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桜嘉高校推理部のひまつぶし手帖  作者: 下鴨哲生
第一集「夢破れた少年」
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第五節「壊されたって言うんじゃなくて」

 俺たちは教室棟一階の会議室に訪れた。目の前のテーブルには「剣道部 夏目剣志 全国大会出場!」と書かれた懸垂幕が二つ折りになって置かれている。

「なんか、複雑な気分だ」

 この懸垂幕はまさしく俺の功績を称えるものだ。そして同時に、俺の功績を奪ったものだ。素材はただの布であるというのに、ここまで人の心をえぐってくるのか。


 蛍は懸垂幕をしっかりと観察している。

「なるほど、素材はメッシュターポリン。高所での利用を想定して風に強く、普通のターポリン素材よりも重さが軽い素材を使っている。懸垂(けんすい)の方式はポールとロープを使った構造か……こういうものは懸垂装置をきちんと使うだろうに。こういうとこだけケチるんだからな。しかし、よかったね。もし、これがメッシュじゃなく普通のターポリンだったら懸垂幕自体の重さが増えていたし、この懸垂幕の端にあるポールもスチールかと思いきやアルミ素材だ。もし、スチールであったならば、足のケガはもっと深刻化していただろうね。またひとつ、偶然が増えてしまった」

 蛍の言ったことはその通りだと自分でも分かっているが、この事故に関わることで「よかったね」と言われたことは、正直(こころよ)く思えない。

「それにしても、皮肉なもんだね。まさか自分の健闘(けんとう)を称えるはずのモノに自分を壊されちゃうなんて。前世で何か悪いことでもしちゃったのかな、夏目君は」

 蛍は決して挑発しているわけではない。彼の口調は穏やか、というよりどこか抜けた緩い雰囲気を(かも)し出している。

 しかし、彼は人への配慮さえも緩いように思えた。歯に衣着せぬと言った感じで、事故にあった俺に対して端的言えば、軽い。

 そんな彼に対して、俺は小さな憤りを覚えてしまった。


「前世だなんだは知らないけど、俺はなにも悪いことなんかしちゃいない。それなのに、こんなことに巻き込まれてしまった。君には感謝してる。まだ始まったばかりだが、俺の事故を調べてくれて。でも、頼むからこの事故に関することでふざけたことを言うのはやめてくれないか」


 俺がもう少し、余裕を持てていたらよかったのかもしれない。でも、そのときの俺には、蛍の小さなおふざけさえ許すことができなかったらしい。 

 俺が話している間、蛍はただじっと俺の方を見ていた。表情は柔らかい。うっすらと微笑を帯びている。小さくうなずきながら、彼は黙って俺の話を聞いていた。

「そうだね。少し配慮が足りてなかったかもしれない。でもさ、本当に『ふざけた』ことをしているのはどっちなのかな」

 蛍の言っている意味が理解できなかった。「どっち」という言葉の対象は恐らく蛍と……俺。であるなら、彼は俺に対して「ふざけている」と言っているのか。

 俺は少し顔をしかめながら、小さく首を傾げた。

「君の足、どうやら後遺症はあるものの剣道が続けられないということではないらしいね」

「どうして、それを知っているんだ」

 俺は思わず、驚嘆(きょうたん)の声を上げた。そのことを蛍に話した覚えはない。

「どうして知っているかなんて問題じゃない。問題は、君は致命的な後遺症がないのになぜ全てを壊されたと思っているか。それは、『完全じゃないという考えに縛られているから』じゃないのかな?」

 俺は思わず、驚嘆の声を上げた。そのことを蛍に話した覚えはない。

「どうして知っているかなんて問題じゃない。問題は、君は致命的な後遺症がないのになぜ全てを壊されたと思っているか。それは、『完全じゃないという考えに縛られているから』じゃないのかな?」


 以前、英人に「剣道を続けるのか」と聞かれた時、「やらない」と答えた。

 それは「できない」じゃなくて「やらない」だった。

 俺は全国大会に行けるほどの実力を持っていた。頑張って、頑張って頑張って。たくさんの努力を経て勝ち取った力。しかし、その力が傷ついた。


「君は『夢』に向かって邁進してきた。全力で。全開で。しかし今回のことで以前のような全力は出せなくなった。君はギャップについていけなくて、自分を認められなかった。でも、ゼロになったわけじゃない。百が八十か六十になっただけ。それで君は壊されたと言う。でもそれって、壊されたって言うんじゃなくて」

「もういい」

 俺は蛍の話を無理やり切った。その先は何となくわかっている。


 「パンッ」と音を立てながら、蛍は両手を合わせた。

「さて!自分の気持ちに向かい合い始めたところで朗報だよ」

 俺は蛍のその言葉に固唾(かたず)をのむ。蛍は懸垂幕を掛けるのに使われたロープの先端をつかんで見せた。

「いいかな。この切れたロープの断面がまっすぐ綺麗に整っている。もし、劣化によってロープが切れたのなら、どんな切れ方をしても断面はもう少しバサバサっとなるはずだろ?このように綺麗に切れているということは、ハサミなりニッパなりナイフなりの鋭利なもので一気に切れたことになる」

「ということは、誰かが故意でロープを切ったってことか」

「その通り。つまり、これは、小さな偶然を積み重ねた犯人による、れっきとした事件だ」

 蛍は瞬きをして小さく笑った。

 俺は諦めていた。事故の真相を明かすことも、剣道も。しかし、そのひとつは神野蛍という高校生によって解決する(きざ)しが見えた。

 彼にとって、これはただのひまつぶしなのだと思う。だが、このひまつぶしは、俺にとって事件の解決以上に重要なことなのだと思えてならない。

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