第一章の一
第一章の一
「私に戦場以外の場所で死ねと仰るのですかッ!」
謁見場と呼ばれる、玉座のある広い部屋。戦争や災害など、国を揺るがす事態に直面した際には、総司令室ともなる。
玉座の前に置かれた大きな机には、走り書きが落とされた幾枚もの地図が広げられ、地図への書き込みに使ったであろう筆が数本置かれている。
普段人の出入りがない謁見場は、まさにこのとき、総司令室の様相を呈していた。
机を囲むようにして並ぶ者たちの服装は様々だが、どれも一般的に身に付けられるものとは一線を画す質のもので、非常に階級の高い騎士や貴族であることが窺える。
机から一段高い位置に玉座が置かれ、側近二人を両脇に従えた国王が座っている。
作戦会議中の総司令室は机を囲んだ者たちの話し声や背後で慌ただしく動き回る騎士たちで騒然としているが、今は発言する者は無く、騎士たちの動きもない。
一人、入り口の扉に背を向け、玉座に相対する騎士の格好をした女の声が響く。滑らかな金髪は肩の上で切り揃えられ、はっきりとした目鼻立ちは普段であれば凜とした印象を受けるだろう。しかし、この場においては、怒りとも悲しみともとれる必死の形相であった。
「あの島——バッドステータス・エデンは、人間が生き延びることが出来ない場所だというのは誰でも知っていることです! 今まで、あの島に人が住んでいるなどという話は聞いたことがありませんッ!」
「カレン副騎士団長! 王への不敬は死罪に値するぞ!」
カレンから見て、王座の左脇に控える長身の男が声を上げる。長身から見下ろされる切れ長の目に、カレンはしかし、怯えることはなかった。
「ならば戦場の最前線へ送り込み、それをもって死罪としてください!」
「貴様、王命に背くというのかッ!」
「……よい、ロック近衛騎士団長」
今にも腰に下げた剣に手をかけようかという剣幕のロックを、グランド王国国王、グレン・グランドは諫める。
「しかしッ」
「ロック・クロックローレン。余はよいと言ったぞ。今はまだ王命を下しているところである。下がりなさい」
「……失礼、いたしました」
前のめりになっていた上体を起こし、ロックは一歩後ろへと下がる。しかし、切れ長の双眸をさらに薄くし、依然として厳しい視線をカレンに向けている。
「さて、カレン副騎士団長。まずは説明が不足していたことを詫びよう」
「ッ……グレン国王陛下。無礼を、どうかお許しください」
激情に任せ立ち上がっていたカレンは、グレンの言葉に冷静さを取り戻し、再び片膝をつく。
「なに、非はこちらにある。事が事である。急がば回れという、先人の知恵を重視せねばならなかったな。先ほどの副騎士団長の発言は、水に流すこととする。ただし、これより発する余の言葉は心して聞くがよい」
「寛大な御心、感謝いたします」
「うむ……では、順を追って話すとしよう。
カレン副騎士団長。前線で指揮を執るそなたの目から見て、此度の侵攻はどう映る」
「……魔族の数、強さともに今までになく、戦線は徐々に押されています」
「ふむ、問い方が悪かったようだな。魔族の侵攻を防ぎきる見込みは、あると思うか」
「……」
グレンは国王であると同時に、この場においては国衛軍総司令でもある。戦況について、誰よりも多くの情報を有していることは、カレンも当然、知っていた。グレンの問いかけの真意は初めの問いかけで理解していたが、持ち合わせた答えを、カレンは口にする事ができなかった。
「副騎士団長の沈黙……か。我が国の置かれている状況を何よりも物語っていると言えるな」
元より張り詰めいた空気が、さらに緊張を高めていく。
カレンは、グレンの言葉を待つ。この国、グランド王国の危機を正しく理解し、なおも国王は冷静に言葉を紡いでいる。すなわち、先ほどカレンに下した王命は、国を救う手段であるはずなのだ。
「周辺国への援軍要請は出した。だが、どの国もいつ魔族の侵攻を受けるか分からない状況だ。我が国は高い軍力が知られている国。アーク軍国の前例もある。援軍を充てにするべきではない」
アーク軍国——半年ほど前に滅んだ国だ。アーク軍国は魔族の支配する領域に面している。魔王の誕生後、魔族の侵攻を食い止める砦として、多くの国から金銭面での援助を受けて急成長を遂げた。潤沢な資金をもって開発、編成された飛行船艦隊を擁する軍事力により、発言力が増していった。
これを快く思わなかったのが、もともと強国と言われていた国々だ。次々に援助を凍結し、資金繰りに窮したアーク軍国は内部から崩壊した。さらに魔族から追い打ちの侵攻を受け、アーク軍国は滅んだ。
グランド王国は、アーク軍国に隣接した場所にある。半年前の侵攻では当時の副騎士団長率いる一軍隊を派遣したが、アーク軍国とともに全滅した。高い軍事力が知られるグランド王国だが、強国に比べれば層は薄い。副騎士団長を含む一軍隊を失うことは大きな打撃だった。
そして今は、グランド王国が魔族から侵攻を受けている。アーク軍国と違い、強国からは資金援助の申し出すら無かった。そのような国々から、今更軍事支援があるとは到底思えない。
加えて、近年は魔人が移動魔法を使い前線三国以外に現れることも報告されている。自国の警備の強化の優先が、支援拒否の建前となっている。
「アーク軍国のように、自国を脅かす力を持つことを恐れた、ということでしょうか」
「それらしい建前を並べてはいるが、本心はそういうことだろう。強国であれば単独の魔人であればそれなりの余裕を持って退けられる力があるというのに。我が国と同じ前線三国のニグト隊国はともかく、他の強国は事態の重さが理解できていないとみえる」
グレンの目が細まり、鋭さを帯びる。支援を求め、八方手を尽くしたのだろう。滲み出る無念さを、カレンは感じ取った。
「それで……バッドステータス・エデンの"墓守"、ですか……? ムエルトには毒王イズンがいるはずです。災厄の足下で、人が生きることは出来ないと思いますが……」
毒王イズン。ムエルトに君臨する討伐難易度が最高ランクのSに分類される魔物である。
政を行う組織の間では、"災厄"とも呼ばれる、専らの人にとっては魔王よりも身近な絶対的な危険である。
「ふむ。当然の疑問である。……宰相」
「はい」
玉座の右脇に控える宰相がグレンへ体を向ける。
「墓守の説明を頼めるか」
「かしこまりました」
宰相は一礼した後、カレンへと体の向きを変える。
ハバク・バックル宰相——グレンの側近であり、グランド王国の二番目の地位に座る男である。
白が混じる髪や顔に刻まれた皺は、相当な年月を生きたことを示しているが、背筋は伸び、はっきりと言葉を発する姿から、それほど高くない身長以上の威厳を感じる。
「毒王イズンは、ムエルトより外には影響を及ぼさないと言われております。
ですが、相手は魔物。副騎士団長殿もご存じかと思いますが、定期的にムエルト周辺の海域を調査する調査隊を派遣しております」
「はい。調査隊のことは存じております。近衛騎士団の騎士で構成されている、という程度ですが」
災厄と呼ばれる魔物は、強すぎる力を持つ代わりに、自我を失い、自然と一体化したような存在となる。
毒王イズンはひとつの島のみを影響範囲とし、一年に一度、毎年決まった七日間のみ出現し、島を猛毒で満たしていく。
島の中は人間が生きられるような環境ではないが、見方を変えると、どれだけ近付いても島の外であれば安全だった。
記録の残る中ではイズンが島外へ影響を及ぼしたことはないらしい。だが、災厄の中には自我は無くとも移動するものが存在する。島外への影響を警戒するのは当然のことだった。
「調査隊は、海上からの索敵魔法によるイズンの発生の確認と、発生後の海の水質など、周辺への影響調査を行っています」
索敵魔法は、一定の範囲内にいる魔物を認識することができる魔法である。
調査方法は国民には公開されていない。カレンも初めて知ることだった。
「調査隊が異常を確認したのは十年前に遡ります。イズンが発生したその日のうちに、反応が消失しました」
「消失……?」
「はい。発生まではそれまでの例年と同じでしたが、発生した日に反応が消滅したのです。長い調査期間の中で、これは初めてのことでした」
カレンは顔をしかめる。それは明らかな異常だ。なぜ、広く知らせなかったのか。
その表情で汲み取ってか、ハバクは言葉を続ける。
「通常、調査期間はイズンの反応が消えるまでの七日間のみですが、期間を延長して調査隊は海上で待機しました。
結果、異常を確認したのはイズンの消滅のみで、周辺の海域の異常は確認されませんでした。
このため、余計な混乱を避けるために国民への公表は行わなかったのです」
せめて、騎士団の上層部である団長や自分には伝えるべきだったのではないかと、カレンは考えるが、聞かされたところでどうしようもない事柄でもあった。
「翌年の調査でも、イズンは例年通り発生しましたが、この年は発生の翌日に消滅しました。
その後、発生から消滅までの時間が年々短くなっており、今ではおよそ1時間程度で消滅しています」
災厄には様々な性質があることをカレンは知っている。だが、周期を持つ災厄が、外的要因無くしてその周期を崩すことは無いはずだ。
「異常発生の年を含めた2年間の観測で、発生時の魔力の反応がこれまでと変わらないことから、イズンの弱体化の可能性は低いと判断しました、また、イズンに匹敵する魔物の存在も確認できませんでした。
そこで、さらに翌年。今から8年前になりますが、調査隊に、捜索魔法を使える者を参加させました」
「捜索魔法……?」
魔物や魔人など、周囲に存在する魔石をコアとする生物の情報が入手できる索敵魔法に対し、
捜索魔法は人間の情報を入手できる魔法だ。
捜索魔法の使い手を連れて行ったということは、つまり、バッドステータス・エデンに人間がいるという可能性を考慮したということだ。
カレンは、目を見開く。
「あったのですか、反応が」
ハバクが頷く。
「はい。少なくとも8年——おそらくは10年もの間、島に居続けています。あの島に長く滞在できる、それだけで強大な力を持っていると言えます。
あまりに常識から外れていることではありますが、その者が毒王イズンを討伐している可能性が高いと考えています」
本当に、あの島に人間がいるのか。しかも10年に渡って。偽りはないと理解していても、信じることはできなかった。
「接触を……試みたことはあるのでしょうか?」
カレンの疑問に、ハバクは首を横に振る。
「度々議論には挙がっていましたが、実行はされていません。リスクが大きすぎるのです」
「リスク……ですか?」
「イズンを倒せる者であれば、いえ、エデンを生き残れるような者であれば、調査隊を全滅させることなど容易です。船を残していけば、大陸に上陸してしまう可能性も充分に考えられます」
エデンに踏み入れることは、ほとんどの人にとって、即ち死を意味する。
島のあらゆる物が毒に侵され、高レベルかつ状態異常攻撃を放つ魔物が跋扈しているからだ。
エデンというダンジョンの存在が確認されて以降、多くの冒険者が島に殺到した。
ダンジョンとは、ごくごく稀に発生する、魔素を多く含み、魔物を発生させるエリアのことである。
ダンジョンは、地上、地下問わすとこでも発生し、発生する時期や場所を予測することは現在できていない。
ダンジョンが発生した際、その地がどこかの領地内である場合は、そのまま領主が所有することになる。一方で、空や海などに発生した場合は、ダンジョンボスを討伐した国が所有できることになっている。ダンジョンは魔物が発生するため危険を伴うが、豊富な資源を有するため、所有するダンジョンの数が即ち国力とみる向きもある。
エデンは海上に島として発生したダンジョンであり、各国がこぞって高額の調査クエストを発注したことで、冒険者が殺到したのである。
しかし、その冒険者たちは、帰って来なかった。
ついには、世界でも数組しか存在しない最上位のA級冒険者が調査に向かったが、ダンジョンボスまでは到達したものの、討伐できずに数を半分に減らして帰還した。
島の情報を持ち帰ることができたのは後にも先にもこのときだけであり、現在知られている島の情報はこのA級冒険者たちの証言のみである。ちなみに、帰還した者も毒に侵されており、数日の内に死んだらしい。
このような経過を経て、エデンが最高ランクのS級危険区域に指定されているのは、世界中に知れ渡っている事実である。
その後は、島に一番近いという理由でグランド王国が管理を押しつけられた。
王国は現在でも冒険者へ向けて調査クエストが発注しているが、受ける者がいないため、軍により遠巻きから観測のみを行なっているのが現状である。
そんな島の踏査など、受ける人物がいなかった、というのが本当の理由だろう、とカレンは言いたかったが、カレンに同様の命令が出されているなかで、そのようなことが言えないのは分かりきっている。捜索魔法は、魔法王国ウィズのトップレベルでないと、名前やレベルなどの正確な情報が分からないため、高位の魔人等による隠蔽の可能性が否定できないのも事実だろう。
ハバクが再び口を開く。
「ですが、副騎士団長殿も前線で状況をご覧の通り、現在はそのリスクを負ってでも"賭け"に出なければいけない段階です。あなたへ向ける言葉として、賭けというのは、非常に悪い表現であることは重々承知で申しております。ただ、半端な者では賭けにすらならないでしょう。そこで、どうか、あなたにお願いしたいのです」
島の面積はそれなりに広い。目的の人物に会うためには少なくとも数日は生き残る見込みがなければどうしようもない。ただ、現在も魔物の侵攻は続いているため、前線の指揮を執る騎士団長や、国王の守護が最優先である近衛騎士団はこの任務には向かえない。
自分が適任者であることを、カレンも理解していた。
国衛騎士団の副騎士団長として、断る理由は最早無かった。
国王が姿勢を正し、口を開く。
「では、もう一度命令する。モルス・イーラへ向かい、バッドステータス・エデンの墓守をこの場に連行せよ」
カレンは深く頭を垂れる。
「拝命、いたします」