とにかくあいつらはしつこい…、俺と一緒にいると危ないから、当分の間は離れていた方がいい…」(彼)


「こっちから、やっちまいましょうよッ!、そんなやつら…」

格闘技マニアで、テコンドーの使い手であるヤスが彼に言う。


「ばか!、人数が違うだろ!」

ヤスの隣に座るタカが、ヤスにピシャリと言う。


「そうよ…、それにリーダーの池田ジンは、巨体で怪力の持ち主よ!、普通の人間が束に掛かって行ったって、敵わない様なやつよ!」


ヤマギシもヤスに言う。

ヤスは2人の言葉に黙ってしまった。


「ありがとうなヤス…、でも、これは俺の問題だ。お前らを巻き込むワケにはいかねぇ…」(彼)


「こーさん…」(絶望的な表情のヤス)


「作戦を練りますか…」

するとタカが突然、ボソッと言う。


「作戦…?」(彼がタカに聞く)


「やつらは渋谷でも、こーさんの事、探してるんでしょ?」(タカ)


「ああ…」(頷く彼)


「やつらは、こーさんの顔を知らない…、それは、やられたやつが入院してて動けないからだ」

「池田は取り合えず放っておきましょうや…、残りの中心メンバー2人とザコどもをまずは片付けるんス」


タカの説明をみんなが黙って聞いている。


「やつらは、それぞれ担当者を立てて、今は少数で動いてます。そこを俺たちで狙うんス!」

高校時代はラガーマン、手の付けられない不良だった中学時代では、“大曲の金狼”と恐れられた、細マッチョのタカがニヤリと言った。


「なるほど!、5~6人なら俺たちで楽勝ですからね♪」

ヤスの顔が晴れやかになった。


「でも…、巻き込みたくねぇ…」

その提案に躊躇する彼。


「なに言ってんスかぁッ!(笑)」(ヤス)


「水くさい事いわないで下さいよ」(タカ)


「私も協力する!」(ヤマギシ)


「分かった…、ありがとう。考えておく…。だからそれまでは、勝手に暴れるんじゃねぇぞ…」(彼)


「うす…」

ヤスとタカがそう言って頷く。


「それにしてもヤマギシ…、お前の情報網はホントすげぇな…」

彼が感心して、彼女に言う。


「さすが、“インディー界のナシモト”と呼ばれるだけありますね♪」(ヤスがヤマギシに言う)

※梨本勝(あの当時の最強芸能レポーター)


「きゃはッ!、何それ!?、私はミッチーから聞いただけよ(笑)」(ヤマギシ)


「ミッチーって…?」(ヤスが聞く)


「私のカレ…、ほら、こーさんは、この前、109で会ったでしょ?」

※ヤマギシのカレは、インディー界でそこそこ有名なバンドのベースマンだった。


そのバンドの名前は忘れたが、後にデビュー前のルナシーら、一連のビジュアル系バンドと親交を持ち、ブッキングを共にするバンドになっていった。(※デビュー前に解散しちゃったけど…)


「ああ…、あんときの…?」

彼がその時の事を思い出す。


「とにかく網を張り巡らせて、あいつらの情報を逐一、こーさんに報告するからね!」

ヤマギシはそう言うと、目をキラッと光らせた。(※様な気がした)


「なんか時代劇に、そういう情報屋の町人が出て来るよな?(笑)」

タカがヤマギシにニヤッと笑って言う。


ははは…。(一同、笑う)


こうして、その日の夜は更けて行った。



 6月になった。

渋谷ライブハウス「尾根裏」


彼の元バンドメンバーだったマサシとハチが結成した、ビジュアル系ロックバンド「ベルサイユ・ローゼス」が、デビューライブを無事に終わらせた。

※「ベルサイユ・ローゼス」は、3ピースバンド


キャ~~ッ!、マーシー!(※マサシだから)


きゃぁ~~~!、ポール~~~!(※ハチの本名が、牧 八郎だから)


キャァ~~ッ!、テリ~~~~ッ!(※新加入のギタリストが照井だから)


ライブを終えた彼らに、女性客から黄色い歓声が飛び交う。


「へへへ…、見ろよハチ…、この観客の反応を…」

ベース&ボーカルのマサシが、ドラムのハチに笑顔で言う。


「やっぱ俺たちには、先見の明があったな?」

ハチもマサシに言う。


「これも、ギターのテリーが入ってくれたおかげだよ(笑)」

テリーにマサシが言う。


「そんなことないよ…(笑)」

テリーが、その言葉に謙遜する。


しかしテリーは実際、スレンダーで、中性的なビジュアルを持った美男子であった。

ビジュアル系バンドが成功する1つの理由としては、テリーは欠かせない存在であるのは確かなのだ。


「みんな~!、今日はどうもアリガトーッ!、これからは渋谷中心に活動していくからヨロシクねぇ~♪」


マサシが観客に向かってそう言うと、女性客らが、今にも失神しそうな悲鳴に近い歓声を上げた。

それに手を振って応えるメンバーたち。


「来週もここでやりま~す!、再来週は新宿のJIMで2DAYSライブも決まってま~す!、ぜひ観に来てね~♪」(マサシ)


キャァーーーーーッ♪


キャーーーーーーッ♪


きゃぁーーーーーッ♪


女性客の、物凄い歓声が鳴り響く。


「それから、まだ確定じゃないんだけど、6月末には名古屋でもやる予定で~す!」

「ワンマンじゃなく、ブッキングになると思いますが、東京以外での初ライブの第一歩ですッ!」

「みなさんの中で、来れる方が居ましたら是非ヨロシクねぇ~♪」


マサシがそう言うと、女性客たちが「行く~♪、ぜったい行く~♪」と、歓声と共に返して来た。


そして観客たちに深々と頭を下げるステージの3人。

こうして、マサシ率いる「ベルサイユ・ローゼス」は、見事なデビューを飾ったのであった。



 渋谷ダイニング“D”


(やっぱそうだよね…、マリノさんがレイプされて行方不明になってるんだもの…)


この日のバイトに入っていたヤマギシあゆみは、彼が時々見せる暗い表情に気が付いていた。

ヤマギシあゆみは、彼の虚ろな表情を気の毒な思いで見ていた。


実は、彼は2日前に、破壊されたマリノの店がテナントを解約しているのを知った。

そして、マリノの自宅の電話も解約され、職場に彼女の行方を聞いてみても、誰も分からないという事に、ショックを受けていたのだった。


「うほぉほほほ…、そう言えば最近、あのコ来ないわね?」

頬を赤めながら、ヤマギシの背後に近づいて来た店長のドカチンが、マリノの事を言った。


「シッ!」

その言葉にヤマギシが、急いでドカチンに振り返り、怒った表情で言った。


「うほぉッ!?」

何だ?という表情のドカチンが、驚いて仰け反る。


「今は、その話題は禁句なのッ!」

ヤマギシが怒った顔をして、小声で強く言った。



PM10:15


 その夜、バイトが終わった彼は、タカとヤスとで、渋谷センター街にある、ブリティッシュパブHUBに向かって歩いていた。

するとヤスが何かを見つけて言った。


「こーさん、あれ…」

ヤスが言った方向を彼が見ると、パンクスの男5名が、通りすがりのサラリーマンのケツを蹴飛ばしている姿が見えた。


「おらぁッ!、どけよッ!」

その中で1番背の高い、黒髪のストレートロン毛男がそう言って蹴っていた。


「サドンデスなめんなよぉ~!」

そして、背の高い男の後ろにいた1人が、ろれつの回らない喋り方で、そう言った。


(サドンデスだとぉ…!?)

彼がやつらを見て、そう思う。


「あいつらサドンデスみたいですね?」

ヤスが、彼に耳打ちする。


「なんか、どこかで飲んだ帰りみたいな感じだな…?」

彼がやつらを静観しながら、ヤスに言った。


「あいつが池田ジンか…?」

タカがそう言ったが、彼は想像していた池田ジンと、その背の高い男は大分違っていたと感じていた。


確かにその男も背が高かったが、せいぜい身長185cmあるかという位の背丈であった。

噂に聞いていた池田ジンは、2m程の身長に、格闘家並みの体格の持ち主であったからだ。


「あいつら、どっかで飲んで、へべれけみたいですよ…」

ヤスが彼に言う。


「こーさん…、こりゃあチャンスじゃねぇですかい?」(タカ)


「ああ…、ちょっと後をつけてみよう…」

彼がそう言うと、タカとヤスは「うす…」と言って頷いた。


 後ろから後をつける、彼とタカとヤス。

前を歩くパンクスたちは、駅に向かって上機嫌で歩いていた。


「ったくよおッ!、ニトベさんを襲ったヤロウは、どこに隠れてるんですかねぇ~?」

良い気分でヨロケながら、パンクスの1人が背の高い男に話しているのが、尾行している彼にも聴こえた。


(やはりやつらは、サドンデスだッ!)

彼が確信した。

そして肩に掛けた竹刀袋の肩紐を、ぎゅっと強く握った。


「あいつを仕留めれば、この抗争もほぼ決着する…」

タカが、背の高い男を睨みながら呟く。

するとヤスが突然言った。


「こーさん!、ほら、あれ!、あいつら別れますよ♪」

ヤスの言った通り、やつらが背の高い男と別れようとしている光景が見えた。


「じゃあ、井之上さん!、お先にしつれーしまぁ~す!」(パンクスA)


「お疲れ様したぁ~!」(パンクスB)


やつらが、背の高い男に挨拶をすると、男を1人残して駅の方へ歩いて行った。

そして、背の高い男は更地になった、コの字型の空き地へ1人で入って行く。


「う~~…、やべぇ…、洩れそうだぁ…」


背の高い男はそう言うと、空き地の1番奥で立しょんべんを始めた。

どうやら駅のトイレまで我慢できなかった男は、仲間を先に帰して空き地で用を足す事にしたのだった。



「ふぅ~~~~……」

用を済ませた男が、腰を振ってチャックを閉める。

その時、男の背後から誰かが話掛けた。


「終わったか…?」

男の後ろ、数m先に立っている彼が言った。


「ん!?」(振り返る男)


「おめぇがサドンデスの池田ジンか…?」(彼)

彼がそう訪ねた男は、自分よりも5cm程背が高い様に見えた。(※推定身長185cmというところだろうか?)


「ああ?、なんだてめぇらはぁ?」

背の高い男が、3人組に言う。


3人組は、彼を先頭にして、背後に左右広がって立っていた。

後ろのタカとヤスが、コの字型の空き地の左右をそれぞれが固め、男をこの場所から逃げられない様に立っているのだ。


「おめぇが、池田ジンかと聞いてンだよぉッ!」

彼がドスの利いた声で、男に言う。


「俺が…?、はっはっはっ…(笑)、バ~カ!、俺は井之上ってモンだ!」

背の高い男が彼に言う。

やはりこの男は、池田ジンではなかったのだ。


「おい…、てめぇらが血眼になって探してる男ってのは、俺の事だ!」(彼)


「何ッ!?、するとテメェがニトベを…ッ!?」(井之上)


「そういうコトだ…」(彼)


「それで今度は、1人になった俺を、3人掛かりで襲うというワケかぁ…?」(井之上)


「安心しろ、タイマンだ…。だがこいつは使わせて貰う…、悪いが、どうしても負けるワケにはいかねぇんでな…」

彼はそう言うと、肩に掛けた竹刀袋から1本の木刀を取り出す。


「武器を使うか…?、ケッ…!、卑怯なヤロウだぜ…(苦笑)」(井之上)


「うるせぇなぁ…、てめぇらみてぇなやつらにだけは、言われたくないぜ…」

「ならよ…、ほら…、もう1本あるからこれ使え…、これならフェアだろ?(笑)」


彼はニヤッと笑うと、そう言って予備の木刀を井之上の前に投げた。


カラン…。


地面に落ちた木刀を、井之上がゆっくりと拾う。

そして木刀を手にした井之上は、ニヤリと微笑んで彼に言った。


「ふふふ…、ばかめ…、俺は剣道有段者なんだよぉ!」(井之上)


「何!?」(彼)


「高校まで剣道部だった。大将を張ってたぜ…、へへへへへ…(笑)」(井之上)



※解説をしよう。

剣道の団体戦は、5人制で行われ、1番手が「先鋒」、2番手「次鋒」、3番手「中堅」、4番手「副将」、5番手が「大将」と呼ばれる。


先に3勝した方が勝ちとなるルールな為、「次鋒」と「副将」などは、そのチームの中では、比較的弱い者が配置される。


1番手の「先鋒」は、まず先手を取りたいという事で、強い者が配置されるが、後の者が負けては意味が無いので、1番強い者は「大将」か「中堅」におかれる。


だが「大将」がいくら強くても、その前に3対0で負ける可能性もあり、「大将」の役割は、あくまで2対2の状態で負けられないポジションである事から、「中堅」を1番の実力者に置くチームがわりと多い。


それは、1番手と2番手が連続で負けた場合、「中堅」が負ければ勝敗が決する為、「中堅」に1番強い者を配置するというワケなのである。



「お前は剣道経験者なんだろ?(笑)、だったら、大将が1番強いってのは分かるよな…?(笑)」(井之上)


「悪いが1番強いのは中堅だ…。そして俺は中堅だったぜ…」(彼)


「バカ野郎ッ!、大将が1番強ぇんだよッ!」(井之上)


「中堅だッ!、バカッ!」(彼)


「大将だろぉッ!、バカバカッ!」(井之上)


「中堅だッ!、この、バカバカバカッ!」(彼)


「なんだとぉ~ッ!?、このバカバカバカバカッ!」(井之上)


「このヤロウ~!、このバカバカバカバカバカッ!」(彼)


「なんか子供のケンカみたいになってますね…?、大丈夫かな?、こーさん…」

ヤスが隣で静観してるタカに言う。


「じゃあどっちが強ぇか、この場で証明してやるぜ!」

そう言うと井之上は、木刀を上段に、バッと構えたッ!


「うッ!」

それを見た彼が驚いた!



※解説をしよう。

上段の構えとは、剣を大きく振り上げて構える攻撃重視の形である。※日本剣道形の、「五行の構え」の1つで、別名「火の構え」とも云われる。


身長の高い者が使うと、より効果のある攻撃法となる。何故ならば、上段は左手1本で打ち下ろして来る攻撃の為、リーチが長ければ長いほど、遠い間合いに有効となるのだ。

間合いが遠ければ、当然、相手の剣は届かないというワケである。


上段の相手から1本奪う場合は、通常の技では難しい。相手が振り上げて構えている小手を遠くから狙うか、上段が打って来た面を、すり上げて、かわして面を打つ、すり上げ面、または突きが有効とされる。

突きの場合、通常は防具の面の顎部分の場所だけが有効ポイントとされるが、上段相手の対戦時のみ、防具の胴の胸を突く、「胸突き」という技が解禁される。


この様に、上段が相手というのは、普段自分があまり使い慣れていない技で勝負する事になるので、非常にやりづらいのである。


解説が長くなってしまったが、物語を元の場面に戻そう。


 上段に構えた井之上に対し、彼は間合いを十分に取りながら、剣道の全競技者90%が使う、正眼(中段)に構えた。


正眼の構えは別名、「水の構え」と言い、この構えを基点とすることで、戦闘中に発生する様々な状況の変化に対し、攻守共に素早く対応できる。


そして彼は正眼の構えから、平正眼の構えに移行する。

平正眼とは、中段の構えの者が上段を相手にする際、剣先を上げて右にずらし、相手の左小手に合わせる構えをする。この構えは、上段に対し有効とされる構えなのだ。



「ふッ…、セオリー通りで来たか…(笑)」

井之上はそう言うと、上段から左手1本で面を振り下ろすッ!


「そらぁッ!」(黒髪を振り乱だす井之上)


ブンッ!(振り降ろす音)


ガシッ!(彼が木刀で受け止める音)


(くそう…ッ!、竹刀と違って木刀だと、相打ち覚悟の技が出せんッ!)


剣道の試合なら身体に相手の竹刀が当たっても、ダメージは無いし、1本にもならないが、木刀や真剣の場合は、身体に当たれば、それが命取りになる。


こうして彼は、井之上が繰り出すリーチの長い上段からの打ち込みに、防戦一方となる。


「うらぁッ!」(黒髪を振り乱だす井之上)


ブンッ!(振り降ろす音)


「くッ!」(彼)


ガシッ!(彼が木刀で受け止める音)


バッと、素早く木刀を上段に戻す井之上。


「そらぁッ!、どうしたぁッ!?」(黒髪を振り乱だす井之上)


ブンッ!(振り降ろす音)


ガシッ!(彼が木刀で受け止める音)


「タッ…、タカさん、やばいッス!」

動揺するヤスが、隣に立つタカに言う。


「慌てンなヤスッ!」(タカ)


「で…、でも、押されてますよぉ…」(ヤス)


「お前、あの人が相手からイッパツ喰らったトコ見た事あるか…?」(タカ)


「いえ…」(首を左右に振るヤス)


「大丈夫だ…、あの人は、どんな手を使っても、必ず相手を倒す…そういう人だ…」(タカ)

タカがそうは言っても、彼が絶対的に不利な状況は変わらない。


「はぁ…」

ヤスはタカに、怪訝そうな顔でそう応えるのだった。


(くそうッ…、この間合いだと俺の剣が届かん…ッ、このままじゃやられる…、考えろ…、考えろ…)

防戦一方の彼が、上段から振り降ろして来る井之上の剣をかわしながら考える。


(やはり突きで行くべきか…ッ!?、しかしこの間合い…、果たして届くのかッ!?)

(外したら、やつの木刀が、俺の脳天を叩き割る事になる…ッ、しかし突きを決めれば、やつの喉を突き破り、相手を殺しちまう…ッ、う~んん…ッ!)


「おらぁッ!、どおしたぁッ!、逃げてばかりじゃ俺に勝てねぇぞッ!」

上段からの連続攻撃を繰り返す井之上が叫ぶ!


(ハッ!、そうか…、ははは…、ばかだな俺…。これは試合じゃねぇ…、果し合いだ)

(俺は剣道の試合で勝つ為の方法で戦ってた…。別に面や胴を決めなくたって良いんだ)

彼が攻撃をかわしながら、何かひらめく!


(これならやつより先に、俺の剣が届くッ!)

彼は、そう思うと喉ではなく、井之上の、みぞおち目がけて突きを放ったッ!


彼の左腕が伸びるッ!

片手1本の突きッ!

その突きは、井之上が剣を振り降ろす前に当たったッ!


ドスッ!(みぞおち!)

ガッ!(胸!)

ドスッ!(そしてまた、みぞおち!)


※1発目をみぞおちに命中させた彼は、その剣を素早く引き戻し、胸、またみぞおちと、流れる様な動作で突き技を連続で決めたッ!


「うげぇッ…!」

井之上が前のめりになって、苦しむ。


「どうだ!ローリングサンダーの威力は?、恐れ入ったか!?(笑)」

彼が苦しむ井之上に、ニヤリと言った。


「ローリングサンダーって…、“リングにかけろ”の、志那虎のコトすかぁ…?」(ヤスがタカに聞く)


「ははは…!、あの人らしいぜ…(笑)」

彼を見つめるタカが笑う。


※“ローリングサンダー”とは、少年ジャンプで連載していたマンガ、“リングにかけろ”の登場人物、志那虎一城の技である。

一瞬のうちに、左手1本で、顔面、顎、ボディにパンチを叩きこむ技である。


「うう…ッ、くそぉッ!」

苦しむ井之上は、そう言って再び上段に構えた。


「まだやる気か…?」(彼)


「同じ技は、もう喰らわん…ッ!」(井之上)


「分かってるよ…」

そう言うと、彼も再び正眼に構えた。


しばらく互いの動きを警戒しながら対峙する2人。

その時、井之上が口を開いた。


「おい…、お前、なぜあんとき、俺を仕留めなかった?」(上段に構えてる井之上が言う)


「あんとき…?」と正眼の彼。


「最初に、腹に喰らった突きで、俺は前に崩れた…。お前の正確な突きなら、あんときに、俺の喉を突き破れただろう…?」(井之上)


「俺は、お前の命を取ろうとは思っちゃいねぇ…。俺は、お前の身体の中にある、“悪しき心”と戦ってる…。それが、武士道精神ってモンだろぉ…?」(彼)


「ふ…、武士道精神か…、久々に聞くぜその言葉…。だがな…、おめぇの、その甘さが命取りになるって事を、今から教えてやるぜ…ッ」(井之上)


「ならば、そろそろ決着をつけよう…」

彼はそう言うと、木刀を脇に置き、居合抜きの構えに入った。


「あ!?…、なんだそりゃ?、ハッタリか…?」

井之上がそう言うのも無理はない。


日本剣道形における五行の構えは、上段構え、中段(正眼)構え、下段構え、八相の構え、脇構えであり、居合抜きの構えは無いからだ。

※居合抜きの構えは、居合道の中で使われる構えである。



そして、上段の井之上が、居合構えの彼に、じりじりと詰め寄る!

そこへ彼が、正面の井之上に対して身体を右側に傾けたと思いきや、瞬時に左側へ踏み込むッ!


井之上の懐に入った彼が、木刀の柄頭で井之上の脇腹を突くッ!


バキッ!


「ぐぁッ!」

あばらの折れた井之上は、そう言うと、ドスンと尻餅を着いた!


「ぐぅぅぅ…」

苦しそうに脇腹を押さえる井之上。

その井之上の顔の正面に、切っ先をピタリと突き付けた彼が言った。


「勝負ありだな…?」


※一瞬の出来事なので、何が起こったのか分からない方の為に、解説をしよう!


居合抜きの構えは、剣道でいうところの「胴」を狙う。剣道の胴技は、繰り出すときに正眼の構えから竹刀を横に移動して打つが、居合構えの場合は、初めから剣を横に構えているので、胴に当てる時間がより早くなる。

そういう事で、上段の井之上はガラ空きの胴を守る為、打ち急ぐ傾向になる。

彼は、まさにその習性を付いたのであった。


彼は正面に立つ井之上の右に出ると見せかけて、身体を右に軽く傾ける。しかしその動きはフェイントで、右に行くと見せかけて左へ飛び込んだのだ。


そのフェイントに迷った井之上は、上段のままで木刀を振り降ろすタイミングが一瞬遅れる。振り降ろそうとした時には、もう彼は井之上の懐に入っていた為、上段から打ち下ろす事が出来ないのであった。


一方、彼の方も間合いが近すぎて、居合抜きが出来ないが、そのまま木刀を振り抜く事によって、木刀の柄でガラ空きの脇腹を打ち抜いたのだ。


剣道の試合では1本にならない技であるが、実戦や真剣を想定した居合道においては、この様な技も実在する。



「ぐぅぅ…、やれッ!…」


痛みで、脇腹を押さえて座り込んでいる井之上は、「とどめを刺せ」という意味で、木刀の切っ先を向けている彼に言った。


すると彼は、井之上に向けていた木刀を、スッ…と解くのであった。


「……ッ!?」

井之上が驚いて、彼を見つめる。


「勝負は決した…。無抵抗の者に、これ以上やる必要はない…」

そう言うと彼は、木刀を脇におさめた。


「ふっ…、それも武士道精神かい?、まったく…、どこまでも甘いヤロウだぜ…(苦笑)」

そう言った井之上を、彼は無言で見下ろしている。


「俺の負けだ…。消えな…」(井之上)


「なぁ…、お前は何で、あそこまで剣道の実力があるのに、サドンデスなんかにいるんだ…?」

座り込んでいる井之上に、彼が尋ねた。


「俺は、以前、ジンさんとタイマンやって負けたんだ…。その時、あの人が俺の事を認めてくれて、サドンデスに誘ってくれたんだ…」


井之上の言葉を、彼は黙って聞いていた。


「俺はその時、この人は、何て器の大きい人なんだと思ったよ…。男が男に惚れたっていうのかな…?、以来、俺はサドンデスえで行動を共にしている…」

「分かるか?、男が男に惚れるって意味がよ…?」


井之上が、正面に立っている彼に言う。


「分かるよ…。つまりお前は、ホモになったんだろ?」(彼)


「ちがぁぁ~~うッ!(怒)…、あッ!、つつつ…ッ」

大きな声を出した井之上が、痛む脇腹を押さえる。


「自分でやっといて言うのもなんだが、大丈夫か…?」

彼が井之上をねぎらう。


「なぁ…、頼みがある…」

そう言った彼に、井之上が顔を上げて言った。


「頼み…?」(彼)


「悪いが、俺も不意討ちを喰らって、オメエにやられた事にしてくれねぇか…?」(井之上)


井之上の話を黙って聞いている彼。


「真向勝負で…、しかも得意の木刀を使って、俺が負けたとなると、俺はサドンデスの看板を汚したという事で、ジンさんにヤキを入れられちまう…」


「だから、俺は油断してたところを、オメェにやられたという事にしといてくれねぇか…?、その代わり、俺はお前の事は話さん…、不意討ち喰らって顔も見てねぇんだからな…」


井之上が、そう言い終えると、彼は「好きにしな…」と言って、その場から立ち去ろうとした。


「待て!」

(そう呼び止める井之上に、彼が「ん!?」と振り返る。


「お前…、ホンキでサドンデスとヤル気なのか…?、ジンさんと、ホンキで戦うつもりなのか…?」(井之上)


「ああ…、そうだ。俺は、どうしても奴とは、戦わなきゃならねぇ…」(彼)


「そうか…。なぁ、お前…。俺やニトベが渋谷でヤラレたとなると、恐らくサドンデスの連中は、渋谷に集結してくるぞ…」

「そして、次に渋谷に来るのは、栗谷になるだろう…」


井之上が彼に言う。


「クリヤ…?」(彼)


「サドンデスのドラムスだ…。あいつは、勝つ為には手段を選ばない、えげつない男だ…」

「クリヤに気をつけろ…。お前の、その甘さが、本当に命取りになるかも知れねぇぞ…」


井之上がそう言い終えると、彼は、「心しておくよ…」と呟き、踵を返す。


「タカ…、ヤス…、帰るぞ…」

彼が2人にそう言うと、彼らは「うす…」と言って頷く。

そして3人は、井之上を空き地に残し、その場から去って行くのであった。


まだ少しだけ肌寒い、ネオンが輝く渋谷の夜であった。


…… to be continued.





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