第三節「夢、壊れた日」
全国大会前ということで、その日の部活は早めに切り上げられた。さすがに全国大会となれば学校を上げての大イベントとなる。関係のない生徒たちも応援に行くということで、学校自体も早く終わり、俺は久しぶりに明るい時間に帰ることになった。
俺は美香を待った。別に友達がいないわけでもないし、一人で帰るのも別に構わない。ただ、帰る方向が同じだし、同じ部活だし、一緒に帰らないとなぜか怒られる。そういった理由から、いつも一緒に帰宅していた。二人一緒に部活を出なかったときは、昇降口前のベンチで待ち合わせをして帰っている。
その日、美香は保健委員の仕事があると言っていた。無理を言って部活に出たから顔だけでも出しておきたいと。こっちは翌日の全国大会に備えて早く帰りたかったが、ここで先に帰って文句を言われるほうが面倒だ。
「ごめんごめん。遅くなっちゃったね」
美香が来たのは十六時四十分。あまりにも待っていたため、定期的にスマホを確認していたから確かだ。顔を出すだけと聞いたから十分もしないうちに来るだろうと思っていたが、一時間近く待った。女の子特有の長話というやつだろう。なぜそんなに話が持つのかわからない。
「遅すぎる。明日大会なんだから早く帰らせてくれ……」
「はいはい。じゃあ、お望み通り帰ろっか」
ベンチから立ち上がり、カバンを手に持った時、美香が自分のカバンの中を漁りながら「あっごめん」と言ってきた。どうやら何かを探しているようだ。
「保健室に忘れ物したみたい。ちょっと取ってくるね」
まだ待つのか。勘弁してほしい。
「ごめん!これで許して!」
美香は俺の頬にキスをした。正直驚いた。美香からそんなことをされたのは初めてだった。
文句を言おうとしたが、すでに美香は走り出している。俺は諦めてもう一度ベンチに座りなおした。
その時だった。
「剣志!危ないっ!上っ!」
美香の叫び声が聞こえた。俺はその声に反応して上を見る。次の瞬間、バチンッという音が聞こえたかと思うと懸垂幕が落ちてくるのが見えた。そう、文字通り、俺には見えていた。落ちてくる懸垂幕と屋上にいた「と思われる」人影が。「決定的瞬間」に突然出くわしたとき、世界がスローモーションで見えるという。その瞬間はまさにその「決定的瞬間」だった。
その先はよく覚えていない。俺の足は懸垂幕の下敷きとなった。美香の一声で少しは動くことができたため、頭に直撃する事態は免れた。しかし、あまりの痛さに俺はだんだんと意識を失っていく。朦朧とする意識の中、覚えているのは美香の泣き声と、それに集まってくる先生と生徒。そして、屋上に見えた"かもしれない"人影。俺は救急車に運ばれて、気づいたら病室のベッドの上。一週間ほど安静にと病室へ閉じ込められ、いつのまにか全国大会は終わっていた。挙句の果てに足は元通りには戻らないと告げられ、その後、松葉杖をつきながら学校へと戻り、今に至る。
全てがあっという間に過ぎ、あっという間に俺のすべてをかっさらっていったのだ。
〇
「というのが、事故が起きた日の大体の出来事だけど」
俺は自分の身に起きたことを蛍に話した。話を聞いている最中、蛍は足を組みながら話を聞いていた。
「意外と話短いんだね」
「最初の感想がそれかよ」
思わず心の声が出てしまった。
「1時間も話してたかな私」
「お前も気になるのそこかよ」
俺が美香にくすくすと笑われている間、蛍はテーブルの上の茶菓子を頬張っていた。
「あの、俺の話ちゃんと聞いてました?」
蛍に問いかける。
「ん?ふぁあ、ふぃいてたよ」
「とりあえず口の中のもの処理してから喋ってください」
美香に出したはずのもうひとつの紅茶を飲み干し、「ふぅ」と一息つくと自慢気な顔で蛍はこう言った。
「この依頼、引き受けるよ」
いや、いきなりすぎる。もうちょっとなにか前置きがないものか。
「ちょっと待て。さっきまで興味なさそうだったのになぜ引き受ける気になった」
美香も同じ気持ちだったと思う。実際に声を発していなくとも「え?」という言葉が顔にかいてある。
「俺は事故なんてもんを調べるつもりはないよ。そんなの時間の無駄だもの。しかし、君の話を聞いて、ただ一点だけ気になった部分がある」
「気になった部分?」
美香は聞き返した。蛍は口角を少しあげて、こう言った。
「偶然が《《重なりすぎている》》」
偶然が……重なりすぎている?
それが事故というものではないのだろうか。偶然起きた悪い出来事。それが今更なんだというのか。
「確かに、事故というのは"思わず生じた不慮の事態"まさに偶然というやつだ。ただ、今回は事故という大きな偶然のために3つの小さな偶然が干渉している。それじゃあまず、夏目君が話してくれたことを整理し簡単にしてみようか」
三つの小さな偶然。"事故"や"災難"といった自分にとって大きく関わりのある要因に気を取られすぎて、そんなものを探そうとすらしなかった。というより、そんなもの普通探さない。彼は、俺の話の「屋上に誰かを見た」ということや事故そのものではなく、そんな”小さなこと”に興味があるようだ。
何一つ反応を示せない俺たちをよそに蛍は話を続ける。
「君に起きた災難を誰かによって故意に起こされたものではないと仮定すると、君は『偶然昇降口前のベンチで待ち合わせをしていたら、偶然恋人が忘れ物をしたために立ち往生。その結果、偶然懸垂幕が落ちてきて、偶然それが頭ではなく足にあたったために命に別状がなかったわけだ』偶然って言葉四回も使ったよゲシュタルト崩壊起こしちゃうね」
ケガだけで済んだという文言は少し引っ掛かる部分があったが、蛍の語ったことは的を射ていた。確かに、今回の出来事はタイミングが良すぎた部分が多々ある。
「別に美香は恋人じゃない」
「そういうところは細かいんだね」
「奇人に言われたくない」
蛍と無駄なやり取りを繰り広げている間、美香がすこし複雑な表情をしていた。この話には少なからず美香も関係している。きっと話を聞いているうちに思うところがあったのだろう。
「まぁ、どうでもいいけどさ。大事なのは、この"偶然"が本当に"偶然"だったかということ。それ単体として起こったのであればなんてことはないが『複数の偶然が重なって起こった偶然』は"必然"という全く別のモノと同等の意味を持つことがある。君の災難が必然的に起こされたモノであったかもしれないという可能性が生まれるわけだね」
事故が必然であったなら。事故が俺の見たあの人影によるものであったならば。
それをただただ見逃すことなど、できるわけがない。
「ただの事故には興味はない。だがそれが、ただの事故ではなく、誰かによって起こされた事件であったならば、それは追求しなければいけないことだ。ならば、その追及のために、微力ながら協力させていただきたい」
あの日、誰かを見た気がする。これは事故ではないかもしれない。そんな「かもしれない」という不確定要素を信じ、協力してくれる人間なんていないと思っていた。だが、かもしれない話を信じて何かをなそうとする傑物がいた。
「あぁ~でも急激にめんどくさくなってきたなぁ~でも面白そうだしなぁ~どうしようかなぁ~」
前言撤回だ。この男は傑物なんて呼べるシロモノではないのかもしれない。
神野蛍。彼は俺と同じ高校生のはずだ。しかし、彼は自分とはどこか違う次元にいる気がする。そう思えてならないのはなぜなのか。今の俺にはそれは理解できなかった。