第八節「変人が変人を引き寄せるのはもう一種の呪いだと思う」
聞き込みを終えた俺たちは、本館と別館の間にある中庭のベンチにて一時休憩をすることにした。
正直に言えば、休憩という名の行き詰まりである。
調査をしてみても、これと言って確かな証拠はつかめず、怪しい行動をしていた人間を突き止めることもできなかった。動機がある人間はそこそこいたが、そのどれもがピンとこない。過去の一件で妬みを抱えていたかもしれない西城先生も、事故が起きたあとに先生を呼びにいった一年生部員の証言によりアリバイが証明された。
格技場は本館に隣接する体育館を抜けた先に位置し、距離的に屋上から一番遠い場所にある。屋外通路に出たあとに無理やり昇降口に向かい、そこから屋上に上ることはできるが、そんなことをすれば昇降口前のベンチに座っていた俺はその人物を目撃しているはずなのだ。
これといった人物が浮上しなかった今、俺たちは次に調べるべきことがわからなくなっていた。
「そろそろ魔導書の出番かなぁ」
蛍が小さくつぶやき、俺は耳を疑った。蛍から発せられた「魔導書」という言葉を、俺は一度も現実で聞いたことはない。
驚きつつ蛍のほうを見ると、蛍はベンチにもたれかかり、背を大きくそらして空を見上げていた。
「いやあの、ごめん。なに言ってんの?」
「その言葉の通りだよ夏目君。そろそろ魔導書の出番さ」
蛍はそう言い放ってベンチから立ち上がった。そして、足早に校舎の中へと歩いて行ってしまった。
そうか、このあと有名な異世界転生でもするのか。そんな冗談を心の中で思いながら、俺は蛍を追いかけた。
〇
今、俺に置かれている状況を説明しよう。
黒いカーテンが閉められ、光を通さなくなった真っ暗な室内。頼れる明かりは俺の目の前のテーブルに置かれているろうそくの灯だけ。床には赤いなにかで書かれた魔法陣のようなものが書かれており、壁に面した棚には水晶のドクロやずんぐりむっくりな土偶などの気味の悪い物品が飾られている。
そして、極めつけは俺と対面で座っている人間。フード付きのローブを着ているために顔は見えない。テーブルの上に置かれた真ん丸の水晶に手をかざしてなにやら怪しげな呪文をぶつぶつ唱えている。
「魔導書とってくるから、先にいっててくれないかい?」
ここに来る前、蛍は場所と、この一言だけを伝えて図書準備室へと向かっていった。
その場所は「桜嘉高校オカルト研究部」
ひとりでここに来るのはなかなかの勇気が必要だった。現に、オカ研のドアの前で数十秒ジタバタしていたが、そうしていてもしょうがないと覚悟を決めてオカ研へと足を踏み入れた。
その後、ローブを着た人に無言で椅子に座るように促され、その人間は対面の椅子に座り、ただただ水晶に手をかざして呪文を唱え続けられるという今の状況が完成した。
これほどまでに他人の存在が恋しく思ったことはない。いや、厳密に言えば他人は目の前に座っているのだが、その他人を恋しく思えるほど俺の肝は据わっていなかった。
数分の苦行を得て、俺はやっと解放されることになる。
「待たせたね夏目君」
後方から光が差し込み、蛍の声が聞こえた。うしろを振り返ると、胴体半分ほどの大きさの本を持った救世主神野蛍がいたのだ。光の関係で後光もさしている。
蛍が登場したことで、目の前のフード人間は呪文を唱えるのをやめた。
「遅いんだよコノヤロー!」
俺は腹の底から蛍に叫んだ。
「ごめんごめん。どこにしまったか忘れちゃってさ。そこの先輩、怖かったでしょ」
蛍はオカ研の部室に入り、俺たちの横を通り過ぎると、閉じ切っていた黒いカーテンをがばっと開け放った。そして、俺たちのほうへ向き直るとテーブルの横に来て手に持っていた本をテーブルに置いた。
「立花先輩も早くそれ脱いだらどうですか?暑いでしょ、それ」
立花先輩と呼ばれたフード人間はこの間、見事に静止していた。そして、不敵な笑みを浮かべる。
そして、彼はやっとフードをとった。
「はぁ~!暑かったぁ~!」
フードをとった流れで立花先輩はローブも一緒に脱いでうしろに放った。
立花先輩の後ろ髪は襟が隠れるぐらいまであり、薄いカーキのような色をしている。少し天パなのか若干のカールがかかっているため、どこかふわふわとした不思議な印象を受けるが、同時に銀縁のシャープなメガネがどこか知的な雰囲気も醸し出していた。
立花先輩はメガネをクイッと上げて、テーブルの上の本を見る。
「へえ、これが約束の魔導書か。意外に良いつくりだね」
立花先輩はどこから取り出したのか小さなルーペをもって、キラキラとした目で魔導書を見ていた。
俺は唖然として半開きの口を閉ざせない。数分前のオカルトじみた雰囲気とのギャッぷを受け入れられずにいると、その様子に気づいた立花先輩が俺のほうに向きなおった。
「すまないね。まったく気が利いてなかったよ。まずは自己紹介だ。僕の名前は立花伊織。桜花高校の三年生であり、このオカルト研究部の部長だ。ちなみに、この名探偵の情報屋でもあるんだよ」
情報屋と言った立花先輩は蛍と俺を交互に見て微笑んだ。
「剣道部の事前情報はこの立花先輩に聞いたんだ。西城先生の過去もね。つまり、本当にすごいのはこのオカ研の部長というわけだ」
蛍が調査を一日遅らせたのはこのためだった。俺たちが蛍に依頼をしに行った日の放課後、彼は立花先輩のもとを訪れて情報を仕入れていたのだ。
「まぁ、でも、僕の情報はタダじゃないんだけどね」
立花先輩が笑顔で言った。
「金とるんですか!?」
「お金なんていらないよぉ~僕が欲しいのはコレさ」
立花先輩はテーブルの上の魔導書を指さした。
「魔導書……ってやつですか」
「魔導書っていうか、こういうオカルティックな品々だね」
立花先輩はポケットから手袋を取り出す。そしてそれを両手にはめると、魔導書を開いてみせた。
「これって本物ですか?」
俺は立花先輩に問いかける。
「うーん。どうかなぁ。正直なところ、本物かどうかはどうでもいいんだ。もちろん、本物に越したことはないけど、こういうオカルティックな珍品は、たとえ贋作であっても、摩訶不思議なモノがついているもんなんだ。そういうモノを作るという時点できっとなにか不思議な力がうごめくんだろうね。だから僕は情報の代わりにこういうものを求める。まぁでも、蛍くんがオカルト研究部に入ってくれたら別にタダで教えてあげてもいいんだけどな」
立花先輩が蛍に向かって微笑みかける。蛍は立花先輩と目を合わせないように、窓の方向を見てまぶしい顔をしていた。
「丁重にお断りします。ところで、先輩。なにか追加の情報はありませんか?」
立花先輩はふふんと小さく声を漏らして胸ポケットからメモ帳を取り出した。そして、そのメモ帳をパラパラとめくり、付箋が貼ってあるところで手を止めた。
「蛍くんに言われて事故当日のことを色々調べてみたよ。ほとんどは関係なさそうな情報だったけどね。校舎裏で不良グループの喧嘩があったとか、保健室のタオルの備蓄が数枚消えていたとか。でも、その中でひとつだけ有力な情報があったよ。それは『事故が起こる直前に屋上に人がいた』という情報だ」
立花先輩の話を聞いて、思わず俺は「えっ」と声を漏らした。
「さすがです。先輩なら、その人物が誰かも突き止めてるんですよね?」
蛍の言葉を受けて、立花先輩が「もちろん」と笑顔で答えた。屋上に人がいた。つまり、その人物が犯人の可能性が高い。
俺は立花先輩の次の言葉を待った。
「その人物は、鳥越五郎この学校の用務員さんだ」
「え……用務員さん……ですか?」
そのとき、俺と蛍と立花先輩との間に、微妙な雰囲気が流れた。